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1巻
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だが半年前、街に出かけた時、私は偶然にも見てしまった。
ベンとマリアンヌが腕を組み、楽しそうに歩く姿を。
その時のベンは、ちょっとはにかんだ笑顔をマリアンヌに向けていた。決して嫌がっている素振りはなく、むしろ嬉しそうだった。
そんなベンの姿を見たのは初めてで、同時に悟った。
ベンはマリアンヌのことが好きなのだ、と。
マリアンヌからはベンが好きだとか、そんな話を聞いたことはなかったから、正直驚いた。
だが、私の知らないところで二人は愛を深めていたのだろう。
私は屋敷に戻ると、その足で父のもとへ向かった。
そしてベンとの婚約は解消して欲しい、とだけ告げた。
父は理由を知りたがったが、あとから本人たちが言うだろうと思い、固く口を閉ざした。ボンド家もそのまま婚約解消を受け入れたところをみると、この婚約に対して思うところがあったのだろう。
ベンには、幼なじみとして幸せになって欲しい。それに彼はマリアンヌのわがままに、ある程度慣れている。きっと二人はうまくいくだろう。
そう思っていたが、婚約解消後も一向にそんな話が出なかったので、痺れを切らしてマリアンヌに聞いてみた。
「どういうこと? 私とベンが付き合っている?」
マリアンヌは意外にもキョトンとして首を傾げた。
街で仲良く腕を組んで歩く二人を見たことを告げた途端、マリアンヌは噴き出した。
「ちょっと、やめてよ。お姉様の婚約者だから、ちょっとからかってみただけよ」
なんていうことだ。気まぐれでベンを弄ぶようなことをしたの?
「でもやっぱり、ベンじゃ物足りないわ。つまんない。私はもっと格上を狙うから、ベンはお姉様に返すわ。地味な者同士お似合いじゃない」
手をヒラヒラと振ってバカにしたように言うマリアンヌに、さすがにカッとなる。
「人の気持ちをなんだと思っているの!?」
「はいはーい。仕方ないじゃない。コロッと騙されるほうも悪いのよ。それだけ私がお姉様よりも、魅力的だったんだから、しょうがないわ」
ちっとも悪びれもせず、肩をすくめるマリアンヌ。私の怒りも彼女には通じなかった。
あれ以来、ベンには会っていないが、元気にしているだろうか。
「ではお嬢様、三日後のドレスを選びましょう」
シルビアから声をかけられて、ハッと我に返る。
「そうね、どれにしようかしら」
シルビアがクローゼットを開けるが、中はガランとしている。
「ここ最近、ドレスを新調していないから困ったわね」
義母とマリアンヌの浪費に頭を悩ませ、自分のことは後回しになっていた。
「大丈夫ですわ、お嬢様。お任せください!!」
シルビアがドンと胸を叩く。
「このドレスに花のコサージュをつけましょう。胸元がグッと華やかな印象になるはずです。真珠のイヤリングもつけて」
シルビアはいつも私のためにこうやっていろいろと考えてくれる。
「お嬢様はなにを着ても美しいので、大丈夫ですよ」
「あら、ありがとう」
シルビアのお世辞をありがたく受け取り、ウフフと笑う。
「いつも言っていますけどね、お嬢様のまっすぐでサラサラ、天使の輪が輝く髪と、新緑色の大きな瞳。もう、すべてが魅力的ですから。お嬢様に憧れているけれど、声をかける勇気がない男性が大勢いると噂で聞きましたわ」
「そんな、大げさよ」
思わず笑ってしまうが、シルビアの顔は真剣だった。
「もっと自信を持ってください!! マリアンヌお嬢様が意地悪なのは、お嬢様の美しさに嫉妬しているのですわ」
「マリアンヌが?」
妹の見た目は可愛らしいので、それはないだろうに。
「はい、美人姉妹で有名ですが、特にお嬢様の神秘的な美しさが話題になることが多いみたいです。だからこそ、ライバル心を持っているのでしょうね」
困ったものですね、と言ってシルビアはため息をついた。
「ですので、今回の縁談も実はお嬢様のことを見初めたからかもしれないですよ?」
「そんなことあるのかしら」
名前も顔も知らない相手なのに、シルビアの話にドキッとしてしまう。
「案外、お金は口実で、本当はお嬢様に惚れてしまったのかもしれないですし」
そうだったらいいのにな、なんて思ってしまう。バカな期待だと笑われるかもしれないけど。お金と爵位が引き換えの政略結婚も、そこに愛情があれば、違ったものに思える。
どんな相手かわからないけれど、もし相手が私に愛情を持って接してくれるのならば、私も返せるように努力しよう。
シルビアの言葉に、ちょっと前向きになれたのだった。
あっという間に三日が過ぎた。
家で大人しく待っていた私のもとに、一台の立派な馬車が到着した。
「本当に大丈夫か?」
父が心配そうな声を出した。
「はい、行ってまいりますわ」
私一人で来て欲しいとのことなので、従うしかない。
「中にお入りください」
従者の案内のもと、馬車に乗り込む。
わぁ、素敵ね。
思わず声が漏れそうになった。
立派な体躯の馬と黒塗りの馬車。内装も凝っており、座り心地も良い。
身分の高い貴族の馬車にも引けを取らない造りだ。我が家の馬車では長時間の移動はお尻が痛くなるので、正直助かった。
「では参りましょう」
お父様とシルビア、使用人たちに見送られ、出発した。
ちなみに義母と妹は朝早いのは苦手だから見送りはしないと、前日に宣言していた。
どうやらまだ寝ているらしいが、嫌味を言われながら送り出されるより、ずっといい。
早朝、まだ冷たい風を感じながら、深呼吸をした。
そして馬車に揺られること三時間。途中、休憩を取りながら、進んだ。
我がアルベール家は郊外にあるが、縁談の相手の屋敷はどうやら王都に近いところにあるらしい。途中、リート港を通り過ぎた。貿易が盛んなこの港には、大きな船が停泊している。
馬車の旅は思ったよりも快適に進んだ。
やがて広大な敷地の中、ポツンと立つ屋敷が徐々に見えてきた。
えっ、もしやあのお城みたいなお屋敷に住んでいる方なの?
窓から見える景色に首を傾げる。
城と見間違えるほど大きな屋敷に、広い土地。
いくら平民で爵位が欲しいといっても、ここまでの資産家、我が家では不釣り合いなんじゃないかしら?
わざわざ借金まみれで没落寸前の私を選ばなくても、もっと条件のいい令嬢がいただろうに。
なぜ私なのだろう――
そこでハッと気づく。
よほど、重大ななにかが相手にあるのだ。すごく醜くて見るに堪えないとか、年齢がずっと上とか。
私は頬をピシャリと叩く。
しっかりするのよ、相手の本質を見極めなければいけないわ。
たとえ容姿がちょっとアレでも、性格が優しければいいじゃない。年齢が上すぎても、敬愛を忘れないようにしよう。でも、将来は介護まで視野に入れないとダメかしら。むしろそのための結婚かもしれない。
混乱している間も馬車は進み、大きな門をくぐる。気がつくと、屋敷のすぐそばまで来ていた。
今更だけど、怖気づいてしまう。
でもしっかりしないと。そうよ、いくらお金と爵位のための縁談だといっても、ひるんではいけない。お互い利害が一致し、幸せになるのなら、それでいいじゃない。
貴族の誇りだとかマリアンヌは言うけれど、没落して路頭に迷うより、その手を取ったほうがずっとマシだわ。
やがて馬車が速度を落とす。どうやら到着したようだ。
目を閉じてお腹にグッと力を入れると、しっかりと顔を上げた。
馬車の扉が開かれる。
「お待ちしておりました。ルシナ様。私は執事長のジールと申します。ジールとお呼びください。お会いできるのを楽しみにしておりました」
執事長は白髪まじりのグレーの髪を後ろでかっちりと固めている。背筋がしゅっと伸びたその姿は、上品な老紳士といった印象だ。
「ありがとう」
差し出された手を取って馬車から降りると、玄関の両扉がサッと開かれる。
目に入った光景に息を呑んだ。
広い大理石のエントランスフロアの中央には階段があり、その両脇には使用人たちがズラリと並び、頭を下げている。
使用人総出と思われる出迎えに、気後れして足がすくみそうになった。
「さぁ、旦那様がお待ちです」
豪華な屋敷の中に一歩踏み入ると、フワッと花の香りが鼻孔をくすぐる。
白い大理石の床に敷かれたコバルトブルーのカーペットは、階段の先まで続く。
「お待ちしておりました、ルシナ様」
「足元にお気をつけください」
使用人たちに歓迎の意を示される中、足を進める。
これだけの大きな屋敷に、この使用人の数。いったい、どれだけのお金持ちだというのだろうか。
そして肝心のお相手はどこにいるのだろう。もう、ここまで来たら覚悟を決めるしかない。
見た目が多少好みでなくとも、内面を見ればいいだけのこと。
年齢が上ならば、孫のような気持ちで接しよう。
すっと息を吸い、顔を上げる。
ふと階段の上にいた人物と視線が絡む。
その人物は柔らかく微笑んだ。
「ルシナ嬢」
低い声が私の名を呼ぶ。同時にコバルトブルーのカーペットの意味がわかった。
黒髪に深い青の瞳――きっと彼の瞳に合わせた色だ。
スラッと伸びた手足に高い身長。高い鼻筋に、力強さを感じさせる目、端整な顔立ち。
彼が、縁談を持ちかけた本人なの?
こんなに素敵な人が、どうして私に?
想像とかけ離れた人物に思わず見入ってしまい、立ち止まる。
相手はゆっくりと階段から下りてきて、私と対峙する。
近くに立つと、見上げるほど背が高い。
細身に見えて肩幅は広く、筋肉がガッシリとついている。
なによりも印象的なのは、深い青の瞳。まるで吸い込まれそうだ。
こんな綺麗な瞳を見るのは初めてのはずなのに、どこか懐かしくも感じる。
いや、待って。私、どこかで見た記憶が……
「遠路はるばるよく来てくれた」
彼の低い声に、我に返る。
「はじめまして、ルシナ・アルベールです。本日はお招きありがとうございます」
「――はじめまして」
丁寧な挨拶をしたつもりだが、若干相手の声のトーンが下がった。
はじめまして、でいいのよね……? 直接お会いしたことはないもの。
「旦那様、応接間にお茶を準備しますので、そちらにどうぞ」
案内された応接間は広く、豪華な調度品が品良く配置されている。
大理石のテーブルに革張りのソファ。シャンデリアの輝きを反射してより一層輝く美術品。広い窓からは光が入り込み、ガラスの向こうには美しい庭園が見えた。
「素敵……」
思わずつぶやいた声を拾ったのか、彼は片眉を上げて微笑む。
「気に入ったのなら、良かった」
笑顔を向けられてドキッとしてしまった。
腰かけるよう勧められ、ゆっくりとソファに腰を下ろす。
きっ、気まずい……
初対面の相手と二人きり。それになぜか、相手は私のことをじっと見つめている。
聞きたいことはたくさんあるのに、頭の中がグルグルしている。
「あの……ルシナ・アルベールです。改めてよろしくお願いします」
「ああ、俺はグレン・フォルカーだ。グレンと呼んで欲しい」
「では私のことも名前でお呼びください」
「わかった」
一言返ってきたのみで、まったく会話が弾まない。この空気、どうすればいいの?
まあ、初対面だから慣れるまではしょうがないのかしら。
戸惑っていると、ノックのあと扉が開かれた。
「お待たせしました」
ジールが紅茶のセットをのせたカートを押して入室してきた。
「ルシナ様、甘いものはお好きでしょうか? サクサクのパイもございますし、しっとりとした生地の焼き菓子などもおすすめです」
ジールは慣れた手つきで紅茶を淹れると、焼き菓子を勧めてくる。
「ありがとう、大好きです」
「それは良かったです」
手際よくお皿に並べられた焼き菓子に、勧められるままフォークを伸ばした。
クリームの甘さがちょうどいい。サクサクの生地と果実の酸っぱさと相まって、いくつでも食べられる気がする。
頬に手を当て、自然と笑顔になる。こんなに高級なお菓子を食べるのは久しぶりだ。
そこで強い視線を感じた。
グレンは頬杖をつき、じっと私を見ている。正直、視線の強さに萎縮してしまう。
「とても美味しいです。――グレン様は食べないのですか?」
「ああ、俺はいい」
あまり甘いのはお好きではないのかな。こんなに美味しいのに。
その時、グレンがすっと席を立った。
どこに行くのかと思って見ていると、すたすたと歩き、なんと私のすぐ隣に腰を下ろす。
私が驚いて動揺していると、グレンはケーキスタンドに手を伸ばした。
「ほら、もっと食べるといい。これも。そっちのも」
グレンは次から次へと、私のお皿に焼き菓子をのせる。
「あ、ありがとうございます」
嬉しいけれど、こんなに山盛りにされては困ってしまう。大食いと思われたのだろうか。
執事長のジールは、戸惑っている私に微笑みを向けたあと、カートを押して退室していった。
そしてまた二人きりになる。
えっと、さすがに会話をしないとダメよね。お互いのことを知るためにも!
食べてばかりはいられない。背筋をしゃんと伸ばし、彼を見つめる。
「――式の日取りを決めよう」
えっ、いきなりそれ!? 私たち、まだ出会ったばかりなのに!?
相手の台詞に度肝を抜かれ、驚いて目をパチパチと瞬かせる。
政略結婚ってこんなものなのかな。
お互いを知らなくても利害が一致するなら問題ないってこと?
「希望はあるか?」
「いえ、特には……」
実際、結婚するのはまだ先だと思っていたので、希望を聞かれてもすぐには出てこない。
あっ、でも一つだけ困ったことがある。
ドレスをどうしよう。我が家にドレスを購入する資金があるとは思えなかった。かといってドレスが準備できないと……
だが、私の落ち着きのなさを見て、相手は悟ったようだ。
「ああ。用意はすべてこちらでする」
その発言を聞き、ホッと胸をなでおろす。厚かましい気もするが、なりふり構っていられない。でもすぐその発言が出てくるってことは、我が家の財政事情はお見通しってことよね!
「ウェディングドレスは五着ぐらい必要か?」
「えっ!?」
これまたぶっ飛んだ発言をするグレンに驚きの声を上げる。
「足りないか。十着ではどうだ?」
花嫁何人いるのよ、と聞き返したくなる。
「いえ、一着で十分ですわ」
慌てて首を横に振ると、グレンは小さく息を吐き出す。
「君は身一つで嫁いでくるといい。なんの心配もいらない」
まっすぐに見つめられ、かけられた言葉にドキッとした。
「あの、一人だけメイドを連れてきても構わないでしょうか? 昔から仕えている者なのですが」
「構わない」
シルビアと一緒なら安心だ。彼女も喜んでくれるといいな。
しかし、グレンの年齢はいくつなのだろう。私より少し上だと思う。
お父様ぐらいの年齢だったらどうしようと思ったけど、全然違うじゃない。
それに黒髪碧眼でとても素敵だ。
ちょっと無口だけど、まだ顔を合わせたばかりだし、これから知っていけばいいのかしら。
その時、再び扉がノックされ、若い使用人が顔を出した。
「失礼します、旦那様。スコール家から先日の投資の件で、早急に返答が欲しいと使いの者が来ています」
どうやら仕事が入ったらしい。
でも、ちょうど良かった。席を立つにはいい口実だ。
「では、お忙しいようなので、本日はこれで失礼しますわ」
にっこり微笑んで立ち上がったところで扉が大きく開き、ジールが飛び込んできた。
「そんな!! せっかくいらしてくださったのに、ゆっくりなさってください!!」
ジールは隣に立つ若い使用人に、鋭い視線を向ける。
「客人が来ている時に、そのようなことを告げるべきではない!!」
「も、申し訳ありません!」
ジールは若き使用人にいらだちを見せたあと、深くため息をついた。
「誠に申し訳ございません、私の教育不足です」
「いえ、気になさらないでください」
ジールはすっかり恐縮している。逆にこっちがいたたまれない。
「旦那様、この日のために整備した庭園を一緒に回られてはいかがですか?」
ジールが引き止めてくれるが、今回はさっさと退散したほうがいい。
「いえ、今日はまだ顔合わせなので。また日を改めますわ」
そっとソファから離れ、エントランスフロアに向かった。
「私の気が回らないばかりに、ルシナ様にこんな失礼を……。執事長失格です」
「いいえ。忙しいのに時間を作ってくださったグレン様に感謝いたしますわ」
私とジールが話す横で、先ほどからグレンがなにか言いたげにしているが、気のせいだろうか。
「では、失礼します」
来た時と同じ、使用人総出で見送られ、屋敷をあとにした。
馬車に乗った瞬間、一気に疲れが出て、座席に深く腰かけた。
うまくいくのかしら、この結婚。
正直、想像以上に見目麗しい相手だったのでびっくりした。だが、あまり交流ができないまま、顔合わせは終了した。滞在時間は十五分ってとこかしら。
帰り際、ジールが教えてくれたのだけれど、グレンは二十二歳。やはり私より年上だった。
私が屋敷に来るこの日を、心待ちにしていたと言っていたけど、怪しいものだ。
この結婚には裏があると疑わずにいられない。
うまい話など、そう簡単に転がってはいないのだ。
屋敷に戻ると、今度は家族総出で出迎えられた。
「おおルシナ!! 無事に帰ってきたか!!」
「どうだった!? お姉様!? 相手は醜男だった?」
先頭にいた父を押しのけるようにして、マリアンヌがグイッと前に出てきた。それに続いて義母も身を乗り出す。
「無事に相手に会えたの? そのわりには帰ってくるのが早かったじゃない」
帰ってくるなり質問攻めだ。
「ただいま帰りました。無事にお相手のグレン様には会えましたわ」
私は淡々と述べた。
「グレン様は二十二歳で素敵な方でした。口数は少なかったですが、まだ顔を合わせたばかりなので仕方ないかもしれません。お忙しいようでしたので、すぐ帰ってきましたわ」
「えっ、そんなに若い方だったの? てっきりお父様ぐらいかと思っていた!」
マリアンヌ、残念そうな声を出して、なにを期待していたの。それを私に隠そうともしないところがあなたらしいわ。
「でもいくら素敵でも平民ではねぇ……。私なら絶対に無理よ」
「そうよ、マリアンヌの縁談だったら、断固として許さなかったわ」
はいはい、この人たちの相手をするのは疲れたわ。勝手にしてちょうだい。
「もういいですか? 疲れたので自室に戻りますね」
まだ嫌味を言いたそうな二人を残し、部屋に戻った。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
ちょうどベッドメイキングをしていたシルビアの顔を見て、緊張の糸が切れた。
「ただいま、シルビア」
そのままソファに身を投げ出した。
「大丈夫ですか? お嬢様? そんなにショックなお相手でしたか?」
あわあわと慌て出すシルビアに首を横に振る。
「黒髪に深い青の瞳。手足も長くて背も高い。人目を惹く容姿の二十二歳」
「おおっ、良かったじゃないですか!!」
シルビアはパチパチと手を叩く。
「手入れされた庭園に、我が家の三倍ぐらい広いお屋敷。家具も調度品もすべてが一流品」
「素晴らしい!! お金持ち、最高です!!」
シルビアは興奮して拳を突き上げた。
「でも、あまり会話が続かなかったわ」
「て、照れていらっしゃるのではないでしょうか?」
シルビアは一瞬言葉に詰まったあと、フォローしようとする。
「もしかしたら、私に興味がないのかもしれない。――私、知らず知らずのうちに、心のどこかで期待していたみたいね」
私のことが好きで、ぜひ結婚したいと言ってくれるんじゃないかって――そんな夢物語あるわけがなかった。やはり現実は厳しい。
「でも、結婚したらシルビアを連れてきていいと言ってもらったの!! アルベール家にいるよりはずっといいはずよ」
そうだ、没落して住む屋敷がなくなる前に手を打たないと。
「はい、お嬢様。私はどこへでもついていきますよ!!」
「ええ、よろしくね」
シルビアの言葉は素直に嬉しかった。
「お、お嬢様、お荷物が届いております」
翌日、部屋で本を読んでいると、シルビアが慌てた様子でやってきた。
変なシルビア。荷物というけれど、なにも手にしていないじゃない。
思わず笑ってしまう。
「まあ、あなた。荷物をどこへ置いてきたの?」
ちょっとそそっかしいところのある彼女のことだから、どこかへ忘れてきたのだろうか。
「違うのです、お嬢様。ついてきてください」
慌てているシルビアのあとについて、案内された部屋に入る。
そこに広がる光景に息を呑んだ。
ベンとマリアンヌが腕を組み、楽しそうに歩く姿を。
その時のベンは、ちょっとはにかんだ笑顔をマリアンヌに向けていた。決して嫌がっている素振りはなく、むしろ嬉しそうだった。
そんなベンの姿を見たのは初めてで、同時に悟った。
ベンはマリアンヌのことが好きなのだ、と。
マリアンヌからはベンが好きだとか、そんな話を聞いたことはなかったから、正直驚いた。
だが、私の知らないところで二人は愛を深めていたのだろう。
私は屋敷に戻ると、その足で父のもとへ向かった。
そしてベンとの婚約は解消して欲しい、とだけ告げた。
父は理由を知りたがったが、あとから本人たちが言うだろうと思い、固く口を閉ざした。ボンド家もそのまま婚約解消を受け入れたところをみると、この婚約に対して思うところがあったのだろう。
ベンには、幼なじみとして幸せになって欲しい。それに彼はマリアンヌのわがままに、ある程度慣れている。きっと二人はうまくいくだろう。
そう思っていたが、婚約解消後も一向にそんな話が出なかったので、痺れを切らしてマリアンヌに聞いてみた。
「どういうこと? 私とベンが付き合っている?」
マリアンヌは意外にもキョトンとして首を傾げた。
街で仲良く腕を組んで歩く二人を見たことを告げた途端、マリアンヌは噴き出した。
「ちょっと、やめてよ。お姉様の婚約者だから、ちょっとからかってみただけよ」
なんていうことだ。気まぐれでベンを弄ぶようなことをしたの?
「でもやっぱり、ベンじゃ物足りないわ。つまんない。私はもっと格上を狙うから、ベンはお姉様に返すわ。地味な者同士お似合いじゃない」
手をヒラヒラと振ってバカにしたように言うマリアンヌに、さすがにカッとなる。
「人の気持ちをなんだと思っているの!?」
「はいはーい。仕方ないじゃない。コロッと騙されるほうも悪いのよ。それだけ私がお姉様よりも、魅力的だったんだから、しょうがないわ」
ちっとも悪びれもせず、肩をすくめるマリアンヌ。私の怒りも彼女には通じなかった。
あれ以来、ベンには会っていないが、元気にしているだろうか。
「ではお嬢様、三日後のドレスを選びましょう」
シルビアから声をかけられて、ハッと我に返る。
「そうね、どれにしようかしら」
シルビアがクローゼットを開けるが、中はガランとしている。
「ここ最近、ドレスを新調していないから困ったわね」
義母とマリアンヌの浪費に頭を悩ませ、自分のことは後回しになっていた。
「大丈夫ですわ、お嬢様。お任せください!!」
シルビアがドンと胸を叩く。
「このドレスに花のコサージュをつけましょう。胸元がグッと華やかな印象になるはずです。真珠のイヤリングもつけて」
シルビアはいつも私のためにこうやっていろいろと考えてくれる。
「お嬢様はなにを着ても美しいので、大丈夫ですよ」
「あら、ありがとう」
シルビアのお世辞をありがたく受け取り、ウフフと笑う。
「いつも言っていますけどね、お嬢様のまっすぐでサラサラ、天使の輪が輝く髪と、新緑色の大きな瞳。もう、すべてが魅力的ですから。お嬢様に憧れているけれど、声をかける勇気がない男性が大勢いると噂で聞きましたわ」
「そんな、大げさよ」
思わず笑ってしまうが、シルビアの顔は真剣だった。
「もっと自信を持ってください!! マリアンヌお嬢様が意地悪なのは、お嬢様の美しさに嫉妬しているのですわ」
「マリアンヌが?」
妹の見た目は可愛らしいので、それはないだろうに。
「はい、美人姉妹で有名ですが、特にお嬢様の神秘的な美しさが話題になることが多いみたいです。だからこそ、ライバル心を持っているのでしょうね」
困ったものですね、と言ってシルビアはため息をついた。
「ですので、今回の縁談も実はお嬢様のことを見初めたからかもしれないですよ?」
「そんなことあるのかしら」
名前も顔も知らない相手なのに、シルビアの話にドキッとしてしまう。
「案外、お金は口実で、本当はお嬢様に惚れてしまったのかもしれないですし」
そうだったらいいのにな、なんて思ってしまう。バカな期待だと笑われるかもしれないけど。お金と爵位が引き換えの政略結婚も、そこに愛情があれば、違ったものに思える。
どんな相手かわからないけれど、もし相手が私に愛情を持って接してくれるのならば、私も返せるように努力しよう。
シルビアの言葉に、ちょっと前向きになれたのだった。
あっという間に三日が過ぎた。
家で大人しく待っていた私のもとに、一台の立派な馬車が到着した。
「本当に大丈夫か?」
父が心配そうな声を出した。
「はい、行ってまいりますわ」
私一人で来て欲しいとのことなので、従うしかない。
「中にお入りください」
従者の案内のもと、馬車に乗り込む。
わぁ、素敵ね。
思わず声が漏れそうになった。
立派な体躯の馬と黒塗りの馬車。内装も凝っており、座り心地も良い。
身分の高い貴族の馬車にも引けを取らない造りだ。我が家の馬車では長時間の移動はお尻が痛くなるので、正直助かった。
「では参りましょう」
お父様とシルビア、使用人たちに見送られ、出発した。
ちなみに義母と妹は朝早いのは苦手だから見送りはしないと、前日に宣言していた。
どうやらまだ寝ているらしいが、嫌味を言われながら送り出されるより、ずっといい。
早朝、まだ冷たい風を感じながら、深呼吸をした。
そして馬車に揺られること三時間。途中、休憩を取りながら、進んだ。
我がアルベール家は郊外にあるが、縁談の相手の屋敷はどうやら王都に近いところにあるらしい。途中、リート港を通り過ぎた。貿易が盛んなこの港には、大きな船が停泊している。
馬車の旅は思ったよりも快適に進んだ。
やがて広大な敷地の中、ポツンと立つ屋敷が徐々に見えてきた。
えっ、もしやあのお城みたいなお屋敷に住んでいる方なの?
窓から見える景色に首を傾げる。
城と見間違えるほど大きな屋敷に、広い土地。
いくら平民で爵位が欲しいといっても、ここまでの資産家、我が家では不釣り合いなんじゃないかしら?
わざわざ借金まみれで没落寸前の私を選ばなくても、もっと条件のいい令嬢がいただろうに。
なぜ私なのだろう――
そこでハッと気づく。
よほど、重大ななにかが相手にあるのだ。すごく醜くて見るに堪えないとか、年齢がずっと上とか。
私は頬をピシャリと叩く。
しっかりするのよ、相手の本質を見極めなければいけないわ。
たとえ容姿がちょっとアレでも、性格が優しければいいじゃない。年齢が上すぎても、敬愛を忘れないようにしよう。でも、将来は介護まで視野に入れないとダメかしら。むしろそのための結婚かもしれない。
混乱している間も馬車は進み、大きな門をくぐる。気がつくと、屋敷のすぐそばまで来ていた。
今更だけど、怖気づいてしまう。
でもしっかりしないと。そうよ、いくらお金と爵位のための縁談だといっても、ひるんではいけない。お互い利害が一致し、幸せになるのなら、それでいいじゃない。
貴族の誇りだとかマリアンヌは言うけれど、没落して路頭に迷うより、その手を取ったほうがずっとマシだわ。
やがて馬車が速度を落とす。どうやら到着したようだ。
目を閉じてお腹にグッと力を入れると、しっかりと顔を上げた。
馬車の扉が開かれる。
「お待ちしておりました。ルシナ様。私は執事長のジールと申します。ジールとお呼びください。お会いできるのを楽しみにしておりました」
執事長は白髪まじりのグレーの髪を後ろでかっちりと固めている。背筋がしゅっと伸びたその姿は、上品な老紳士といった印象だ。
「ありがとう」
差し出された手を取って馬車から降りると、玄関の両扉がサッと開かれる。
目に入った光景に息を呑んだ。
広い大理石のエントランスフロアの中央には階段があり、その両脇には使用人たちがズラリと並び、頭を下げている。
使用人総出と思われる出迎えに、気後れして足がすくみそうになった。
「さぁ、旦那様がお待ちです」
豪華な屋敷の中に一歩踏み入ると、フワッと花の香りが鼻孔をくすぐる。
白い大理石の床に敷かれたコバルトブルーのカーペットは、階段の先まで続く。
「お待ちしておりました、ルシナ様」
「足元にお気をつけください」
使用人たちに歓迎の意を示される中、足を進める。
これだけの大きな屋敷に、この使用人の数。いったい、どれだけのお金持ちだというのだろうか。
そして肝心のお相手はどこにいるのだろう。もう、ここまで来たら覚悟を決めるしかない。
見た目が多少好みでなくとも、内面を見ればいいだけのこと。
年齢が上ならば、孫のような気持ちで接しよう。
すっと息を吸い、顔を上げる。
ふと階段の上にいた人物と視線が絡む。
その人物は柔らかく微笑んだ。
「ルシナ嬢」
低い声が私の名を呼ぶ。同時にコバルトブルーのカーペットの意味がわかった。
黒髪に深い青の瞳――きっと彼の瞳に合わせた色だ。
スラッと伸びた手足に高い身長。高い鼻筋に、力強さを感じさせる目、端整な顔立ち。
彼が、縁談を持ちかけた本人なの?
こんなに素敵な人が、どうして私に?
想像とかけ離れた人物に思わず見入ってしまい、立ち止まる。
相手はゆっくりと階段から下りてきて、私と対峙する。
近くに立つと、見上げるほど背が高い。
細身に見えて肩幅は広く、筋肉がガッシリとついている。
なによりも印象的なのは、深い青の瞳。まるで吸い込まれそうだ。
こんな綺麗な瞳を見るのは初めてのはずなのに、どこか懐かしくも感じる。
いや、待って。私、どこかで見た記憶が……
「遠路はるばるよく来てくれた」
彼の低い声に、我に返る。
「はじめまして、ルシナ・アルベールです。本日はお招きありがとうございます」
「――はじめまして」
丁寧な挨拶をしたつもりだが、若干相手の声のトーンが下がった。
はじめまして、でいいのよね……? 直接お会いしたことはないもの。
「旦那様、応接間にお茶を準備しますので、そちらにどうぞ」
案内された応接間は広く、豪華な調度品が品良く配置されている。
大理石のテーブルに革張りのソファ。シャンデリアの輝きを反射してより一層輝く美術品。広い窓からは光が入り込み、ガラスの向こうには美しい庭園が見えた。
「素敵……」
思わずつぶやいた声を拾ったのか、彼は片眉を上げて微笑む。
「気に入ったのなら、良かった」
笑顔を向けられてドキッとしてしまった。
腰かけるよう勧められ、ゆっくりとソファに腰を下ろす。
きっ、気まずい……
初対面の相手と二人きり。それになぜか、相手は私のことをじっと見つめている。
聞きたいことはたくさんあるのに、頭の中がグルグルしている。
「あの……ルシナ・アルベールです。改めてよろしくお願いします」
「ああ、俺はグレン・フォルカーだ。グレンと呼んで欲しい」
「では私のことも名前でお呼びください」
「わかった」
一言返ってきたのみで、まったく会話が弾まない。この空気、どうすればいいの?
まあ、初対面だから慣れるまではしょうがないのかしら。
戸惑っていると、ノックのあと扉が開かれた。
「お待たせしました」
ジールが紅茶のセットをのせたカートを押して入室してきた。
「ルシナ様、甘いものはお好きでしょうか? サクサクのパイもございますし、しっとりとした生地の焼き菓子などもおすすめです」
ジールは慣れた手つきで紅茶を淹れると、焼き菓子を勧めてくる。
「ありがとう、大好きです」
「それは良かったです」
手際よくお皿に並べられた焼き菓子に、勧められるままフォークを伸ばした。
クリームの甘さがちょうどいい。サクサクの生地と果実の酸っぱさと相まって、いくつでも食べられる気がする。
頬に手を当て、自然と笑顔になる。こんなに高級なお菓子を食べるのは久しぶりだ。
そこで強い視線を感じた。
グレンは頬杖をつき、じっと私を見ている。正直、視線の強さに萎縮してしまう。
「とても美味しいです。――グレン様は食べないのですか?」
「ああ、俺はいい」
あまり甘いのはお好きではないのかな。こんなに美味しいのに。
その時、グレンがすっと席を立った。
どこに行くのかと思って見ていると、すたすたと歩き、なんと私のすぐ隣に腰を下ろす。
私が驚いて動揺していると、グレンはケーキスタンドに手を伸ばした。
「ほら、もっと食べるといい。これも。そっちのも」
グレンは次から次へと、私のお皿に焼き菓子をのせる。
「あ、ありがとうございます」
嬉しいけれど、こんなに山盛りにされては困ってしまう。大食いと思われたのだろうか。
執事長のジールは、戸惑っている私に微笑みを向けたあと、カートを押して退室していった。
そしてまた二人きりになる。
えっと、さすがに会話をしないとダメよね。お互いのことを知るためにも!
食べてばかりはいられない。背筋をしゃんと伸ばし、彼を見つめる。
「――式の日取りを決めよう」
えっ、いきなりそれ!? 私たち、まだ出会ったばかりなのに!?
相手の台詞に度肝を抜かれ、驚いて目をパチパチと瞬かせる。
政略結婚ってこんなものなのかな。
お互いを知らなくても利害が一致するなら問題ないってこと?
「希望はあるか?」
「いえ、特には……」
実際、結婚するのはまだ先だと思っていたので、希望を聞かれてもすぐには出てこない。
あっ、でも一つだけ困ったことがある。
ドレスをどうしよう。我が家にドレスを購入する資金があるとは思えなかった。かといってドレスが準備できないと……
だが、私の落ち着きのなさを見て、相手は悟ったようだ。
「ああ。用意はすべてこちらでする」
その発言を聞き、ホッと胸をなでおろす。厚かましい気もするが、なりふり構っていられない。でもすぐその発言が出てくるってことは、我が家の財政事情はお見通しってことよね!
「ウェディングドレスは五着ぐらい必要か?」
「えっ!?」
これまたぶっ飛んだ発言をするグレンに驚きの声を上げる。
「足りないか。十着ではどうだ?」
花嫁何人いるのよ、と聞き返したくなる。
「いえ、一着で十分ですわ」
慌てて首を横に振ると、グレンは小さく息を吐き出す。
「君は身一つで嫁いでくるといい。なんの心配もいらない」
まっすぐに見つめられ、かけられた言葉にドキッとした。
「あの、一人だけメイドを連れてきても構わないでしょうか? 昔から仕えている者なのですが」
「構わない」
シルビアと一緒なら安心だ。彼女も喜んでくれるといいな。
しかし、グレンの年齢はいくつなのだろう。私より少し上だと思う。
お父様ぐらいの年齢だったらどうしようと思ったけど、全然違うじゃない。
それに黒髪碧眼でとても素敵だ。
ちょっと無口だけど、まだ顔を合わせたばかりだし、これから知っていけばいいのかしら。
その時、再び扉がノックされ、若い使用人が顔を出した。
「失礼します、旦那様。スコール家から先日の投資の件で、早急に返答が欲しいと使いの者が来ています」
どうやら仕事が入ったらしい。
でも、ちょうど良かった。席を立つにはいい口実だ。
「では、お忙しいようなので、本日はこれで失礼しますわ」
にっこり微笑んで立ち上がったところで扉が大きく開き、ジールが飛び込んできた。
「そんな!! せっかくいらしてくださったのに、ゆっくりなさってください!!」
ジールは隣に立つ若い使用人に、鋭い視線を向ける。
「客人が来ている時に、そのようなことを告げるべきではない!!」
「も、申し訳ありません!」
ジールは若き使用人にいらだちを見せたあと、深くため息をついた。
「誠に申し訳ございません、私の教育不足です」
「いえ、気になさらないでください」
ジールはすっかり恐縮している。逆にこっちがいたたまれない。
「旦那様、この日のために整備した庭園を一緒に回られてはいかがですか?」
ジールが引き止めてくれるが、今回はさっさと退散したほうがいい。
「いえ、今日はまだ顔合わせなので。また日を改めますわ」
そっとソファから離れ、エントランスフロアに向かった。
「私の気が回らないばかりに、ルシナ様にこんな失礼を……。執事長失格です」
「いいえ。忙しいのに時間を作ってくださったグレン様に感謝いたしますわ」
私とジールが話す横で、先ほどからグレンがなにか言いたげにしているが、気のせいだろうか。
「では、失礼します」
来た時と同じ、使用人総出で見送られ、屋敷をあとにした。
馬車に乗った瞬間、一気に疲れが出て、座席に深く腰かけた。
うまくいくのかしら、この結婚。
正直、想像以上に見目麗しい相手だったのでびっくりした。だが、あまり交流ができないまま、顔合わせは終了した。滞在時間は十五分ってとこかしら。
帰り際、ジールが教えてくれたのだけれど、グレンは二十二歳。やはり私より年上だった。
私が屋敷に来るこの日を、心待ちにしていたと言っていたけど、怪しいものだ。
この結婚には裏があると疑わずにいられない。
うまい話など、そう簡単に転がってはいないのだ。
屋敷に戻ると、今度は家族総出で出迎えられた。
「おおルシナ!! 無事に帰ってきたか!!」
「どうだった!? お姉様!? 相手は醜男だった?」
先頭にいた父を押しのけるようにして、マリアンヌがグイッと前に出てきた。それに続いて義母も身を乗り出す。
「無事に相手に会えたの? そのわりには帰ってくるのが早かったじゃない」
帰ってくるなり質問攻めだ。
「ただいま帰りました。無事にお相手のグレン様には会えましたわ」
私は淡々と述べた。
「グレン様は二十二歳で素敵な方でした。口数は少なかったですが、まだ顔を合わせたばかりなので仕方ないかもしれません。お忙しいようでしたので、すぐ帰ってきましたわ」
「えっ、そんなに若い方だったの? てっきりお父様ぐらいかと思っていた!」
マリアンヌ、残念そうな声を出して、なにを期待していたの。それを私に隠そうともしないところがあなたらしいわ。
「でもいくら素敵でも平民ではねぇ……。私なら絶対に無理よ」
「そうよ、マリアンヌの縁談だったら、断固として許さなかったわ」
はいはい、この人たちの相手をするのは疲れたわ。勝手にしてちょうだい。
「もういいですか? 疲れたので自室に戻りますね」
まだ嫌味を言いたそうな二人を残し、部屋に戻った。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
ちょうどベッドメイキングをしていたシルビアの顔を見て、緊張の糸が切れた。
「ただいま、シルビア」
そのままソファに身を投げ出した。
「大丈夫ですか? お嬢様? そんなにショックなお相手でしたか?」
あわあわと慌て出すシルビアに首を横に振る。
「黒髪に深い青の瞳。手足も長くて背も高い。人目を惹く容姿の二十二歳」
「おおっ、良かったじゃないですか!!」
シルビアはパチパチと手を叩く。
「手入れされた庭園に、我が家の三倍ぐらい広いお屋敷。家具も調度品もすべてが一流品」
「素晴らしい!! お金持ち、最高です!!」
シルビアは興奮して拳を突き上げた。
「でも、あまり会話が続かなかったわ」
「て、照れていらっしゃるのではないでしょうか?」
シルビアは一瞬言葉に詰まったあと、フォローしようとする。
「もしかしたら、私に興味がないのかもしれない。――私、知らず知らずのうちに、心のどこかで期待していたみたいね」
私のことが好きで、ぜひ結婚したいと言ってくれるんじゃないかって――そんな夢物語あるわけがなかった。やはり現実は厳しい。
「でも、結婚したらシルビアを連れてきていいと言ってもらったの!! アルベール家にいるよりはずっといいはずよ」
そうだ、没落して住む屋敷がなくなる前に手を打たないと。
「はい、お嬢様。私はどこへでもついていきますよ!!」
「ええ、よろしくね」
シルビアの言葉は素直に嬉しかった。
「お、お嬢様、お荷物が届いております」
翌日、部屋で本を読んでいると、シルビアが慌てた様子でやってきた。
変なシルビア。荷物というけれど、なにも手にしていないじゃない。
思わず笑ってしまう。
「まあ、あなた。荷物をどこへ置いてきたの?」
ちょっとそそっかしいところのある彼女のことだから、どこかへ忘れてきたのだろうか。
「違うのです、お嬢様。ついてきてください」
慌てているシルビアのあとについて、案内された部屋に入る。
そこに広がる光景に息を呑んだ。
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