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(1)目が覚めたらそこには悔いを残して別れた女性(ひと)がいた

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目を覚ますと、すぐ側にはサヤカが寝ていた。
微笑むような表情で目を閉じ安らかな寝息を立てる彼女を目にして、サトシは混乱した。

慌てて飛び起きて周囲を見回しても、いつもと変わりない彼と妻の寝室だ。
妻はどこへ行ったのだろう・・・どうして妻とサヤカが入れ替わったりなどしたのだろう・・・。

そんな彼の狼狽をよそに寝室はカーテン越しの朝の光で明るくなりつつあり、それでもサヤカは穏やかに眠ったままだった。
サトシは思わず、彼女の額にかかった柔らかい髪の毛をそっと梳くように掻き上げた。

・・・

サヤカには、悪いことをしたと思い続けてきた。
彼女と知り合ったのは大学の2年生になったばかりの春、きっかけはSNSでの繋がりだった。

大学でもサークルでもバイト先でも、彼の周りでは同年代の男たちは次から次へと彼女を作っていた。
周囲に取り残されそうな焦り、そして「ヤリたい」という若い男性としては健全な本能に急かされるようにSNSの海をがむしゃらに泳いで回った。

しかしそんな彼のガツガツした思いが見透かされたのか、なかなか「理想の」女の子とは知り合えなかった。
焦れば焦るほどあらゆる行動が空回りして裏目に出て、「出会い」はますます遠のいていくのを感じざるを得なかった。

そんなさなかに知り合ったのが、5歳年上の社会人だったサヤカだった。
同じ漫画のファンで、共通の話題で盛り上がった。

程なくして、実際に会おうということになった。
けれどもその段階では、サトシはリアル世界でつながることに気が乗らなかったのは確かだ。

5歳も年上だというのが、その理由だった。
できれば、彼の妹のような年下の子というのが彼の「理想の彼女」像だったから。

しかし実際に会ってみたら、思わず視線を彼女に向けたまま固まってしまった。
肩までかかる長い髪に、少しぽっちゃりとした豊満な体の彼女・・・大人の女性の魅力にカウンターパンチを入れられたようにアタマがクラクラし、それまでの彼の「理想の彼女」というものがいかに子供じみたくだらないものかを思い知らされたような気分だった。

それに実際に付き合い始めたら、一緒にいると互いに落ち着けるような親近感を覚えるようになった。
そしてLINEのやり取りはピンポンのラリーをするように頻繁になり、リアルで一緒にいる時間も長くなっていったのだ。

初めは食事、映画、デートと教科書にでも載りそうなほどお決まりのコース。
やがて、彼女の運転するクルマで遠出するようにもなった。

けれどもゴールデンウィークも何事もなく過ぎ、そして夏も終わろうとしていた。
もちろんサトシは、いつかは彼女と「ヤろう」という最終目標を決めてはいた。

けれども、彼の方からその行為に彼女を誘うことはなかった。
いや、そのチャンスは幾度もあった。

しかし結局は、童貞ゆえの臆病さと極度の緊張とが、彼にとっては重い足かせになった。
もし「それ」が彼女が望む関係でなければ・・・? そんな思いも彼を思い悩ませた。

(もしサヤカが「それ」を望むなら、彼女の方から誘ってきてもいいのではないか? だって、年上だし・・・)

・・・

梅雨のさなかの夜、サトシはサヤカから映画に誘われた。
フランスの、ラブロマンス映画。

物語の流れとは言え、男女の際どいシーンが目の前のスクリーンに現れた時は、彼は焦って胸がドギマギした。
そんな彼の心を知ってか知らずか、サヤカは隣からそっと手を差し伸べてきた。

みっともなくブルブル震える手はびっしょりと汗をかいていたが、彼はその手で彼女の手を握り返した。
その手は温かく、そして柔らかかった。

映画の帰りに、少しばかりのアルコールを伴う食事をした。
カウンター席の目の前で揚げてくれる串カツ屋だったが、サトシはまだドキドキが続いていて味もわからなかったし、彼女との会話もどんなものだったか後から思い出せなかった。

最終バスで彼女の家の最寄りのバス停で降りて、そして彼女が住むというワンルームマンションまで彼は送っていった。
まばらな街灯以外に明かりのない暗い街路を歩きながら、ほろよい加減で陽気な彼女はしきりとボディタッチをしてきた。

ひょっとすれば、サトシが誘うなりおねだりするなり何らかのアクションを取れば、一夜をともにすることもできたかもしれない・・・後から思えば、彼女は明らかに誘っていたのだから。
それなのに、できなかった。

「ええ? 帰っちゃうの~? もうバス、ないのに」

そう引き留めようとする彼女に、「雨も上がったし、歩いて帰るよ」と言い残して彼は去っていった。
童貞らしくそんな自分に心のどこかで酔いながら、しかし心の別のどこかでは(もっと引き留めてくれ、そうすれば僕は引き返すのに・・・)と強く念じながら。

しかしサヤカはそれ以上は引き留めず、雨上がりの蒸し暑い街路を彼は1時間以上歩いて帰った。
その後、他にも似たようなチャンスはいくらもあったが、サトシはそれらをただ見送った。

・・・

そうしていくつものチャンスを見送り、そして9月の連休を迎えた。
ふたりは、サヤカの誘いで泊まりの旅行に出た。

彼と泊りがけで旅行に行こうと持ちかけた時点で、彼女の意志は明らかだったのかもしれない。
彼も、コンドームをバッグの隅に忍ばせた。

高速は使わず、下道を延々と、道の駅に寄ったりしながらの道中。
秋空の下には黄金色の稲穂の海、そしてその縁を彩るような赤い彼岸花。

そしてふたりは、予約していた海沿いの温泉ホテルに投宿。
秋の黄金色の夕陽にきらめく穏やかな海を望む和室の部屋で、内湯があった。

「お風呂、どうする? お部屋のお風呂にする?」

後から思えば、あれはそれまでよりも遥かに強く彼を誘っていたのだろう。
それなのに彼は意に反し、「大浴場がいい。海が見えるらしいし」と答えてしまった。

おそらく彼女は、そこで落胆しただろう。
彼自身も、コンドームまで準備しながら一体なにをしているんだろうと自分を呪った。

風呂上がりの浴衣姿で大広間でのショーを見ながらの夕食を終えて部屋に戻ると、布団がふたつ、ピッタリと寄せて敷かれていた。
サヤカは、浴衣の胸元を整えながらぶっきらぼうに言った。

「お布団、離そうか」

ひょっとしたら、それが彼女の「最後のチャレンジ」だったのかもしれない。
それなのにサトシは、やはりサヤカを求めようとせず、それに従った。

後になってからその時のサヤカの失望を思うと、サトシはいたたまれなくなる。
童貞というものの生態と心理を知らない大人の女性と、大人の恋愛を知らない童貞との行き違いと言ってしまえばそれまでだけれど。

とにかくふたりは、布団を離して寝た。
サトシは、なかなか寝付けなかった・・・サヤカも不自然なくらい寝息を潜めていたから、同じく寝付けなかったのかもしれない。

真っ暗な部屋の片隅にある小型冷蔵庫の唸りが、耳に障った。
天候が急変したのか、外を吹く風の音、風が窓の側を吹き抜ける音がますますサトシを眠りから遠ざけた。

・・・

結局ふたりは、ドライブから帰ってその車中で別れた。
サヤカの「もう、こんなおままごとみたいな事、やめようか」の一言で。

それからふたりは互いに連絡を絶ち、同じ街の中ですれ違いさえしない他人同士として過ごした。
やがてサトシは大学を卒業し、都会の会社に就職した。

やりがいのある仕事、新しい出会い・・・彼の意識からはサヤカの面影は少しずつ消えていった。
時として悔恨が痛みとともに湧いてきて、胸が痛くなる瞬間があったとしても。

そして彼は結婚し、新婚生活を始めたばかりだったはずだ。
それなのになぜ、妻とのふたりの寝室にサヤカが・・・?

混乱を抱え彼女の髪を撫でながら、彼は彼女との短かったけれども明るく楽しかった日々を思い出した。
思い出を追いながら、しかし鋭く生じる胸の痛みをどうすることもできなかった。

思わず彼は、サヤカの顔を正面に向け、くちびるを合わせた。
あの一夜の無礼を詫びるように。

彼女は、うっすらと目を開けた。
「会いたかった・・・」そうつぶやきながら、改めて微笑した。

布団の中の彼女が着ているのは、あの夜のようなホテルの浴衣。
サトシはもう一度、今度は強くくちびるを吸いながら、浴衣の合わせ目から彼女の素肌へと手を進めていった。

(あれから何年たったんだろう・・・その間に僕は、童貞でなくなったけれど)

あの夜とは全く異なる自信を持って、サヤカの下着までくぐって直に乳房へと手を進めるサトシ。
彼女は拒まず、逆に体ぜんたいを彼に寄せて絡んでくる。

手のひらで乳房を弄り指先で乳首を転がすと、サヤカは熱く甘い息を吐きながら彼のくちびるをさらに求めてきた。
それと同時に、はだけた浴衣から露わになったふたりの脚も密着し、絡み合う。

サトシはもう片方の手を、サヤカの下腹部へと伸ばした。
下着の下に手を這わすと、そこには密生した恥毛。

さらに指を進めるが、恥毛の先には男のサトシであれば付いているはずのものがない・・・たったそれだけのことなのに、なんだか新鮮な感覚が湧いてくる。
もっと指を潜入させると、そこには熱い粘液で濡れた柔らかい地帯があった。

童貞に戻ったように無垢な気持ちで、ぎこちなく指を動かす。
時には熱い坩堝のような彼女の入り口に、指を挿し入れたりもした。

「あっ・・・あん・・・ああ、いい気持ち・・・」

密な口づけを交わしながら、乳房への愛撫も忘れずに、サトシは心を込めてそこを刺激し続けた。
ただただ、あの夜に彼がサヤカにしてしまった仕打ちの埋め合わせをするような思いで・・・。

いつの間にか帯がほどけ、ふたりは全裸となって絡み合っていた。
はぁはぁと息をしながら、サヤカはサトシの耳元に囁いた。

「ねぇ・・・そろそろ、ちょうだい・・・サトくんのを私に・・・」

ついに彼女は彼を赦してくれたんだと、胸に迫る思いがあった。
妻の顔が頭を過ぎったが、しかしこの問題を清算しなければ妻とのこれから長い生活も成り立たなくなるような・・・実際、彼の心に刺さった棘のようになっていたサヤカとの思い出だったから、それをスッキリと消し去って、新しい毎日を送るべきだと思った。

サトシは起き上がって、コンドームを装着した。
サヤカは黙って、横目でそれを見ていた・・・。

・・・そのふたりの世界を破るように、勢いよくドアが開いた。
ハッとしてそこへ目を向けたサトシは、全身の血の気が引くのを実感した。

そこには、結婚したばかりの妻が仁王立ちになっていた。
しかし妻は般若の面を被り、表情は読み取れなかった。

表情を読み取れなくても、これは察しろと言うべきものだろう。
それだけのことをしている最中に、踏み込まれてしまったのだ。

もうお終いだ・・・震える彼に向かって、妻が鉄パイプを振り上げながら迫ってきた。
なぜか、サヤカは目を閉じて寝たふりをしていた。

・・・

激しい動悸と脂汗のような寝汗で目を覚ますと、真っ暗な部屋の中だった。
初めはどこなのだろうかと分からず、戸惑った。

旅館らしい部屋の隅で、古びた小型冷蔵庫が唸りをあげていた。
窓の外からは、雨風あめかぜが窓を叩きつけ、揺らす音が断続的に聞こえてきた。

暗闇の中で、人の気配を感じた。
隣の布団で眠っているのか息を潜めているのか、そこにいるのはサヤカらしかった。

(夢・・・夢だったのか・・・?)

童貞のままサヤカに誘われた一泊旅行、本心では望まず彼女を遠ざけてしまったあの夜。
ちがう! 「あの夜」ではなく「この夜」だ!

サヤカと別れた後の日々のこと自体が夢で、実際に目覚めてしまえばそれは「妻」と結婚したことも含めて夢だった。
現実の世界は、彼女と布団を離して床に就いたところで止まってしまっている・・・。

サトシは深呼吸し、意を決するように静かに横たわるサヤカに声をかけてみた。
「そっち、行ってもいい?」と。

「うん・・・」彼女は眠れていなかったらしく、すぐに返事をしてきた。
自分の布団を抜けてサヤカの布団に移ると、大人の女性の匂いと温もりが彼を迎えてくれた。

サトシはサヤカに抱きつき、彼女もそんな彼を包み込むように受け入れた。 (了)
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