お別れのために、恋をしよう

椿雪花

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第一章 禁じられた森で

第十三話 司と祖母の関係

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 つかさは、以前と変わらない場所にいた。初めて出会った時に姿を隠していた大木の幹に背中を預けて座っている。ひょっとこを被った顔は伏せられていて、眠っているようにも見えた。

四十万しじまくん、こんにちは」

 眠っているなら起こすのも悪いな、と明日花は司に近付いて、小声で挨拶をした。すると、司は顔を上げる。

「こんにちは、明日花」
「ひょっとこは外さないの?」

 明日花が訊ねると、司はひょっとこのお面を外し、伸ばしている足の上に置いた。ぽんぽん、と司が自分の隣の地面を叩くので、明日花はその場所に腰を下ろした。

 距離が近くて、恥ずかしい。

 汗臭くはないだろうか、と明日花は不安に思った。窺うように司の横顔を盗み見ると、司は明日花に顔を向けて、にこりと笑った。

「僕のことは忘れてしまったのかと思ったよ」
「ええっ!? 忘れないよ!」

 突然の一言にぎょっとした。もしかしたら、わたしを待っているかもしれないとは思ったけど、まさか、そんな、不安にさせていたなんて!

「ごめんね、四十万くん。事情があって、なかなか来られなくて」
「いや、いいんだ。約束していたわけではなかったしね」

 司は微笑んだ後、自分の足に目線を落とした。

「ただ、少しだけ、期待をしてたみたいなんだ」

 司の声と横顔が寂しそうで、明日花は胸がきゅっと締まる感覚がした。
 わたしが来ることを待っていてくれて、嬉しい。でも、寂しい思いをさせたいわけではなかった。

「それより、司って呼んでくれないのかい?」

 申し訳ない気持ちに包まれていた時、予想外の問い掛けをされて、明日花は肩を飛び上がらせた。

「ごめん、何か、恥ずかしくて」

 狼狽えながら言い訳をすると、司は明日花を見ておかしそうに笑った。先ほど司の横顔に滲んでいた寂しさは、すっかり消えている。

「名前を呼ぶのも、君の〝初めて〟?」
「うぐっ。その言い方は、やめてほしいな……!」

 名前を呼ぶこと自体は、初めてではない。今でこそ、クラスメイトを苗字にさん付けして呼ぶほうが多くなっているけれど、小学生の頃は、平気で名前を呼んでいた。
 けれど、中学生になった今、男の子を名前で呼ぶには抵抗がある。女の子はまだしも、男の子と名前で呼び合うと、〝そういう仲〟だって疑われるから。

「ええと……司くん?」

 気恥ずかしくて、随分と小さな声になった。それでも、司の耳には届いたようで、司は嬉しそうにはにかんだ。

「ありがとう。名前を呼んでくれて嬉しいよ、明日花」

 ――可愛い。頭に浮かんだ一言と、高鳴っている自分の胸に、明日花は驚いた。

 同年代の男の子に「可愛い」と感じたことは、初めてかもしれない。胸の高鳴りだって、今まで感じたことはなかった。

 司と一緒にいると、初めての体験が多くある。会った回数も、時間も、他の人たちと比べてかなり少ないはずなのに。

「わたしも、名前を呼んでもらえて嬉しい」

 明日花は控えめに微笑んだ。今は、歯を見せて笑えなかった。何だか、とても気恥ずかしくて。

 そよそよと柔らかい風が頬を撫でて行く。穏やかで、優しい時間だった。木々の間から零れる太陽の光が、地面から伸びた草を照らしている。星のような煌めきが、地面に広がっていた。

「そういえば、何かあった? 急いでいたようだけど」

 司に訊ねられ、明日花は目をしばたたいた。

「どうしてわかるの?」
「ここに来た時、頬が赤くなっていて、汗も掻いていたから。森に来るまで、走ってきたのかと思ったんだ」

 明日花は素直に感心した。そこまで見てくれていたのか、と思うと同時に、やっぱり、汗の臭いが気になった。

「わたし、汗臭かった?」
「そんなことはないよ。どうしたんだろうと、心配にはなったけど」
「心配してくれたんだ」

 声に喜色が滲んだ。出会ったばかりなのに、司はとても優しい。みよの様子を見て、司はとんでもなく悪い子なのでは、と考えた瞬間もあったけれど、それはないと確信した。

「あのね、おばあちゃんとおじいちゃんに司くんの話をしたんだけど、おばあちゃんが司くんを知っているみたいだったの」
「君のおばあさんが?」

 司は不思議そうに首を傾げる。明日花は胸の前で手を揉みながら、みよの様子を思い返した。

「司くんの名前を教えたら、びっくりした感じで……顔色も悪くなって、わたし、すごく心配になったの。でも、司くんを知ってるのかって聞いても、おばあちゃんは答えてくれなくて。それで、司くんなら何か知ってるんじゃないかと思って」
「なるほど。それで、明日花は急いでいたんだね」

 司は納得したように頷いた。

「おばあさんの名前は?」
「みよだよ。田代みよ」

 明日花がみよの名前を告げると、司は小さく口を動かした。みよ、と何かを確かめるように呟いたように見えた。

「もしかして、おばあちゃんを知ってる?」
「きっとね。君のおばあさんは、僕の友達から」

 明日花は言葉に詰まった。まさか、友達だなんて。司とみよでは、年齢差が大き過ぎる。
 同い年の女の子相手でも、友達になるには難しいと感じるのに。
 明日花の戸惑いが伝わったのか、司は息を漏らして笑った。

「おばあちゃんに訊いてみたらいい。少なくとも、僕は友達だと思っているよ」
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