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蒼き櫻の満開の下

4・人を呪わば1

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 夜が明ける頃、由真ははっとして目を開いた。体の中を嵐のように吹き回っていたものはすっかりなくなってしまっている。歩月の解毒が上手くいったのだ。そのまま寝てしまった由真を病室のベッドまで運んでくれたのだろう。ずっと付き添ってくれていたらしい歩月は、ベッドに突っ伏して寝息を立てている。由真は微笑んで、畳んで置かれていた私服のパーカーを歩月の肩にかけた。
 体は問題なく動く。腕の傷も星音が塞いでくれたおかげか、痛みはなかった。由真は歩月を起こさないようにベッドから起き上がり、病室を出る。携帯で電話をかける先は寧々だ。
「寧々。ごめん寝てた?」
『寝れなかったけど目を閉じて横にはなってたわよ。由真は……体はもう平気なの?』
「うん。歩月に迷惑かけちゃったけど……」
『あの人、由真に迷惑かけられたなんて思ってないわよ、きっと。それで――何かあったの?』
「今の状況を聞きたくて。薬の影響かもしれないけど……なんか嫌な予感がした。それに何にもなかったなら、寧々が寝れてなくてこの時間の電話に出ることはありえない」
『確かにそうね。震度三の地震でも起きないからね、普段は。――由真にあまり無理はさせたくなかったんだけど、戻ってきたら早速出てもらうことになるわ』
 寧々はつとめて淡々と事情を説明した。自分たちが戦っている間に或果を奪われたこと。協力を取り付けようとした一条純夏が襲撃されたこと。全てを聞き終えた由真は、深い溜息を吐いた。
「……急いだ方がいいね」
『確かに急ぐに越したことはないけど……出られる状態なの?』
「体調は問題ない」
『体調は、ね……どちらにしろ星音ちゃんの回復もあるし、悠子たちにも協力してもらうことになってるから、決行は今日の夜以降。それまではしっかり休んでて』
「今日の夜?」
 由真は壁にもたれかかって、壁の手すりを強く掴んだ。確かに準備にはそのくらいかかるかもしれない。けれどあと半日以上。その間に何が起こるかわからないのだ。
『焦るのはわかるし私だって焦ってる。でも今突っ込んで行くのは危険』
「待ってる間に、或果が大変なことになるかもしれない。それに――純夏さんを襲ったっていう女のことも気になる」
 実際にそれを見たのは純夏と星音だけだ。寧々が見ていないからその能力について確定的なことは言えないけれど、由真には心当たりがあった。
(まさかとは思うけど……あいつだったら)
 純夏を痛めつけることに執心し、周辺の人払いも怠ったが故に星音に邪魔され目的を完遂できなかったというその性格。そして箱を使うその能力。一人だけ、それに該当する人間を由真は知っていた。
(……あいつのことは理解できない)
 いっぱい人殺せて羨ましい、と言われたのは今でも覚えていた。あまりにも価値観が違いすぎる。人を殺すことに罪悪感がないどころではない。人を傷つけることを、殺すことを楽しむような人間なのだ。だからこそ失敗していることもあったが。
『心当たりあるの?』
「……何かの間違いであって欲しいけど、心当たりはある」
『由真の心当たりって言ったらだいたいあれじゃないのよ……。まだ誰にも言ってないんでしょ?」
 由真は頷いた。おそらく知りたがっている梨杏にも、或果や黄乃や星音にも言っていない。由真は手すりを掴んだままその場にしゃがみ込んだ。
「言ったってどうにもならないし……言いたくない。でも……そろそろ言わなきゃいけないのかな、とは思ってるよ」
『無理に言う必要はないとは思うわよ。……あのときのことは、私もあまり思い出したくない』
 それ以上に、寧々にも言えていないことがあるのだ。由真はゆっくり息を吐き出した。



「あんの馬鹿……!」
 歩月から連絡を受けた寧々は、思わずそう吐き捨てた。歩月は何度も謝っていたが、こればかりは歩月の責任ではない。歩月に二日連続力を使わせてしまったのは事実だし、それによる疲れから寝てしまったことを責められはしない。今回の場合は全面的に由真が悪いのだ。
「どうかしたんですか、寧々さん?」
 今夜の作戦のために喫茶店に集められていた星音が尋ねる。寧々は溜息交じりに言った。
「由真が病院からいなくなったらしい。多分、ていうか十中八九、月島邸に向かってるでしょうね」
「由真さん、何でそんな……」
「月島創一が或果にまでアズールを使ったとしたら……いま或果がかなり危険な状態にあるのは事実。それに、昨日純夏ちゃんを襲った女の件もある。でも準備が整う前に行くのは危険だって言ったのに……!」
 由真は明らかに焦っている。それはおそらくアズールの侵蝕が進むと咲いている状態とほぼ同じになることを知ってしまったからだろう。咲いてしまった人間は、死を待つのみだ。そして咲いてしまった人間に由真が能力を使ってしまうとその死期を早めることになる。由真は或果を失いたくない一心で動いたのだろう。それだけなら寧々たちも同じ気持ちだ。ただ、今の由真は冷静さを著しく欠いている。
「仕方ないわ。悠子にも連絡して予定を早めてもらって。一旦私と星音で月島邸に向かう。黄乃と梨杏はここで待機」
「私ら二人ですか? でも――」
「由真が一人で行ってしまった以上、あの馬鹿の戦闘サポートができる人間が行く方がいい。星音は――必要にならないことを祈るわ」
 寧々は素早く指示を出し、武器を色々と装備し始めた。その中には小さな拳銃もあった。星音は目を見開く。
「銃刀法違反……」
「まあ、実際そうなるわね。でもいざというときは使うわよ」
 いざというとき――それがどういうときは考えたくはない。星音は準備を終えて店を出て行く寧々を追いかけた。
「そういえば星音のバイクに乗るのはじめてね」
「由真さんくらいしか乗せたことなかったですね。昨日は純夏さん乗せましたけど。しっかりつかまっててください」
 寧々が腰に手を回したのを確認し、星音はバイクを走らせた。信号に引っかかる度に焦ってしまう。行ったところで何か役に立つわけではないのかもしれない。能力者同士の戦いに介入することなんてできないのかもしれない。それでもたった一人で行ってしまった由真を許せなかった。
 月島邸の前でバイクを止める。寧々は大きな門を見上げて顔を顰めた。
「変ね。妙に静かだわ。普通見張りとかいそうなものだけど」
「どうします?」
「行かないわけにはいかないでしょう。でも戦闘になるかもしれないから、一応星音もそのつもりで」
 寧々は太腿に装着した特殊警棒を手に持った。アズールに冒された能力者には効きが悪いが、そもそも警棒なのだから打撃武器として使うことはできる。寧々と星音は、巨大な門を勢いよく開けた。
「……静かすぎるわね、やっぱり。人はいるのがわかるし、この見え方をしてるってことは死んではいないとは思うけど」
 慎重に進んでいく。寧々が探しているのは、或果の母親が作ったという、青色の桜だ。それが屋敷の敷地の中央にあることは或果から聞いていた。
 その場所を目指して進んでいくにつれ、妙に静かな理由はわかった。見張りの人間が全員気絶させられているのだ。
「……これ、やっぱり」
「由真でしょうね。そうとう荒っぽくやってるから骨の一本や二本は折れてるかもしれないけど、死にはしないわ」
 おかげで誰にも邪魔されずに目的の場所まで辿り着けた。けれど寧々が言うように、いつもよりも相手を怪我させることを厭わない、荒っぽいやり方をしているのは見てとれた。
「――これね」
 それは嘘のように美しい桜だった。枝は藍色で、花は半透明の青。植物でここまで青いものは天然には存在しない。星音はその美しさに思わず目を奪われた。寧々はその横で、左目を一度手で隠してから、その手をどけた。
「この下ね。いくつか能力波が見えるわ」
「下……ってどうやって行くんや?」
「空間支配能力で作った空間なら、その能力を持ってる人は自由に行き来できる。それ以外の人は入ることができない。ある意味鉄壁の守りよ」
「え、じゃあどうするんですか?」
「――こじ開けんのよ」
 寧々はそう言うと、今度は右目を隠した。作られた空間を定義することができれば、その一部を破壊することもできる。寧々は深呼吸をしてから、右手を覆う手をどけた。
「――『姿なき者よ』」
 定義を開始する合図だ。目の前の青い桜がぼんやりと光り始める。おそらく桜の下であることが重要な空間なのだろう。寧々は右目で目的の場所を探す。本来は存在しえない、能力で作られた空間。その境目を見極めなければならない。
「『我が境界は混沌から光を分かち、以って遍くものを照らすものとする』――」
 右目が熱を持つ。しかし寧々はそれには構わずに、右目で見える境界に向けて、思いっきり警棒を振り下ろした。その瞬間に何もないはずの空間に暗く黒い穴が空いた。
「人ひとりずつくらいなら問題なさそうね。行くわよ、星音」
 星音は頷く。その下に何があるのかを問う暇もなかった。飛び込んでみなければ何が起きているのかを知ることもできない。星音は意を決して、その黒い穴に飛び込んだ。



「――ごめんね」
 歩月の肩にかけたパーカーはそのままに、由真は病室を出た。もとより荷物はそれほど持っていない。携帯も今からのことを考えると邪魔なだけだ。音を立てずに病院を出て、一瞬星音のバイクを探してしまった。
「そっか、いないんだ……」
 一人で向かうと決めたはずなのに、何故かその姿を探してしまった自分に自嘲的な笑みをこぼす。星音がバイクを手に入れたのはそれほど前のことではないはずなのに、戦いの前と後、その後ろに乗って星音を近くに感じることが普通になっていた。由真は軽く首を振って歩き始める。
 ――待っていて、或果。
 目を覚ましたとき、或果の声が聞こえた気がした。試しに右手に剣を出してみると、それは由真に何かを知らせるように熱を持っていた。この剣は由真に権限を譲渡されてはいるが、或果が作ったものだ。何らかの繋がりが残っていてもおかしくはない。だからこそ、由真は一人で出てきたのだ。夜までなんて待っていられなかった。早くしなければ、或果を失ってしまう。
 ――助けに行くから、だから、諦めないで。
 その意識が完全に飲み込まれないことを、今は祈るしかできない。刻一刻と、時間が過ぎれば過ぎるほど事態は悪化してしまう。
(この手で、仲間を葬り去りたくはない――)
 アルカイドに来たばかりのときは、もう仲間など必要ないと思っていた。いずれ誰かを殺さなければならないのなら、いっそ誰とも繋がりを持たなければいいのだと。けれど日常を生きていくうちに人は増え、また、失いたくないものばかりが近くにある。
(私が、或果を助けなきゃ)
 由真は拳を握り締めて走り出した。付き纏ってくる不安と焦燥感を拭い去るためには、ただそうするしかなかったのだ。
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