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喫茶アルカイド

7・Bitter & Sweet 3

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「だからもう泣かなくてもいいって……すぐ治るから」
「でも……」
 喫茶〈アルカイド〉の二階にある由真の部屋で、黄乃は涙を服の袖で拭った。由真は実家から出て、ここで寧々たちと暮らしながら働いている。それまでにどんな事情があったのかを知っているのは、喫茶店のメンバーの中では店主であるハルと、寧々と梨杏だけだ。働き始めて半年も経っていない黄乃はもちろん、星音や或果も事情は知らされていないという。
 由真の部屋は黄乃が想像していたよりも年頃の少女らしさがあった。ぬいぐるみがいくつか置かれているのは意外だった。けれど物はそれほど多くなくて、落ち着いた雰囲気がある。
「こっちの怪我は油断した私のせいだし。最後のは私がやれって言ったんだから」
「うぅ……でも……」
「星音に力も使ってもらったから、明日には治ってると思うよ」
 由真の腕には、星音の能力で作られた包帯のようなものが巻かれていた。それで覆われている部分の傷は半日ほどで治る。そして包帯が触れていればそこから体力や気力を回復することもできる。
「星音も疲れるだろうから別にいいって言ったんだけどね、聞いてくれなくて」
「いや、だって結構な傷だったよ……」
「でも普通にしてても治るからさ。まあ早く治るのはありがたいけど」
 由真はそう言って腕に巻かれた包帯を撫でた。見た目は普通の包帯と変わらないが、星音の能力で作られた包帯は、傷が治ると自然に消えるようになっている。由真はしばらく自分の腕を見つめていたが、やがて俯いている黄乃に気付き、その顔を覗き込んだ。
「何かあった?」
「いや、何かっていうか……わからなくて。由真さん、どうしてそんなに怪我してまでこの仕事してるのかなって……」
 能力者を相手にしている以上、攻撃されて怪我をすることは避けられない。警察なんかは一人の能力者に対して五人で対応することすらあるし、銃を使うことすらあるのに、由真はいつも生身で、たった一人でも相手に向かっていく。その勇気はどこからくるのか。何か目的があってこの仕事をしているのか。黄乃は真っ直ぐに由真に問いかけた。
「助けたいって思ったから……それだけだよ。でも、今でも自分に何かできているとは思ってない」
「そんなことないと思うけど……」
「この力でできることってそんな多くはないんだよ。星音みたいに傷を治すこともできないし、或果みたいに何かを作ることもできないし、ただ人を傷つけることにしか使えない。……でも、ここにいれば、それでも誰かを助けることができるかもしれないって」
 能力を解析できる力を持つ寧々ですら、由真の力の正体はいまだに掴めていないらしい。わかっているのは、その膨大なエネルギーは、剣に纏わせる形で制御していても、加減を間違えば相手を殺してしまうほど強いということだけだ。
「……でも、やってることは能力者狩りとたいして変わらないこともわかってる」
「でも! でもぼくは……由真さんに助けてもらったし……それにお礼のチョコだってあんなにいっぱいもらってたじゃないですか……! それに、あのときだってずっとそばにいてくれたし……!」
 必死で言葉を並び立てる黄乃を見て、由真は小さく笑みをこぼした。
「ありがと。ちょっと元気出たかも」
「由真さん……」
「私が慰められてちゃ駄目だね。先輩なのに」
「そんなことないよ……! どっちかというといつも助けられてる気がするし……お皿割っちゃったときとか……」
 助けられたり慰められている回数の方が明らかに多いのに、自分の弱さはあまり見せようとしない。強くあろうと思う由真のその行動が、時折周囲の人間の心に引っ掻き傷のようなものをつけていることに、由真自身はまだ気が付いていなかった。
「あ、そうだ。黄乃に渡したいものがあったんだ」
「え?」
「えっとね……そこの鞄取ってくれる?」
 黄乃がソファーの上に置かれた真っ黒なシンプルな鞄を手に取り由真に渡すと、由真はその中から小さな箱を二つ取り出した。
「こっちはチョコね。今日バレンタインだから」
「え!?︎ ぼくに……!?︎」
「だってバレンタインだし……チョコ苦手だったりしないよね?」
「そ、それは大丈夫なんだけど……!」
 まさか由真からチョコレートが貰えるとは思っていなかった黄乃は、感動すら覚えながら渡されたチョコレートの箱を両手で握り締めた。それを見て由真が笑う。
「チョコ溶けちゃうよ?」
「あ、ほんとだ! え、どうしよう……!」
「鞄にしまえばいいんじゃないかな」
 混乱している黄乃を、由真はベッドの上から悪戯な笑みを浮かべて眺める。黄乃本人はおそらくからかわれていることに気付いてはいないだろう。
「ていうかチョコは本題じゃないんだよ。メインはこっち」
 由真はもうひとつの箱を黄乃に突き出す。黄乃は首を傾げながら包装紙を剥がした。包装紙の下から出てきた箱は、つい先日黄乃が高すぎて泣く泣く断念した服と同じブランドのものだった。恐る恐る箱を開けると、中にはイヤリングが入っていた。中に小さな花が入っている球体がぶら下がる可愛らしいデザインのもの。
「これは……?」
「誕生日でしょ、今日」
「え!?︎」
「何で自分の誕生日でそんな驚いてんの……?」
「だって誰にも言ったことないし……!」
 男なのにバレンタインデーが誕生日なんて、という気恥ずかしさもあって、わざわざ聞かれなければ誕生日を人に言うことはなかった。だから由真が知っていることを予想できなかったし、その上プレゼントまでもらえるなんて完全に想定外だった。
「でも通話アプリのプロフィールには書いてたじゃん」
「た、確かに……でも、それだけで祝ってくれる人とかいなかったし……!」
「そうなの? でも仲間の誕生日祝うのは普通じゃない?」
 そう言われると普通のような気がしてしまうのは、黄乃の推しが弱すぎるのもあるだろうか。ひとしきり驚いた黄乃は、呼吸を整えてから、もう一度由真からのプレゼントを眺めた。
「服にしようかなと思ったんだけど、流石に予算が」
「いや、あのっ、そんな……むしろ気持ちだけで嬉しいっていうか……っ! すごく可愛いし!」
「それならよかった。あ、そうだ。今からそれちょっとつけてみてよ」
「今から!?︎」
 黄乃はイヤリングを台紙から外そうとするが、何故か手が滑って台紙を掴むことができなかった。見かねた由真が台紙からイヤリングを外し、銀色の金具で黄乃の耳たぶを挟む。
「痛くない?」
「だ、大丈夫です……!」
 耳に触れられるということは、必然的にそれだけ由真の顔が近くにあるということだ。なるべく見ないようにしていても、その整った顔立ちが目に入ってしまう。耐えきれずに両手で目を覆ってしまった黄乃の顔を由真が不思議そうに覗き込む。
「どうかした?」
「何でもないです……!」
「そういや寧々が『黄乃相手なら由真の顔だけでプレゼントじゃない?』とか言ってたんだけど意味わかる?」
「わ、わかるけど……わかるけど……!」
「そんな大した顔じゃないと思うんだけどな……」
 遠い昔、この世界にまだ能力者が存在していなかった頃に、ある少女が世を席巻した。黄乃がたまたま見た映像の中にいたその少女と、いま目の前にいる柊由真の顔はよく似ている。生まれ変わりなのか、実は辿っていけば血が繋がっているんじゃないかと思うほどだ。けれどそのことを由真に直接言ったことはない。
「ていうか顔隠してたら似合ってるかどうか確認できないじゃん」
「いや、無理です……なんかもう顔が燃えそうだから……!」
「え、何で? 熱でもある? 星音呼んでこようか?」
「そうじゃないんです……っ!」
 でも呼んでもらった方が助かるかもしれない、と黄乃は密かに思った。これ以上二人きりで部屋にいたら寿命が縮んでしまう。けれど助けを呼んだらあとでからかわれる未来も見える。黄乃はそばにあったぬいぐるみを手に取り、赤くなった顔をそれで隠した。
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