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#4-2:皇帝国
(……あーあー、みんな寝ちゃって)
散々騒いだ兵士たちはみな潰れ、床に転がり、大いびきをかいていた。
俺はその兵士たちを跨ぎながら、店を出た。
(……俺も、なんか楽しかったな)
久しぶりの喧騒に、胸がまだ少し高鳴っていた。
眠るのが惜しくなり、俺は夜更けの街を少し歩いてみることにした。
ふらふらと歩いていると、塀の上に誰かが座っているのが見えた。
目を凝らしてみれば、先ほどの隊長だった。
梯子を見つけた俺は、塀の上に上り、声を掛けてみる。
「……よお、隊長さん。こんなとこで何してんだい?」
俺の声に、隊長はびくっと肩を揺らした。
そして俺の姿を見ると、ほっと胸を撫で下ろしたようだった。
「……ああ。さっきの詩人さんか」
隊長は、塀の上で一人、酒を飲んでいた。広い背中が、やけに寂しそうに見えた。
「……元気、ないのかい? 唄でも唄おうか」
隊長は向こうの景色を見ながら、ぽつりと言った。
「……そうだな。何か、静かな唄はあるかい?」
俺は隊長の横に腰を下ろした。
「……ああ、あるよ」
マルタおばさんや、近隣の女たちを思い出しながら、俺は静かに弦を鳴らした。
夜風に溶けるように、しっとりと唄い上げる。
最後の一節を弾き終えたあと、横に座る隊長を見た。
驚いたことに、隊長は静かに涙を流していた。
「……え」
思わず声が漏れた。
酒場で檄を飛ばしていた隊長と、今、隣で泣いている男が、うまく重ならなかった。
「……ど、どうしたんだい」
隊長は前を向いたまま言った。
「あんたの唄に、感動したんだ」
そう言って、酒瓶を持ち、ぐびっと煽る。
ごくりと喉を鳴らしたあと、隊長はまた言った。
「……もう少し、聞かせてくれないか」
俺は言われた通り、女教皇国の唄も続けて披露した。
唄い終わったあと、また隊長の横顔を見る。
涙は乾くことなく、まだ流れ続けていた。
隊長は、呂律の回らない口調で俺に言った。
「……あんた、戦場は見たことあるかい?」
「……いや、ない」
「そうか」
隊長は俯き、また酒を煽った。
しばしの沈黙のあと、ぽつりと口を開く。
「……山賊はな。強いんだ」
俺は咄嗟に隊長を見た。
「いや、あんた達も強いんだろ? だから勝ったんだろ?」
隊長は、短く乾いた笑いを零した。
「勝ったからこそ、山賊たちは俺たちに怒る。またすぐに暴れ出すさ」
酒瓶を握る隊長の指に、力がこもる。
「……どうせ、またすぐに戦になるさ」
俺は、何度も死闘を重ねてきたであろう山岳警備隊のことを思った。
何も言えないでいる俺に、隊長は続けた。
「俺の親父はな……この国の重鎮なんだ。小さい頃から、兵士になるために、ずっと鍛えられてきた」
隊長の背中が、少しずつ丸まっていく。そこにはもう、酒場で皆に囲まれていた隊長の姿はなかった。
「でも俺は、本当は兵士なんかじゃなくて、あんたみたいに旅人になりたかったんだ」
「……そうなのか」
「ああ。自由に歩いて、好きな場所で寝て、好きな唄を聞いて……そういう暮らしがしたかった」
隊長は鼻をすすった。
「なのに、俺は隊長だ。俺の部下たちを、生きて帰さなきゃならない」
その声が、少し震えた。
「生きて帰せた奴も多い。でも、殺された奴もいる。何人も、何人も」
隊長は酒瓶を握ったまま、肩を震わせる。
「親父は昔から立派だった。皆が親父みたいになれって言う。なのに俺は、昔から臆病者なんだ」
「隊長なんて、器じゃない」
「……でも、俺が臆病者だって悟られたら、部下たちが不安になる。戦況に響く」
俺は何も言えなかった。
隊長は、堰を切ったように弱音を吐き続ける。
「それに、戦場は風呂がない。俺は、綺麗好きなんだ」
「飯もまずい。寝床も硬い。女もいないし、音楽もない」
「夜になると、死んだ奴らの顔が浮かぶ」
「俺……、もうこんな毎日……ひっ……嫌だ……」
とうとう隊長は、声を上げて泣き始めてしまった。
先ほどまで兵士たちに囲まれ、煽てられていたこの男が、実はこんなに弱気な、ただの男だったとは。
気の毒だった。
けれど、あまりにも正直に泣くものだから、少しだけおかしくもあった。
俺は噴き出しそうになるのを、必死で堪えた。
隊長はしばらく泣いたあと、ふと何かを思いついたように俺の方を向いた。
「……そうだ!」
「な、なんだい」
「いいことを思いついたぞ。あんた、戦場に一緒に来てくれないか」
俺は唖然とした。
(……戦場? 俺が?)
慌てて首を横に振る。
「嫌だ! 絶対に嫌だ! 俺はまだ死にたくないんだ! 大陸全土を巡って、いい唄を作りたいんだ!」
先ほど、隊長も言っていたではないか。
山賊は強い、と。
部下は殺されている、と。
そんなところについて行くなんて、訓練もしていない俺にとっては、自殺行為でしかない。
隊長は俺の両腕を掴み、強く揺すった。
「お願いだ! あんたの唄は癒されるんだ! 給金は弾むから、どうか!」
「給金の前に命がなくなるだろ!」
「前線には出さない! 絶対に出さない!」
隊長は必死だった。
「テントにいてくれればいいんだ! あんたのことは兵士に守らせる! 夜だけ! 夜だけでいいから、俺に唄を唄ってくれ!」
必死の懇願とは、まさにこういうことを言うのだろう。
しかも隊長が提示した給金は、破格の金額だった。
俺は、あまりの必死さに気圧されてしまった。
「……本当に、前線には出さないんだな?」
「ああ! 出さない! 誓う!」
「俺が危ないと思ったら、すぐ逃げるぞ」
「いい! それでいい!」
「……分かった」
その言葉は、ほとんど口を突いて出た。
俺の了解を聞いた隊長は、ぱっと目を輝かせた。
「本当か! ああ、良かった! これで毎晩、悪夢に魘されないで済むぞ!」
隊長は、先ほどまで泣いていたのが嘘のように元気になり、立ち上がった。
「戦は、恐らく数日後だ。それまで宿屋で待機していてくれ!」
そう言うと、「じゃあな」と軽やかに塀から降りていく。
その背中は、酒場で見た逞しい隊長に戻っていた。
俺は、あまりにもころころ変わる隊長の後ろ姿を、しばらく呆然と眺めていた。
* * *
(……ああ、俺は一体何でこんなところに……)
山岳警備隊が、山に向かって綺麗に列を組んでいる。
俺はその最後尾で、それを眺めていた。
あの夜から三日後、山岳警備隊の兵士が、俺を宿屋まで呼びに来た。
逃げてしまうことも、出来ただろう。
けれど、あの晩の隊長の姿を思い出すと、どうにも出来なかったのだ。
最前列に置かれた台の上に、隊長が上った。
そして、兵士たちに向かって大声を張り上げる。
「いいか、よく聞け! 山賊どもは、この間の負けに激高している!」
「ここでもう一度叩き潰し、皇帝国の、いや、山岳警備隊の圧倒的な力を見せつけるのだ!」
その檄に、兵士たちは一斉に「おお!」と拳を高く上げた。
ちらりと見遣れば、どの目にも強い光が宿っている。
俺はあの晩の隊長の姿を思い出し、噴き出しそうになるのを堪えるのに必死だった。
その晩。
隊長はテントから人を下がらせ、俺と二人きりになった。
そして俺に静かな曲を強請り、涙を流しながら呟いた。
「……死にたくない」
俺は、隊長の肩を擦りながら言った。
「生きろよ。最後まで。あんたなら、大丈夫だ」
それから毎晩、俺は隊長のために唄った。
慰めて、励まして、時々少しだけ笑わせた。
* * *
そこから三日が経った。
俺は前線を見ていないから詳しくは分からないが、どうやら山賊どもはあらかた蹴散らされたらしい。
そして、部隊は山を下りることになった。
隊長の檄で、一度も折れることのなかった士気を携えたまま。
街道に到着したところで、俺は隊長に声を掛けた。
「……俺は、街には戻らない。このまま、法王国に行く」
隊長は兵士たちを先に行かせ、足を止めた。
「……そうか。寂しくなるな」
そう言って、重量のある革袋を俺に差し出す。
「ご苦労だった。給金だ」
俺は驚き、隊長を見た。
「……こんなにいいのかい?」
隊長はにやりと笑うと、俺に近づき、声を潜めた。
「……口止め料も込みだ」
「……俺の弱気な姿は、誰にも言うなよ」
俺は、つい噴き出してしまった。
「……ぶふっ……ああ、誰にも言わないさ」
「……約束だからな」
そう言って、隊長は踵を返し、隊に向かって歩いて行った。
俺はその後ろ姿に声を掛ける。
「また生きて会おう! 必ず!」
隊長は振り返らずに、右手を空高く突き上げた。
その背中は、やはり強い兵士そのものだった。
俺は革袋を鞄にしまい、法王国へ続く街道を歩き出す。
強い兵士だって、唄に救いを求めた。
勇ましい声の裏で、彼は震えていた。
唄は、勝利のためだけにあるわけではない。
恐怖に耐えるためにも、あるのだ。
俺は俺の唄で、一人でも多くの人を勇気づけたい。
そう思うと、足に少しだけ力が入った。
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