13 / 33
第一章 チュートリアル
平川のノート『歴史』⑤
しおりを挟む昨日、お預けを食らってしまったヌエニ人海軍とムヤ人海軍の戦いについて説明する。
ヌエニ人側の最高指揮官の名は『バウ=ゼース』、後に『バセルト部族』の長のなるので、歴史家達は一般的に『バセルト・バウ=ゼース』と呼ぶ。
対するムヤ人の最高指揮官の名は『カーシャス・ドゥムド』、こちらは歴史的に見たらいまひとつパッとしない。特筆すべきことと言えば、五大部族の生まれということだけだろう。
だが、彼の副官が凄かった。後に『南のフーチェ、北のヌエニ人』と呼ばれる『フーチェ・ダルプース』その人である。
この時のフーチェはダルプース部族の長になっていない為、このページで彼女を記す時はフーチェと呼ぶ。
なお、ここで言う最高指揮官は、あくまでもこの海戦にとっての最高指揮官である。全部族の最高指揮官ではない。
この戦いはヌエニ人の敗北でひとまず終わった。
ヌエニ人の海軍が弱かったのではない。
これは負け惜しみを言いたい訳ではないし、自分はヌエニ人でもないからそれをする意味もあまりない。
彼らの敗因は穏やかな海に慣れていないことだった。彼らが知っているのは北の海、ここでは現代の名称の『ヌエニ海』と呼ぶ。名称からして何故そのように命名されたのか一目瞭然である。
では、ムヤ人が知っている海、ナキア大陸とラベゴ大陸に挟まれている『内海』を彼らは知っているのだろうか。答えは否である。
『ヌエニ海』はムヤ人が想像できない程に荒れていて、『内海』はヌエニ人がここは本当に海かと疑う程に穏やかだった。
現代では、『内海』という呼び名が定着しているが、当時ではヌエニ人はそこを『大きな湖』と呼んだ程である。
ヌエニ人はそのあまりの波の穏やかさに驚き、風の弱さにも驚いた。彼らが得意とするのは、強風の流れを読み解き、その勢いを活用することである。
穏やか過ぎて、かえってやりづらかったのだろう。
一旦、周辺の海の情報を調査してから再度攻勢を仕掛けることを決めたバウ=ゼースはその日は『コカラ島』のの本営に戻った。
このことにフェス二人は驚き、ムヤ人はフェス二人はこんな奴らに負けたのかと嘲笑った。
フェス二人は、ムヤ人が海でヌエニ人に勝ったことで恐れをなし、『プゼーポ湾』から撤退した。
あまり話に出てこなかったデセム人についてだが、彼らは本当に何もしなかったのだ。元の支配域から少し東に拡大した程度で、それ以上の目立った動きはなかった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
10
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる