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番外編
ヘイレン男爵の最愛の女 2
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マシューとリアンヌが結婚して4年が経ったが、リアンヌの心の傷は未だに癒えず、屋敷に閉じこもって生活する日々を送っていた。
「もうすぐ君の誕生日だ。新しいドレスでも作ろう」
「いえ……どこかに出かけるというわけでもないので、新しいドレスは不要です」
「いやいや、そう言っていつも断るが、たまには作らないと俺の気が済まない。なんの為に毎日一生懸命働いていると思う。君に、贅沢をさせたくて頑張っているんだ。出かけなくてもいいじゃないか。俺に美しい君の姿を見せてくれ」
「……でも……」
「仕立て屋に行きたくなければ呼べばいいんだ。どこの仕立て屋がいい? そういうのには疎いが、教えてもらえさえすれば、必ず希望の仕立て屋を呼んでこよう」
「……では……あの……ゴーディ商会に置いてあるドレスを、買っていただこうかしら」
「ゴーディ商会? またあそこか……まあ、リアンヌがそう望むならそうしよう。今回は既製品ではなく、仕立ててもらうぞ! 宝石も買おう」
「ありがとうございます、旦那様」
そう言ってふんわりと微笑むリアンヌ。
社交界に出られなくなってから、リアンヌは身に着ける物を奴隷商であるゴーディ商会の既製品で済ませていた。他の所では、会いたくない貴婦人達に会うかもしれないと想像し、心拍数が高くなり、足が竦んでしまうのだ。その点ゴーディ商会は、誰にも会う事なく全ての物が揃うので便利だ。
(社交界に出られなくなった原因となった場所が、唯一気兼ねなく行ける所だというのは複雑だが……リアンヌが良ければそれでいい)
『真実は違うのだから堂々としていればいい』『他人の言葉など気にするな、無視すればいい』そんな事を言った時期もあった。
言う方は本当にそう思っているし、自分ならそうできるから言っているが、言われた側がそうできるとは限らない。気にしないようにしようと努めたところで、気になるものは気になるし、辛いものは辛い。
そして『そう出来ない自分が悪いのだ』と、更に自分自身を追い込んでしまう。
(ようやくその事に気づいた時には、リアンヌはもう、限界まで追い詰められていた。意地悪な令嬢や婦人達や、軽薄な男達のせいだけじゃなく、彼女を心の底から愛している俺も、彼女を苦しめていたんだ。……今はもう、リアンヌが笑ってくれるだけでいい。全て、リアンヌの思い通りにしてやろう)
数日後、事前に希望を伝えてゴーディ商会を訪れたマシューとリアンヌは、何人かの仕立て屋を紹介してもらったが、その中で、マダム・ポッピンという仕立て屋の提案したドレスに、リアンヌは興味を示した。
「これは他国の特別な布でして、アレキサンドライト王国ではおそらく、まだ誰も身に着けていないと思います。見て下さい、この艶めき。手触りも最高でして、滑らかで吸い付くようで、気持ちいいでしょう。珍しい物でちょーっとお値段は張りますが、いかがでしょうか」
早口で勧めてきた仕立て屋には、多少の疑念もあったが、なによりも、物欲の無いリアンヌが珍しく瞳を輝かせて布に触れていたので、マシューはそれでドレスを作る事にした。
「でも、とても高いし……」
「君はたまにしかドレスを買わないんだから気にしなくていい。それにこれくらいの物、躊躇せずに買えるくらいは稼いでいる」
そう言って機嫌よく笑い、仕立て屋とリアンヌが楽しそうにどんなドレスにするか話しているのを眺めていたマシューだったが。
「……虫、だと」
仕上がったドレスを受け取る為、再びゴーディ商会を訪れたマシューは、店主からとんでもない事を知らされた。
「この布は、虫から作っているだって?」
「はい。正確には、蛾の幼虫である芋虫の」
「ああもういい! そんな事、聞いていないぞ? 妻に、虫から作った布など着させられない! とんでもない侮辱だ!」
「あ、あの、わたくしは気にしませんわ」
リアンヌはそう言ったが、マシューは許せなかった。
「あの仕立て屋の女、俺達の事を馬鹿にして、あんな布を売りつけたんだろう!」
「いえ、決してそういうわけではございません。あの布は確かに、虫の作り出す糸から出来ていますが、産出国では貴族だけが身に着ける事ができるものなのです」
「そんな話、信用できんな。とにかく、このドレスは要らない。別の仕立て屋に依頼し直す」
(リアンヌがあんなに楽しそうだったのに、騙してこんな物を売りつけやがって! もしかしてあの仕立て屋は、リアンヌが社交界に出ていない事を知っていて、騙してもバレないと思ったのか? それとも、あれを着て出かけて、社交界で恥をかけばいいと思ったのか? もしかして、リアンヌを虐めていた女達の差し金とか? いや、悪さをしていたのを暴いたあの男の方か?)
疑い出すと、多くの事が気になり出す。
「あの、ホッピンだかポッピンだかいう仕立て屋、他の客のドレスも作っているのだろう? 金など握らされて、俺達に嫌がらせをしたとかそういうことは」
「それはございません! あの者はちょっと変わり者で、服の事となると夢中になり暴走する事もありますが、本当に服作りが好きで職人気質な者です。布地の事をきちんと説明しなかったのはあの者が悪いですが、決して、嫌がらせをするだとか、侮っているだとか、そういう事ではないと私が保証致します」
「……そうか……わかった。しかし、このドレスに金を払う気にはならん」
「ええ、勿論でございます。すぐに他の仕立て屋を紹介させていただきます」
そう言われたが、リアンヌは『新しいドレスはもう少し経ってから……』と、結局作らず仕舞いになっている。
(あんなに楽しそうなリアンヌは久しぶりだったのに……ドレスや布の事などわからないから、なんて任せっきりにせず、もっと気にかけてやっていたら良かった)
マシューがそう後悔している時、あの言葉を聞いたのだ。
「もうすぐ君の誕生日だ。新しいドレスでも作ろう」
「いえ……どこかに出かけるというわけでもないので、新しいドレスは不要です」
「いやいや、そう言っていつも断るが、たまには作らないと俺の気が済まない。なんの為に毎日一生懸命働いていると思う。君に、贅沢をさせたくて頑張っているんだ。出かけなくてもいいじゃないか。俺に美しい君の姿を見せてくれ」
「……でも……」
「仕立て屋に行きたくなければ呼べばいいんだ。どこの仕立て屋がいい? そういうのには疎いが、教えてもらえさえすれば、必ず希望の仕立て屋を呼んでこよう」
「……では……あの……ゴーディ商会に置いてあるドレスを、買っていただこうかしら」
「ゴーディ商会? またあそこか……まあ、リアンヌがそう望むならそうしよう。今回は既製品ではなく、仕立ててもらうぞ! 宝石も買おう」
「ありがとうございます、旦那様」
そう言ってふんわりと微笑むリアンヌ。
社交界に出られなくなってから、リアンヌは身に着ける物を奴隷商であるゴーディ商会の既製品で済ませていた。他の所では、会いたくない貴婦人達に会うかもしれないと想像し、心拍数が高くなり、足が竦んでしまうのだ。その点ゴーディ商会は、誰にも会う事なく全ての物が揃うので便利だ。
(社交界に出られなくなった原因となった場所が、唯一気兼ねなく行ける所だというのは複雑だが……リアンヌが良ければそれでいい)
『真実は違うのだから堂々としていればいい』『他人の言葉など気にするな、無視すればいい』そんな事を言った時期もあった。
言う方は本当にそう思っているし、自分ならそうできるから言っているが、言われた側がそうできるとは限らない。気にしないようにしようと努めたところで、気になるものは気になるし、辛いものは辛い。
そして『そう出来ない自分が悪いのだ』と、更に自分自身を追い込んでしまう。
(ようやくその事に気づいた時には、リアンヌはもう、限界まで追い詰められていた。意地悪な令嬢や婦人達や、軽薄な男達のせいだけじゃなく、彼女を心の底から愛している俺も、彼女を苦しめていたんだ。……今はもう、リアンヌが笑ってくれるだけでいい。全て、リアンヌの思い通りにしてやろう)
数日後、事前に希望を伝えてゴーディ商会を訪れたマシューとリアンヌは、何人かの仕立て屋を紹介してもらったが、その中で、マダム・ポッピンという仕立て屋の提案したドレスに、リアンヌは興味を示した。
「これは他国の特別な布でして、アレキサンドライト王国ではおそらく、まだ誰も身に着けていないと思います。見て下さい、この艶めき。手触りも最高でして、滑らかで吸い付くようで、気持ちいいでしょう。珍しい物でちょーっとお値段は張りますが、いかがでしょうか」
早口で勧めてきた仕立て屋には、多少の疑念もあったが、なによりも、物欲の無いリアンヌが珍しく瞳を輝かせて布に触れていたので、マシューはそれでドレスを作る事にした。
「でも、とても高いし……」
「君はたまにしかドレスを買わないんだから気にしなくていい。それにこれくらいの物、躊躇せずに買えるくらいは稼いでいる」
そう言って機嫌よく笑い、仕立て屋とリアンヌが楽しそうにどんなドレスにするか話しているのを眺めていたマシューだったが。
「……虫、だと」
仕上がったドレスを受け取る為、再びゴーディ商会を訪れたマシューは、店主からとんでもない事を知らされた。
「この布は、虫から作っているだって?」
「はい。正確には、蛾の幼虫である芋虫の」
「ああもういい! そんな事、聞いていないぞ? 妻に、虫から作った布など着させられない! とんでもない侮辱だ!」
「あ、あの、わたくしは気にしませんわ」
リアンヌはそう言ったが、マシューは許せなかった。
「あの仕立て屋の女、俺達の事を馬鹿にして、あんな布を売りつけたんだろう!」
「いえ、決してそういうわけではございません。あの布は確かに、虫の作り出す糸から出来ていますが、産出国では貴族だけが身に着ける事ができるものなのです」
「そんな話、信用できんな。とにかく、このドレスは要らない。別の仕立て屋に依頼し直す」
(リアンヌがあんなに楽しそうだったのに、騙してこんな物を売りつけやがって! もしかしてあの仕立て屋は、リアンヌが社交界に出ていない事を知っていて、騙してもバレないと思ったのか? それとも、あれを着て出かけて、社交界で恥をかけばいいと思ったのか? もしかして、リアンヌを虐めていた女達の差し金とか? いや、悪さをしていたのを暴いたあの男の方か?)
疑い出すと、多くの事が気になり出す。
「あの、ホッピンだかポッピンだかいう仕立て屋、他の客のドレスも作っているのだろう? 金など握らされて、俺達に嫌がらせをしたとかそういうことは」
「それはございません! あの者はちょっと変わり者で、服の事となると夢中になり暴走する事もありますが、本当に服作りが好きで職人気質な者です。布地の事をきちんと説明しなかったのはあの者が悪いですが、決して、嫌がらせをするだとか、侮っているだとか、そういう事ではないと私が保証致します」
「……そうか……わかった。しかし、このドレスに金を払う気にはならん」
「ええ、勿論でございます。すぐに他の仕立て屋を紹介させていただきます」
そう言われたが、リアンヌは『新しいドレスはもう少し経ってから……』と、結局作らず仕舞いになっている。
(あんなに楽しそうなリアンヌは久しぶりだったのに……ドレスや布の事などわからないから、なんて任せっきりにせず、もっと気にかけてやっていたら良かった)
マシューがそう後悔している時、あの言葉を聞いたのだ。
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