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ジュニエスの戦い
87 雪の帳 3
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「リースベット……ねえ、起きて……?」
呼びかけるアウロラに、応える者はいない。
雪を染めるおびただしい血の量を見て、バックマンは目を閉じて首を横に振る。
アウロラが膝を落とし、リースベットの手を握った。
「お願い、だから……」
アウロラの震えた声が、慟哭に変わった。
ノアたちの様子を遠巻きに見ていたロードストレームは、一瞬ひどく悲しそうな顔を見せると、踵を返して立ち去った。
「待て、オラシオ!」
フリークルンドが叫び、ロードストレームの後を追う。ふたりの背中は吹雪にかすみ、すぐに見えなくなった。
ノルドグレーン軍はランバンデット湖畔の拠点まで撤退した。
雪は止むことなく降り続き、ジュニエス河谷は半日も経たぬうちに、深い雪に閉ざされた。
五日間にわたって混乱を極めた戦場の夜には、動くものは何一つ見当たらない。打ち棄てられた武具も、流れ出た血も、運ばれなかった兵士たちの死体もすべて、真っ白な雪に覆い隠された。
ノアはリースベットの遺体を背負い、自らの脚でソルモーサン砦へ運んだ。
地下の一室に遺体を横たえ、血に汚れた衣服もそのままに、動かぬ妹の傍らに座り込んでいる。橙色に揺らめく燭台の明かりに照らされてなお、その顔は青褪めて見えた。
室内には二人の他に、アウロラをはじめティーサンリード山賊団の成員たち、フェルディンとカールソン、それにリードホルム軍からメシュヴィツとブリクストの二人が、ノアの護衛として同室していた。リードホルム軍の二人はノアたちの心情を察し、存在を消すように壁際に佇んでいる。
ほとんど全員が沈痛な面持ちで黙り込んでいる中、カールソンだけは滝のように涙を流し泣き叫んでいる。
「なんで余所者のてめえが、わあわあ泣いてやがんだよ……」
悲嘆に暮れる機会を奪われたとでも言いたげに、ヨンソンが悪態をついた。
「す、すまない……」
「だって兄貴よお……死ぬにゃ早すぎるだろうがよお……姐さん、なんでこんな場所で……」
なんでこんな場所で――その言葉はノアの胸に突き刺さる。自身がリースベットを死地に呼び込んだ、という自責の念は、彼女を救うつもりでいたノアを自己否定に向かわせていた。
――少なくとも表向きには、ノルドグレーンは開明的な国だ。リースベットを巻き込んでまで、戦わなければいけない相手だったのか?
戦うべき者だけが戦って死に、敗北の末にリードホルムという国が滅んだとしても、王族や一部の高官たちのような権益を持っていた者以外、誰が困窮するというのだろう。
人の選別と排除、対立の苗床である国家という虚像がこの世からひとつ消えるのならば、それは喜ぶべきことではないのか。ならば、この抵抗は時代を逆流させる愚かな行為に過ぎなかったのでは――ノアの思考が、リースベットの死を巡って堂々巡りを続ける。
周囲にリースベットの死を共有する者が誰もいなければ、その厭世的な反復は数日に渡り、ノアを強迫的に支配していたことだろう。
泣き腫らした顔のアウロラが、消え入りそうな声をあげた。
「もっと、急いで戻ってれば……」
「アウロラ、そんなふうに悔やむな。お前が気に病むべきことじゃない」
「でも……あと少しだけ早く、私が一緒に戦っていれば……」
「リースベットは自分の意志で一人で出ていって、俺たちはそこに居合わせることができなかった。あの時ああしていれば、が成立しなかった場所に俺たちは立ってる。この事態は、誰か個人に責任があるわけじゃねえんだ」
アウロラが泣き出しそうな顔でうつむき、燃えるような赤毛の頭をバックマンの胸に押しつけた。
呼びかけるアウロラに、応える者はいない。
雪を染めるおびただしい血の量を見て、バックマンは目を閉じて首を横に振る。
アウロラが膝を落とし、リースベットの手を握った。
「お願い、だから……」
アウロラの震えた声が、慟哭に変わった。
ノアたちの様子を遠巻きに見ていたロードストレームは、一瞬ひどく悲しそうな顔を見せると、踵を返して立ち去った。
「待て、オラシオ!」
フリークルンドが叫び、ロードストレームの後を追う。ふたりの背中は吹雪にかすみ、すぐに見えなくなった。
ノルドグレーン軍はランバンデット湖畔の拠点まで撤退した。
雪は止むことなく降り続き、ジュニエス河谷は半日も経たぬうちに、深い雪に閉ざされた。
五日間にわたって混乱を極めた戦場の夜には、動くものは何一つ見当たらない。打ち棄てられた武具も、流れ出た血も、運ばれなかった兵士たちの死体もすべて、真っ白な雪に覆い隠された。
ノアはリースベットの遺体を背負い、自らの脚でソルモーサン砦へ運んだ。
地下の一室に遺体を横たえ、血に汚れた衣服もそのままに、動かぬ妹の傍らに座り込んでいる。橙色に揺らめく燭台の明かりに照らされてなお、その顔は青褪めて見えた。
室内には二人の他に、アウロラをはじめティーサンリード山賊団の成員たち、フェルディンとカールソン、それにリードホルム軍からメシュヴィツとブリクストの二人が、ノアの護衛として同室していた。リードホルム軍の二人はノアたちの心情を察し、存在を消すように壁際に佇んでいる。
ほとんど全員が沈痛な面持ちで黙り込んでいる中、カールソンだけは滝のように涙を流し泣き叫んでいる。
「なんで余所者のてめえが、わあわあ泣いてやがんだよ……」
悲嘆に暮れる機会を奪われたとでも言いたげに、ヨンソンが悪態をついた。
「す、すまない……」
「だって兄貴よお……死ぬにゃ早すぎるだろうがよお……姐さん、なんでこんな場所で……」
なんでこんな場所で――その言葉はノアの胸に突き刺さる。自身がリースベットを死地に呼び込んだ、という自責の念は、彼女を救うつもりでいたノアを自己否定に向かわせていた。
――少なくとも表向きには、ノルドグレーンは開明的な国だ。リースベットを巻き込んでまで、戦わなければいけない相手だったのか?
戦うべき者だけが戦って死に、敗北の末にリードホルムという国が滅んだとしても、王族や一部の高官たちのような権益を持っていた者以外、誰が困窮するというのだろう。
人の選別と排除、対立の苗床である国家という虚像がこの世からひとつ消えるのならば、それは喜ぶべきことではないのか。ならば、この抵抗は時代を逆流させる愚かな行為に過ぎなかったのでは――ノアの思考が、リースベットの死を巡って堂々巡りを続ける。
周囲にリースベットの死を共有する者が誰もいなければ、その厭世的な反復は数日に渡り、ノアを強迫的に支配していたことだろう。
泣き腫らした顔のアウロラが、消え入りそうな声をあげた。
「もっと、急いで戻ってれば……」
「アウロラ、そんなふうに悔やむな。お前が気に病むべきことじゃない」
「でも……あと少しだけ早く、私が一緒に戦っていれば……」
「リースベットは自分の意志で一人で出ていって、俺たちはそこに居合わせることができなかった。あの時ああしていれば、が成立しなかった場所に俺たちは立ってる。この事態は、誰か個人に責任があるわけじゃねえんだ」
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