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青の向こう側
4・罅2
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家に帰ると、由真は自分の部屋のベッドに飛び込んだ。体が重い。理由はわかりきっていた。
「星音……」
幸いにも星音は種が大きいタイプの能力者だ。余程のことがない限り全力で能力を使うことはない。おそらく暫くは問題なく過ごせるだろう。けれど体内で種を割る光線を浴びた影響が今後何もないとは言い切れない。
「何で……」
悠子が止めなかったらどうなっていたのか。約五十秒の照射。それが一分、二分と続いていたら。由真は自分の右腕を強く握り締めた。
「っ……!」
自分の中で何かが蠢いている気配がする。感情が昂り過ぎたせいか、抑え込めなくなっているのだ。けれど簡単には止められない。頭の中で短い言葉がぐるぐると回っている。
どうして。何で。問いかけたところで答えなど出ないのに。どうしてあんな武器を作ってしまったのか。何故それを躊躇いなく人に向けられるのか。そして何で星音は自分を庇って光線を浴びたのか――。
「どうして……っ!」
そんなことをしなければよかったのに。傷つくのは自分だけでよかったのに。星音だけではない。暴走している能力者はいないからと機動隊が仕事をするのを止めなかった。けれど結論から言えば、あのとき止めるべきだったのだ。
(あんなことしたら、どうなるかわかってるのか……!)
体内で種を割れば、ほとんどの人間は中から溢れ出す能力の源となるエネルギーに耐えられずに死んでしまう。けれど問題はそれだけではない。
体内で種が割れても生きている一握りの人間を、覚醒者と呼ぶ。そしてその状態のことを「咲く」と表現するのだ。それは能力者の間でもあまり知られていない事実だ。けれど覚醒者は、咲いた人間は、生きているとは言ってもそれを人間と呼ぶことはできない状態だった。――少なくとも、由真が知る限りは。
「……私は……っ」
咲けなかった人間も、咲いた人間もたくさん見てきた。どちらも結局は人間としては生きられない状態だった。淡々と状況を報告する声。由真の耳元で聞こえる粘ついた声。思い出したくないものが蘇ってきて、由真は思わず両手で耳を塞いだ。
「ちがう……っ! 私は……助けてなんて……っ」
理由はわかっていた。体内で種を割る光線を由真自身も十五秒ほど浴びたのだ。少なからずその影響を受けて、由真自身の力が弱まっているのだろう。
右手が由真の意思に反して動き出す。それを抑えるだけの力は、今の由真にはなかった。落ち着かなければならない。冷静になって力を使えば抑え込める。それがわかっていても、荒れた心がすぐに凪ぐことはなかった。
きつく閉じた瞼の裏に、黒く染まった大きな手が見える。黒い手が由真に迫るほどに、雑音交じりの声も聞こえてきた。
「……ごめん……なさい……っ!」
由真を責め立てる声は、今まで助けられなかった人たちのもの。その全てが質量となって、由真の喉を圧迫する。
「……っ、く……ッ!」
わかっている。喉を絞め上げるその手は正真正銘、由真自身のものだ。けれどそれを動かしているのは由真自身ではない。普段は奥深くに押し込められている――「彼」の憎悪と絶望。
「ごめん……ごめん、なさ……っ……たすけて、あげられなくて……」
それどころか、この力を使って許されないことをした。誰にも言うことができていない罪。時折与えられる痛みは罰なのか。それでもなお、一縷の望みを掴もうとするかのように左手が伸ばされる。
「っ、は……ぁ」
左手で喉を絞め上げる右手を引き剥がす。息はしやすくなったが、呼吸はまだ乱れていた。由真は胸に手を当てて深呼吸を繰り返す。ようやく呼吸が整い始めたところで、枕元に置いた携帯電話が振動した。
「星音から?」
こんな時間に何の用だろう。由真は首を傾げながらも電話を取った。
「どうしたの、こんな時間に」
『何か、声が聞きたくなって?』
「それは恋人に言う言葉じゃないの?」
『私に恋人いるように見えます? 寝てるかなぁとは思ったんやけど……何か電話したくなって』
「なにそれ、変なの」
由真は上半身を起こして、笑みをこぼした。けれど同時に涙が溢れ出して止まらなくなる。
『由真さん?』
「……ごめんね」
『何で謝るんですか』
「だって……私のせいで」
『由真さんのせいやない。私がやりたくてやっただけ。由真さんやっていつもそう言ってるやんか』
それでも、回復不能な傷がついてしまったのは事実だ。幸いにも種が大きい星音自身にはほとんど自覚もなく、これから全身打撲の人を一晩で治すような無茶をしない限りは進行することもなさそうだ。それでも種の表面に罅が入った今の状況が安全とはとても言い難い。
「星音……」
マイクが拾うかどうかわからないくらいの声で、由真は呟いた。また助けられなかったのだと重くのしかかってくる事実を振り払うように、一縷の望みに賭けるように、左手をきつく握りしめる。
『私がそんなヤワに見えます? 長所は健康なとこで、短所は元気すぎるとこ、特技はよく食べよく眠ることやで?』
「……そういえばそうだったね。履歴書にも書いてた。あんな小学生みたいな履歴書はじめて見たんだけど」
『あれはハルさんが「どうせ採用するつもりだから名前と住所以外は好きなこと書いていいよ」って言ったから……』
「好き勝手過ぎでしょ。ていうかよく眠ることと言いつつ今めちゃくちゃ夜更かししてるじゃん」
『このあといっぱい寝るから大丈夫やし。由真さんもちゃんと寝るんやで?』
由真は携帯電話を耳に当てながら、体をベッドのマットレスに預けた。そのまま目を閉じて星音の声を聞いてくると、消えていたはずの睡魔が襲ってくる。
『由真さん、もう眠いやろ』
「そりゃそうだよ……何時だと思ってんの……?」
『せやな。じゃあそろそろ切りますね。おやすみなさい』
「うん。おやすみ……」
通話を切ると同時に、由真の意識はゆっくりと眠りの中に落ちていった。
家に帰ると、由真は自分の部屋のベッドに飛び込んだ。体が重い。理由はわかりきっていた。
「星音……」
幸いにも星音は種が大きいタイプの能力者だ。余程のことがない限り全力で能力を使うことはない。おそらく暫くは問題なく過ごせるだろう。けれど体内で種を割る光線を浴びた影響が今後何もないとは言い切れない。
「何で……」
悠子が止めなかったらどうなっていたのか。約五十秒の照射。それが一分、二分と続いていたら。由真は自分の右腕を強く握り締めた。
「っ……!」
自分の中で何かが蠢いている気配がする。感情が昂り過ぎたせいか、抑え込めなくなっているのだ。けれど簡単には止められない。頭の中で短い言葉がぐるぐると回っている。
どうして。何で。問いかけたところで答えなど出ないのに。どうしてあんな武器を作ってしまったのか。何故それを躊躇いなく人に向けられるのか。そして何で星音は自分を庇って光線を浴びたのか――。
「どうして……っ!」
そんなことをしなければよかったのに。傷つくのは自分だけでよかったのに。星音だけではない。暴走している能力者はいないからと機動隊が仕事をするのを止めなかった。けれど結論から言えば、あのとき止めるべきだったのだ。
(あんなことしたら、どうなるかわかってるのか……!)
体内で種を割れば、ほとんどの人間は中から溢れ出す能力の源となるエネルギーに耐えられずに死んでしまう。けれど問題はそれだけではない。
体内で種が割れても生きている一握りの人間を、覚醒者と呼ぶ。そしてその状態のことを「咲く」と表現するのだ。それは能力者の間でもあまり知られていない事実だ。けれど覚醒者は、咲いた人間は、生きているとは言ってもそれを人間と呼ぶことはできない状態だった。――少なくとも、由真が知る限りは。
「……私は……っ」
咲けなかった人間も、咲いた人間もたくさん見てきた。どちらも結局は人間としては生きられない状態だった。淡々と状況を報告する声。由真の耳元で聞こえる粘ついた声。思い出したくないものが蘇ってきて、由真は思わず両手で耳を塞いだ。
「ちがう……っ! 私は……助けてなんて……っ」
理由はわかっていた。体内で種を割る光線を由真自身も十五秒ほど浴びたのだ。少なからずその影響を受けて、由真自身の力が弱まっているのだろう。
右手が由真の意思に反して動き出す。それを抑えるだけの力は、今の由真にはなかった。落ち着かなければならない。冷静になって力を使えば抑え込める。それがわかっていても、荒れた心がすぐに凪ぐことはなかった。
きつく閉じた瞼の裏に、黒く染まった大きな手が見える。黒い手が由真に迫るほどに、雑音交じりの声も聞こえてきた。
「……ごめん……なさい……っ!」
由真を責め立てる声は、今まで助けられなかった人たちのもの。その全てが質量となって、由真の喉を圧迫する。
「……っ、く……ッ!」
わかっている。喉を絞め上げるその手は正真正銘、由真自身のものだ。けれどそれを動かしているのは由真自身ではない。普段は奥深くに押し込められている――「彼」の憎悪と絶望。
「ごめん……ごめん、なさ……っ……たすけて、あげられなくて……」
それどころか、この力を使って許されないことをした。誰にも言うことができていない罪。時折与えられる痛みは罰なのか。それでもなお、一縷の望みを掴もうとするかのように左手が伸ばされる。
「っ、は……ぁ」
左手で喉を絞め上げる右手を引き剥がす。息はしやすくなったが、呼吸はまだ乱れていた。由真は胸に手を当てて深呼吸を繰り返す。ようやく呼吸が整い始めたところで、枕元に置いた携帯電話が振動した。
「星音から?」
こんな時間に何の用だろう。由真は首を傾げながらも電話を取った。
「どうしたの、こんな時間に」
『何か、声が聞きたくなって?』
「それは恋人に言う言葉じゃないの?」
『私に恋人いるように見えます? 寝てるかなぁとは思ったんやけど……何か電話したくなって』
「なにそれ、変なの」
由真は上半身を起こして、笑みをこぼした。けれど同時に涙が溢れ出して止まらなくなる。
『由真さん?』
「……ごめんね」
『何で謝るんですか』
「だって……私のせいで」
『由真さんのせいやない。私がやりたくてやっただけ。由真さんやっていつもそう言ってるやんか』
それでも、回復不能な傷がついてしまったのは事実だ。幸いにも種が大きい星音自身にはほとんど自覚もなく、これから全身打撲の人を一晩で治すような無茶をしない限りは進行することもなさそうだ。それでも種の表面に罅が入った今の状況が安全とはとても言い難い。
「星音……」
マイクが拾うかどうかわからないくらいの声で、由真は呟いた。また助けられなかったのだと重くのしかかってくる事実を振り払うように、一縷の望みに賭けるように、左手をきつく握りしめる。
『私がそんなヤワに見えます? 長所は健康なとこで、短所は元気すぎるとこ、特技はよく食べよく眠ることやで?』
「……そういえばそうだったね。履歴書にも書いてた。あんな小学生みたいな履歴書はじめて見たんだけど」
『あれはハルさんが「どうせ採用するつもりだから名前と住所以外は好きなこと書いていいよ」って言ったから……』
「好き勝手過ぎでしょ。ていうかよく眠ることと言いつつ今めちゃくちゃ夜更かししてるじゃん」
『このあといっぱい寝るから大丈夫やし。由真さんもちゃんと寝るんやで?』
由真は携帯電話を耳に当てながら、体をベッドのマットレスに預けた。そのまま目を閉じて星音の声を聞いてくると、消えていたはずの睡魔が襲ってくる。
『由真さん、もう眠いやろ』
「そりゃそうだよ……何時だと思ってんの……?」
『せやな。じゃあそろそろ切りますね。おやすみなさい』
「うん。おやすみ……」
通話を切ると同時に、由真の意識はゆっくりと眠りの中に落ちていった。
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