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第四章

第六十四話 化け物

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 先に魔法の構築を始めていたのは太一たいち百合ゆりだったが、完了したのは空也くうやが先だった。

「ちっ」

 太一と百合は攻撃を断念し、それぞれ【水の波動ネロー・キーマ】と【氷包弾パーゴス・ポリオルキア】で空也の攻撃を逸らした。同時に距離を取る。
 すかさず空也が距離を詰めてくる。【魔包弾マギア・ポリオルキア】が二人を襲った。

「くっ……!」

 それに耐えていた太一と百合は、さらに接近する空也に対処することはできなかった。

 空也が狙ったのは太一だ。その刀が振り下ろされる。
 太一は咄嗟に腕を引いたが、遅かった。肘から下が切断される。

「おわっ⁉︎」

 太一は声を上げた。しかしそれは、痛みではなく驚愕きょうがくによるものだった。
 腕を切られても痛くない・・・・。その事実に衝撃を受けたのだ。説明は受けていたが、話を聞くのと実際に体験をするのは大違いだ。

 ——なら、これはどうかな?

 太一は切断された右腕に魔力を流した。肘から下がみるみる再生していく。

「えっ?」

 再び刀を振り下ろそうとしていた空也が、間抜けな声を上げた。
 その隙を見逃さず、太一は右手から【水弾ネロー・スフェラ】を放った。

「うわっ⁉︎」

 空也の身体が吹っ飛ぶ。
 しかし、太一は手応えを感じていなかった。

 案の定、空也は何事もなかったかのように着地した。完全な不意打ちだったが、空也は剣で水の弾丸を逸らしつつ、自ら後ろに跳んだのだろう。

「あれに反応するって、マジでやばいね……」

 太一は自分が苦々しい表情を浮かべているのを自覚した。
 同時に理解する。空也は別格だというあいつら・・・・の言葉は正しかったのだ、と。

 そしてそれは、百合も感じていたようだ。太一、と覚悟を決めた表情で視線を送ってくる。

 太一は無言で頷いた。
 太一は空也に視線を戻した。腕の再生を見て警戒を強めたのだろう。空也は最初のように距離を詰めてこようとはせず、様子をうかがっているようだ。

 ——チャンスは、今しかない。

 太一と百合は魔力の波長を合わせた。

「融合魔法——」

 空也が目を見開いた。

「—— 【水流氷渦ハラーズィ・スパイラ】!」

 ひょうのように鋭い氷をまとった水の渦が、まるで竜巻のように空也を包んだ。氷が四方八方から襲いかかるが、空也はそれらを全て結界で防いでみせた。
 しかし、太一と百合は動揺しなかった。空也に通じないのはわかっていたし、【水流氷渦】の本当の狙いは彼ではなかったからだ。

 空也を襲った三倍以上の密度の水の竜巻が、彼の結界により守られている沙希とヒナを覆う。

「しまっ——!」

 空也が焦りの表情を浮かべた、
 太一と百合は、左右から空也に魔法を浴びせた。

「ぐっ……!」

 太一の【水刃ネロー・クスィフォス】が空也の結界を裂き、その脇腹をえぐった。沙希とヒナを守ることに大半の力を使っているため、先程より結界がもろくなっているのだろう。

 結果として、沙希とヒナにはダメージを与えられず、空也を仕留めることもできなかったが、形勢は太一と百合に大きく傾いた。

 空也が止血を始める。太一はその空也に、百合は沙希とヒナを守る結界に、それぞれ攻撃を開始した。



◇   ◇   ◇



 ——化け物だな。
 自分の身体に増えていく傷を見て、太一は素直に感心した。

 空也は百合の攻撃を受ける結界を維持しつつ、太一にも的確にダメージを与えている。もし太一が普通の人間・・・・・だったら、すでに戦闘不能になっているだろう。

 しかし、生憎と太一と百合は普通の人間ではなく、あくまで人間の延長線上にいる空也とは違う、ホンモノの化け物だった。
 空也の表情に浮かんできている疲労も、二人は一切感じていなかった。二人の中にあるのは復讐心のみだ。

 ——その、生身の人間と化け物の差を誰よりも感じていたのは、戦闘に直接参加していないヒナだった。



◇   ◇   ◇



「空也さんっ……」

 ヒナは唇を噛んだ。
 太一と百合の脅威の回復力を前に、さすがの空也も傷が増えてきている。疲労も見え始めていた。

 ヒナはせり上がってくる焦燥感を抑え、自らの膝の上で微動だにしない少女に呼びかけた。

「沙希、お願い! 目を覚ましてっ」

 それは、異界に来てから幾度となくかけた言葉。しかし、今回も沙希は無反応だった。

「沙希……!」

 ヒナの目に涙が浮かんだ。

「ぐっ……!」

 空也の苦痛に満ちた声が聞こえた。

「空也さん⁉︎」

 ヒナは視線を上げた。

「っ——!」

 ヒナは思わず息を呑んだ。
 空也の顔の右半分が、赤色で染まっていたのだ。

「沙希、お願いっ……!」

 ヒナの瞳から、雫が溢れ落ちた。

「このままだと空也さんが死んじゃうよ……! お願い、沙希……!」

 ヒナは沙希の身体を思い切り抱きしめた。彼女の肩に顔を埋め、何度もその名を呼んだ。

「ヒ……ナ?」
「えっ?」

 その声が聞こえたとき、ヒナは最初、幻聴ではないかと疑った。
 しかし、自分の腕の中で沙希がモゾモゾと動くのを感じて、ヒナはそれが現実であることを確信した。

 ヒナはそろそろと顔を上げた。沙希と目が合う。

「……ヒナ」
「沙希……!」

 ヒナは止めどなく流れる涙を拭うこともせず、沙希を抱きしめた。しかし、すぐにそんなことをしている場合ではないと思い出した。

「おい、太一!」

 百合が怒鳴った。

早坂はやさか沙希さきが目を覚ましたぞ!」

 百合の言葉に、太一だけではなく空也もこちらを見た。
 両者の反応は対照的だった。前者は眉を顰め、空也はホッと息を吐いた。

 えっ、と沙希の口から声が漏れた。

「百合と、太一……⁉︎」
「沙希、知っているのっ?」

 ヒナの問いには答えず、沙希が厳しい表情を浮かべて立ち上がった。
 そのときだった。

 ヒナの視界に突然、人が斬り殺される光景が映った。

「えっ——な、何⁉︎」

 ヒナは思わず目を覆った。しかし、その光景は視界に映ったままだった。

「な、何これっ……あっ」

 混乱する中、ヒナは気づいてしまった。切り刻まれている人間が全て、九条くじょう家護衛隊の服を着ていることを。

「い、イヤ! やめて……!」

 ヒナは全身が震え出すのを抑えられなかった。

「イヤアアアア!」

 ヒナの隣で悲鳴が聞こえた。
 しかし、そちらを気遣っている余裕は、今のヒナにはなかった。

「——ヒナ、沙希⁉︎」



◇   ◇   ◇



 太一と百合が使用した相手に映像を見せる魔法は、精神干渉魔法の応用だ。
 百合は沙希とヒナに、太一は空也にその魔法を使ったが、空也は自分が太一から精神干渉魔法の類を受けそうになっていることを感じて、半ば無意識にそれを弾いていた。

 しかしあくまで、空也が無意識に弾けるのは自分にかけられた・・・・・・・・もののみ。
 空也が、精神干渉魔法を使ったのが太一だけではないと気がついたとき、百合の魔法はすでに空也の結界を突破し、沙希とヒナを襲っていた。

「い、イヤ! やめて……!」
「イヤアアアア!」

 ヒナと沙希の悲鳴が聞こえる。

「ヒナ、沙希⁉︎」

 空也は二人に目を向けた。ヒナは目を覆い、沙希は耳を塞いで激しく頭を振っていた。もはや、空也の声も聞こえていないようだ。

「残念だったね」

 太一がニヤリと笑った。

「君の結界は確かに強固だけど、実は百合は精神干渉の類が一番得意なんだ。僕よりもずっとね」

 空也は唇を噛んだ。
 思えば、百合は太一に比べて属性魔法の強度はだいぶ低かった。その時点で、無属性魔法が得意である可能性に気づいておかなければならなかったのだ。

 空也はすぐに百合の魔法の遮断を試みた。太一を牽制しつつ、【索敵さくてき】で百合の魔法の構造を読み解く。
 その過程で空也の視界にも九条家の惨状が映るが、気にせずに【索敵】を続けた。

「ちっ……」

 空也は舌打ちをした。
 百合の魔法が想像以上に強力だった。時間をかければ太一の相手と並行しながらでも遮断できるだろうが、沙希とヒナはもはや半狂乱と言っても良い状態だ。すぐにでも対処しなければ、精神が壊れるのは目に見えていた。

 空也は【氷の咆哮パーゴス・ヴリヒスモス】を放つと見せて、【氷の結界パーゴス・カリマ】で太一を覆った。

「おおっ?」

 太一が間抜けな声を上げる。

 空也は百合の魔法に全神経を注いだ。
 すぐに、空也は確かな手応えを感じた。沙希とヒナの悲鳴が収まる。

 しかし、空也にそれを喜んでいる余裕はなかった。百合の魔法を遮断した瞬間、腹に鋭い痛みを感じていたからだ。

「がっ……!」

 口から血が溢れ出す。

「えっ——空也⁉︎」
「空也さん⁉︎」

 沙希とヒナが悲鳴のような声を上げる。

 空也は視線を下に向けた。氷の槍が腹から突き出ている。太一の攻撃だということは、【索敵】をするまでもなくわかった。

 背後からの攻撃は予測できていたし、決して油断はしていなかった。
 ただ、百合の精神干渉魔法と同時に太一の攻撃を防ぎ切れるほど、空也には力が残っていなかった。

「自分より仲間を優先するとは優しいねぇ」

 皮肉めいた太一の言葉には反応せず、空也は泣きそうな表情を浮かべている沙希とヒナを見た。

「沙希、ヒナっ」
「何っ?」
「君たちが見ていた光景は幻術だ……九条家は襲われていないよ」
「なっ⁉︎」

 真っ先に反応したのは沙希でもヒナでもなく、百合だった。なぜ、と彼女は呟いた。
 しかし、空也にはそれに答える義理も元気もなかった。頭痛がする。魔力枯渇症だ、と空也は自覚した。

「全く……君の魔法の才能は恐ろしいね」

 太一がため息混じりに呟いた。
 でも、と彼は続けた。

「そんな君を、僕は今から殺すことができるんだ」

 その声は震えていた。

「ああ、瑞樹みずきさん……今から僕は、貴女の仇を討ちます……!」

 太一の右手から氷の刃が生成される。
 それが自分に向けて発射されるとわかっても、魔力が底をつき、身体中から出血している空也には、避ける力も防ぐ力も残されていなかった。

「ここまで……か」

 空也がため息を吐いたその瞬間——、
 空也のの視界に影がよぎった。

「えっ……沙希⁉︎」

 沙希が、空也を庇うように両手を広げていた。
 太一の【氷刃】が完成する。

 空也は咄嗟に結界を生成しようとした。

「いっ……!」

 しかし、激しい頭痛が襲うだけで、そこには何も生成されなかった。

「空也」

 沙希が振り向いた。

「ごめん。それと——」

 ——どうか、死なないで。

 沙希が、ふっと笑った。

「っ——!」

 その寂しさの入り混じった笑みを見た瞬間、空也の脳に一気に情報が流れ込んできた。

 それは、失っていたはずの記憶だった。
 そしてその記憶が、空也の身体を動かした。

「——闇属性奥義、【分解サナトス】」
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