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蒼き櫻の満開の下

2・病院に行く2

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 バイクで街を走り抜け、目的地である濱野クリニックに到着してガラスのドアを開けると、奥から白衣を着た歩月が顔を出した。
「……他に人いないの?」
「今日はあとゆーちゃんだけだったから、みんな早めに上がっていいよって言っといたの」
 いつもは受付の医療事務の人、何人かの看護師、それから歩月の父親である院長がいるらしい。由真たち以外誰もいない病院は静かだが、待合室の落ち着いた音楽だけは変わらずに流れていた。
「その子が星音ちゃん?」
「あ、瀧口星音です! よろしくお願いします!」
「私は濱野歩月。よろしくね。じゃあ早速中入って。お茶の用意もできてるから」
 確かに由真が言っていた通りの美人だ。けれど冷たく近寄り難い印象はなく、可憐な白い花を思わせる女性だ。それにしてもお茶を用意しているなんて、ここは本当に病院なのだろうか。疑問に思いながらも、星音は由真の後ろについて診察室の中に入った。
 診察室の中は一般的な病院らしく、医者用の机と椅子、患者用の椅子とベッドがあった。由真がその一つに座ると、星音が座る椅子がなくなってしまう。別に立っていればいいかと思っていたら、由真が診察室の奥から予備の椅子を取ってきた。自分の家でもないのに場所を知っているらしい。
 歩月が淹れたカモミールティーはすでに飲みやすい温度にまで冷めていた。来る時間を予想して淹れていたのだろう。星音は横目で由真を見る。何せ由真は猫舌なのだ。
「今日は力使ったの?」
「うん。そんなに長い時間ではないけど」
「そう……。それで、今日はどうしたの? 深夜に急に予約入ってたから、心配してたんだけど……」
 歩月と由真は、医者と患者というよりは友達同士のような口調で話している。由真はカップをソーサーの上に置いてから話し始めた。
「この前、アズールの話はしたでしょ? あれの中毒者の集団と一回戦闘になって……寧々の力を借りて二十人くらいのやつを種から引き剥がしたんだけど」
「うん」
「その日からあまり夢見が良くなくて……歩月ならどうにかできるかなと思って」
 さらりと言っているが、その戦闘が大変なものだったということは聞いている。寧々が力を使う間、アズールの侵蝕にギリギリまで耐えた上に、その場にいた全員の種からアズールを引き剥がしたのだ。
「もう……相変わらず無茶なことばっかりするんだから。その話は聞いてたけど、まさか二十人とは思わなかったわ……」
「あと今日の入れるともう一人」
「それで調子悪くなったのわかっててやるのね……」
 呆れたように歩月は言うが、その声には慈しむような柔らかさが確かに含まれていた。おそらく由真がそういう人間であることはわかっているのだろう。
「それなら解毒でいけると思うけれど……とりあえずやってみるしかないわね」
「じゃあ着替えてくる」
 着替えが必要な治療なのだろうか。星音が首を傾げているうちに、由真は診察室の横の扉を開けて中に入っていった。初対面の歩月と二人で取り残された星音は、何から話したものかと思案する。その様子を見て歩月が笑みを零した。
「全然説明してくれなかったんでしょ、ゆーちゃん」
「ここが普通の病院かどうかもまだわかってへんくらいには……」
 星音としては歩月が由真をゆーちゃんと呼んでいることも気になるのだが、それについてはあえて聞かないでおいた。由真が嫌がっていないのだから、二人の間ではそれでいいのだろう。
「病院としては普通の内科と小児科よ。父は無能力者だし。母は能力者だけどね。でも能力者を優先的に見ますよ、と宣伝してはいるわね。それが嫌なら他の病院行って、って方針。でも、私は自分の能力を活かして個別に他の治療もしている。それが今からやることなのよ」
 歩月がそこまで言ったところで、着替えを終えた由真が出てきた。薄緑色の背中が開けられるようになっている服と、同じ色のショートパンツ。そのまま診察台に腰掛ける。
「今日はちょっと痛いかもよ?」
「今日も、でしょ。鍼治療は実際はそんな痛くないって寧々言ってたよ?」
「使ってるのは同じ道具だけど、能力使うとみんな痛いって言うのよ。私も痛くないようにとかできないし」
「私は平気だけどさ」
 由真は診察台にうつ伏せになって、歩月を見た。歩月はワゴンに乗せた道具を引き寄せ、由真の服の背中を開けて、まずは皮膚の消毒を始めた。それから細い針を取り出す。
「鍼治療?」
「使ってる道具は同じよ。本当は使わなくてもできるんだけど、こっちの方が効率いいから」
 二人はそれについては何も言わなかったけれど、由真の背中には戦いでついたものと思われる古い傷跡が無数に残っていた。星音の能力でそれを全部治そうと思うと、一週間は寝込むだろう量だ。能力使用時に傷がついてしまう左腕ほどではないが、まだ十八歳になったばかりの少女が背負っていていい傷の量ではない。
「今日は少し長めにした方がいいかしらね。大分痛いと思うけど」
 由真はうつ伏せのまま頷く。歩月が針の一つに触れると、青みがかった白色の仄かな光が歩月の指先に灯った。その瞬間に由真の表情が僅かに歪む。歩月は三分ほどかけて、由真の背に刺した全ての針に触れていった。
「今日はこれであと一時間くらいにするわね。痛みはどう?」
「……へいき」
 由真は微笑んでいるけれど、言葉を発する直前に息を整えていたところを見る限り、相当の痛みがあったことがわかる。歩月もしばらく心配そうに由真の表情を窺っていた。
「……なんか眠くなってきた」
「いいわよ、寝てても」
 歩月が由真の頭を撫でると、由真の瞼がゆっくりと下りていく。すぐに寝息を立て始めた由真を見て歩月が小さく笑った。
「この能力、最初は痛くて、その次に眠くなるらしいのよね。みんなここで寝ちゃう」
「何の能力なんですか?」
「簡単に言うと解毒ね。体の中の悪いものをこの針に集めて引き抜いて捨てるだけなんだけど……ゆーちゃんが人の種を壊すとき、壊された種は完全に消えてしまうわけではなくて、その欠片だったりがゆーちゃんの体に吸収されて、少しずつ蓄積していくの。で、あまりにもそれが溜まってしまうと自家中毒みたいになるから、ときどき来てもらってるんだけど」
 改めて、由真の能力は謎が多いと星音は思った。種を壊した後はそのまま全部消えてしまうと思っていたが、それはどうも違うようだ。子供のような寝顔からは想像できないほどに、由真はさまざまなものを背負いすぎている。歩月は眠っている由真の頭を軽く撫でた。
「今回はアズールという薬が引き剥がして壊したときに少し吸収されてしまって調子が悪かったみたいね。相変わらず無茶なことをするんだから、ゆーちゃんは」
 まるで姉や母親のような目を由真に向けて歩月が話す。
「歩月さんが力を使わないとどうなるんですか?」
「何食べても吐いちゃうとは言ってたわね、昔。でも三日くらいで治りはするから、全く対処できないというわけではないけれど……」
 力を使えば自分にそれだけ負担がかかるとわかっていて、由真はどうして見ず知らずの他人のためにそれを使えるのだろう。アルカイドで働き始めた頃に由真に「お人好し」と言われたことがあるが、由真の方がよほどお人好しだと星音は思った。

 一時間ほど経ったあと、歩月が由真の体から針を抜いた。そのまま針を感染性廃棄物のマークがついたゴミ箱に捨てる。ゆっくりと体を起こしつつもぼんやりした目をしている由真に歩月が尋ねた。
「調子はどう?」
「大分楽になった。ありがとう、歩月」
「それならよかった」
 由真は施術前と同じように奥の部屋に行き、着替えを済ませてから戻ってくる。先程までは寝ぼけまなこだったが、戻ってきた由真はすっかりいつもの調子を取り戻していた。
「また何かあったらいつでも来て」
 病院の入り口で歩月が由真に言う。由真は軽く口角を釣り上げる、悪戯っぽい笑みを浮かべてそれに答えた。
「何もなきゃ来ちゃだめ?」
「そんなわけないでしょ。いつでも来ていいわよ、ゆーちゃん」
 由真は歩月には随分心を許しているようだ。そのやりとりを見るだけでわかる。星音は何故か少し安心感を覚えながらバイクに跨った。
「ごめんね、付き合わせちゃって」
「気にせんでええよ。楽しかったし。歩月さん、本当に美人やな」
「前に、美人女医で話題になったらしいよ。ただ歩月の能力、めちゃくちゃ痛いからリピーターが少ないって言ってたけど。大の大人が痛くて叫んだりするらしいから」
「由真さんそのわりに眉ひとつ動かしとらんかったけど」
「歩月のやつは、ちゃんと治してくれるってわかってるから」
 星音はバイクの後ろに由真を乗せて、喫茶店の前まで由真を送った。店舗の隣にある目立たない扉に手をかけながら、由真が笑顔で手を振る。すっきりした表情に安心すると同時に、星音は思った。もし由真が戦わない道を選ぶのなら、わざわざ解毒をする必要もないのではないか――と。
「星音?」
 考え事をしていると、すぐに見抜かれてしまう。けれど自分のことを考えているだなんて、由真はきっと思いもしていないのだろう。星音はわざと由真の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「な……いきなり何なの……」
「歩月さんもやってたやん」
「歩月はこんな髪の毛ぐちゃぐちゃにしないし!」
「だって何か反応おもろいから、由真さん」
 そう言って、星音は再びバイクに跨ってヘルメットを被った。
「じゃあ由真さん、また明日」
「うん、明日ね」
 手を振ってから星音はアクセルを踏む。星音が角を曲がるまで、由真がずっと見送ってくれているのを、星音は背中で感じていた。
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