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《第9章》 オデュッセウスの帰還
新しい関係
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翌日以降、平日でも彼は自宅にいて瞳子のケアをしてくれた。訊くと、
「抜糸するまで在宅勤務にした。打ち合わせがある日は、ちょいちょい抜けるけど。でないと君、普通に家事とかしそうで安心できない」
とのことだ。朝食後にコーヒーを飲みながら、なんてことのないように飛豪は言った。
「あと、俺に付きあってわざわざ朝七時に起きなくていいよ。夏休みなんだから寝てればいい」
「でも……」
八割がた閉じている重い目蓋をこすりながら、瞳子が朝食の小松菜とシイタケの粥を口に運びながら反駁する。
せっかく仲直りできかかっているタイミングなのだから、少しでも長く一緒にいたい乙女心くらい分かれよと、恨みがましくギギギと睨みつけると、飛豪はフハッと大きく笑って手を伸ばしてきて、わしゃわしゃと好き勝手に髪をかき混ぜた。もうすっかり、二人とも通常運転だった。
――悔しい。朝だと頭も口もまわらないから、されるがままになっちゃう。結局、いつもの日常に戻っただけなのかな。
何の変哲もない毎日が再び訪れたように思える。
彼は元通りに明るさを取りもどして、息抜きのように彼女を構ったりからかったりする。瞳子は瞳子で、飛豪に遠慮ぎみに話しかけたり、時々ぶーたれて突っかかる。
しかし、確かに変わったこともあった。
彼からこちらに向けられる空気がすごく親密で、とてつもなく甘い。そう、広尾の美芳屋敷に招待された時のような恋人オーラが常時出ている感じだ。
言動はさほど変わらないのに、目線や手つき、ちょっとした接触で、ぐっと濃密さが増した。
前は後輩扱いだったのが、「彼女」というか「大切な女性」に対するように大事に扱われていると感じてしまう。否、感じとれるように接されている。
例えば、入浴後に左腕と胸の消毒をしてテープを貼るとき。最初は自室で一人で作業をしていたのだが翌日には彼は気づいて、「黙ってないで、俺にやらせて」と言われた。
左腕の傷はともかく、胸の傷口は乳房からわずか数センチなので、見られてしまうのが恥ずかしい。
風呂上がりに「あの……傷口の手当て」とおそるおそる言いだすまでもなく、彼は消毒薬と塗り薬、ガーゼを揃えてソファで待ちかまえていた。
バスタオル一枚できまり悪げにしている瞳子に、彼は手際よく処置をしていく。胸のふくらみの途中にある抉れた傷にも、淡々とした表情を崩さない。かと思うと、ガーゼまで終わって彼女がTシャツを着る段になると、「その傷、できるなら俺がどっちも代わりたい」と、苦渋に顔をゆがめた。
「これで良かったんだよ」
達観したように応じると、彼はすぐさま「良くねーし」と否定した。
「俺、基本的に人生に後悔はないけれど、この傷だけはずっと悔やみつづけるんだろうな」
彼は、肩口から両腕をふわりとまわしてきた。飛豪が手を伸ばしてくるのは、あの夜以来初めてのことで、瞳子は反射的にぎくりとして体が固まってしまう。
――怖くない。これはわたしが好きなほうの飛豪さん。
言い聞かせても気持ちとは裏腹に、体は恐怖と痛みを記憶している。しかし、いつものように筋肉質で硬い腕で抱きすくめられることはなかった。
「抜糸するまで在宅勤務にした。打ち合わせがある日は、ちょいちょい抜けるけど。でないと君、普通に家事とかしそうで安心できない」
とのことだ。朝食後にコーヒーを飲みながら、なんてことのないように飛豪は言った。
「あと、俺に付きあってわざわざ朝七時に起きなくていいよ。夏休みなんだから寝てればいい」
「でも……」
八割がた閉じている重い目蓋をこすりながら、瞳子が朝食の小松菜とシイタケの粥を口に運びながら反駁する。
せっかく仲直りできかかっているタイミングなのだから、少しでも長く一緒にいたい乙女心くらい分かれよと、恨みがましくギギギと睨みつけると、飛豪はフハッと大きく笑って手を伸ばしてきて、わしゃわしゃと好き勝手に髪をかき混ぜた。もうすっかり、二人とも通常運転だった。
――悔しい。朝だと頭も口もまわらないから、されるがままになっちゃう。結局、いつもの日常に戻っただけなのかな。
何の変哲もない毎日が再び訪れたように思える。
彼は元通りに明るさを取りもどして、息抜きのように彼女を構ったりからかったりする。瞳子は瞳子で、飛豪に遠慮ぎみに話しかけたり、時々ぶーたれて突っかかる。
しかし、確かに変わったこともあった。
彼からこちらに向けられる空気がすごく親密で、とてつもなく甘い。そう、広尾の美芳屋敷に招待された時のような恋人オーラが常時出ている感じだ。
言動はさほど変わらないのに、目線や手つき、ちょっとした接触で、ぐっと濃密さが増した。
前は後輩扱いだったのが、「彼女」というか「大切な女性」に対するように大事に扱われていると感じてしまう。否、感じとれるように接されている。
例えば、入浴後に左腕と胸の消毒をしてテープを貼るとき。最初は自室で一人で作業をしていたのだが翌日には彼は気づいて、「黙ってないで、俺にやらせて」と言われた。
左腕の傷はともかく、胸の傷口は乳房からわずか数センチなので、見られてしまうのが恥ずかしい。
風呂上がりに「あの……傷口の手当て」とおそるおそる言いだすまでもなく、彼は消毒薬と塗り薬、ガーゼを揃えてソファで待ちかまえていた。
バスタオル一枚できまり悪げにしている瞳子に、彼は手際よく処置をしていく。胸のふくらみの途中にある抉れた傷にも、淡々とした表情を崩さない。かと思うと、ガーゼまで終わって彼女がTシャツを着る段になると、「その傷、できるなら俺がどっちも代わりたい」と、苦渋に顔をゆがめた。
「これで良かったんだよ」
達観したように応じると、彼はすぐさま「良くねーし」と否定した。
「俺、基本的に人生に後悔はないけれど、この傷だけはずっと悔やみつづけるんだろうな」
彼は、肩口から両腕をふわりとまわしてきた。飛豪が手を伸ばしてくるのは、あの夜以来初めてのことで、瞳子は反射的にぎくりとして体が固まってしまう。
――怖くない。これはわたしが好きなほうの飛豪さん。
言い聞かせても気持ちとは裏腹に、体は恐怖と痛みを記憶している。しかし、いつものように筋肉質で硬い腕で抱きすくめられることはなかった。
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