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第一章 彼氏の悩み

4話 意味の無い葛藤

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──やっと来てくれた。

オリビアとは別棟の、古い方の宿舎の一番端にある自分の部屋で、オリビアが教科書を広げるのを見守る。今日の魔法学で出た宿題に取り掛かるが、いつになくペンの進みが遅い。お気に入りの黄色い羽根ペンを机に置き、魔法薬が所狭しと並ぶ本棚を意味も無く眺めている。

「ん、どうしたの?オリビア」

ハヤトは不思議に思って声をかけた。オリビアは、どこか一点を見つめて固まっていた。何か言いたそうだ。

「……あれはちょっと、やりすぎじゃない?大丈夫かしら、あの人たち」

「仕方ないよ。向こうから突っかかって来たんだから」

ここへ来る前に、一悶着あった。オリビアの手を引き宿舎に入るところで、専門学科生が数人待ち構えていたのだ。
彼らはこちらを見るなり、「お前ばかり目立ちやがって」「調子に乗るなよ」などと言いがかりをつけて来た。

ハヤトはこの喧嘩を買った。そして、殴りかかってくる相手に彼は見事に魔法弾を放ち、あっという間に全員をノックアウトした。

オリビアは、ハヤトは当然無視をするものだと思っていたのだろう、先程の出来事を思い出して身震いしている。

「ハヤトが喧嘩してるところ見たの、初めてよ…」

しかしハヤトにとっては日常茶飯事である。彼が1年前、ここプロピネス総合学校へ転校してきたのも、こういったトラブルが原因であった。

「最近は減ってたんだけど。こうでもしないと、すぐに誰かが僕に逆恨みしてきてさ」

「天才は天才で大変なのね…」

「君もそうだっただろう」  

ニヤニヤとオリビアをからかうように見つめる。

「私はそんなっ…卑怯な事はしてないわよ…」

そう言いつつもオリビアは視線を逸らした。ハヤトの活躍を見て誰よりも嫉妬心をむき出しにしていたのは、他ならぬオリビアであった。

「嘘嘘。オリビアは悔しくても正々堂々とやるんだもんね」

そこが君の好きな所なんだよ、と心の中で付け加える。

「そうよっ…でも、相手の人たちが気の毒になってきたわ…」

「なんだい、君、僕よりあいつらが心配なの?」

「だ、だってハヤト、怖かったんだもの」

オリビアの正直な答えに、ハヤトはため息をついた。

「オリビア……僕が我慢してるってこと、忘れてる?早く宿題しないと、もう触っちゃうよ。いいの?」

手がオリビアの頬に触れる。

「ごめんなさい。やります」

オリビアは慌てたようにノートに向かった。ハヤトはその焦る顔に満足して微笑むと、自分も教科書を開いた。

***

「終わったぁ…」

オリビアは机に突っ伏した。今日の宿題は難しすぎたのか、最後はほとんど解き方を聞いてきた。

「うん。お疲れさま」

ハヤトはオリビアの頭を撫でた。

「ハヤトはほんと頭がいいのね…いいなぁ……」

珍しくオリビアに素直に褒められる。

「君だって、学年トップクラスの成績じゃないか」

「でも、ハヤトと違って私はいつも必死なのよね……。少しでも気を抜けば、すぐに転落するわ」

「よしよし。だけど君は、その努力を怠らないからね。凄いよ」

「うん…ありがとう………あぁ、疲れた………」

オリビアは顔を伏せたまま、静かになった。ハヤトは、彼女の髪をしばらく撫で続けたあと、立ち上がって鍋へ向かった。簡易的なキッチンがある。

「よし、そろそろ夕飯でも食べようか。スープなら作れるけど、食堂行きたい?」

返事が無いので振り返ると、オリビアはスースーと寝息を立てて眠っていた。

「えっ、やった……」

ハヤトは思わず本音を口に出す。付き合っているのになぜか警戒心の強いオリビアのために、スープに魔法薬を混ぜ込む必要が無くなったからだ。当たり前のように用意していた特製の睡眠薬を、棚へ戻す。彼女への魔法薬は今までも何回か使った事はあるが、自分で白状した時を除いては一度もバレていない。

こんな無防備な姿は、以前は見せなかった。少しは気を許してくれるようになったのだろうか。ハヤトは愛おしそうに見つめる。

「ん……」

その時、パサリと髪が揺れた。
彼女は、前髪を留めていたピンを外していた。肩まで伸びる黒髪を下ろしたオリビアの姿は、とても色っぽく見えた。

「キスしたいな……」

垂れてきた髪をそっとかき上げる。彼女は起きない。

「……オリビア、そんなに油断していいのかい?」

優しく囁く。そして、ゆっくり顔を近づける。

「ごめんね」

眠る横顔に口づけをしてみると、彼女の口が動いた。

「やめてよ…ばか」

起きたのか?と思ったが、よく見るとまだ寝息を立てている───夢の中でも僕に怒っているのかな? ハヤトはクスリと笑う。

───ごめんね。もう1回だけ。

「好きすぎて、どうしようもないんだよ……」

机で眠るオリビアをそうっと床に寝かせた。無防備な彼女を眺める。

「大好きだよ」

ハヤトはオリビアに覆い被さると、再び彼女にキスした。
今度は少し長めに。

「好き……好きなんだ」

何度も繰り返すうちに、だんだんエスカレートしていく。オリビアの唇は柔らかくて、気持ち良い。ハヤトの心臓の鼓動が激しくなっていく。もっと触れたい。舌を入れたい。その先もしたい。身体が熱を帯びていく。

───だけど、毎回こんなことをしていてはきっと嫌われる。付き合う前も怒られたじゃないか。

「やめるんだ」

自分に言い聞かせるように言う。オリビアは雰囲気を大事にする人だから、いきなり迫ると嫌がられる。でも、今日は本当に早く触れたかったんだ。我慢なんて…出来るわけないよ。

「ねぇ、オリビア……」

ハヤトは愛しい人の名前を呼んだ。彼氏が狼になっていることにも気付かず、相変わらずすやすや眠りこけている。

「オリビア、次で起きなかったら、もう止まらないよ」

魔法学がある前の晩はいつも遅くまで予習していると言っていた。きっと、今日も寝不足だったのだろう。

「君が悪いんだからね。僕に我慢させるから」

ハヤトは、白い首筋に触れた。

「……うぅん……」

オリビアはくすぐったそうな声を出した。ドキドキしながら、指先で彼女の首をなぞる。

「……あっ?」

そこでオリビアがビクッと肩を震わせて、目を開いた。ようやく目覚めたようだ。

しかし、もう遅い。



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