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第二章

第十七話 秘密裁判③ —露見—

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(呪術の完全な解除⁉ ど、どうなっているっ?)

 浩二郎こうじろうの脳内は、突然告げられた驚きの事実にパンクしそうになっていた。

(【光の女王】ですらあのプロテクトは破れないって瑞樹みずきは言っていたのに、これはどういうことなんだ⁉ もしあいつが本当に空也くうやの呪術を解除できるなら、はおしまいじゃないか!)

「お、おい――」

 これはどういうことなんだ。あのプロテクトは完璧じゃないのか。そもそも、光の女王と空也に繋がりはないんじゃなかったのか。

 それを口にしたらどうなるのか、などということは考えず、浩二郎は瑞樹に詰め寄ろうとした。
 しかし、ちょうど浩二郎の方へ向けられていた瑞樹の瞳を見た途端、まるで声の出し方を忘れたかのように、浩二郎の喉からは息しか漏れなかった。

「貴方、どうしたのです? 落ち着いて下さい」

 そう瑞樹に言われて、心がすっと静まっていくのを感じながら、浩二郎は椅子に腰を下ろした。

「貴方はやっていないのでしょう?」
「あ、ああ」
「だったら堂々としていれば良いのです。もちろん私たちもやっていませんから、私たちのことも信じてください。ね?」
「ああ、もちろんだ」

 そうだ、落ち着け。
 浩二郎と運命共同体である瑞樹がここまで落ち着き払ったままというのは、何か策があるからに違いない。
 ——瑞樹を信じていれば良いんだ。

 自分があまりにも愚かで安直な考えを抱いていることに、浩二郎は気づいていかなかった。

 いや——、

 気づけなかったという方が、彼の場合には相応しいだろう。



◇   ◇   ◇



(全く、この場面で私に詰め寄ろうとするなど馬鹿なのかしら。いえ、馬鹿なのは間違いないのだけど)

 瑞樹は内心で溜息を吐いた。

 そもそも、あの仮面を被った女が本当に光の女王かもわからないというのに慌てすぎだ。を講じておいて正解だったな、と瑞樹は過去の自分を褒めた。「不測の事態への予測と予防、そして不測の事態が起きてしまったときの冷静な対応をできるのが賢い人間である」というのは、子供たちに常に言い聞かせていた、瑞樹のモットーだった。

「どうかなさいましたか?」
「いえ、何でもありません」

 ミサの問いに、浩二郎は毅然きぜんとした態度で首を振った。瑞樹は思わず吹き出しそうになるのを堪えた。

「裁判長、瀬川せがわ君の呪術を解くために、魔法を使用してよいですか?」
「許可する」

 いよいよか、と瑞樹は緊張した面持ちを浮かべた。
 傍から見れば、不審な行動を繰り返す夫に対して不安を覚える健気な妻に見えるのだろう、と思いながら。

 事実として、その場にいた多くの者はそう捉えた。

「じゃあ瀬川君。脱いで」

 ミサの指示で、空也の白い肌が露わになる。

「力、抜いてて」
「うん」

 皆が注目する中、ミサの両手が空也の左胸に置かれる。

「始めます」

 ミサの手が光る。
 どうやら彼女は確かに光の女王で間違いなさそうだ、と瑞樹が認識するころには、空也の身体が電流が流れたように震え、ミサは呪術の解除を終えていた。

「解除、完了しました」

 その場にいた者たちの視線は、皆同じルートを辿たどった。
 まず目に入ったのは、周囲がぼんやりと光っている空也だ。その光は今にも空也の元へ戻ろうとする魔力で、彼がどれだけの魔力を今まで放出していたのかを示していた。

 しかし、皆がその幻想的ともいえる光景に目を奪われたのは一瞬だけだった。それは飽きたからではなく、

「うっ⁉」
「なっ、何⁉」

 健一けんいち歩美あゆみが、苦しそうに息切れを始めたからだ。

 そして、皆がそれに気づいて視線を戻すと――、
 真っ青な顔をして、浩二郎が椅子から転げ落ちた。

「あ、貴方⁉︎」

 瑞樹は真っ先にその元へ駆け寄った。
 しかし、そんな彼女に気づいた様子もなく、浩二郎は浅い呼吸を繰り返している。危険な状態であることは明白だ。

「【呪い返し】の反動……ここまで大きいものなんですね」
「そんな……!」

 ミサが浩二郎の上着のチャックを開ければ、その胸元には幾何学的な模様が浮かび上がっていた。【呪い返し】を受けた証だ。瑞樹は口元を覆い、絶望を顔に浮かべてみせた。
 玲良れいらの護衛の一人が浩二郎の元へ駆け寄ってきて、即座に治癒魔法をかけ始める。

「女王、子供たちと彼の苦しみ方が違うのはどうして?」
「彼らは瀬川君から供給されていた魔力が一気になくなって、一時的に魔力枯渇症に似た症状が出ているだけ。時間とともに良くなるよ」

 皐月さつきの問いにミサが答えた。

「まさか本当に呪術が使われていたとは……」
「しかも妻や子供たちに黙って、だぞ」
「妻にかけなかったのは、バレる恐れがあったからか」

 九条家やミサ、空也、玲良や裁判官は黙っているが、彼らの護衛の中には母子三人に同情する声も上がっていた。

 瑞樹は計画通りに事が進んでいることに悦に浸っていた。
 立場上、今ここで憶測を述べるわけにはいかないのだろうが、玲良や裁判官も皆、瑞樹が無罪である可能性を考慮しているだろう。事実として、空也に呪術をかけたことに関しては、瑞樹は直接は手を下していないのだから。

(ああ、空也の顔が見たい!)

 今ほど、あの哀れな少年の顔を見たいと瑞樹が望んだことはないだろう。
 展開上仕方がないとはいえ、瑞樹の有罪を確信していたはずの空也の顔が見れないことに、瑞樹はほぞを嚙んだ。

「裁判長」

 落ち着かない雰囲気のなか、空也の声がした。
 周囲の者と同じように、瑞樹も空也に目線を向ける。そして、口元が緩みそうになった。冷静を装っているが、空也の顔には焦りが見られた。

 それならば、この後の彼の台詞は——、

「浩二郎氏の治療を僕にさせてもらいたいのですが」

 予想通りの言葉に、瑞樹は内心で笑った。
 いくら切迫した状況だとはいえ、瑞樹から言わせれば、その発言はあまりにも軽率だったからだ。同時に失望もする。

 どうやら期待をしすぎたようだ。もう少し足掻あがいてくれるのかと思ったが——。

「その意図は?」

 裁判長が短く聞いた。

「彼はもう長くはもちません。このままでは彼から供述を引き出せなくなります」
「異議あり!」

 空也に被せるように、瑞樹は涙交じりの声を上げた。

「空也、貴方は浩二郎を恨んでいる。治療と称してこの人を殺すつもりでしょう⁉ いくら被害者とはいえ、そんなことはさせませんっ」

 空也がしまった、という表情を浮かべるが、もう遅い。
 瑞樹の演技は、効果絶大だった。

「突然何を言い出すのかと思えば……そういうことか」
「気持ちはわかるがな……」
「ああ。だが、殺すのは良くないよ」
「それではご夫人があまりにも気の毒だ」

 空也に懐疑的な目線が向けられる。これで、空也は浩二郎には近づけなくなった。おそらくは、治療と称して浩二郎の中にある呪術の痕跡を探そうとしたのだろうが、もはや彼に、瑞樹の罪を暴く他の手立ては残ってはいまい。

(不測の事態が起きてしまったときの冷静な対応をできるのが賢い人間であるって、何度も言い聞かせていたのにねぇ……)

 瑞樹はやれやれ、と内心でため息を吐いた。これで自分が疑われることはなくなる。喜ばしいことではあるが、今後は少々物足りなくなるな。
 すっかり精神的に余裕のできていた瑞樹はそんなことを思っていたが、実際に彼女が物足りなさを感じることはなかった。

「それなら、私が治療しましょう」

 唐突とも言えるその言葉に、瑞樹は反射的に顔を上げた。
 声の主はミサだった。

「恨みどうこうもそうですが、魔力が戻ったばかりの瀬川君では治療の腕は未知数です。その点、私は技術的にも立場的にも信頼がある」
「異議あり! 光の女王も空也側で――」
「静粛にっ」

 瑞樹の申し立ては、裁判長にさえぎられた。

「発言は私の許可を取るように――光の女王」
「はい」
「君は、被告人を治療できるか?」
「断言はできませんが、おそらく」
「うむ」

 ミサの言葉に満足げに頷き、裁判長は言った。

「光の女王に、被告人の治療を命ずる」

 と。

「なっ……!」

 瑞樹が絶句した。
 それはあながち演技ではなかった。光の女王が治療を申し出るのはともかく、裁判長がそれを許可するのは瑞樹も想定外だったからだ。

 しかし、瑞樹はすぐに冷静さを取り戻した。
 彼女が今から行使するのはあくまで治癒魔法。治癒魔法は【解析】とは違って相手の体内を詳細に調べたりはしないため、浩二郎に呪術がかけられていると確信している空也以外では、その痕跡は見つけられないはずだ。

 ——その瑞樹の見立ては、致命的に甘かった。

 浩二郎の胸に手を置いたミサが、治癒魔法を発動させる。
 それから少しして、彼女は目を見開いた。

「なっ⁉ 何でこの人にも呪術が――」

 ミサが呪術の痕跡を見つけたことは、完全に瑞樹の誤算だった。しかし、彼女は咄嗟に最後の手段を使った——失敗すれば、否、成功したとしても後がないかもしれない策を。

「浩二郎! 王女を殺しなさい!」
「——うおおおお!」

 ミサから発せられた「呪術」という言葉に、その場にいた者の視線はそちらに釘付けになっていた。
 だからこそ、それを遮った瑞樹のと、直後に雄叫びを上げた浩二郎の動きには、ミサや熟練の護衛でさえ反応できなかった。

「おおおお!」
「えっ?」

 雄叫びを上げ続けながら走る浩二郎の視線の先にいるのは、玲良だ。

「ま、まずい!」
「やばっ!」

 ミサたちが状況を把握したときにはすでに、浩二郎は常軌を逸したスピードですでにその間を詰めており、獣のように玲良に飛びかかった。

 賭けに勝ったことを確信し、瑞樹は口の端を釣り上げた。

「れ、玲良様!」
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