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第13話:社長と直接交渉

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 明秀高校野球部の練習を最後まで見届けて満足した早紀は気分よく帰宅の途へと着いていた。

「家に帰る前に明日のお弁当の食材を買いに行かないといけなかったか。この前の料理で冷蔵庫の中身すっからかんなの忘れてた」

 この前というのは晴斗君に手料理をふるまい、そのままの勢いで誘惑をしてしまった日のことだ。あの日のことを思い出すと顔から火が出そうになるが、それ以上に晴斗君の真剣な眼差しが目に焼き付いて離れない。

「あの時の晴斗君もかっこよかったけど、野球をしている晴斗君も最高にかっこよかったなぁ。あの投球フォームから放られる糸を引くようなストレート、何時間でも観てられるなぁ」

「―――っと、電話だ。誰からだろう……あぁ社長か。もしもし、飯島ですが。どうしたんですか、神楽木かぐらぎさん」

『あっ、休みの日にごめんね、早紀ちゃん。休みの日にいきなりで悪いんだけど、今から事務所来られる? 例の件で話がしたいんだけど―――』

 バイト先の社長である神楽木まりあさん。まだ三十過ぎだというのに会社を立ち上げて軌道に乗せている才覚の持ち主。大学時代の先輩の紹介で働かせてもらっている上に稼がせてもらっているから頭が上がらない。

「……わかりました。三十分程でそちらに着けると思うので、少し待っていてください」

 私はため息をついてスーパーとは逆方向になる駅に行くために歩みを変えた。明日のお弁当作戦は中止にしなければいけないかもしれない。でも社長から直々の呼び出しとなれば断るわけにはいかない。

「仕方ないかぁ…いきなり今の仕事量を減らしたいなんて話したら、社長も色々焦るよね。はぁ…これは本当のこと言わないと納得してくれないかな」

 上がったテンションが急降下していくのを自覚しながら、私は電車に乗った。事務所に着くまでの間に上手い言い訳が思いつけばいいけれど。

 結局、電車を降りて事務所に向かって歩き、社長室の扉を叩いた段階になってもいい言い訳は思いつかなかった。私は腹をくくることにした。


 *****


 私の名前は神楽木まりあ。株式会社WA3ダブルエースリーというまだまだ小さいけれど一企業を経営している社長だ。

 国から事業認可を得ており、お得意様からの信頼度の高いわが社だが、全国展開はまだできていない。ゆくゆくは規模を広げていきたいと画策していたその矢先、わが社のエースから仕事量を減らしたいと相談があった。

 正直寝耳に水だった。二年前に卒業とともに引退して、今や新人アナウンサーとして人気を博しているスーパーエースが置き土産と称して紹介してくれたのが彼女、飯島早紀だ。叶えたい夢のために努力をしていると言っていたので、私もできるだけ後押ししていたのだが、まさか諦めるというのか。

「それで、どういうことか話を聞かせてもらえるかな? 今いるスタッフの中で断トツ一番人気のあなたが、突然出勤量を減らしたい、デートコースも辞めたいって……何があったの?」

 事業内容は所謂女性コンパニオンの派遣業。派遣先は主に企業経営者や役員クラスを中心としたハイクラス。この階層は紳士的な男性が多く、接待や宴会、友人の誕生日会のサプライズなど、華やかさを求める層でもある。

 当然、そんな目の肥えたお客様に派遣する女性層も厳選しなければない。年齢は18才から30代に限定して面接も私自ら1時間近くかけて行っている。さらに在籍女性をブロンズシルバーゴールド白金プラチナとランク分けして料金設定を設けている。つまり、より可愛く、より綺麗で美しい女性を求めれば必然的に予算は上がる。しかしそのかいあって得意先からの評判も上々。

 ちなみに、男性陣から気に入られれば会社を通して二人きりのデートを楽しめるプランもある。これは高額かつ別料金になるが、これもまた人気を博しており、リピーターも多い。

 その筆頭が彼女、飯島早紀に他ならない。だから、彼女の相談に私は理由を聞かないわけにはいかなかった。経営面はまだしも顧客面に多大な影響が確実に出る。

「ねぇ、早紀ちゃん。何か理由があるなら話してくれない? 何か嫌な客でもいた? 誰か教えてくれたら指名不可にぶち込むよ? それとも……もしかして夢を諦めるとか?」

 彼女には夢がある。それは舞台女優になること。それも日本ではなく世界。その場所はアメリカはニューヨーク、誰もが憧れを抱いて追いかける夢の世界。そう、ブロードウェイミュージカルの舞台に立つことが、彼女が成し遂げたい夢であり目標なのだ。だから早紀ちゃんは大学を卒業したらすぐに渡米をしてアメリカで経験を積んでいきたいと考えている。

 だがそのためには金がいる。残念ながらご両親―――母は亡くなっているから父―――からは舞台女優になることは反対されているそうだ。大学進学からそのための授業料、家を飛び出したとはいえ必要となる生活費などは全てその父親が負担してくれているそうだが、卒業したらすぐにでも婿を取れと言われているとの話だ。

 だから早紀ちゃんは幼い頃に舞台の上で活躍して輝いていた母の背中を追って、母が叶えられなかった夢を叶えるために、その世界に飛び込むために、自力で資金―――演技、歌唱のレッスンから英会話の勉強など費用全て―――を集める必要があった。そのために割のいいうちで働いている。

 あと、この仕事は普段接する機会の少ない所謂上流階層の人間と接することができるので、その価値観や考え方を聞くだけでも人生経験にもなる。加えて度胸もつくのでそれが演技の幅にも繋がるかもしれないので金を稼ぐ以外でもメリットはある。

 閑話休題。

 この大きな、むしろ叶わず挫折する可能性の高い夢を叶えるため、これまで彼女はひた向きに汗を流してきた。バイトの合間を縫って独力でオーデションを受けて、小さな劇場の舞台に立ってコツコツと経験を積んできた。

 そんな彼女が、仕事の量を減らしたいと言うのは、会社を運営する責任者として、彼女の夢を応援している者として、見過ごすことはできない。

「い、いえ……そういうわけではないんです。夢も……諦めるわけではありません。ただ、続けていくには辛いというか……晴斗君に不誠実というか……」

「ん……晴斗君? それってもしかして隣に越してきた例の高校生君? っえ、彼ってば幼馴染の恋人がいるって話してなかった? っえ、もしかしてその子、彼女さんと別れてフリーになったの? もしかしてそれが仕事量を減らしたいとか、デートコースを辞めたいって理由?」

「はい……そうです」

 俯きながら、か細い声で答える早紀ちゃん。可愛い。

 彼女が大学二年に進級した今年の春。とある高校生が隣の部屋に越してきた。その彼に早紀ちゃんは紆余曲折あって惚れていたのだが彼女持ちと言うことで胸にしまったまま、この仕事を続けていたのだが、まさか別れていたとは。

「そっか……夢のこともそうだけど、その子とのことも応援するって言った手前、問答無用で却下はできないね。まぁ経営を預かる者として、稼ぎ頭を失うのは損失以外の何物でもないんだけど」

「ごめんなさい、まりあさん。でも晴斗君のことを考えると……どうしてもこのままじゃいけない気がして……」

「早紀ちゃんの気持ちはわかるわ。私が同じ立場、ううん、その子の立場だったら彼女がこういう仕事をしていると知ったら傷つくと思うから。身体の関係は一切ない・・・・と言っても、中々わかってくれない仕事でもあるからね。でも、それだと稼ぎが減るでしょう? その分はどうするつもりなの?」

「別のアルバイトを始めようかと思っています。もちろん普通の、居酒屋系とかの仕事で」

「ダメよ! それこそ変な親父共が寄ってくるわ! そうね……それならこうしましょう。今後早紀ちゃんはデートコースなし。派遣するときも複数人での依頼があった時のみ。その分。今まで働いていた時間は事務所で作業や新人講習をやってもらうわ。もちろん講師代は払うわ。これなら稼ぎは変わらないだろうから新しくアルバイトをする必要もないと思う。どう? 我ながら破格の条件だと思うけど?」

 早紀ちゃんは数少ない白金級の中でもトップの人気を誇る。美人だし気立てもいいし、男を立てることに長けている。話の守備範囲も広く、聴く力もずば抜けている。それを意識せず、笑みを浮かべながら自然とできるのだから世の男たちは自分だけの女性にしたいと思うのだろう。故に早紀ちゃんのリピート率は断トツなのだ。

 ランクを変えず、しかし派遣条件を変えるとなればクレームは来るだろうが一時的なものと読む。そのために『複数人での依頼』だ。一人ではなく二人、三人とまとめてなら派遣可能にすれば儲かる額が必然的に増える。予算を超えてでも早紀ちゃんに会いたい男は必ずいる。そこに付け込むのだ。

「神楽木さん……いいんですか?」

「いいの! いいの! ここでは私がルールなんだから! それに、あなたが持っているノウハウを知りたいって子は結構いるのよ? あなたの技術をみんなが身に付ければ必然的にレベルは上がる! これは競合との差になるわ。優佳の時はできなかったけど、彼女から教えを受けた早紀ちゃんが講師としてみんなを指導してくれれば……勝ったわね」

 見えてきたぞ、全国展開! 私は拳を強く握りしめて天高く振り上げた。早紀ちゃんは若干引いているが気にしない。

 そうと決まれば私は大急ぎで今後のスケジュールを組み立てていく。まずは先方に早紀ちゃんのプラン変更を一斉メールで送る。理由は諸事情のため。わが社はコンパニオンのプライバシーに関する守秘義務を利用者に徹底的に課している。それはコンパニオンが引退後も強制しており、ネットはもちろん口外などした場合、それはそれは厳しいペナルティが課せられる。地の果てまで追いかけて、必ず海に沈めると私は公言している。女の子を守るのが私の義務だ。

「その代わり、絶対その子をモノにするんだよ! そして、私に紹介してね? その時は食事でも奢るからさ!」

「はい……ありがとうございます、神楽木さん」

 早紀ちゃんは涙を堪えながら頭を下げた。夢を追い、恋に生きる。私は夢をかなえることはできたが、もう一つは叶わなかった。だから私は早紀ちゃんが後悔しないように、全力で彼女を応援するのだ。
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