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プロローグ

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「おめでとう。シンデレラ」

 ソフィーは美しいドレスに身を包む妹を、バルコニーから遠目で眺めて、そっと呟いた。

 本当は直接伝えたいけれど、『意地悪な姉』にそんな権利はない。
 もっとも、優しい妹は姉に向けられる陰口を必死に阻止しようとしてくれている。
 本当はシンデレラをもっと見ていたいけれど、生来の目付きの悪さも相まって、睨んでいると勘違いされるのがお決まりだ。

(十九年も自分の目つきと付き合ってくれば嫌でも分かる)

 ソフィーは夜風に濡羽色の長い髪を靡かせ、翡翠色の瞳をそっと伏せた。
 
  誰もが一度は聞いたことがあるだろう。
 意地悪な継母と義姉に虐められていた少女が、魔法をかけられて王宮の舞踏会へ参加して王子と恋に落ちる。
 少女は魔法が解けそうになって慌てて逃げ出したけれど、落としてしまったガラスの靴を手がかりに見事王子は少女を見つけ出し、
 無事結ばれた運命のふたりは末永く幸せに暮らしました――。そんなおとぎ話。

 そんなおとぎ話の主人公が、私の妹『シンデレラ』
 私はその引き立て役の『意地悪な姉』

「さあ、ソフィー」
 
 さあっと吹いた風に乗って、魔法使いが現れた。

(本当に、神話の神様みたいなひと……)
 
 エルバートと名乗った彼は、突然現れたかと思えば消えてしまう。
 彼が武道会にいけるはずのなかったシンデレラに美しいドレスを与え、豪華な馬車を仕立ててくれた。
 そしてあの、綺麗な足にぴったりのガラスの靴まで。
 可愛い妹の、恩人であり恋のキューピット。

(そして今、彼はその対価を受け取りにやってきた……それは、たぶん)
  
 背後にある満月がエルバートの銀色の髪をキラキラと輝かせ、夜明けのような紫色の瞳がソフィーを見つめる。
 すべてが整った美しすぎる顔立ちも相まって余計に神秘さがある。
 ソフィーは令嬢らしく恭しい礼をした。
 
「魔法使い様……この度は本当に、感謝してもしきれません」
「ねえ、ソフィー。僕の名前を呼んで?」
「はい。エルバート・ヴォルフ様」
「わあっ。今日は素直に呼んでくれるんだ。嬉しいな」

 エルバートは上機嫌に目尻を下げて、心底嬉しそうに笑う。
 その表情は無邪気な子供のようにもみえて、つい警戒心を解きそうになってしまうから危ない。
 一瞬迷ったけれど、覚悟を決めて差し伸べられた手をとった。

(これで、私の可愛い妹が幸せになれるのならこれ以上の幸せはないわ)
 
 漆黒のマントを靡かせる夜の淵のような腕の中で、ソフィーはそっと目を閉じた。

 
 ◇

 玉座に腰を下ろした若き皇帝はソフィーを膝に乗せて、はあっと大きくため息をついた。
 緊張と恐怖でガッチガチに固まった身体は震えているし、そもそもものすごい力で抱きしめられているから動けない。
 
「なーんて、展開を期待してたのにね? まさか逃げようとするなんて思わなかったよ」
「変な妄想はやめてください。あんなことを言いながら現れた人攫いの腕の中で目を閉じるわけないじゃないですか」
「これで毎日ソフィーが抱けるんだねって事実を言っただけじゃん。それまで大人しかったのに急に全力で逃げ出すんだもん。びっくりだよ」
「事実じゃありませんからっ!」

 確かにソフィーは妹の結婚祝いの夜会中に城のバルコニーで夜風に当たっていた。
 それ以降は彼の妄想で、実際は突然現れて『夢で毎日予行練習したから安心して』『ソフィーの舌って想像より小さい。可愛い』などと卑猥な言葉を続け、ニコニコと笑顔を貼り付けてあれよあれよとソフィーを攫ったのだ。
 物語に登場する死神のように魂を抜かれると思っていたのに、まさか貞操の危機とは思ってもいなかったから反射的に逃げてしまった。

(彼の名前を呼んだときに、無邪気な笑顔だなぁ、とか、警戒心が薄れちゃったのは事実だけど……)
  
「私はてっきり……代償に命を奪われると……」
「ええー。なんで僕がソフィーにそんなことしなきゃいけないの」
 
 ありえない。とソフィーを抱きしめるエルバートはぷくっと頬をふくらませる。
 
「ソフィーは僕の妻になるひとだよ。この国の皇后になるんだから」
「……え?」

 聞いていない。初耳だ。
 そもそもエルバートが皇帝だということすら、ついさっき聞かされたというのに。
 彼は――エルバートはこの天空の国・グリュック帝国の皇帝。
 この瞬間まで、私もこの国の存在を知らなかった。地図にも当然乗っていない。

「む、無理です。何言っているんですか。大体私は婚約の予定が――」
「あのおっさん? シンデレラの姉だから仕方なく、なんて意味分からない理由でソフィーを手に入れようとしていた連中のなかから選ぶの?」

 紫色の瞳に見透かされるような視線を送られて、うっ、と言葉に詰まる。
 たしかに、シンデレラが王子と結婚が決まると同時に届いた大量の縁談は『あのシンデレラの姉』に対するものだった。
 シンデレラを陥れようと長年虐げて来たのにも関わらず、慈悲深いシンデレラに許された、罪深い姉。
 そんな姉を王家との繋がりを得ることを代償に娶ってあげよう、という善意による縁談だった。
 そのほとんどが、おじいさま、と呼んでもおかしくはない老人からばかりだったのだけれど。

「僕にしておきなよ。絶対にソフィーを幸せにするよ。ソフィーが欲しいもの、ぜーんぶあげる」

 欲しいものや幸せは、シンデレラの結婚を見届けること。それが当然だと思っていた。
 だって私はシンデレラの姉なのだから。
それ以上もそれ以外も幸せなどないのに。

「エルバート・ヴォルフ様……いえ、魔法使い様……陛下……!」
「ソフィーは陛下って呼ばないで。エルバートでいいよ」
「エルバート様! ド、ド、ドレスに手が……!!」

 にこにこと人懐こい笑顔と口調で当然のように足首を撫で、その手を膝まであげてきたのだ。
 ドレスの中で蠢くエルバートの手をソフィーはパアンッ!と弾く。

「あっ、ごめん……つい」

 見たこともないくらい綺麗な顔で微笑む。なんでここでその笑顔なの。
 パッと手を離してくれたのはいいけれど、最低で最悪。
 第一印象が良かっただけに、気持ちはどんどん冷え切ってもう氷点下だ。
 
「私……あなたの妻になんて絶対なりません……!」

 対価が命でないのなら早く家に返してください。
 突然連れてこられた天空の帝国。
 おとぎ話だと思っていた魔法使いの存在。
 そして皇帝からの求婚。
 ソフィーはもう頭が混乱しすぎて爆発しそうだった。

 ただ、シンデレラの姉として静かに暮らしていこうと思っただけだったのに。
 なぜあのとき返事をしてしまったのか、ソフィーは後悔しはじめていた。
 
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