総指揮官と私の事情

夏目みや

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1巻

1-1





   1 「脱・異世界ニート」を目標に


 ここは街の一角にある、フォンセ食堂。
 昼時は騎士達でにぎわいを見せ、夜は仕事帰りの労働者達でごった返す、いつも大忙しのこの食堂は、安いしボリューム満点。そしてアットホームで居心地のいいお店だと評判だ。
 気のいいおかみさんと、そのおかみさんの尻に敷かれている優しいおじさんが切り盛りしているのだが、そこに最近、一人従業員が増えた。
 それが、この私。名前は恵都ケイト、二十歳。
 テーブルの後片付けをしていると、隣で食事をしている騎士達の会話が自然と耳に入ってくる。

「なぁ、聞いた? 最近、総指揮官殿が直々じきじきに指導しているらしいぜ」
「あの人は、言葉で教えるより実践派だからな。そして何より妥協を許さない性格だから、相手が倒れるまでやるぜ。指導の場では、本当に鬼だよな」
「しかし最近、総指揮官殿、いつにも増して威圧感ただようっていうか……」
「わっかる。なんか機嫌悪そうで近寄りがたい雰囲気だよな……」

 すみません、騎士さん達。
 その総指揮官殿というお人が、最近機嫌がよろしくないのは、もしかしたらアレ。
 そう――
 私が彼のもとを飛び出したせいかもしれない。


 こうなった理由は、話せば長い。
 元々地球にある日本という国で生まれ育ち、ちょうど短大を卒業した私は、この春から社会人になるはずだった。
 それなのに、ある日道を歩いていたら、いきなり足下にできた黒いブラックホールに引きずり込まれ――たどり着いた先は、なんと異世界でした。
 突然、映画で見るような西洋風の大きなお屋敷の広い庭にポツンといて、右も左もわからず途方とほうにくれたっけ。
 そんな動揺している私の前に現れたのは、一人の見目みめうるわしい男の人だった。
 涙を流している私のことを、探るような目つきで警戒しながらも、いつの間にか無表情で立っていたのだ。
 その男性というのが、先程の騎士たちの会話に出てきた、騎士団の総指揮官殿。
 総指揮官と聞くと、どんなマッチョでヒゲボーンのおじさんかと想像してしまう人が多いだろう。しかし実際はたくましい体つきで、あわい茶色の髪に、切れ長の薄い青の瞳を持つ美青年だった。ちょっと――いや、かなり無表情なのが気になるけれど、慣れてしまえばなんてことはない。ちなみに、年齢は二十三歳だ。
 その若さで総指揮官? と最初は驚いたが、実力では右に出る者はいないらしく、頭も相当きれるらしい。
 だが、部下である騎士達から聞く総指揮官殿と同一人物とは思えないくらい、私には優しかった。レディファーストなお国柄のせいか、女性には優しいのだろう。異世界ニートの私を保護してくれ、面倒を見てくれたのだから。
 混乱して泣いている私を見て何を言うのでもなく、ただ側で泣き止むのを待っていてくれた。世話をしているからといって、特に何かを強要するでもなく、自由にさせてくれる。
 衣食住全てが、まさに至れり尽くせりのお姫様扱い。
 そうして、数カ月の間お世話になっていたんだけど、やがて私は自分の生き方に疑問を持ち始めてきたのだ。いつまでも甘えていてはいけないのでは? と。
 だいぶこの世界にも慣れてきたし、元々順応力がある方だと思うので、何とかやっていけるだろう。
 小さい頃から親の仕事の都合で引っ越しを繰り返していて、もはや何回転校したのか自分でも覚えていないけど、どこへ行ってもつつがなく生活できていたし。
 最初は異世界でもやっていけるのかなと思ったけど、言葉も通じるし、食べ物も美味おいしい。生活していく上での不便さは、さほど感じなかった。
 ようは慣れよ、慣れ! 
 元の世界でも、ちょうど社会人になって自立するところだったのだ。
 ちなみに私の両親は割と放任主義で、私の短大卒業と同時に海外でボランティア活動をやるとかなんとか言って、旅立って行った。だからしばらく家に帰らなくても大丈夫だろう。
 そう色々考えたある日、総指揮官殿に勇気を出して宣言してみた。

「そろそろ自立を考えています」

 ――だけど、口の端を少し上げた彼に『却下』と瞬殺された。
 私が『この人、過保護すぎる』と気が付いた瞬間だった。
 もう大人なのに、屋敷から一人で出るのは危険と言われ、お出かけできるのは総指揮官殿の休みの日のみ。街に買い物に行ったら、どの店に行くのも一緒。私はそんな子供ではないはずだ。
 毎日綺麗な服を着て、三度のご飯だけが楽しみな生活に、これじゃあいけないと思った。
 朝、総指揮官殿と朝食をとり、仕事に行くのを見送る。
 昼間は暇なので、本を読んだり、庭を散歩したり、昼寝したり、昼寝したり、昼寝したり……うん、ダメ人間だね! 
 総指揮官殿との夕食の席で、今日がどれだけ暇で時間を持て余したかを語る。情に訴える作戦ともいう。ただし訴えても、彼は口の端を軽く上げるだけ。
 そうして、こんな生活×一八〇日ぐらい過ごしている。
 異世界トリップした身で、本来なら路頭に迷うところ、総指揮官殿には衣食住の面倒を見てもらい、かなり感謝はしている。恩人といってもいい。
 だけど、いつまでもこのままお世話になりっぱなしという訳にもいかない。もっと外の世界を感じて、無芸大食な私なりに一人でも生活できるようにならなくてはいけないのだ。総指揮官殿の厚意に甘えていちゃいけないと、今さらながら気付いた。
 総指揮官殿は、騎士団の取りまとめをしているだけあって、常に冷静沈着。
 余計な事は一切言わないし、私の話も聞いているのか、いないのか……反応は薄い。その表情からは、感情があまり読み取れない。
 たまに口を開いたと思ったら何故か固い言葉を使うので、『私の事、警戒している?』と、最初は思った。でも、これは彼にとっては普通の言葉遣いらしい。
 そう思ったら、なんだか吹っ切れた。
 最初の頃は、『話しすぎるとうるさいかしら?』と気にして必要以上に話さなかったけれど、もう自分の思うままに突き進む事にしたのだ。
 だって、会話のない食事は、毎日お通夜みたいな暗さなんだもの。
 それに、私が黙っていようが、ずっとしゃべっていようが、総指揮官殿の表情に変化はほぼなし。
 ただ、今のところ総指揮官殿は耳を傾けてくれているように見える。その証拠に、たまに口の端を上げて微々びびたる反応を示している気がする。
 いや、反応が薄いから、たとえ嫌がっているのだとしても、私は気付かないと思うけどね。
 私は、とうに会話のキャッチボールというものをあきらめているから大丈夫。反応が薄くても気にしない。むしろ大きい独り言と認識して欲しい。だって、しゃべらないとストレスがたまるもの。
『女の人は話す事でストレスを発散させる』と、昔友達が言っていたけど、それは当たっていると思う。
 しかし、そんな総指揮官殿だから、つい心配してしまう。総指揮官殿は迷惑でもはっきり言えないんじゃないのか……って。本心はどう思っているのだろう。

『異世界から来て、泣いていたから面倒を見てやったが、いつまでこの屋敷にいるのだろう』
『毎日毎日、飽きもせずにベラベラとやかましい』
『屋敷にいるなら、生活費入れろ』

 とか、いろいろ思っていても、口に出せないだけとか……
 それに総指揮官殿だって、二十三歳というお年頃。外見だって、文句のつけようがない端麗な容姿なので、女にもてない訳がない。
 あえて言うなら、いつも冷静すぎて何を考えているのかよくわからないところがタマにきずかな。
 きっと、私みたいな凡人には想像もつかないような頭のいいコトを考えているんだろうけど。
 屋敷に招きたい女性もいるかもしれないのに、こんな正体不明の女が居座っていたら、上手くいくものもいかないんじゃないのか? もしかして、私ってば、恩人の恋路を邪魔してる? 
 そんなことを考え出したのもあって、総指揮官殿が公務で三日間留守にした隙に一大決心をした。
 置き手紙に感謝の気持ちと、落ち着いたら連絡するむねしるし、『脱・異世界ニート』を目標に、外の世界に飛び出したのだ。
 以前、総指揮官殿が街を案内してくれた際に見つけた、一軒の食堂。そこで住み込みの店員を募集する張り紙を見つけて、ずっと機会を狙っていたのだ。
 ありがたいことに、ここの食堂のおじさんとおかみさんは喜んで私を雇ってくれた。
 気のいい人達で、素人しろうと同然の私に一から優しく教えてくれた。二週間経った今では『接客業は笑顔を絶やさず』をモットーに、仕事にはげむ日々を送っている。ちなみに食堂の二階のひと部屋を借りて、そこに寝泊まりしている。
 しかしここの食堂は、騎士達のいこいの場所だったらしく、お昼時には騎士の方達が大勢集まって来る。最初はすぐに見つかっちゃうかもしれないと思ったけれど、今のところは大丈夫。『灯台もと暗し』とはこのことだわ。

「最近、妙に殺気だっているし、稽古けいこをつけてもらっている連中も、体がもたないよな……」

 騎士の一人が深いため息をついている。
 しかし、総指揮官殿、話に聞く限りお元気そうでなによりだ。その反面、部下の人達は何だか憂鬱ゆううつそうですが。何はともあれ、私は陰ながら総指揮官殿の健闘を祈ろうと思う。
 そんなこんなで、昼時の忙しい時間はめまぐるしく過ぎていく。
 あぁ、労働って、自立って素晴らしい! いつか、堂々と総指揮官殿に会いに行ける日も、そう遠くはないはずだ。私は充実感を味わいながら、忙しく動き回った。


 ふーふふふふーん♪
 昼の忙しさも一段落つき、そろそろまかないの時間かしら? と期待に胸を弾ませて鼻歌を歌っていた。
 食堂の扉が開いて来客を告げるベルが鳴ったので、私は条件反射で声を出す。

「いらっしゃ…………いっ!?」

 食堂に入ってきたお客の顔を見て、思わず声が裏返ってしまった。ついでに顔も引きつってしまう。
 言っておきますが、こんな事初めてだから。いつもはちゃんと笑顔で挨拶あいさつできているからっ! 
 言われたお客も私の裏返った声を聞いて、固まっている。
 ……いや、違う。私の顔を見て固まっていると言った方が正しいだろう。
 やがて我に返ったお客は、靴音を立てながら足早に近寄って来た。

「やっと見つけた! こんな所で何を!!」

 いきなり私の両肩を掴んだ相手は、総指揮官殿の側近であるレスターだった。

「何って、見ればわかると思いますが? 仕事中です! いらっしゃいませ!」

 年齢の割に童顔なレスターは驚きをあらわにして言った。

「総指揮官殿が必死であなたを探しておられるというのに!」
「……は?」

 総指揮官殿が私を探している? それは、何故? あの手紙を読んでいないの?

「とにかく無事で良かった! 部下達がここの食堂に最近、『可愛らしい黒髪の店員が入った』と噂していたので、もしやと思い、足を向けてみて正解でした!」

 レスターは、興奮して顔を赤らめたまま、一方的にまくしたてる。

「とにかく一度、総指揮官殿のもとにお戻り下さい! このままでは、騎士団に支障……いえ総指揮官殿のお体に支障が出てしまいます!」

 レスターの様子とは逆に、私は冷静に尋ねる。

「ちょっと質問」
「はい?」
「私がここにいる事は、まだ総指揮官殿には、ばれていない?」
「もちろんです! 知っていたら、ご自分ですぐさま駆けつけるでしょう」

 そうか、了解しました。興奮しているレスターに向かって、私は呑気のんきに答える。

「あのー、私が総指揮官殿のところに戻る理由はないと思うのですが……」

 この答えを聞いてレスターの目が点になった。

「何をおっしゃいますか!」
「だって……」

 こっちの世界に来て、一時的に保護してくれるだけならわかるけど、もう半年だよ? 
 これ以上私の世話をすることで、総指揮官殿に変な噂でもたったらどうするの? それこそ将来に何か支障が出るかもしれないじゃない。
 ――それに、彼の側にいる理由がない。
 恩人である彼の邪魔にはなりたくないと思ったのだ。
 勝手に抜け出したのは悪いと思うけど、そうでもしなきゃ出してくれなかったんだもの。
 だけど、落ち着いたら挨拶あいさつに行って、ちゃんと自立した私の姿を見せて安心してもらうつもりだったのだ。やはり顔を見てお礼を言わなければいけないとも思っていたし。ただ、今はまだその時ではない。

「まず一度お戻りを!!」
「ダメです」
「そこを何とか!」
「嫌です」

 渋る私と、レスターとの間で押し問答が繰り広げられる。
 食堂のおかみさんとおじさんが、心配そうな顔をしてそのやり取りを見ていた。


   * * *


「そうか……彼女が……」
「はい! はいぃぃ!! 本当に、本当に! 昨日までここに居たのです!」

 側近であるレスターは、涙目になりながら必死に弁解している。
 今日の早朝のこと。レスターからの一報を聞いた自分は高鳴る胸を抑え、すぐさま街の一角にある食堂に駆けつけた。彼女の姿を探すが見当たらず、食堂を営んでいる夫婦に尋ねると、すでに彼女は昨日付けで店を辞めたとのこと。
 自分でも驚くぐらいに落胆する。期待した分だけ余計に……だ。
 人知れずため息を漏らし、眉間にしわが深く刻まれる。
 しかし、ここで働いていたのか――
 この食堂は、騎士達の噂で聞いた事がある。値段の割に量もあり、味もなかなかのものだ、と。
 しかし、こんなに近場にいたのなら、もっと早くに見つけられたかもしれないのに。そう思うと、悔やんでも悔やみきれない。
 古いけれど、掃除の行き届いた清潔な店内を見回す。木で出来た店内は素朴な造り。窓のカーテン、テーブルに並べられたランチョンマットなどは、全て手作りであろう。家庭の温かみを感じられる食堂だ。
 ここで彼女は、何人もの客にあの屈託のない笑顔を振りまいていたのだろうか。
 しばらく店内を隅々まで眺めていたが、その間もレスターの弁解は続く。

「本当に昨日はこの食堂で働いていたのです!」
「……そうか」
「はいっ! 黒い髪を一つに束ねて、白いエプロンをして自分に『いらっしゃいませ』と言ったのです! 確かにここにいたのです!」
「…………」

 思わず目を細めると、先程まで興奮して赤かったレスターの顔色は、一瞬にして青くなった。まるで『しまった』とでもいうように。
 頭の中で、レスターから聞いた彼女の様子を想像する。
 白い肌に、長いまつげ、キラキラ輝く大きな黒い瞳。くるくる変わる表情に、笑うとえくぼの出来る右頬。
 気転が利き、少し早い口調で次から次へと言葉を紡ぎ出す、あの小さく赤い唇。
 そんな彼女が、いくら客とはいえ、他の男と話をしていたかと思うと、心中穏やかではいられない。何事にも動じない――よく人からそう評されているが、それはいつわりだったと自覚する。
 何故、彼女が自分のもとから急にいなくなったのか、彼女が去ってからは自問自答の日々だ。
 彼女ととる毎朝の朝食は、明るい一日の始まりを意味していた。
 朝は苦手なのか、まだ半分眠りから覚めていないような顔をして、いつもテーブルにつく。
 そして自分が仕事で屋敷から出る際は、必ず見送ってくれた。見送られるたびにこう思ったものだ。
 ――今日も業務を終えたら早く帰ってこよう、と。
 夕食では、一日の行動を面白おかしく報告してくれる。

『暇だったので、昼寝をしすぎて夜は眠れそうにありません』
『暇だったので、庭の木に登ってみたら降りられなくなって、そこで数時間過ごしました』
『暇だったので、図書館で借りた本を読んでいたら、いつの間にか寝てしまいました』

 笑顔で自分に話してくれる彼女を、いつしかいとしく思い始めていた。
 その声も、話すしぐさも可愛らしくて、毎日くるくる変わる表情を飽きることなく眺める。一日の疲れも忘れるほどだ。その間、頬がゆるみ、口の端は上がりっぱなしで、始終しまりのない顔をしていたという自覚がある。
 本来、自分は総指揮官という立場から、あまり感情を表に出さない。
 感情をさらけ出していては、部下達が動揺する。必要とされるのは冷静な判断、的確な指示、指導者たる統率力。時には『冷静沈着な鬼の総指揮官』と揶揄やゆされるほどだ。
 もしや、そんな立場にあるにもかかわらずだらしない自分に呆れ果てて、屋敷を出たのだろうか。
 彼女に、気の利いた言葉の一つでもかけてやれば良かったのだろうが、自分は彼女が話している姿を見つめるのが好きだったのだ。
 周りにいる貴族の娘達は大人しく、極端に口数が少ない。口下手な自分とでは、会話に花が咲くことはなかった。それだから、なおさら彼女のおしゃべりが新鮮に感じられたのだろう。
 三日間――
 公務で遠方におもむいていたあの三日間を、どれだけ長く感じていたか、誰も理解できまい。
 はやる気持ちを抑え、帰宅したところ、残されていたのは一通の手紙。
 そうして、自分に残されたのは喪失感と自問自答の日々だった。
 自分のなにが悪かったのか。失礼な態度をとったのだろうか。無神経な行動で彼女を傷つけたのだろうか。毎日同じことを考えているが、未だに答えは出ない。

「……帰るぞ、レスター」
「はっ! はい」
「帰ったら今日の稽古けいこは俺がつけよう」
「はっ……! はい!」

 彼女がいないこの場所に長居は無用だ、ときびすを返すと、レスターも同様に後に続く。
 このみっともないほど気落ちした顔を引き締めるために今出来るのは、稽古だけだ。剣を一心不乱に振れば、この心のざわめきもまぎれるだろう。――そう信じたい。
 結果、剣を握っている間は心を無にすることができ、彼女の事を考えずにすんだ。しかし、剣を握る手を休めると、再び心の中を支配するのは彼女だ。
 レスターは、激しい稽古で意識を飛ばしてしまい、仰向あおむけになって床に転がっている。その姿を見て、自分も稽古で意識を飛ばせば少しは楽になるのだろうかと、本気で考えた。


   * * *


 あの日、食堂にやって来たレスターと私の会話を聞いていた食堂のおかみさんは、何か勘違いをしたらしく、彼をしつこい私のファンと認識した。

「いや、おかみさん。それ……ちょ……違――」

 慌てて訂正しようとする私を、おかみさんは大きな声でさえぎった。

「いいんだよ! あんたは、あの男から逃げて来たんだろ? まったく、しつこい男は最悪だね! あんたは顔も性格も可愛いから、男どもに狙われやすいんだろうけど、女の子なんだから気をつけないと!」

 そう言って、おかみさんは取り付く島もないほど怒ってくれた。

「じゃあ、あの男があきらめるまで、うちの食堂じゃなくて、隣街にある姉の食堂に手伝いにおいき!」

 事情を一から説明しようと思ったが、勘違いしたおかみさんの勢いは止まらない。まさに口を挟む隙がないとはこのことだ。

「さぁさぁ、善は急げだよ! 今日中に、荷物を持って姉のとこに移動しな。私が一緒に行って話をつけてやるから!」

 いや、だから違うって! まいったなぁ……
 事情を説明しようにも、熱く心配してくれるおかみさんを見ていると、なんだか言い出しにくい。おかみさんは困った顔した私を見て、にっこり微笑んだ。

「またあのしつこい男が来たら、あんたは辞めたって言ってやるよ!」

 ……まぁ、いいか。
 レスターには悪いけど、せっかくなのでおかみさんの厚意を受ける事にしよう。流れに身を任せると心に決め、荷物をバッグにつめて、隣街へ出発だ。
 ごめん、レスター。ストーカー認定されちゃったわ。
 しかしあの時、レスターは『総指揮官殿が探している』って言っていた。それがちょっと気にかかる。もしかして手紙一枚だけで済ませた私に怒っているとか……? やっぱり、お別れの挨拶あいさつは本人に直接するべきだったかな。
 と、私は総指揮官殿と一緒にいた日々を思い返してみた。
 彼は自分の事などベラベラとしゃべらないし、余計なおしゃべりもしない。もちろん、会話のキャッチボールなどない。こっちが一方的にボールを投げつけているような感じだった。
 最初の方はいろいろ質問していたが、返ってくる返事はいつも必要最低限。きっと総指揮官殿も私のアホさ加減に呆れていたに違いない。
 そう、総指揮官殿の反応は薄いのだ。そりゃもう、減塩スープみたいに。あるかないかくらいのリアクションばかりだったので、きっと総指揮官殿は右から左へと流していたと思う。
 けど、そんな総指揮官殿について一つ気になっている事がある。
 それは、彼はとても眠りが浅いらしく、あまり寝付きもよくない人だという事だ。毎日、深夜遅くまで部屋の明かりがついていて、朝は日の出と共に起きるのだとメイドさんたちに聞いた。
 いつも睡眠不足だなんて、健康に悪いだろうに……
 そう思って冗談交じりで、

「子守歌でも歌いましょうか?」

 なんて言ったら、何故か真っ直ぐに見つめられて手を握られた。
 何故、ここで手……? 
 疑問に思いつつも、私はしばらくおしゃべりをやめなかった。そうしたら総指揮官殿が珍しく眠そうになって、切れ長の瞳が少し閉じたのだ。
 そこで、おや? と思った私がそのまま休むように勧めたら、総指揮官殿はソファに移動して横になった。
 私は睡眠の邪魔をしちゃ悪いと思い手を離そうとしたが、どんなに力を入れても総指揮官殿の手は離れない。
 ……しばらくここに居ろ、ってことかしら。
 勝手にそう解釈した私は、総指揮官殿に手を握られたまま、じっとしている事にした。
 やがて総指揮官殿は、安心したような無防備な顔で眠りについた。その寝顔を見ていると、日頃は無表情な顔も、無邪気な子供みたいに思えてきて可愛い。
 それから、毎晩夕食後、ソファで手を握られるのが日課になった。
 私はその間おしゃべりを続ける。
 最初はうるさいと眠れないだろうと気を使って口を閉じていたのだが、総指揮官殿はじっと私を見つめて無言の圧力をかけてきた。『あぁ、しゃべれってことね』と勝手に解釈して、私はまたおしゃべりを再開することになったのだ。
 しかし、おしゃべりをしているほうが眠れるなんて、つくづく総指揮官殿はわからない。
 ……今でもちゃんと眠れているのだろうか? ふと気になった。 


   * * *


 彼女が屋敷を出てから一カ月。
 時間がある時には街に行き、それとなく探して歩き、時には人に尋ねてみたり。
 けれども総指揮官という立場上、業務をおろそかには出来ない。そんな自分の立場をはがゆく感じながらも毎日を過ごしていた。
 久々の休日だった今日も街を歩いてみたが、何の手がかりも得られずに夕方になって屋敷に帰る。
 そして自室に籠もり、一人考える。何度思い返してみても、彼女は今ここにはいない。
 冷静で無表情と言われ慣れた自分は、接しにくい人間だと思われることが多い。会話もよく途絶えるのだが、彼女はそれでも笑いながら話しかけてくる。自分の目を見て話す人物、ましてや女性などはまれで、最初は驚いたものだ。

『総指揮官殿』

 彼女に呼ばれると、緩む頬を抑え、冷静さを保とうと必死になる自分がいる。
 あの日、彼女から子守歌の申し出があった時、驚きで心臓が跳ねた。
 赤く小さい唇から紡がれる声を聞いていたら、不意にいとしさが込み上げてきて、勇気を振り絞った自分は、その白く小さな手をそっと握った。
 男の手とは違う、柔らかな肌に細い指。力加減が微妙にわからなくて、どのくらい力を入れていいのか困惑してしまうくらいだ。
 彼女が驚いた顔をしたので、振り払われるのを覚悟したが、黙って手を握らせていてくれた。
 同時に彼女が自分に向けた笑顔を見て、心臓が音を立てた。
 自分の心臓の音が聞こえるなど、こんな経験は初めてだった。
 彼女の手に触れ、その声を聞きながら眠りに入る時間にいやされる。子守歌のように耳に入ってくる彼女の優しい声と、小さいけれど手に感じる温かなぬくもり。この手を一生守り、離したくはないと感じたのに――


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