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番外編① 狂想之序曲(*R18 梨華主役)
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夕飯を食べた梨華は、自分の部屋に向かった。食事を優先したのでまだ髪を乾かしていない。頭の上でタオルを巻付けたままオムライスに舌鼓を打つ梨華の顔を、和樹が面白がって見ていたが、食事が終わるや、片付けはやるから早く髪を乾かせと言われたのだ。
せっかく楽ができるのなら拒否する理由もない。ありがとうと笑顔で応じると、ドライヤーと共に部屋に引っ込んだ。
3LDKの3つの部屋のうち、一つは梨華の部屋、一つは和樹の部屋、そしてもう一つはほとんどクローゼット代わりだ。梨華の服や鞄、靴などが雑多に収納されている。
自分で買ったものもあるが、多くが男からもらったものだ。貢ぎ物に近い。ただし、彼氏からもらったものは、別れるときにお別れすると決めている。だから残っているのは一度も彼氏に昇格したことのない男友達か、娘のように可愛がってくれるおじ様たちからのプレゼントだ。
梨華は十分ほどドライヤーをかけ、ざっと乾いたのを確認してベッドに腹ばいになった。
手にスマホを持ち、ファッション関連の情報を梯していく。膝を曲げ、踵でときどき尻をとんとんと叩く。
(そういえば最近トレーニングしてないや)
踵が尻に触れる度、なんとなく脂肪の動きを感じた。体重が増えたとは感じていないが、筋力が落ちてきた可能性はある。胸のボリュームアップは限界があるので、上がったヒップとくびれは維持したいところだ。重力に逆らって垂れ下がった尻など恥ずかしい。
思ってベッドに座る形を取ったとき、部屋をノックする音がした。はいと答えると和樹が顔をのぞかせる。
「ドライヤー貸して。部屋に持って入ったでしょ」
「あ、ごめん」
梨華は言って、ベッド脇のスツールに置いたドライヤーを手渡した。和樹は受け取って、手近なところにコンセントを繋ぐ。
「自分の部屋で乾かしてよ」
「えっ、なに? なんか言った?」
ブォォと鳴るドライヤーの音で聞こえないのか聞こえないふりをしているのか、梨華の文句に和樹が声を張る。梨華はちょっと唇を尖らせてから、気を取り直して先ほどの姿勢を取った。腹ばいになってスマホをいじる。そんな梨華を見て、和樹が笑った。しばらくして、不意に和樹が梨華の髪に触れる。
目をやると和樹の笑顔があった。
「乾いてないじゃん」
「乾いてるよ」
「生乾きだよ」
「カラカラに乾かしたら、1時間かかっちゃう」
「風呂に1時間つかっても、ドライヤー1時間は嫌なのか」
和樹が笑った。そりゃそうでしょ、と梨華は唇を尖らせる。ドライヤーの風向きが変わった。和樹が梨華の髪を掬い上げる。
指先が触れた首筋に、ぞわりと甘い痺れが走った。
「じゃ、俺が乾かしてあげるよ」
ドライヤーの音に紛れた静かな声は、それでもはっきりと梨華の耳に届いた。
拒否しようと、手を上げかけ、穏やかな兄の目に気づいてうろたえる。
いつも梨華を見守ってきた保護者の目。優しい目。
そういう感情を思わせる視線を、昨日今日と過ごして初めて向けられたと気づく。
(私が可愛くないんじゃない)
梨華は抵抗するなを諦め、スマホに向き直った。
(お兄ちゃんが、お兄ちゃんらしくないから、私も妹らしくなれないだけだ)
一人納得して、兄に長い髪を任せた。
* * *
ドライヤーの音が、部屋に響く。
繊細な音はすべて、その音に飲まれてしまって届かない。
梨華は兄の優しい手に髪を任せ、心地よさに眠気すら感じていた。
(はやく乾かし終わらないかなぁ)
うとうとしている梨華の様子に、和樹は気づいているらしい。
梨華の髪を梳く手は、一段と優しさを増した。
そっと、耳の横を撫でる。
(猫になった気分)
梨華は思わず目を閉じた。
何かが、耳後ろに触れる。
温かく柔らかい、何か。
それが兄の唇だと気づき、はっと目を見開く。
梨華は勢いよく顔を向け、和樹を見上げた。
穏やかな和樹の顔がある。
穏やかな、その目には、妹に向けるとは思えない情が滲んで見えた。
梨華は驚きに目を開き、息をのむ。
鼓膜にはただ、兄の持つドライヤーの音だけが響いている。
まるで思考回路を遮断するように、無機質で、機械的な。
温風が撫でた梨華の頬に、続いて和樹の指が触れた。
穏やかな目が、だんだんと近づいていく。
縛られたように、梨華は動けない。
ドライヤーを持つ和樹の手が、スツールへ向かって降りていく。
それがスツールの上に置かれる直前、ドライヤーの音が止まった。
騒音が急に止み、部屋は一瞬、無音になった。
せっかく楽ができるのなら拒否する理由もない。ありがとうと笑顔で応じると、ドライヤーと共に部屋に引っ込んだ。
3LDKの3つの部屋のうち、一つは梨華の部屋、一つは和樹の部屋、そしてもう一つはほとんどクローゼット代わりだ。梨華の服や鞄、靴などが雑多に収納されている。
自分で買ったものもあるが、多くが男からもらったものだ。貢ぎ物に近い。ただし、彼氏からもらったものは、別れるときにお別れすると決めている。だから残っているのは一度も彼氏に昇格したことのない男友達か、娘のように可愛がってくれるおじ様たちからのプレゼントだ。
梨華は十分ほどドライヤーをかけ、ざっと乾いたのを確認してベッドに腹ばいになった。
手にスマホを持ち、ファッション関連の情報を梯していく。膝を曲げ、踵でときどき尻をとんとんと叩く。
(そういえば最近トレーニングしてないや)
踵が尻に触れる度、なんとなく脂肪の動きを感じた。体重が増えたとは感じていないが、筋力が落ちてきた可能性はある。胸のボリュームアップは限界があるので、上がったヒップとくびれは維持したいところだ。重力に逆らって垂れ下がった尻など恥ずかしい。
思ってベッドに座る形を取ったとき、部屋をノックする音がした。はいと答えると和樹が顔をのぞかせる。
「ドライヤー貸して。部屋に持って入ったでしょ」
「あ、ごめん」
梨華は言って、ベッド脇のスツールに置いたドライヤーを手渡した。和樹は受け取って、手近なところにコンセントを繋ぐ。
「自分の部屋で乾かしてよ」
「えっ、なに? なんか言った?」
ブォォと鳴るドライヤーの音で聞こえないのか聞こえないふりをしているのか、梨華の文句に和樹が声を張る。梨華はちょっと唇を尖らせてから、気を取り直して先ほどの姿勢を取った。腹ばいになってスマホをいじる。そんな梨華を見て、和樹が笑った。しばらくして、不意に和樹が梨華の髪に触れる。
目をやると和樹の笑顔があった。
「乾いてないじゃん」
「乾いてるよ」
「生乾きだよ」
「カラカラに乾かしたら、1時間かかっちゃう」
「風呂に1時間つかっても、ドライヤー1時間は嫌なのか」
和樹が笑った。そりゃそうでしょ、と梨華は唇を尖らせる。ドライヤーの風向きが変わった。和樹が梨華の髪を掬い上げる。
指先が触れた首筋に、ぞわりと甘い痺れが走った。
「じゃ、俺が乾かしてあげるよ」
ドライヤーの音に紛れた静かな声は、それでもはっきりと梨華の耳に届いた。
拒否しようと、手を上げかけ、穏やかな兄の目に気づいてうろたえる。
いつも梨華を見守ってきた保護者の目。優しい目。
そういう感情を思わせる視線を、昨日今日と過ごして初めて向けられたと気づく。
(私が可愛くないんじゃない)
梨華は抵抗するなを諦め、スマホに向き直った。
(お兄ちゃんが、お兄ちゃんらしくないから、私も妹らしくなれないだけだ)
一人納得して、兄に長い髪を任せた。
* * *
ドライヤーの音が、部屋に響く。
繊細な音はすべて、その音に飲まれてしまって届かない。
梨華は兄の優しい手に髪を任せ、心地よさに眠気すら感じていた。
(はやく乾かし終わらないかなぁ)
うとうとしている梨華の様子に、和樹は気づいているらしい。
梨華の髪を梳く手は、一段と優しさを増した。
そっと、耳の横を撫でる。
(猫になった気分)
梨華は思わず目を閉じた。
何かが、耳後ろに触れる。
温かく柔らかい、何か。
それが兄の唇だと気づき、はっと目を見開く。
梨華は勢いよく顔を向け、和樹を見上げた。
穏やかな和樹の顔がある。
穏やかな、その目には、妹に向けるとは思えない情が滲んで見えた。
梨華は驚きに目を開き、息をのむ。
鼓膜にはただ、兄の持つドライヤーの音だけが響いている。
まるで思考回路を遮断するように、無機質で、機械的な。
温風が撫でた梨華の頬に、続いて和樹の指が触れた。
穏やかな目が、だんだんと近づいていく。
縛られたように、梨華は動けない。
ドライヤーを持つ和樹の手が、スツールへ向かって降りていく。
それがスツールの上に置かれる直前、ドライヤーの音が止まった。
騒音が急に止み、部屋は一瞬、無音になった。
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