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彩人の誕生日
大ピンチ
しおりを挟む仕事を終え、駅のコインロッカーに預けていた、お泊まりセットが入った小さなバッグを引き取りやって来たいつもの待ち合わせ場所。
今夜のことに思いを馳せ過ぎて、ずっと上の空だったせいで会社にいた間の記憶がほとんどないけど、それでもきっちり仕事はこなしてきた…と思う。
ただ、いつもみたいに神崎がコーヒーにミルクと砂糖を入れるかどうか聞いてきた時は、なるべく顔を合わせないようにしていたのに突然目の前に現れて動揺したのと、ニヤニヤを抑えるのに必死で多分ものすごく変な顔をしていて、神崎が怪訝そうに首を傾げていた…ということだけは覚えている。
待ち合わせの時間まで、あと5分をきった。
…今日は渋滞、してないといいな。
今夜最後までシてもらえるかもしれないというだけで、いつも以上にソワソワしてしまって落ち着かなくて、無駄に手を擦り合わせてみたり、スマホのロック画面を点けては消し…と繰り返してみたり。
そうやって完全に自分の世界に入り込んでいたから、近付いてくる影に全く気付けなかった。
「あの、すみません」
「………っ?!」
突然至近距離で声を掛けられ、驚きでビクンと肩が跳ね上がる。
俺の顔を覗き込むように立っていたのは、神崎…ではなく、見知らぬ男性。
年齢は俺と同じぐらいだろうか。
背丈は神崎と同じかそれより少し低いぐらいで、雰囲気もどことなく神崎に似ている。
スーツを着ていることから恐らく仕事帰りなのであろう彼は、どうやら道に迷っているらしい。
駅に行きたい、と言うので道順を説明すれば、方向音痴なので案内してくれないか、と言ってきた。
「ごめんなさい、待ち合わせしていて…」
「そうですか…困ったなぁ…。俺、本当に方向音痴で…どうしても、ダメですか…?途中まででもいいんで」
心底困ったという風に眉を下げて伺いを立ててくる彼に、少し心が痛む。
きっと彼の雰囲気が、神崎に似ているから。
どうしても放っておけないというか、放っておきたくなくて、じゃあ駅前の通りまで…という約束で道案内をすることにした。
この場所から駅前の通りまではそう遠くない。
神崎に事情を説明するメッセージを手早く打ち込み送信して、初対面の彼と並んで歩き始めると、何故か彼の手が俺の腰の辺りに添えられた。
「あの…なんですか?」
「何がです?」
「いや、何がって…」
この手だよ!
…と、言いたいけど、言えない。
会社では鬼として知られている俺だが、元々は気が弱くて人見知りなのだ。
極力、波風を立てたくなくて黙り込むと、調子に乗った彼の手に力が篭もり、グイッと引き寄せられた。
「ちょ、ちょっと!」
「いいから、支えさせて。具合悪いのに無理しちゃダメだよ」
「…な、に、言って…っ」
「ちゃんと歩けるようになるまで、ホテルかどこかで休んでいこうか」
(…しまった。)
そう思った時には、もう遅かった。
俺が大きな声を出した時、道行く人が何人かこちらを見たけれど。
彼が、俺と知り合いで、俺の体調が悪いから支えている、ということを装ってしまったせいで、誰もこちらを気にする人がいなくなってしまった。
(…はめられた。)
そう、最初からこの男は、道に迷ってなどいなかったのだ。
その証拠に彼の足は、駅とは関係の無い人気の少ない方に向かって、慣れた様子でスタスタと進んでいる。
一体、何が目的なんだろう。
金か…?それとも…。
いずれにせよ、大ピンチだということに変わりはない。
(…どうしよう。大声をあげて、助けを呼ぶか?)
でも、男が男に連れ去られそうになって助けを求めるなんてあまりに情けないと、妙なプライドが邪魔をしてくる。
…本当だったら、今頃、神崎が俺をエスコートしてくれて、それで…。
忘れられない幸せな夜になる筈だった誕生日が、忘れられない最悪な夜になりそうな予感に、じんわりと涙が滲んだ。
その時。
「…おい。なにしてる?」
背後から、地を這うような低い声がして、隣に立つ男と2人同時に振り返ると、そこには。
「…っ、かんざきっ」
今まで、会社でもプライベートでも一度も見たことがないような怖い顔をした神崎が、静かな怒りのオーラに包まれ立っていた。
彼が放つ凄まじい怒気に圧倒された男の手が、俺の身体から離れていく。
その瞬間、もう情けないとか恥ずかしいなんて考えているどころじゃなくなっていた俺は、縋るように神崎の元へと駆け寄ると、神崎が俺を後ろに庇うようにしてくれて、言い様のない安心感から堪えていた涙が溢れ出した。
「お、俺は、その人に道案内を頼んだだけで…っ」
「道案内を頼まれただけの人がこんなに怯えて泣く訳ないでしょ」
「そ、それは……」
「そもそも、駅まで道案内してくるって、俺は聞いてたけど。駅はこっちじゃねぇんだわ。……この人に、何しようとした…?」
「…っ、男誘うような紛らわしい顔して立ってんのが悪いんだろうがっ」
まるで漫画のワンシーンのような捨て台詞を吐いて、俺を連れ去ろうとしていた男が走り去っていく。
男の背中が見えなくなると、ほっとして全身から力が抜けてしまい、ヘナヘナとその場にしゃがみ込みそうになるのを、しなやかな筋肉を纏った硬い腕が抱きとめてくれた。
「大丈夫ですか?」
「……だいじょばない……なにあいつ……めっちゃ怖かった……」
「もう…知らない人に着いてっちゃ駄目でしょう?」
「はぁっ?!いい年した男がいい年した男に連れ去られそうになるとか、普通考えないだろっ?!ただ純粋に道案内頼まれてるだけだと思ったから…!」
「まぁ、普通はね。でも実際連れ去られそうになったんだから、今度からはもう少し警戒して下さいよ?」
「……わかったよ」
酷い目に遭いかけた直後だし、神崎が本気で心配そうな目で覗き込んでくるしで、ここは素直に頷くしかない。
「…飯、行けそうですか?やめとく?」
別に体調を崩した訳じゃないのに、多分、精神的に参ってないかとか、そういうことを真剣に考えてくれているんだろう。
この年下の男はそういう気遣いが出来るやつだ。
その気持ちはありがたいし嬉しいけど、ぶっちゃけ今は飯に行かず独りになるほうが辛い。
…それに、なんてったって、今夜は。
「……かたな……」
「…へっ?刀?」
「っ……、いや、なんでもない。めし、いける、から…」
…危ない危ない。
うっかり願望が口をついて出るところだった。
慌てて首をブンブンと横に振って誤魔化し、予定通り飯に行ける旨を伝えれば、神崎は嬉しそうに笑って、俺を支えたままゆっくりと歩き出した。
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