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最終章
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侯爵家には、リシュリー一家が勢揃いしていた。
ユアンがリシュリーとして過ごす最後の日、涙ぐむ侯爵と、同じ様に涙ぐむセレンに、母は呆れた様にそれを宥めていた。
ユアンはこの家族の元、本当に大切に育てられた。
この家族が、とても大好きだ。
そして、愛するカイゼルに出会えた。
かけがえのない人だ。
愛してくれる家族に囲まれ、心から愛せる人ができ、その人も自分を愛してくれる。
自分は、きっと、とても恵まれている。
これ以上望むことなど、なくていい。
明日にはカイゼルが迎えに来てくれる。
ほんの数日会わなかっただけなのに、淋しかったなどと言ったらカイゼルはどんな顔をするだろうか。
早くカイゼルに会いたい。
カイゼルは今どうしているのだろう。
辺境の邸から持ち込んだカイゼルの枕からは、まだ少しカイゼルの匂いがする。
そんなものどうするんだ、と言われたが、やはり持ってきて良かった。
枕にぎゅっと抱きつくと、ユアンは少しずつ微睡み始めた。
ここまで、長かったような、短かったような、様々な出来事があった。
カイゼルを想いながら、その片隅であの子は無事なのだろうかと、それだけが気掛かりだ。
神殿の周りは、ユアンを一目見ようと大勢の人が集まっていた。
翡翠の妖精とまで言われた、侯爵家深窓の令息だ。
先に馬車から降り立ったカイゼルに、人々は見惚れた。
褐色の肌に黒髪、逞しい身体を真っ白な衣装で包んでいる。それは、とても神秘的な神々しさを、醸し出していた。
続いて降り立つユアンはもまた、真っ白な衣装に身を包み、かけられたベールから透けて見える白く儚げな美しさに感嘆の声が上がった。
まだほんの少しだけ片足を引き摺る様に歩くユアンに合わせ、カイゼルはそれを上手く補助しながら、ゆったりと中央を進んでいく。
何度もユアンを気遣うように視線をむけるその顔は、とても穏やかだ。
辺境伯の見たこともない表情と雰囲気に、あの噂はなんだったのかと、その場にいた人々は思った。
カイゼルの視線に、ユアンは何度も視線を返す。ベールに隠れたその表情は、カイゼルだけを見つめる穏やかなものだ。
予定していた時刻よりもだいぶ早い時間にカイゼルは迎えに来た。
たった数日だけのことなのに、まるで数年ぶりの再会かのように抱き合う二人に、侯爵家の人々は笑うしかなかった。
婚姻の儀を三日後に控えていたあの日から、ユアンはやっと今日と言う日を迎えることができたのだ。
誓いの言葉を交わし、正式な伴侶となった証を受け、神殿を出た二人を大勢が祝福した。
あまりの人の多さに、カイゼルとユアンは驚くしかなかった。
「すごい、人です……」
「まるで祭りのようだ。ユアンを見に来たのだろう。」
「ええ、ぼくですか?どうして?」
「翡翠の妖精だからだろう。妖精など、なかなか見られるものではないからな。」
「……もう、その恥ずかしい呼び名はやめて下さい!」
二人は顔を見合わせて、笑い合った。
風は悪戯にユアンのベールを靡かせ、カイゼルへと微笑むユアンの顔が露わになる。
真っ白な肌は陶器のようで、うっすらと色づく頬と、何よりも翡翠の瞳が人目を引いた。
カイゼルだけを見つめる穏やかな瞳だ。
本当に、妖精なのではないかと皆が思う美しさだった。
柔らかい風が吹いている。
ユアンの身体を労り、儀式はまた少し先延ばしされていた。
もうすっかり、暖かい。
風に誘われるように、ユアンの視線は人だかりの奥の方にひっそりと佇む三人の姿をとらえた。
…………ああ、無事に…
とても遠くにいるはずなのに、腕に抱かれた小さな赤ん坊がすやすやと眠る姿がはっきりと目に映る。
ユアンの視線に気がついたのか、気がついていないのか、遠くからは見えていないかもしれない。
それなのに、両親は何度も頭を下げ、赤ん坊に何か囁いている。
時折身を捩るようにする赤ん坊を、あやす様にしている。
………良かっ、た………
集まった人々の喧騒とはかけ離れた所で、静かに佇む三人の姿に、ユアンの瞳からは涙が後から後から溢れ落ちた。
「…………カイゼル様、あの子は、無事にお産まれになったのですね……」
カイゼルもユアンの視線に気がついていた。
「ああ、そう聞いている…。」
「…………そうですか。そうです、か…。本当に良かった……」
人々の目には、ユアンが歓喜の余り泣いているかの様に見えている。
ユアンに何があったのかなど、誰も知らない。
ただ幸せそうに見えているはずだ。
「…カイゼル様、ぼくは、とても幸せです。」
「…わたしもだ。」
「今日も、気持ちのいい風が吹いていますね…。」
「そうだな……。」
湧き上がり続ける歓声の中、二人は空を見上げた。
いつの日か見上げた空のように、雲一つない真っ青な空だ。
「…ユアン、今この瞬間から、わたしたちはやっと、本当の夫婦だ。」
「ええ、ずっと、ずっと、この日を待ち続けていました。」
カイゼルはユアンを抱き上げた。
遠くにいる三人がよく見える。
「どうか、お幸せに!!!ぼくも、幸せだから!」
ユアンの声は、歓声にかき消されて、届きはしないかもしれない。
それでも、ユアンは心からそう叫んだ。
遠く離れた所から三人は、ひっそりと、ユアンを祝福していた。
言い切れない程の謝罪と、感謝の言葉と、祝福と。
今日の柔らかい風に乗って、どうか、少しでもユアンに届きますようにと………
ユアンがリシュリーとして過ごす最後の日、涙ぐむ侯爵と、同じ様に涙ぐむセレンに、母は呆れた様にそれを宥めていた。
ユアンはこの家族の元、本当に大切に育てられた。
この家族が、とても大好きだ。
そして、愛するカイゼルに出会えた。
かけがえのない人だ。
愛してくれる家族に囲まれ、心から愛せる人ができ、その人も自分を愛してくれる。
自分は、きっと、とても恵まれている。
これ以上望むことなど、なくていい。
明日にはカイゼルが迎えに来てくれる。
ほんの数日会わなかっただけなのに、淋しかったなどと言ったらカイゼルはどんな顔をするだろうか。
早くカイゼルに会いたい。
カイゼルは今どうしているのだろう。
辺境の邸から持ち込んだカイゼルの枕からは、まだ少しカイゼルの匂いがする。
そんなものどうするんだ、と言われたが、やはり持ってきて良かった。
枕にぎゅっと抱きつくと、ユアンは少しずつ微睡み始めた。
ここまで、長かったような、短かったような、様々な出来事があった。
カイゼルを想いながら、その片隅であの子は無事なのだろうかと、それだけが気掛かりだ。
神殿の周りは、ユアンを一目見ようと大勢の人が集まっていた。
翡翠の妖精とまで言われた、侯爵家深窓の令息だ。
先に馬車から降り立ったカイゼルに、人々は見惚れた。
褐色の肌に黒髪、逞しい身体を真っ白な衣装で包んでいる。それは、とても神秘的な神々しさを、醸し出していた。
続いて降り立つユアンはもまた、真っ白な衣装に身を包み、かけられたベールから透けて見える白く儚げな美しさに感嘆の声が上がった。
まだほんの少しだけ片足を引き摺る様に歩くユアンに合わせ、カイゼルはそれを上手く補助しながら、ゆったりと中央を進んでいく。
何度もユアンを気遣うように視線をむけるその顔は、とても穏やかだ。
辺境伯の見たこともない表情と雰囲気に、あの噂はなんだったのかと、その場にいた人々は思った。
カイゼルの視線に、ユアンは何度も視線を返す。ベールに隠れたその表情は、カイゼルだけを見つめる穏やかなものだ。
予定していた時刻よりもだいぶ早い時間にカイゼルは迎えに来た。
たった数日だけのことなのに、まるで数年ぶりの再会かのように抱き合う二人に、侯爵家の人々は笑うしかなかった。
婚姻の儀を三日後に控えていたあの日から、ユアンはやっと今日と言う日を迎えることができたのだ。
誓いの言葉を交わし、正式な伴侶となった証を受け、神殿を出た二人を大勢が祝福した。
あまりの人の多さに、カイゼルとユアンは驚くしかなかった。
「すごい、人です……」
「まるで祭りのようだ。ユアンを見に来たのだろう。」
「ええ、ぼくですか?どうして?」
「翡翠の妖精だからだろう。妖精など、なかなか見られるものではないからな。」
「……もう、その恥ずかしい呼び名はやめて下さい!」
二人は顔を見合わせて、笑い合った。
風は悪戯にユアンのベールを靡かせ、カイゼルへと微笑むユアンの顔が露わになる。
真っ白な肌は陶器のようで、うっすらと色づく頬と、何よりも翡翠の瞳が人目を引いた。
カイゼルだけを見つめる穏やかな瞳だ。
本当に、妖精なのではないかと皆が思う美しさだった。
柔らかい風が吹いている。
ユアンの身体を労り、儀式はまた少し先延ばしされていた。
もうすっかり、暖かい。
風に誘われるように、ユアンの視線は人だかりの奥の方にひっそりと佇む三人の姿をとらえた。
…………ああ、無事に…
とても遠くにいるはずなのに、腕に抱かれた小さな赤ん坊がすやすやと眠る姿がはっきりと目に映る。
ユアンの視線に気がついたのか、気がついていないのか、遠くからは見えていないかもしれない。
それなのに、両親は何度も頭を下げ、赤ん坊に何か囁いている。
時折身を捩るようにする赤ん坊を、あやす様にしている。
………良かっ、た………
集まった人々の喧騒とはかけ離れた所で、静かに佇む三人の姿に、ユアンの瞳からは涙が後から後から溢れ落ちた。
「…………カイゼル様、あの子は、無事にお産まれになったのですね……」
カイゼルもユアンの視線に気がついていた。
「ああ、そう聞いている…。」
「…………そうですか。そうです、か…。本当に良かった……」
人々の目には、ユアンが歓喜の余り泣いているかの様に見えている。
ユアンに何があったのかなど、誰も知らない。
ただ幸せそうに見えているはずだ。
「…カイゼル様、ぼくは、とても幸せです。」
「…わたしもだ。」
「今日も、気持ちのいい風が吹いていますね…。」
「そうだな……。」
湧き上がり続ける歓声の中、二人は空を見上げた。
いつの日か見上げた空のように、雲一つない真っ青な空だ。
「…ユアン、今この瞬間から、わたしたちはやっと、本当の夫婦だ。」
「ええ、ずっと、ずっと、この日を待ち続けていました。」
カイゼルはユアンを抱き上げた。
遠くにいる三人がよく見える。
「どうか、お幸せに!!!ぼくも、幸せだから!」
ユアンの声は、歓声にかき消されて、届きはしないかもしれない。
それでも、ユアンは心からそう叫んだ。
遠く離れた所から三人は、ひっそりと、ユアンを祝福していた。
言い切れない程の謝罪と、感謝の言葉と、祝福と。
今日の柔らかい風に乗って、どうか、少しでもユアンに届きますようにと………
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