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第五章 「成り代わり」の終わり

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「『成り代わり』って、まさか」
「ああ。使
 永塚に成り代わることができれば、エネミーを持ってそのまま警察に行くだけだ。それだけで榎本が言っていたように、絵美も、詩音も。彼らの被害に遭わずに済むのである。

 …できない。
 ちゃんと相手の顔を思い浮かべたか?
 もちろん。

 しかしあの日。雄吾が初めて『成り代わり』をしようとした、あの瞬間。彼は、永塚に成り代わることはできなかった。当然だった。
「だから。その時は、何気なく直樹に成り代わった」
「なんで直樹君に?」
「それは」雄吾は俯く。彼女の顔を見ることができなかった。「君と、その。恋人気分を味わいたくて」
「理由が突然幼稚になったわ」
 詩音は呆れ顔をする。恥ずかしさに、顔が熱くなる。
「君のことが、好きだった」
「…そんなことで?」
「そんなことって言い方はないだろ。そもそも…」
 天使に望みを叶えてもらったその日の日中、直樹から聞かされた、詩音との交際。あれは、永塚達の計画の阻止、それすら吹っ飛ぶ程の衝撃だったのだから。
 だから、永塚に成り代われなかった際に、直樹の顔を思い浮かべたのだ。詩音と、たとえ本当の恋人ではなくても、その時だけは、そうなれるかもしれない。幼稚と言われれば、確かにそうだった。

 詩音はじぃっと雄吾を見ていたが、彼が話し終えたところで、「ごめん」と申し訳なさそうに眉をハの字にした。
「私が直樹君に言ったの。私達、付き合ってるってことにしようって。それを、雄吾君に言っておこうって」
 雄吾は変な声が出そうになった。「どういうこと?」
「本当は付き合ってないの、私達。フリよ、フリ」
 フリ。雄吾は瞼を何回か開閉した後、続けて尋ねる。「どうして、そんな嘘を?」
「数日の間は、死体の処理やら何やらで、二人でいることが多くなりそうだったし。雄吾君に怪しまれて、尾行でもされて、もしもそれがバレでもしたらって。そう思ったの」
 恋人同士であれば、四六時中一緒にいても不思議ではない。そう、雄吾に思わせることが目的だったのだという。
「全部終わったら、やっぱり友達の関係が一番良かったとか、適当なことを言って、別れたってことにしよう。そう、話してた」
 しかし結果、その嘘は彼女達にとって裏目に出た。直樹の告白で、雄吾は嫉妬と後悔の念に苛まれた。その感情が無ければ、すぐに直樹に『成り代わり』をしようとは思わなかっただろう。そうなれば、詩音達の永塚殺害の事実もまた、知ることはなかったのかもしれない。

 …そうか。雄吾はそこで一度、息をつく。
 詩音と直樹は、付き合っていなかったのか。

 もし、それが事実であれば、ではあるが。無いと考えていた、自分が詩音と付き合う可能性。
 そんな未来がこの先、あるのかもしれない。

 いや。

 何を言っている。そんなことはない、と。雄吾は心内で即座に否定する。
 自分が彼女と結ばれることは、恐らく無い。
 だって…
「私、あなたのこと、好きよ」
 それは分かってる。普段から、分かっていた。
「でも、それは友達の好きであって、異性としての好きじゃないの」
「うん」雄吾は声に出して、深く肯いた。「そうだよな」
「…雄吾君には、悪いんだけど」
「大丈夫だよ」
 大丈夫。雄吾は呟くようにそう、こぼした。事実、その言葉は強がりからくるものではなかった。たった今、詩音から引導を渡されたばかりだというのに、不思議と、雄吾の心は穏やかだった。
 日々の付き合いで、そもそも分かっていたのかもしれない。彼女の自分への感情が、恋愛感情ではないことを。

 無理だよ。

 群馬への道中に、結衣に向けて言った、雄吾自身の言葉。詩音が人を殺しているから。なんて、その場ではその、とってつけた理由のとおりだと思った。しかし改めて思えば、彼女の自分に対する感情がどんなものかを、既に理解していたからが故に、自然と出た言葉だったのだろう。
 雄吾は天使に与えられた『成り代わり』の力を持って、詩音の犯行を知った。それにもかかわらず、彼女と同じ立場に立つことができなかった。むしろ、相反するかのように、彼女の犯行の裏を取ることばかり考えていた。

 詩音を想う自分の感情が、自分を縛り付けている。

 報われない恋であること。それを分かっていてもなお、己の心に残るは未練の二文字。直樹からの告白を受けても、モヤは消えない。その状態は、雄吾にとってかなりのストレスだった。
 詩音から解き放たれたい。
 そのためには、彼女との関係を心理的にだけではなく、物理的にも断ち切らなければならない。どう自分が想っても、彼女とは無理だと、自分を納得させたいがために、こうして彼女達の罪を言及しようとしたのである。
 しかしそう思っていても、分かっていても。
 先程彼女が言い放った言葉が、改めて頭に浮かぶ。

 あなたのこと、好きよ。
 そう、詩音は言っただろうか。
 それは俺が、彼女に一番言われたかった言葉だった。
 ああ、詩音、詩音。
 俺は本当に、君のことが好きだった。
 好きだったんだ。

「残念ね」
 ああ、本当に。声は出ずとも、じんわりと瞼の裏に滲む涙。手で拭うには格好がつかず、涙腺の蓋を一気にあけ、無理矢理無くそうとする。
「それで、警察はいつ来るの?」
 えっ、と驚く彼に詩音は肩をすくめた。「さっき雄吾君、言ってたじゃない」
「そっか、そうだったっけ」
「ええ」
 彼女は、儚げな微笑みを浮かべた。
 それを見て、何故か雄吾は罪悪感に苛まれた。
 ことの始まりは、永塚達の下劣な計画である。人とは思えない最低なものだった。雄吾も詩音達も、彼の考えを当然に否定した。つまり、思いは一緒だった。

 しかし、その後選んだやり方が、それぞれ違っていた。
 ただ、それだけのことだったのだ。

「雄吾君?」
 詩音の声で、雄吾は自身の頬が温かくなるのを感じた。涙だ。無意識のうちに、それは瞳から流れ出ていた。
「ごめん、詩音」
 口から出た言葉は、懺悔だった。
「ごめんって…」
「俺が、詩音達に話していれば。こんなことには、ならなかったかもしれない」
 詩音と直樹。彼らは親友だったというのに。永塚の思惑、彼がやろうとしていることを、どうして、自分は彼らに話さなかったのだろう。
 もしも話していれば、彼らが永塚を殺すことは無かったのかもしれない。雄吾のやり方とも違う、名案が浮かんだかもしれない。

 もしも話していれば、か。
 それだけが、悔やまれた。
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