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3枚め
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月日は流れ、すくすくと育っておりました我が娘は齢3つ、歳のわりにしゃべりも達者、手習いも始めたという頃……。夫にある男性を紹介されました。
クアーク子爵家次男、ステュアートとの出会いは、春の爽やかな香りたちこめる、陽だまりの中でのことでした。
いえ、そこは屋敷の応接間でしたので、陽だまりなどありはしないのです。
きっとそれは……私の胸の中に。
とは申せ、ステュアートはけっして甘い柔らかな印象でなく、陰りのある表情に毅然とした佇まい、なんとも近寄りがたい雰囲気をまとう貴公子でした。
それがとてつもなく美しかった。
艶めく漆黒の髪は神秘の世界へと通じているよう。遥か遠くを見つめているようなグレーの瞳は、光の加減で青にも緑にもなり、まるで魔力がかった美しさ。少々恐ろしく感じたものです。
なぜ夫が彼に引き合わせたかというと、何やら密約を交わした彼との、今後の連絡役を私に任せるとのこと。
近年の政財界では、ステュアートの優秀さはかなり注目されており、逐一挙動が目立ってしまわれるそう。夫はできるだけ秘密裡に、彼の力を利用していたかったのでしょう。
このように見目麗しい若い殿方を妻のところに通わせる、夫がいかに私に関心のないことかの証左でした。その頃は愛妾であった女性への執心もとうに落ち着き、より若い側女らとの享楽に病みつきになっていたご様子。
利己的な夫はステュアートにとって、実に付け入りやすい駒でありました。
ステュアートの目的はおおよそ見当がつきます。彼は二百年と続く名門子爵家の次男。嫡男である兄君との確執は想像に難くありません。
まぁ他家の御家騒動など、私が好奇心で覗き見ることではありませんが……。
それよりも彼は、日陰に身を落としつつある私に親身になって、進むべき道を照らしてくれたのです。
初めて交わした会話は……確か。
「お互いに、生まれにがんじがらめにされて。運命のままならなさが歯痒うございますわね」
「今はただ耐えてください。時間が必要です。きっとあなたは自由に羽ばたける。そうあるべきお方だ」
思いもよらずシンパシーを返され、多少顔を赤らめた自覚もあります。
彼にはすべて見抜かれていたようでした。
彼は理知的で博識で、以後その才華を惜しみなく私に披露してくれました。
二十歳でとうに“株式市場の鬼神”と名を馳せていた彼。私財はもちろん、人脈人望すらその年代で右に出る者はなし。
やっかみを受け金の亡者と揶揄されてもおりましたが、彼にとっては勲章のようなものであったかもしれません。持ちうるすべてのものと知略を用い、夫の求める金や女を容易く用立てていたようでありました。
時々彼は、私に目立たぬ贈り物をしてくれました。
「あなたの円やかな肩にしなうブロンドの髪に寄り添えるのは、この慎ましい真珠ではと、ふと閃きまして」
そう言いながら黒真珠のネックレスをこの首に掛け、後ろで留めるあいだ、私は鏡に映る彼の指を、焦げるほどに見つめていました。
だって目が離せないのです。節ばった、やや細く長い指、その優美な仕草、指先から放たれる色香。
ここまで褒めておいて、爪の先ほども男女の関係ではなかったのかと訝しく思われますか。
それはですね、このような時こそ私の心は高揚し、押し込めていた感情が湧泉のように溢れ出すのです。吐き出したい思いはこれに尽きました。
「あなたがブランドンに助言して拵えたこの家の財を、けしてあの女の息子の代まで遺さないように……」
「お任せください」
彼は後ろから、私の耳元でそっとささやきました。彼ほど信頼できる大人はおりません。
“信頼”──夫とそれを築けなかった私には胸に染み入る言葉。
この温かさで私はその十年間を生きてこられたのです。
クアーク子爵家次男、ステュアートとの出会いは、春の爽やかな香りたちこめる、陽だまりの中でのことでした。
いえ、そこは屋敷の応接間でしたので、陽だまりなどありはしないのです。
きっとそれは……私の胸の中に。
とは申せ、ステュアートはけっして甘い柔らかな印象でなく、陰りのある表情に毅然とした佇まい、なんとも近寄りがたい雰囲気をまとう貴公子でした。
それがとてつもなく美しかった。
艶めく漆黒の髪は神秘の世界へと通じているよう。遥か遠くを見つめているようなグレーの瞳は、光の加減で青にも緑にもなり、まるで魔力がかった美しさ。少々恐ろしく感じたものです。
なぜ夫が彼に引き合わせたかというと、何やら密約を交わした彼との、今後の連絡役を私に任せるとのこと。
近年の政財界では、ステュアートの優秀さはかなり注目されており、逐一挙動が目立ってしまわれるそう。夫はできるだけ秘密裡に、彼の力を利用していたかったのでしょう。
このように見目麗しい若い殿方を妻のところに通わせる、夫がいかに私に関心のないことかの証左でした。その頃は愛妾であった女性への執心もとうに落ち着き、より若い側女らとの享楽に病みつきになっていたご様子。
利己的な夫はステュアートにとって、実に付け入りやすい駒でありました。
ステュアートの目的はおおよそ見当がつきます。彼は二百年と続く名門子爵家の次男。嫡男である兄君との確執は想像に難くありません。
まぁ他家の御家騒動など、私が好奇心で覗き見ることではありませんが……。
それよりも彼は、日陰に身を落としつつある私に親身になって、進むべき道を照らしてくれたのです。
初めて交わした会話は……確か。
「お互いに、生まれにがんじがらめにされて。運命のままならなさが歯痒うございますわね」
「今はただ耐えてください。時間が必要です。きっとあなたは自由に羽ばたける。そうあるべきお方だ」
思いもよらずシンパシーを返され、多少顔を赤らめた自覚もあります。
彼にはすべて見抜かれていたようでした。
彼は理知的で博識で、以後その才華を惜しみなく私に披露してくれました。
二十歳でとうに“株式市場の鬼神”と名を馳せていた彼。私財はもちろん、人脈人望すらその年代で右に出る者はなし。
やっかみを受け金の亡者と揶揄されてもおりましたが、彼にとっては勲章のようなものであったかもしれません。持ちうるすべてのものと知略を用い、夫の求める金や女を容易く用立てていたようでありました。
時々彼は、私に目立たぬ贈り物をしてくれました。
「あなたの円やかな肩にしなうブロンドの髪に寄り添えるのは、この慎ましい真珠ではと、ふと閃きまして」
そう言いながら黒真珠のネックレスをこの首に掛け、後ろで留めるあいだ、私は鏡に映る彼の指を、焦げるほどに見つめていました。
だって目が離せないのです。節ばった、やや細く長い指、その優美な仕草、指先から放たれる色香。
ここまで褒めておいて、爪の先ほども男女の関係ではなかったのかと訝しく思われますか。
それはですね、このような時こそ私の心は高揚し、押し込めていた感情が湧泉のように溢れ出すのです。吐き出したい思いはこれに尽きました。
「あなたがブランドンに助言して拵えたこの家の財を、けしてあの女の息子の代まで遺さないように……」
「お任せください」
彼は後ろから、私の耳元でそっとささやきました。彼ほど信頼できる大人はおりません。
“信頼”──夫とそれを築けなかった私には胸に染み入る言葉。
この温かさで私はその十年間を生きてこられたのです。
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