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蒼き櫻の満開の下

4・人を呪わば2

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 屋敷の門を開けるときは誰にも止められなかった。おそらくは由真が来ることは最初からわかっていて、迎え撃つつもりなのだろう。門番を立てたところで由真の敵にはならないと相手もわかっている。それでも屋敷の中央に進むにつれ、由真に向かってくる敵が何人か現れた。由真はそれを剣で薙ぎ払うようにして壁まで吹っ飛ばす。骨の数本は折れているかもしれないが死にはしないだろう。今はそんなことに拘泥している時間の余裕はない。由真は一気に屋敷の中を駆け抜け、中央にある青い桜まで辿り着いた。
「……これか」
 或果の母親が作ったという青い桜。由真は真正面からそれと向き合った。アズールはこの桜を使って作られている。空間支配能力の範囲を広げるための呪具そのものにされてしまっているのだ。おそらく或果はこの木の近くにいる。寧々のように見えないものを見ることはできないが、直感で由真は思った。
 どこにいるのか――由真がそう思った瞬間、足元が割れ、漆黒の空間が広がった。招き入れられているのか。由真は空中で剣を出し、そのまま真っ黒な地面に着地する。そこは見渡す限りの暗闇だったが、青の桜の根が広がっている部分だけは僅かに発光し、明るく見えた。
「――或果!」
 青色の根に囚われるようにして、或果が目を閉じていた。その首筋には細い根が一本突き刺さっている。由真は唇を噛んだ。やはりアズールを、しかも桜の根から直接――ということは出回っている薬より濃度の濃いものを使われているようだ。由真は或果に向かって走り出した。早く引き剥がさなければ、取り返しのつかないことになる。
「――ざぁんねん。そんな簡単には行かせないわよ」
 甘く、少し高い声が響き、暗闇から出てくる女の手だけが先に見えた。その手に握られているのは薄緑色の半透明の箱――女の白い手がそれを捻ろうとした瞬間に、由真は勢いよく後ろに跳んだ。
「やっぱりすごいねぇ、これ避けられるんだもんねぇ」
 由真は拍手をしながら姿を見せた女――ιUMaタリタを鋭く睨みつけた。しかしタリタはそれをものともせずに嫣然と笑みを浮かべる。
「……やっぱりあんたか、ιUMaタリタ
「そうよ。久しぶり、由真ちゃん」
「何でもいいからとりあえずそこをどいて。私は或果を助けに来ただけ」
「残念ながらそれはできないんだよねぇ。私はいっぱい人が殺せればどうでもいいんだけど、創一様にはその子がどうしても必要みたい」
「創一様、ねぇ……あんたそんなキャラだった?」
 一瞬、タリタの笑顔が引き攣る。その瞬間を由真は見逃さなかった。飛ぶように走り、タリタとの距離を一気に詰める。しかしその剣がタリタに届く前に、タリタは小さな箱を出現させ、それを潰した。けれど何も起きなかった。由真は僅かに口元に笑みを浮かべる。
「……その剣、普通の剣じゃないのね」
「どこの世界に出したり消したりできる普通の剣があんのよ」
「そっか……あの子が作ったのね、それ。ということはどこかにある紙の方をどうにかしなきゃダメってことか」
 タリタも或果の能力の攻略法は知っているらしい。けれど由真の剣に限ってはそれは不可能だ。
「それなら剣はいっか。だって剣は悲鳴あげてくれないし」
「……相変わらずだね」
「由真ちゃんこそ、相変わらず仲間想いで素敵。めちゃくちゃにしたくなっちゃう」
「悪いけどあんたに構ってる暇はないの」
「そんなこと言わないでよ。せっかく久しぶりに会えたんだし、あとあのゴミ虫も由真ちゃんのこと邪魔みたいだし。だからね、由真ちゃん」
 タリタは両手を合わせ、胸の前でそれを傾けて笑う。いかにも可愛らしい少女といったその仕草は、彼女の見た目の可愛らしさにはよく似合っている。けれど、その口から発せられる言葉はいつも凶悪だ。
「いっぱい悲鳴をあげて、それから死んでくれる?」
「嫌に決まってるでしょ」
「だよね」
 タリタは笑みを浮かべて五つの箱を同時に出現させる。由真はそれを見て、深く溜息を吐いた。
「――使ってるんだね、あれ」
「そうよ。由真ちゃんも使ってみる?」
「落ちぶれたもんだね。私はそんなものの力を借りてまで強くなりたくなんてない」
「私は強くなりたいんじゃないの。ただたーくさん人を殺したいだけ……!」
 タリタが箱の一つを潰す瞬間を見極め、横へ飛ぶ。その一瞬を逃せば餌食になる。けれどタリタは能力に依存した動きをするから、自分の防御は意外に手薄だ。隙を縫って繰り出した攻撃はタリタの体に確かに傷をつけていたが、タリタはそれを一向に気にしていないようだった。
「うーん、さすがだね。避け方知ってても普通はできないよ? でもそろそろ疲れてくる頃じゃない?」
「全然? 薬でラリってて弱くなったんじゃない?」
「これ見てもそう言うこと言える?」
 タリタは今度は十個の箱を出現させた。けれど由真がタリタのどこを攻撃するかはもう決まっていた。タリタの能力は、箱に触れた瞬間からそれを潰したり捻ったりするまでにほんの少しだけタイムラグがある。その瞬間に箱と繋がっている体の部位を箱の範囲外に移動させれば攻撃は通らない。けれどどこが繋がっているのかわからない以上、全身を移動させることになる。確かに由真の体力は刻一刻と削られていた。
(十個は流石に――早く決定打を放たないと)
 タリタのもう一つの弱点は、手で箱に触れなければならないことだ。最悪腕を切り落とすくらいの覚悟で行かなければ由真の命が危ない。しかしそれができないのは――由真自身にまだ躊躇いがあるからだ。
「本当に甘いよ、由真ちゃん。昔から」
「……あんたこそ、私に一撃も入れられてないじゃない」
 由真がタリタを挑発するような言葉を吐いた瞬間、由真の背後で大きな音が響いた。タリタが一瞬そちらに気を取られた瞬間に、由真はタリタの腕を斬りつけた。宙に浮いていた箱はその時点で消えた。おそらく維持するだけの集中力が切れてしまったのだろう。
「由真!」
 寧々の鋭い声が響く。その横には星音もいた。
「せっかく由真ちゃんと一対一で楽しくやってたのに。邪魔だなぁ」
「あんたの目的は私でしょ? 他に手を出さないで」
「やだなぁ、箱の中に閉じ込めただけだよ。邪魔されたくないもの」
 そう言いながら新しい箱を出現させる。この能力も体力を消費するものだったはずだが、タリタの表情に疲れの色はない。由真はタリタが箱に手をかけるそのときにいつでも動けるように身構える。そのとき由真はタリタの視線が由真から外れたことに気が付いた。考えるよりも早く体が動く。
「……っ!」
「残念だけど、私、由真ちゃんほど正直者じゃないの」
 タリタが狙ったのは由真ではなく、木の根に囚われて動けない或果だった。咄嗟にタリタの攻撃範囲に自分の体を滑り込ませた由真は、胸を押さえながらも立ち上がった。由真は何も言わずにタリタを睨み付ける。その目に射貫かれ、タリタは陶酔しているかのように顔の下で手を組んだ。

「ようやく本気の目をしてくれた。――会いたかったよ、ηUMaアルカイド

 由真は何も答えずにタリタに向かって行った。その剣は躊躇いなくタリタの左肘から下を斬り落とす。タリタの箱の中に閉じ込められた寧々と星音が何かを叫んでいたが、由真には聞こえていなかった。
「うふふ……すっごぉく痛い……生きてるって感じ……」
 タリタは片腕を失ってもまだ笑みを浮かべていた。そして残った右腕で三つの箱を生み出す。そしてそのうち真ん中の一つを握り潰した。
「っ……!」
 疲れと胸の痛みから、回避はできなかった。狙ったのは剣を握る右腕だ。或果の剣は地面に落ちる前に消える。
「こっちの腕やられちゃったから、お返しね。それにしても、本当に叫び声ひとつあげてくれないよね」
 二つ目の箱は右脚。由真の軸足を確実に潰す作戦だ。しかし由真は呻き声すら零さずに、ただ目の前のタリタを見つめた。タリタはそのまま三つ目の箱を潰す。三つ目は左脚――由真はその場に倒れ込んだ。
「うふふ……どうするの? このままだと負けちゃうよ?」
 タリタがゆっくりと由真に近付く。新しく生み出した箱は由真にとどめを刺すためのものだ。余裕の笑みで由真を見下しながらしゃがみ込んだタリタは、次の瞬間の由真の動きに思わず目を瞠った。
「負けるのはそっちの方。私の仲間を攻撃しようとしたこと、死ぬまで後悔すればいい」
 由真は手を使わずに上半身を起こし、左手でタリタの背中に触れた。その手の下が白く光り、タリタのシードが引き出される。それを潰せばタリタは能力が使えなくなり、能力依存の戦いしかできないタリタが負ける――そのはずだった。
「タリタ……どうして」
「だっていっぱい人を殺せるように、すっごく強くなりたかったんだもの」
 由真がその状態の種を見たのはつい昨日のことだった。アズールを使い続けた者の末路。アズールによる偽りの開花は、その能力者を覚醒者ブルームに近い水準まで引き上げることができるが、その命を著しく縮めてしまう。タリタは昨日の男よりもより多くのアズールを使っていたのだろう。むしろ生きているのが不思議だと言える状態だった。
「――理解できない」
「私も、由真ちゃんのこと全然理解できない。人を殺すのはとっても楽しいことなのに、あなたはどうしていつもそんなにつらそうなの?」
 価値観があまりに違いすぎて、話していたって永遠に平行線だ。けれど互いに全く理解できない相手でも、今は敵同士であっても、かつては――。
「私はね、後悔はしてないわ。だってこれまで沢山色んな人の悲鳴を聞けたし、いっぱい殺せたし――最期にあなたの本気を見ることができた」
「タリタ……あんた」
「それに、急いだ方がいいわよ。時間が経てば経つほどあの子は私と同じ状態に近付くし、この状態でいたらあなたも危ないわ」
「私は……」
「早くして。じゃないと私が先に殺しちゃうよ?」
 由真は躊躇いながらも頷き、アズールに侵され小さくなった種を左手で強く握る。タリタの体から力が抜け、地面に倒れていくのを、由真はそっと支えた。
「うふふ……優しいのね、由真ちゃん……。由真ちゃん優しいから……最後にいいものをあげる……」
 タリタはゆっくりと目を閉じながら、由真の左手に何かを握らせる。それを最後にタリタは動かなくなった。由真は目を閉じ、細く長く息を吐く。
「由真さん!」
 タリタが死んだことで能力が解除され、箱から解放された星音が真っ先に由真に駆け寄った。由真は力なく笑みを浮かべる。
「私は大丈夫だから……」
「大丈夫なわけないやろ! 右腕とかあり得ん方向に曲がっとったで!?」
「私はいいから……或果を」
 折れているはずの右手で剣を杖のように使い、由真は立ち上がる。寧々は先に或果のところに向かい、その首筋に突き刺さった根を慎重に抜いていた。
「寧々……或果は?」
「まだアズールを引き剥がせば何とかなる状態。或果が相当抵抗してくれたみたい」
 由真は安堵の溜息を漏らした。星音がその体を支えてはいるが、本当はまともに立つことも難しい状態だろう。
「由真さん、応急処置だけはするので。ちょっとじっとしててください」
 由真がゆっくりと頷いたそのとき、暗闇から数本の矢が飛んできた。由真は能力を使うために由真の脚に触れていた星音に咄嗟に覆い被さる。
「由真さん!」
「星音……怪我はない?」
「私は大丈夫やけど……!」
 矢のひとつは由真の脇腹を掠め、もうひとつは左肩に突き刺さっていた。由真は躊躇いなくその矢を抜く。そして矢が飛んできた方向を強い眼差しで見つめた。
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