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第四章 見つかった死体

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 その日、天使は出勤するや否や、上司から神様事務局への出張を頼まれた。

 現世企画統括課調査統計企画室げんせきかくとうかつかちょうさとうけいきかくしつ

 やたらと長い名前のその部署は、今回のサンプル調査のとりまとめをしている、神様事務局の部署である。天使がそこに向かっている理由は、彼のいる天使事務局日本区画担当の業務報告書と、集計した調査データの提出にあった。
 神様事務局は定期的に、全区画の調査データを確認し、神議会議員が参加する神議会で提示している。調査は終わっていないが、進捗と効果、影響度合は、頻繁に示す必要があるそうだ。

 神様事務局に到着した天使は、一階のエントランス横にあるフリースペースのベンチに腰を下ろした。定刻まで、まだ時間があった。そこから、数メートル先のエントランスに目を向ける。
 天使事務局の数倍の広さ。人間界、大企業のオフィスビル入口を彷彿させるその場所は、一面が真新しく、傷一つ無いように見えた。天使事務局の建物は年季が入っており、今ではカフェラテのような薄茶色だ。かといって建て直しも予定されていない。ぼんやりと照るその壁を、天使は羨ましく睨め付ける。
 この建物のように綺麗だったら、今よりも前向きに仕事ができそうなのに。働く上でのモチベーションの維持や向上に、職場環境が一端を担っているとは、よく言ったものである。
「こんにちは」
 不意に声をかけられた。振り向くと、そこには全身純白、金髪で高齢の天使が立っていた。
 今日、会う予定だった相手。翼は四枚、自分よりも二枚多い。神様事務局の天使は上級天使と呼ばれる。天使事務局の天界人は天使と称されるが、神は天界において唯一の存在とされているため、天使の上部組織であるが故の「上級」。ランク付けされているような呼び名なだけあって、天使は自然と背筋を伸ばした。
「こんにちは」天使も挨拶を返す。
「お早いんですね」
「ええ。道が混んでいなかったので」天使は適当なことを口にして、ベンチから立ち上がる。
「そうですか。それは何よりです」
「ああ、定刻に伺いますので」
「今ここでも構いませんよ」
「え?」
「調査データのご提出でしたよね。はい」
 上級天使は、白の手袋をした手を天使に向かって差し出す。天使は一瞬放心したが、てきぱきと鞄から調査データの入った媒体を取り出した。上級天使はうやうやしくそれを受け取ると、にっこりと笑みを作った。
「ご用件は、これだけでしたっけ」
「あと、業務記録はこっちの媒体に」
「それは要らないです。だって、調査データをしっかりと収集されているのですから。きちんと業務もなさっているのでしょう」
「…規律に定まっておりますので」
「規律はそうでしょうけど。実際のところ、いただいても使わない…いや、保管だけの対応になりますので。それに媒体を二ついただくと、紛失の危険性もありますし」
「そう、ですか」
 要らない。使わない。天使は自分の毎日の仕事を否定されたように思えて、歯を食いしばる。
「我々は天使さん達の仕事のやり方を信じておりますので」
 自分も天使だろうに…規律を守らないことをさも当然のように述べる相手に、天使は何も言い返せなかった。
 それだけ、上級天使と自分との間には差があるのだ。
「では、今日はこれで」
「またよろしくお願いします」
 天使は上級天使に、機械的に頭を下げる。それから、これまたロボットのように180度回転し、彼に背を向けて事務局の外へと歩みを進めた。少々失礼な態度だが、それくらいはやってもいいだろう。
「あ、ちょっと」
 エントランスと外の間の敷居をまたごうとした時、天使は上級天使から呼び止められた。
「望みプロジェクトですが」
 今おこなっているサンプル調査のことを、神様事務局の連中もまた、望みプロジェクトという。その点は天使事務局と変わらないのだと、しげしげおもった。
「あなたも、人間界に降りられていますか」
「はい。上司も含め、統計課総動員でやってます。なにぶん突然の業務、手が回らないので」
「そうですか」
 天使の皮肉を受け流し、上級天使はふむうと何やら考え込んでいる。彼は何を聞きたいのだろう。不審に思っていると、いやですねと上級天使は手を後ろに組んだ。
「東海岸の担当区画のことなんですけど」
「東海岸…ああ、アメリカですか」
「あそこ、サンプルの数も多いんですがね。担当天使が、違反をしたみたいで」
「違反、ですか」
「サンプルの望みが災いして、結果想定されていない人間が大勢、死に至りました」
 心臓の鼓動の音が、少しだけ早くなった気がした。上級天使は何も言わずに、天使を見据える。
「あなた方…天使さん達が望みを叶える上でのルール。それは、知っていますよね」
 ルールは様々存在する。しかしここで彼が意図するものは、恐らくひとつだけだった。
「他人の人生に、"直接的に"大きな影響を与えるような望みを叶えてはならない、でしょうか」
 大きな望みの程度に、型は無かった。その望みが相当するのか、叶えるかどうかについては、神様事務局の協議事項である。天使事務局の分掌事務ではない。
 天使が訥々と述べると、上級天使はにこりと微笑んだ。
「おわかりなようで安心しましたが、くれぐれもお気をつけて。日本区画の方々は皆、優秀な方々であることを、信じておりますよ」
 話はそれきりだった。上級天使は、そのまま事務局の中へと去っていった。
 天使は一人、エントランスで取り残される。立ちすくむ天使に、通りがかる者達は怪訝な表情を向けていくが、天使は気にできる程の心の余裕が無かった。

 今の言い方は…まるで。
 未だ鳴り止まぬ心臓。片手を胸のあたりに置いた。
 気のせいの可能性は高い。高いの、だが。
 まるで、自分に向けて言っているような。
 天使はそう、思えてならなかった。
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