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azure

1・純夏の依頼2

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「調子はどう?」
「ちゃんと調整してきたから大丈夫。体のどこかに刺さればいいんでしょ?」
 喫茶店の仕事を終えてから現場にやってきた梨杏は、寧々が用意していた狙撃ポイントをひとつひとつ確認してから、床に寝そべるようにしてエアライフルを構えた。撃っても発射されるのは発信機付きの針だ。刺さったところで蚊に刺されたくらいの痛みしかない。
「これ使うの久しぶりだから、どうかなと思って。でも心配いらないみたいね」
「これが一番得意だし。格闘技も色々やったけど、結局適性があったのは的を狙う系のやつだった」
 由真が行方不明になっていた数年間、梨杏は体を鍛えることに精を出していた。その中でも特に弓道とライフル射撃の才能があったらしく、大会に出ればそれなりに上位に食い込めるだろうと言われている。しかし梨杏の目的は大会で勝つことではない。梨杏はかつて由真を守れなかったことをずっと悔いていて、それが彼女の強さに繋がっているのだ。
「このライフル、確かに競技用のとは全然違うけど……撃つ感覚は思い出せばいいだけだから」
「頼もしいよ。じゃあタイミングと対象は指示するから。しばらくは待機で」
 狙撃ポイントに梨杏を残し、寧々は取引現場の近くの物陰に移動する。今日は売人の一人に発信機を埋め込むことが目的だ。ハルが掴んだ取引の情報を頼りに、対象が現れるのを息を潜めて待つ。
「そういえば今日、由真は?」
 インカムを通して梨杏に話しかける。最近この仕事にかかりきりだったために、由真のことは梨杏に任せていたのだ。由真が個人的に本宮緋彩を警護していることは把握している。確かにそちらも気に掛かるが、由真にも思うところがあってそんな行動を取っていることはわかっている。由真が気にしているのは、せっかく再会したというのに気まずい関係になってしまった星音と緋彩のことだ。
『今日も緋彩ちゃんのところに行ってるみたいだから、それを星音に教えておいた。ていうか、「星音が緋彩と話したいようなら教えてあげて」とは言われてたんだよね』
「話したくないわけはないわね。てか由真は半分ぐらい自分のせいだって理解してんのかな?」
『ちょっとは反省してるんじゃない? いい加減、無茶をすればそれを心配する人間が沢山いるんだって気付いてほしいものだけど』
 寧々は小さく笑みを零した。その沢山の人間の中には寧々も梨杏も含まれている。由真は周りの人間に漏れなく好かれていて、これまで助けた人間の中にも由真を想う人たちも大勢いる。気が付いていないのは本人だけだ。
「どうにかならないかね、あの自己犠牲野郎」
『そう簡単にはどうにかならないとは思うけどね。でも――星音と黄乃が入ってきてから、少なくとも怪我を隠すことは減ったかなって気はするけど』
「あれ、星音が絶対に気付くからでしょ」
『それでも、それは私たちにはできなかったことだよ』
 隠しても星音に気付かれてしまうからなのか、治療を嫌がることはあっても傷を隠すことは確かに減った。そして軽い仕事ならば黄乃に全てを任せて休むこともするようになった。それがたとえ黄乃を戦闘に慣れさせるためという目的の下の行動であったとしても、由真の中に起きた確かな変化だ。
「まあ悔しいけど、そうなるね。私たちのこの数年の苦労は一体……って気もするけど」
『何言ってんの。最初に由真を助けたのは寧々でしょ?』
「それを言うなら梨杏でしょ。私は――戦いの中に放り込んでしまったし」
  由真が普通に生活できるように手を尽くしたのは事実だが、その中で由真が傷ついてしまうような道を選ばせたのもまた動かしようのない事実だった。そんな自分が今更何を言っても遅いのだということはわかっている。それでも戦いの道から解放されてほしいと願ってしまうのだ。
「――そろそろ来るかも」
 微弱な能力波を感じ、寧々は梨杏との会話を打ち切った。今は目の前のことに集中すべきときだ。由真に気付かれないうちに、敵が誰なのかをはっきりさせておきたい。叩くべきところがわかるまでは泳がせるしかないが、由真はそれを嫌がるだろうから。
 足音が近付いて来る。寧々と同じくらいの年頃の少女だ。売人の方か、それとも購入者の方か。手がかりを掴むために寧々は左目を一旦手で覆い、すぐにそれを外して少女を見た。
(暴走とは違う。けど何かが――)
 更に目を凝らす。普通の能力者であれば種があるあたりに赤い光がうっすらと見えて、それを左目でよく見ることで能力の解析が可能になる。暴走している能力者は赤い光に黒が混じって見え、種に罅が入った状態は赤い光が明滅して見える。けれど少女の場合はそのどれとも違っていた。赤い光の中心に青色に輝く別のものがある。その正体を掴もうと再び左目を覆う。そしてその手をどけた瞬間に、寧々の脳を埋め尽くすように見たことのない光景が広がった。
「……っ!」
 無数の蝶の乱舞のように襲ってくるのは花吹雪だ。けれどその色は薄紅色や白ではない。目が醒めるような青色――寧々は思わず腕で両目を覆った。
『寧々? どうかした?』
「大丈夫。ちょっと深入りしすぎた……ちょっと予想してたよりやばい薬かも」
『厳しそうなら離脱する?』
「いや、この程度ならまだいける。今日は戦闘するわけじゃないし。とりあえず今来た子は売人ではなさそう」
 調べてみないことには確信は持てないが、薬は種を侵蝕する効果を持っているのだろう。青の光が何を意味するかは定義できていないが、それがやがて種を覆うほどに成長していくのだろうということはわかる。
「……また誰か来る」
 寧々は息を潜めて、もう一人が近付いて来るのを待った。けれどその姿を見ることはできない。代わりに、その能力波の光がそこにある人物がいることを寧々に示している。
(手を引けって言ったんだけどなぁ……)
 姿を消しているあたりは、寧々の言うことを守ろうとしているのかもしれない。見えなければそこにいたことにはならないからだ。来てしまったものを追い返すようなことをすればかえって存在に気付かれてしまう。ここは静観するしかないだろう。
 それから数分後。今度は二人の男がやってきた。この男たちが今回の本命だ。けれど実際に取引するところまでは押さえたい。寧々は少女が男たちに話しかける様子をじっと見つめていた。このまま取引が成立したところで――と寧々が思っていると、売人の男と少女が揉め始めた。
「この前はこれでいいって言ったろ!?」
「最近これを求める奴が増えててねぇ。価格が高騰してんだよ。金がねぇって言うなら取引はなしだぜ?」
 男たちはそう言って去っていこうとする。けれど少女は男の一人に追い縋った。
「頼む、それがないともう……!」
「でも金がないやつに売るわけにはいかねぇ。商売ってのは同じ価値を持つものを交換する行為なんだ。まあお前が俺たちに協力して金を稼いでくれるって言うなら考えてやらんこともないが。そこそこキレイな顔してるしそれなりに稼げるだろ」
「稼ぐって……」
「薬でラリってバカになってんのか? ここまで言えばわかるだろ? その体を使えって言ってんだよ」
 寧々は逡巡する。このまま放置すればこの少女は別の犯罪に巻き込まれることになる。多少の犠牲は仕方がないと割り切るつもりだったが、いざとなると迷いが生じてしまう。
「――梨杏。左の、女の子と喋ってない方の男に」
『了解。もう一人はいいの?』
「とりあえず一人確保できれば。――私は先にもう一人をちょっと締めてくる」
『え、ちょっと寧々!? 手は出さないんじゃなかったの?』
「予定変更。顔は見られないようにするから」
 マスクをして、フードを深くかぶる。少女を逃がす程度の時間が稼げればいい。寧々は梨杏に合図を出してから、少女と揉めている男に向かって走り出した。けれど寧々がそこにたどり着く前に男が吹き飛ばされた。男たちには見えていないが、純夏が姿を消したまま男に回し蹴りを決めたのだ。姿を現した純夏に少女が驚きの声を上げる。
「純夏さん……!」
「今のうちに逃げな。話はあとだ」
「でも、私あれがないと……!」
「目を覚ませ。お前自分が何してるのかわかってんのか?」
 純夏は容赦なく少女を殴り飛ばす。聞き分けはいい方だというのは寧々の見込み違いだったかもしれない。ひょっとしたら由真よりも聞き分けが悪いし、なおかつ暴力的だ。
『どうする、寧々? 一応両方撃ったから目的は達成したけど』
 狙撃ポイントから様子をうかがっていた梨杏から通信が入る。寧々は溜息を吐いた。
「閃光弾は持ってきてる?」
『二発分は』
「合図したら撃って。とにかくあの二人をここから遠ざけることを優先する」
 周りの状況そっちのけで喧嘩を始めそうな二人に近づき、寧々は少女の方を担ぎ上げた。
「話はあと。逃げるよ!」
 合図とともに背後で破裂音が響く。梨杏の存在には気付かれていないから、これは完全に不意打ちだろう。その間に寧々は梨杏のいる建物とは違う建物に駆け込んだ。その瞬間にポケットに入れた携帯電話が振動する。
「ああもう、何なのよあっちもこっちも!」
 電話の相手は星音だ。寧々は一呼吸で息を整えてから電話に出た。
「もしもし。どうかした?」
 聞こえてきたのは想像よりも悪い状況だった。生放送の襲撃事件以降、由真の行動と主犯が逮捕されたことにより本宮緋彩に対する嫌がらせ等は少し収まっていたように見えていたが、逆にそれが火をつけてしまったのか、大勢の能力者が集まって襲撃するという事態に発展してしまったらしい。由真が一人では対応できないから寧々と悠子に連絡しろと言うからには、それなりに危ない状況だと考えていい。
「わかった。できるだけ急いで向かう」
 電話を切ると、純夏が心配そうな顔をして寧々を見ていた。寧々は息を吐き出す。
「何かあったのか?」
「まあね。そっちこそ、手を引けって言ったよね?」
「悪い。だがそいつは……私の友達なんだ」
「さっき思いっきり殴ってた気がするんだけど……」
 おそらく純夏は衣澄のことは殴ったりはしないだろう。やはり不良同士だからなのだろうか。寧々は床に下ろした少女の腫れた頬を横目で見た。
「とりあえず二人の問題は二人でなんとかしてほしいんだけど、少なくとも薬はもう使わないほうがいい。まだ定義はできてないけど……薬を使い続けていたら元々の種が駄目になる。ストラングラーツリーみたいに、絡みつかれた中のものは死んでしまう」
「……っ、だから薬は駄目だって決まってたろ! どうして……!」
 少女に掴みかかろうとする純夏を、寧々は軽く手で制した。
「もう使っちゃったものを責めたって意味がない。この件は私達が必ず解決する。けれど――この前来てた杉山と松木って刑事がいたでしょ? 彼女たちにはその子を連れて相談しに行った方がいい。今から梨杏っていう、私たちの仲間がここに来るから、彼女の手を借りて」
 純夏は頷く。放っておけば二人がまた喧嘩を始めるかもしれないと思ったが、そこは梨杏に任せておこう。純夏の能力は強力だが攻撃力は低い。梨杏でも十分対応できる。寧々は建物から出て、丁度向かってきていた梨杏に目配せをしてから走り出した。
(何もなければいいけど……由真……)
 由真の能力は一対多数の戦闘には向いていない。能力波を感知する寧々がいればそれでも戦えるが、それができないときは不利な状況に追い込まれることも多い。寧々は間に合うことを祈りながら走り続けた。
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