69 / 113
第8章
1
しおりを挟む
リシュリー侯爵家では、カイゼルとユアンの到着を今か、今かと、侯爵とその夫人が待ち侘びていた。
ラグアルとの婚姻が解消され、ユアンへは驚くほど数多くの釣書が届いていたが、ラグアル以上に安心してユアンを任せられるような者はなかなかいない。
セレンの取り計らいにより、騒がしい王都から辺境の地へとユアンを静養に送り出すことはできたが、ユアンの今後については頭を悩ませていた。
そんな中、カイゼルから届けられた驚くべき内容の書簡に、侯爵と夫人は一時言葉を失った。
ユアンが突発的に発情してしまったこと、それをおさめたのがカイゼルであること、ユアンを妻として迎え入れたいという申し出、全て青天の霹靂だった。
セレンを介してではあるが、2人は学生時代のカイゼルを知っている。浮名を流すこともあったが、特定の人物に肩入れするような様子もなく、まだ学生であるとは思えないような風格が既にあった。
時折侯爵家を訪れ、セレンと過ごす姿には年齢相応に見える瞬間もあったが、それでも漂う雰囲気は王族そのものだ。
カイゼルなりの責任を感じてのことか、ユアンへの愛情があってのことか、夫婦は計りかねていた。
それでも格上である王弟からの申し出を断ることはできない。
セレンが親友だと謳うカイゼルにならば、ユアンを任せても大丈夫かもしれない。
申し出を受け入れる返信をしたものの、夫婦は、ユアンが今何を考え、どう過ごしているのか、それだけがずっと気掛かりだった。
先に侯爵家を訪れてきたのは、兄のセレンだ。今は別邸で妻と子と暮らしている。
「ユアンは?」
「まだ来ないのよ。そろそろかと思ってずっと待っているのに。」
「陛下へご挨拶をしてからこちらへ向かうと聞いている。もう少し待ちなさい。」
3人は応接室で、2人の到着を待ち続けた。
「ユアンが発情したなんて…。薬はちゃんと届けていたし、あの子もその辺はしっかり管理していたはずなのに…。」
「ちょうどカイゼル殿が王都へ赴いていたときらしい。一体原因は何なのか…。」
「カイゼル様が戻ってくれて本当に良かったわ…。」
「カイゼル殿なら、ユアンをお任せしても大丈夫だろう。なあ、セレン。お前はどう思う?」
「そうですね。大丈夫だと、そう思います。カイゼルは王都で噂されるような、そんな男ではありません。父上も母上もご存じでしょう?」
「ああ、そうだな。」
「そう、よね。」
そう言えば、と夫人が切り出した。
「セレン、あなたはこうなることを見越してユアンを辺境へと送ったの?」
「…さあ、どうでしょう。まあ、思う所はあったかも、しれませんね。」
「わたしもね、少しは思う所があったわ。」
「……………一体、何の話しをしているのだ?」
「父上は覚えていらっしゃいませんか?」
侯爵は何のことか分からない。
「セレン、この人にきいても無駄よ。わたしは覚えてるわ。」
「些細なことでしたが、ずっと記憶に残っているんです。当の本人たちは忘れているようですがね。」
「不思議な話しね。周りで見ていたわたしたちの方が記憶に残っているなんて。」
「……お前たちは、一体先程から何の話しをしているんだ。」
侯爵だけが、怪訝そうに顔を顰めている。
「卒業を目前に、カイゼルが挨拶をしにここを訪れた日のことを覚えていませんか?」
「…ああ、確かユアンが。」
「あら、覚えてらしたの?」
「ユアンが、確か……」
「あっ、到着したようですよ!」
がたっ、と勢いよく立ち上がったセレンの後を侯爵夫妻は急いで追いかけた。
到着した馬車から降りてきたのは、黒の正装を身に纏い、学生時代とは比べものにならないほど逞しく、威厳に満ちたカイゼルだった。
その腕に抱きかかえられ、カイゼルの首元に腕を回したまま縋りついているのは、ユアンだ。
3人は目を見張った。
……ユアン?
「ユアン、家に着いたぞ。」
ユアンは首を振って、カイゼルから決して離れようとしない。
「挨拶をしなくていいのか?」
ユアンは首を振るだけだ。
「遅れて済まない。とりあえず、ユアンを落ち着かせたいのだが……。」
ユアンの様子に驚きを隠せない3人は、慌ててカイゼルを邸の中へと迎え入れた。
ユアンは、例え家族の前でもこのような姿を見せることはなかった。
ラグアルといるときでさえ、いつも少し控え目に寄り添う、その程度だった。
今のユアンは、カイゼル以外まるで目に入らないといった、そんな様子だ。
「とりあえず、そうね。ユアンの部屋で休ませましょう!」
夫人の言葉に、みながユアンの部屋へと向かう。
自分の部屋へ連れて来られても、それでもユアンはカイゼルから離れない。
「まだ、こうしていたいのか?」
「………」
こく、こく、と頷く。
「…すまないが、もう少しユアンを落ち着かせたい。いいだろうか?」
優しくユアンを抱きかかえるカイゼルに、誰も異を唱えられる者はいない。
「申し訳ありません。息子が、このような……」
侯爵は恐縮しきりだ。
「いや、わたしの配慮が足りなかったようだ。後ほど、先程あった出来事についてもお知らせしたい。」
「畏まりました。しばし、ユアンを、息子をお願いいたします。」
3人はユアンとカイゼルを残し、部屋を出て行った。
今あった出来事とは、何なのか?
それよりも何よりも、ユアンのあの様子は何なのか?
「……ああ、そうか、あの日もこんな感じだったな。」
侯爵がポツリと呟いた。
「そうね。」
「そうですね。」
夫人とセレンもあの日の事を思い出していた。
ラグアルとの婚姻が解消され、ユアンへは驚くほど数多くの釣書が届いていたが、ラグアル以上に安心してユアンを任せられるような者はなかなかいない。
セレンの取り計らいにより、騒がしい王都から辺境の地へとユアンを静養に送り出すことはできたが、ユアンの今後については頭を悩ませていた。
そんな中、カイゼルから届けられた驚くべき内容の書簡に、侯爵と夫人は一時言葉を失った。
ユアンが突発的に発情してしまったこと、それをおさめたのがカイゼルであること、ユアンを妻として迎え入れたいという申し出、全て青天の霹靂だった。
セレンを介してではあるが、2人は学生時代のカイゼルを知っている。浮名を流すこともあったが、特定の人物に肩入れするような様子もなく、まだ学生であるとは思えないような風格が既にあった。
時折侯爵家を訪れ、セレンと過ごす姿には年齢相応に見える瞬間もあったが、それでも漂う雰囲気は王族そのものだ。
カイゼルなりの責任を感じてのことか、ユアンへの愛情があってのことか、夫婦は計りかねていた。
それでも格上である王弟からの申し出を断ることはできない。
セレンが親友だと謳うカイゼルにならば、ユアンを任せても大丈夫かもしれない。
申し出を受け入れる返信をしたものの、夫婦は、ユアンが今何を考え、どう過ごしているのか、それだけがずっと気掛かりだった。
先に侯爵家を訪れてきたのは、兄のセレンだ。今は別邸で妻と子と暮らしている。
「ユアンは?」
「まだ来ないのよ。そろそろかと思ってずっと待っているのに。」
「陛下へご挨拶をしてからこちらへ向かうと聞いている。もう少し待ちなさい。」
3人は応接室で、2人の到着を待ち続けた。
「ユアンが発情したなんて…。薬はちゃんと届けていたし、あの子もその辺はしっかり管理していたはずなのに…。」
「ちょうどカイゼル殿が王都へ赴いていたときらしい。一体原因は何なのか…。」
「カイゼル様が戻ってくれて本当に良かったわ…。」
「カイゼル殿なら、ユアンをお任せしても大丈夫だろう。なあ、セレン。お前はどう思う?」
「そうですね。大丈夫だと、そう思います。カイゼルは王都で噂されるような、そんな男ではありません。父上も母上もご存じでしょう?」
「ああ、そうだな。」
「そう、よね。」
そう言えば、と夫人が切り出した。
「セレン、あなたはこうなることを見越してユアンを辺境へと送ったの?」
「…さあ、どうでしょう。まあ、思う所はあったかも、しれませんね。」
「わたしもね、少しは思う所があったわ。」
「……………一体、何の話しをしているのだ?」
「父上は覚えていらっしゃいませんか?」
侯爵は何のことか分からない。
「セレン、この人にきいても無駄よ。わたしは覚えてるわ。」
「些細なことでしたが、ずっと記憶に残っているんです。当の本人たちは忘れているようですがね。」
「不思議な話しね。周りで見ていたわたしたちの方が記憶に残っているなんて。」
「……お前たちは、一体先程から何の話しをしているんだ。」
侯爵だけが、怪訝そうに顔を顰めている。
「卒業を目前に、カイゼルが挨拶をしにここを訪れた日のことを覚えていませんか?」
「…ああ、確かユアンが。」
「あら、覚えてらしたの?」
「ユアンが、確か……」
「あっ、到着したようですよ!」
がたっ、と勢いよく立ち上がったセレンの後を侯爵夫妻は急いで追いかけた。
到着した馬車から降りてきたのは、黒の正装を身に纏い、学生時代とは比べものにならないほど逞しく、威厳に満ちたカイゼルだった。
その腕に抱きかかえられ、カイゼルの首元に腕を回したまま縋りついているのは、ユアンだ。
3人は目を見張った。
……ユアン?
「ユアン、家に着いたぞ。」
ユアンは首を振って、カイゼルから決して離れようとしない。
「挨拶をしなくていいのか?」
ユアンは首を振るだけだ。
「遅れて済まない。とりあえず、ユアンを落ち着かせたいのだが……。」
ユアンの様子に驚きを隠せない3人は、慌ててカイゼルを邸の中へと迎え入れた。
ユアンは、例え家族の前でもこのような姿を見せることはなかった。
ラグアルといるときでさえ、いつも少し控え目に寄り添う、その程度だった。
今のユアンは、カイゼル以外まるで目に入らないといった、そんな様子だ。
「とりあえず、そうね。ユアンの部屋で休ませましょう!」
夫人の言葉に、みながユアンの部屋へと向かう。
自分の部屋へ連れて来られても、それでもユアンはカイゼルから離れない。
「まだ、こうしていたいのか?」
「………」
こく、こく、と頷く。
「…すまないが、もう少しユアンを落ち着かせたい。いいだろうか?」
優しくユアンを抱きかかえるカイゼルに、誰も異を唱えられる者はいない。
「申し訳ありません。息子が、このような……」
侯爵は恐縮しきりだ。
「いや、わたしの配慮が足りなかったようだ。後ほど、先程あった出来事についてもお知らせしたい。」
「畏まりました。しばし、ユアンを、息子をお願いいたします。」
3人はユアンとカイゼルを残し、部屋を出て行った。
今あった出来事とは、何なのか?
それよりも何よりも、ユアンのあの様子は何なのか?
「……ああ、そうか、あの日もこんな感じだったな。」
侯爵がポツリと呟いた。
「そうね。」
「そうですね。」
夫人とセレンもあの日の事を思い出していた。
40
あなたにおすすめの小説
〈完結〉【書籍化・取り下げ予定】「他に愛するひとがいる」と言った旦那様が溺愛してくるのですが、そういうのは不要です
ごろごろみかん。
恋愛
「私には、他に愛するひとがいます」
「では、契約結婚といたしましょう」
そうして今の夫と結婚したシドローネ。
夫は、シドローネより四つも年下の若き騎士だ。
彼には愛するひとがいる。
それを理解した上で政略結婚を結んだはずだったのだが、だんだん夫の様子が変わり始めて……?
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
番解除した僕等の末路【完結済・短編】
藍生らぱん
BL
都市伝説だと思っていた「運命の番」に出逢った。
番になって数日後、「番解除」された事を悟った。
「番解除」されたΩは、二度と他のαと番になることができない。
けれど余命宣告を受けていた僕にとっては都合が良かった。
【本編完結済】巣作り出来ないΩくん
こうらい ゆあ
BL
発情期事故で初恋の人とは番になれた。番になったはずなのに、彼は僕を愛してはくれない。
悲しくて寂しい日々もある日終わりを告げる。
心も体も壊れた僕を助けてくれたのは、『運命の番』だと言う彼で…
心からの愛してる
マツユキ
BL
転入生が来た事により一人になってしまった結良。仕事に追われる日々が続く中、ついに体力の限界で倒れてしまう。過労がたたり数日入院している間にリコールされてしまい、あろうことか仕事をしていなかったのは結良だと噂で学園中に広まってしまっていた。
全寮制男子校
嫌われから固定で溺愛目指して頑張ります
※話の内容は全てフィクションになります。現実世界ではありえない設定等ありますのでご了承ください
【完結済】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている
キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。
今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。
魔法と剣が支配するリオセルト大陸。
平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。
過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。
すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。
――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。
切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。
全8話
お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /c
【完結】それ以上近づかないでください。
ぽぽ
BL
「誰がお前のことなんか好きになると思うの?」
地味で冴えない小鳥遊凪は、ずっと憧れていた蓮見馨に勢いで告白してしまう。
するとまさかのOK。夢みたいな日々が始まった……はずだった。
だけど、ある出来事をきっかけに二人の関係はあっけなく終わる。
過去を忘れるために転校した凪は、もう二度と馨と会うことはないと思っていた。
ところが、ひょんなことから再会してしまう。
しかも、久しぶりに会った馨はどこか様子が違っていた。
「今度は、もう離さないから」
「お願いだから、僕にもう近づかないで…」
愛する公爵と番になりましたが、大切な人がいるようなので身を引きます
まんまる
BL
メルン伯爵家の次男ナーシュは、10歳の時Ωだと分かる。
するとすぐに18歳のタザキル公爵家の嫡男アランから求婚があり、あっという間に婚約が整う。
初めて会った時からお互い惹かれ合っていると思っていた。
しかしアランにはナーシュが知らない愛する人がいて、それを知ったナーシュはアランに離婚を申し出る。
でもナーシュがアランの愛人だと思っていたのは⋯。
執着系α×天然Ω
年の差夫夫のすれ違い(?)からのハッピーエンドのお話です。
Rシーンは※付けます
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる