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azure

1・純夏の依頼3

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「……遅い」
「しょうがないでしょ? 他の仕事してたのよ……」
 寧々の姿を見るなり、由真が低い声で言った。これでも途中でハルの車を捕まえて可能な限り最速で到着したのだ。梨杏はその間に警察に向かって、悠子がこちらの現場に来ていていなかったために、彼女の部下である松木に話をしたという。ひとまずそちらの仕事はこれで片付いた。問題は目の前の状況だ。
 由真は黙って寧々の腕を引く。その手が僅かに震えていることに気がついて、寧々ははっと目を見開いた。由真がこんな状態になるときは大抵自分自身ではなく、他人に何かがあったときだ。寧々は由真を安心させるようにその手を撫でる。
「……これは」
 由真に無言で促され、寧々は星音に目を向けた。星音は種がかなり大きい能力者だ。その分力は安定している。けれどその強い赤い光が僅かに明滅して見えた。寧々は悠子に状況の説明を求めた。悠子は淡々と先程起きた事態を寧々に告げる。
「この前言ってたやつか……」
 機動隊の使っている特殊光線が普通のものとは違う、と由真から言われたのはつい先日のことだ。星音はそのことを知らないはずだが、特殊光線が由真にとって害のあるものだということは知っている。だから庇ったのだろう。結果だけを見れば、星音でよかったとしか言いようがない状況だ。
「普通の特殊光線は種の生命活動を一時的に止めてるけど、これは明らかに違うコンセプトで作られてる」
「違うコンセプト?」
 悠子が尋ねる。彼女も警察の人間のはずだが、おそらく何も知らされてはいないのだろう。
「これは体内で種を割ろうとしてる。壊してしまえば能力を使えなくなるから、どっちにしろ同じだって考えたのかもしれないけど……」
「つまり由真がやってるのと同じってこと?」
 悠子が尋ねると、由真は首を横に振る。種を壊しているのは同じだ。けれど問題はその場所だ。
「私は出してから壊してる。中で壊しちゃダメなの。……寧々、星音の状態は?」
「由真の方が直接見てるんだから正確だと思うけど」
 由真は種を取り出して直接見ることができる。能力の解析や定義ができるわけではないが、種の状態を見るだけなら、由真の方が寧々よりも正確に把握できるはずだ。
「……自信が持てなくて」
 由真はそう言って俯く。その目で、今すぐに命の危険があるわけではないということはわかったのだろう。それでも自分のその判断を信じきることができない。もしものことを考えてしまう。寧々は由真を安心させるために、柔らかな笑みを浮かべた。
「星音は種がかなり大きくて余裕があるタイプだから、表面にちょっと傷がついたくらいね。よっぽど無理をしなければ割れるってことはないと思う」
 由真が安堵の溜息を漏らす。けれどその顔は暗いままだ。悠子が由真の肩にそっと手を添えた。悠子も由真の性格は知っている。自分の身は簡単に投げ出すくせに、自分の周りの人間が傷ついていくことを酷く恐れている。おそらくは「星音が自分を庇わなければ」などと考えているのだろう。
「種が体の中で割れるとどうなるの?」
 悠子が寧々に尋ねる。寧々は由真の手を軽く握ってから答えた。
「大体の人は死ぬわね。種って、中に膨大なエネルギーを閉じ込めてあるものなのよ。それが漏れ出してくるのがいわゆる暴走状態。でも暴走が進行しても大体種が割れる前に人間の体の方が耐えられなくなって死んでしまうんだけど、稀にそれを耐え切って、種が割れるまで進行してしまうことがあって……そうなっても大体そこで死んでしまうけど、それでも生きているほど強靭な人間だった場合は、誰よりも強い能力を持つことになる。でもその段階で理性が残ってるほどの人ってのは私の知る限りではいない」
「えーと……要するに、本当は暴走の果てにそうなる現象を、間をすっ飛ばして起こそうとしてるってこと? 死ぬ確率が高いのに?」
「おそらくは。生き残る人が1%に満たないと考えると、99%の能力者を簡単に殺すことができる武器ってことになる」
「いやいやそんな……いくら能力者だからって警察が市民を殺そうとするなんて……!」
「杉山さんは純粋すぎるんだよ……人間は意外に悪意を持ってるもんだよ」
 寧々が言うと、誰もが黙り込んでしまった。悠子は良くも悪くも善良だ。本当に警察官なのかと思うくらい人の善意を信じてしまうし、嘘も苦手だ。だからこそ信じられる人ではあるが、これから彼女も否応なく人の悪意に晒されていくことになるだろう。
 今、寧々が知っている全てをここで言うことはできない。この状態で言えるはずがない。機動隊が使う特殊光線が無能力者ノーマの悪意ならば、寧々が先程目にしたのは能力者ブルームの悪意だ。
 『アズール』という薬は能力者が作ったものだ。純夏の友人だというあの少女から、僅かに他人の能力の残滓を感じた。それは少女が摂取した薬が何らかの能力を使用して作られたものだということを示している。
(もう少し情報を掴むまで、由真には――)
 由真は他人の悪意には慣れていると言う。けれどそれは慣れていると言い聞かせているだけだ。本当は繊細で透明な心を持っているのに、他人のために易々とそれを擦り減らしていくことを選んでしまう。まるでそうしなければ許されないのだと、自らを罰しているように。
 由真はまだ気を失っている星音のことを心配そうに見つめていた。戦えば戦うほどに、助けられなかった人は増えていく。それなのにその道に由真を進ませてしまった罪を寧々は一人、噛み締めていた。
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