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第18話 シサラの過去1

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 曰く。十年ほど前の冬のことだ。当時九歳だった『フィルリート』が高熱を出し、当時のザエノス侯爵たちは慌てて街医者を呼び寄せたという。
 その街医者は、急いで馬車でザエノス侯爵邸へやってきて『フィルリート』を治療した。おかげで『フィルリート』は大事にならずに助かった。だけど、なんと街医者が乗っていた馬車はその道中で幼い子どもを轢き殺してしまっていたのだという。
 そしてその幼い子どもというのが、――シサラさんの双子の弟。

「シサラ様の弟君を轢いてしまったのは御者ですし、その御者はきちんと自首をして罪を償いました。街医者も、もちろん先代ザエノス侯爵たちも、すぐさまシサラ様の母君に謝罪をしに行き、見舞金を渡したというお話です。ですがシサラ様の中では、まだ当時の怒りや憎しみが消えていないのでしょう。そしてその矛先はおそらく……」
「フィルリートに向いている、と。なるほど。そうなると、セトレイ殿下に近付いて篭絡したのも、フィルリートへの復讐だったということか」

 俺は目を丸くするしかない。え、嘘だろ。純粋にセトレイ殿下のことが好きだったわけじゃないのかよ。それじゃあ、幸薄美人じゃなくて、美しき復讐鬼じゃん!
 ミリマさんは、俺をちらりと見ておずおずと言う。

「もしかしたら、その……フィルリート様が嫌がらせをするよう、わざと煽って仕向けていた可能性もあると思います。以前までのフィルリート様は少々短気な面がございましたから」
「あ、いや、どんな理由があろうと、嫌がらせはやった方が悪いと思うので。その件は、ええと私が悪かったんです」

 嫌がらせをしたのは前人格の俺であって、断じて俺じゃないけど、それはさておき。
 うーん……なんか、思っていた以上に重い話だな。双子の弟の死、か。兄弟のいない俺は想像するしかないけど、純粋な悲しみはもちろん、自分の片割れを亡くしたような消失感と虚無感に襲われて、相当つらかったんじゃないのかな。
 俺が悪かったとは思わない。でもかといって、俺は関係ないとは言えないのが話の複雑なところ。だって間接的にとはいえ、俺がきっかけになって起こった事故なわけだから。
 俺はよほど難しい顔をしていたんだろう。ユージスもミリマさんも、気遣わしげな顔で口々に言葉をかけてきた。

「フィルリート。あなたのせいではないんだ。あまり考え過ぎなくともいい」
「ええ、そうですよ。シサラ様は……言いにくいですが、怒りの矛先を向ける相手をお間違えになっています。フィルリート様の咎ではありません」

 それは俺もそう思うよ。さすがに弟さんの死は俺のせいなんだっていう発想にはならない。そこまでお人好しじゃないんで。
 でも、な。シサラさんはずっと弟さんの死に囚われて、俺への復讐に燃えるのかな。そんな生き方、亡くなった弟さんやお母さんが望んでいるとは思えない。
 ……って、俺が伝えたところで、シサラさんの胸には何も響かないんだろう。だいたい、俺はそこまでシサラさんの人生にとやかく言うような立場じゃないし。
 それでも、今の俺にできることってなんだろうな。俺がやるべきこと、か。




 悩み考えた末――それから数日後、俺は花束を持って墓地にやってきていた。
 小高い丘の上にある、紫色のヒースが咲き乱れる庭園墓地だ。その一角にある、とあるお墓の前に膝をついて、俺は花束を供えた。
 お墓には、『スズラ』と名前が刻まれている。このお墓は――シサラさんの双子の弟さんのお墓なんだ。十年越しのお墓参りにやってきたというわけ。
 ちなみにユージスも一緒だ。両手を合わせている俺の後ろで、黙とうを捧げている。
 お墓参り。それが今の俺にできる唯一のことだと、俺は判断した。謝罪するでもなく、ただただスズラさんの死を悲しみ、冥福を祈る。
 まだ、たった九歳でこの世を去った同い年の男の子。どんな子だったんだろう。もし、生きていたら、友人になっていたルートもあったのかな。
 しばらくそこでお墓参りをしていると――そこへ。

「な、んで……お前が、ここにいるんだ……?」

 聞き覚えのある声に、俺たちは声の主を振り向いた。すると、そこにいたのは、花束を携えたシサラさんだった。
 声が震えているのは、きっと怒りからだろう。どの面を下げてここにきたんだ、とでも思っているに違いない。

「お前なんかが弟の墓に近付くな! お前に弟の墓参りをする資格なんてない!」

 これまでの猫被りの姿からは考えられないほどの激昂だ。俺を睥睨する瞳は憎悪に燃え、それは今にも爆発してしまいそうだ。
 一方の俺は、静かにその目を見つめた。

「資格はありますよ。私はザエノス侯爵夫人。ザエノス侯爵領の民の死を悲しむ権利がある」
「ふざけるな。何が悲しむだ。思ってもいないくせに。だいたい、今さら弟に謝罪したところで弟は戻ってこない!」

 それはその通りなんだけど、でも勘違いするなよ。俺は。

「私は謝罪をしにきたのではありません。――私はスズラさんの死を悼みにきただけです」

 そう、十年越しに。やっと。
 シサラさんは、訝しげな顔をしていた。

「は? 死を悼みにきた……?」
「そうです。不運な事故で亡くなったスズラさんのご冥福をお祈りしにきたんです。運よく生き長らえた私にできることといったら、スズラさんのことを記憶に刻み、忘れずにいることだけですから」

 死者が蘇ることはない。それでも、生者の記憶の中で生き続けることはできる。誰からも忘れられたその時こそ、本当の死なんじゃないかと思う。
 だから、俺にできるのは、ザエノス侯爵夫人として、ザエノス侯爵領の民であったスズラさんのことをこの命ある限り覚えておくことだけ。それしかできない。

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