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肩慣らし

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 転生してから五年が経った。

 両親は、俺を大切に育ててくれた。

 我がギルドルフ家は農家で、歩いてすぐのところにある畑を父が管理し、母もときどきそれを手伝っている。裕福な家ではないが、それに不満はななかった。

 あるとすれば、書物が一冊もないことくらいか。
 おかげで現在の状況を知るのに時間がかかってしまった。

 現在は、俺が病で没してから約五〇〇年後の世界。
 国がいくつか興亡し、国名やその国土、さらに地名が変わっていることもあり、最初は知らない世界かと思ったが、五〇〇年も経っていたのなら、知らない地名や国名が出てくるのもうなずける。

 あれから魔法は使ってない。
 赤ん坊の体では反動が強く、あのあと、俺は熱を出して数日寝込んでしまったのだ。

 能力として備わっていても、肉体がそれに耐えられないのであれば、しばらく封印するしかなかった。
 今は、前回のような反動を食らわないように、肉体に魔力を少しずつ慣らしているところだ。

 つい使ってしまった『支援影法師』は、難度も高く相応の魔力も必要とした。
『重力』についてもおそらくそうだろう。

 先日五歳の誕生日を迎えたこの体なら、加減した魔法であればそろそろ問題ないはずだ。

「ルーくん、今日はお夕飯何食べたい?」

 にこにこ、と母がエプロンで手を拭きながら俺に訊く。

「今日は、肉がいい」

 俺の口調もずいぶんと角が取れて丸くなった。

「おっけー」

 母の名はソフィア。仕事で今家にいない父はサミーという。

「今日は何のご本を読んでるの?」
「これ」

 俺は背表紙をソフィアに見せる。

「……『神話世界の神々』? 難しいご本を読んでるのね?」
「別に、難しくない」

 そぉ? とソフィアは首をかしげ、キッチンに戻っていった。

「この本、返してくる」

 はぁーい、とソフィアの声を後ろに聞きながら、俺は家をあとにする。

 書物がないせいで、俺の知っている時代からの歴史について知るのに苦労をした。

 運よく三軒隣のフォルセン爺さんの家に、書物がたくさんあることを知ってからは、こうして本を借りるために通っている。

 毎日平穏なのはいいが、それを通り越して退屈なのは、少しだけ困りものだった。

 フォルセン家の玄関扉をノックして、「ルシアンです」と声を上げる。
 そばの窓から、好々爺と言って差し支えのない老人が顔を出すと、ちょいちょい、と手招きをした。

 あれがフォルセン爺さんだ。
 お邪魔します、と俺は家の中に入る。フォルセン爺さんの部屋に行くと、笑顔で「もう読んだのかい?」と出迎えてくれた。

「これ。ありがとうございました」
「どういたしまして。面白かったかい?」
「そんなに……」

 本を返すと、ぱらぱら、とフォルセン爺さんはページをめくる。

「まあ、ルシアンにはまだ少し難しいだろうからね」

 そういう意味ではないのだ。

「次はどれにする?」と尋ねられ、俺は大きな本棚を見上げた。
 あれこれと勧めてくる本は、子供向けの絵本ばかりで、俺が求めるものではない。

「魔法の本、ありますか?」
「魔法の本? ははは。そんなもの、普通の家に置いてあるはずもない」

 そういうものなのか?

「これはどうだ」

 少し考えて、フォルセン爺さんは書棚の上段から『ガスティアナ王国史』と背表紙に書かれた本を取り出した。

「ちいとばかし、難しいかもしれないが」
「それでもいいです」

 そうかい? と訝りながらも、フォルセン爺さんはその本を渡してくれた。

 お礼を言って家をあとにする。歩きながらさっそく本を開いた。かなり古いものらしく、古書のツンとしたにおいがした。

 ガスティアナ王国というのは、今俺たちが暮らしている王国のことのようだ。
 どうも、生前俺が住んでいた国が名前を変えただけらしい。戦争で多少国土は小さくなっているみたいだが。

 ひと通り読んで、ぱたりと本を閉じた。

 戦乱で名前が変わってからの情報ばかりで、俺の死後から今までを記したものではなかった。

 ふと、背後を振り返ると、小さな女の子が木陰からこっちを覗いていた。さっきからずっとだ。

 俺が見ていることに気づいたのか、慌てて木陰に女の子は隠れた。
 それから、そおーっとこっちを覗く。
 赤毛で赤い目をした俺と同い年くらいの子だった。

「何か用?」
「……じぃじの、本……おもしろくない」

 ……じぃじ? ということは、フォルセン爺さんの孫か。

「僕は、ルシアン・ギルドルフ」
「しってる。アンナ・フォルセン」
「何を読もうが、僕の勝手だ。放っておいてほしい」

 正論をズバンと言ってやると、アンナはぷう、と頬を膨らませた。

「おもしろくないなら、あそんだほうが、いい……」
「それは人それぞれの自由だ」

 ぱんぱんに膨れた頬はまだ戻らない。

「本よんで、なにがおもしろいの?」
「どう感じるかも、人それぞれだろう」
「あ、あそぼ……」

 かすかに聞き取れるくらいの小声だった。
 ……なるほど。俺が本ばかり読んでいるから、遊びたいのに遊べないと。

「……断る。遊興に割く時間はないのでな」

 むぅぅぅぅぅぅ、とアンナは口をへの字にして、目に涙を浮かべた。

「なっ、な、泣くつもりか、おまえ」
「な、なかない、もん……」

 断り方がマズかったのか?
 しかし、何と言えば……。

 俺が頭を悩ませていると、「おい! そっちに行ったぞ!」と男の大きな声がした。

「ブギャォ! プギャォォッ!」

 大人ほどもある体格のイノシシ型の魔物が、こちらへむかってきた。

 それを後方から追いかける大人が数人。
 槍やクワなどを持っている。中には、俺の父、サミーもいた。
 状況からして、畑を荒らそうとやってきた魔物を仕留め損ねたんだろう。

「危ないぞ! 逃げろ!」

 涎をダラダラと口から垂らす魔物が、アンナのほうへ突進していった。

「っ――!」

 恐怖で固まるアンナが、地力で逃げることは難しそうだ。
 体当たりを受ければ、大人でもタダでは済まない。

 やるしかないな。

「……『形態変化』、『構成物質変換』、『最高硬度』」

 魔法を発動させる。
 反動が多少あったとしてもこの際仕方ない。

 アンナのそばにあった木の一部が、アンナの前面を無数の枝で覆った。

 魔物が枝の壁に激突。空気が震えるほどの凄まじい衝突音が響き渡った。

 俺はほっと胸を撫で下ろす。
 アンナを守った枝はビクともしていない。

「何だ、今の」
「一体何が……」
「枝が不自然に伸びたぞ?」

 大人連中が口々に言う。

 魔法を使ったのだが、誰もそれをよくわかっていないらしい。

「ルシアン……? おまえがやってくれたのか……?」

 一度魔法を見せているから、父に疑われるには十分な理由だった。

「ブギャオオオオ!」

 鳴き声を上げる魔物は、かなり興奮しているようだった。

「――おまけだ。『炎上』」

 今度は魔物に魔法を使うと、巨体が橙色の炎に包まれた。
 魔物が断末魔の声を上げると、炭になった。

「「「今度は燃えたっ!?」」」

 大人連中が腰を抜かす。

「凶暴なデスボアが、一瞬で炭に……」

 デスボアだと……?
 俺の知っているデスボアは、山のように大きく、歩けば地震が起き、立ち上がればその手は天界にも届くとされた巨獣の一種だ。

 ずいぶん小さく、そして弱くなったな……。

「ギルドルフさんとこの息子さんが……?」
「でも、貴族でも何でもないのに……?」
「詳しくはわからないが……あれは、魔法、だよな……?」

 大人たちが話していると、サミーが確認するように尋ねた。

「ルシアン、やっぱりおまえが倒したのか?」

 俺がこくんとうなずくと、大人たちは顔を見合わせた。

「――デスボアはどこだ!?」

 鎧姿に槍を持った男が、こちらへ駆けてきた。

「それが……」

 どうやらこの男に応援を要請していたようだ。村人の一人が炭になったデスボアを指差しながら一部始終を説明をした。

「そんな……普通の戦闘力で対処できる魔物では……」

 槍の男は呆然としていた。

 その間、枝の隙間からアンナがずーーーーっと俺のことを見ていた。
 彼女の目は、爛々と輝いていた。

「魔法っ。すごいっ!」
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