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不穏な訪ね人
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このところ毎日、アークライト子爵宛に恋文が届くようになった。
それに比例して、めっきり夜遊びも減った。
これまでなら食事の席で家庭教師とやり合う子爵だが、最近はさっさと食事を済ませて自室に引っ込んでしまう。
「全く。父親ながら、面倒臭い人ね」
デザートのゼリーを掬いながら、アリアは呆れたようにルミナスの空席を横目する。
「お忙しい方だから」
消え入りそうな声でイザベラは何とか口元を斜めに吊った。
いつか、と覚悟していた日は、いよいよ近づいてきているのかも知れない。そのとき、平然と祝福を向けることが果たして出来るだろうか。
イザベラは陰鬱な気分になり、ぐずぐずとゼリーをスプーンで崩した。
「ローズ男爵令嬢と最近出来た迷路に行く」
山高帽を頭に乗せてから、エメラルドの飾りの煌めくステッキをくるくる回して、ルミナスは軽々しい口調で言ってのけた。
行き先は、とある男爵邸で、庭園に新たに生垣の迷路が作られたらしい。
生垣迷路とはその名の通り生垣を切り拓いて作られた迷路で、昔から娯楽の一つとされてきた。
今回、ルミナスの友人が巨大迷路を作ったので是非遊びに来いと誘いが来た。ルミナスはその連れ立つ相手をローズ男爵令嬢に選んだ。
とうとうか。イザベラの心が冷えていく。
今までは手紙での遣り取りだけだったが、ついに二人で会うということは、彼らの距離がぐっと近づいた証だ。
おそらくルミナスは、今日、令嬢に求婚する。
「お気をつけて」
アリアの隣に並び、イザベラは他の使用人に混じって深々と頭を下げた。
「君は何とも思わないのか? 」
嫌そうに顔をしかめながらルミナスが尋ねてきた。
「ご結婚に前向きになられて良かったですわ」
「まだ結婚すると決まったわけではない」
不機嫌に鼻を鳴らす。
「帰りは遅くなる」
吐き捨てるように言い置いて、彼はさっさと馬車に乗り込んでしまう。もうイザベラには見向きもしない。
「全く。素直じゃないんだから」
馬車が出発するなり、アリアは愛らしい頬を膨らませた。彼女はここのところ、父親に対して当たりが強い。今までなら甘ったれて愛想良く、にこにこしていたというのに。反抗期だろうか。
「アークライト様はいらっしゃる? 」
二頭立ての豪奢な馬車が屋敷の前に停まるなり現れた女性は、挨拶もそこそこに問いかけてきた。
金茶色の髪を三つ編みして後ろに結い上げ、大きく胸の開いた真っ赤なドレス姿。動くたびに豊かな胸が跳ねる。
「フィオナ様? 」
年配の女性なら間違いなく眉をひそめるデザインを、彼女が難なく着こなしているのは、派手めの化粧映えする顔と、目が釘付けになる体型のせいだ。
「たった今、出かけられました」
一足違いでルミナスは発った。もうローズ家に到着した頃だろうか。
「それなら、あなたで構わないわ」
ジロジロと無礼な視線を寄越しながら、フィオナはイザベラにニッと歯を剥く。
「このところリーナの調子が悪くて。ジョナサンは舞台女優を口説くことに夢中だし。誰も相手がいなかったのよ」
返事も聞かずに、イザベラを馬車に押し込む。抵抗する余裕さえない。彼女はイザベラよりも栄養を蓄えた体格通り、物凄く力が強い。
「迷路、行きましょうよ、迷路。最近、話題よ」
馬車に乗り込むなり、御者が馬の尻に鞭を打つ。
いななきを上げ、馬車が駆け出した。
乱暴な走りに加え、小石ばかりの悪路。整備されていない道を選び、馬は駆ける。
「な、何故、私を? 」
車輪が小石を噛むたびに尻が跳ね上がるる。
ガタガタと傾く車体に我慢しながら、イザベラはこれだけは聞かねばと口を開く。
「別に誰だって構わないわよ。たまたま、あなたがいただけよ」
その答えは予想以上に簡潔だ。
調子良くフィオナは白い歯を覗かせた。
あけすけな言い方は、貴族とは程遠い。ある意味気持ちの良い女性ではある。
「それに、あなた。男っ気ないでしょ。誰か殿方を紹介してあげるわ」
いつものイザベラなら、「結構です! 」などと声を張り上げでいたはず。
「どう? 」
「ええ」
イザベラは即答する。
「意外ね。男に興味ないと思ったのに」
フィオナは目をくりくりさせると、何やら企みのある意地悪い笑みを浮かべた。
その頃、子爵邸に取り残されたアリアは、青ざめ、いつもの落ち着きをすっかり失ってしまっていた。
「た、大変だわ! 」
ついに見えなくなってしまった馬車の方角を向いたまま、オロオロと冷や汗をかく。
「馬丁を呼んで! 」
同じくオロオロする使用人達。家庭教師が拉致同然に連れ去られたのだ。焦らないはずがない。
「確か、最近話題の迷路に行くと言ってたわ」
話題の迷路とは一つしか浮かばない。
「フィオナ様は良くない噂を聞くわ。イザベラにもし何かあったら大変! 」
まだ社交デビューに早いアリアの耳にまで、フィオナの悪評は届いている。婚約者がいるいないに関わらず、誰彼構わず見境なく男に手を出す悪女。その豊満な胸とあけすけな性格が、世の男性を虜にし、加えて父親の男爵がめっぽう娘に弱く、やりたい放題。
幾ら旧友のジョナサン卿のお気に入りの女性だからといって、父がフィオナと関わりを持つのを危惧していたアリア。
心配した通りの展開に、父を恨まずにはいられない。
「お父様にすぐ報せてちょうだい! 」
アリアは叫んだ。
それに比例して、めっきり夜遊びも減った。
これまでなら食事の席で家庭教師とやり合う子爵だが、最近はさっさと食事を済ませて自室に引っ込んでしまう。
「全く。父親ながら、面倒臭い人ね」
デザートのゼリーを掬いながら、アリアは呆れたようにルミナスの空席を横目する。
「お忙しい方だから」
消え入りそうな声でイザベラは何とか口元を斜めに吊った。
いつか、と覚悟していた日は、いよいよ近づいてきているのかも知れない。そのとき、平然と祝福を向けることが果たして出来るだろうか。
イザベラは陰鬱な気分になり、ぐずぐずとゼリーをスプーンで崩した。
「ローズ男爵令嬢と最近出来た迷路に行く」
山高帽を頭に乗せてから、エメラルドの飾りの煌めくステッキをくるくる回して、ルミナスは軽々しい口調で言ってのけた。
行き先は、とある男爵邸で、庭園に新たに生垣の迷路が作られたらしい。
生垣迷路とはその名の通り生垣を切り拓いて作られた迷路で、昔から娯楽の一つとされてきた。
今回、ルミナスの友人が巨大迷路を作ったので是非遊びに来いと誘いが来た。ルミナスはその連れ立つ相手をローズ男爵令嬢に選んだ。
とうとうか。イザベラの心が冷えていく。
今までは手紙での遣り取りだけだったが、ついに二人で会うということは、彼らの距離がぐっと近づいた証だ。
おそらくルミナスは、今日、令嬢に求婚する。
「お気をつけて」
アリアの隣に並び、イザベラは他の使用人に混じって深々と頭を下げた。
「君は何とも思わないのか? 」
嫌そうに顔をしかめながらルミナスが尋ねてきた。
「ご結婚に前向きになられて良かったですわ」
「まだ結婚すると決まったわけではない」
不機嫌に鼻を鳴らす。
「帰りは遅くなる」
吐き捨てるように言い置いて、彼はさっさと馬車に乗り込んでしまう。もうイザベラには見向きもしない。
「全く。素直じゃないんだから」
馬車が出発するなり、アリアは愛らしい頬を膨らませた。彼女はここのところ、父親に対して当たりが強い。今までなら甘ったれて愛想良く、にこにこしていたというのに。反抗期だろうか。
「アークライト様はいらっしゃる? 」
二頭立ての豪奢な馬車が屋敷の前に停まるなり現れた女性は、挨拶もそこそこに問いかけてきた。
金茶色の髪を三つ編みして後ろに結い上げ、大きく胸の開いた真っ赤なドレス姿。動くたびに豊かな胸が跳ねる。
「フィオナ様? 」
年配の女性なら間違いなく眉をひそめるデザインを、彼女が難なく着こなしているのは、派手めの化粧映えする顔と、目が釘付けになる体型のせいだ。
「たった今、出かけられました」
一足違いでルミナスは発った。もうローズ家に到着した頃だろうか。
「それなら、あなたで構わないわ」
ジロジロと無礼な視線を寄越しながら、フィオナはイザベラにニッと歯を剥く。
「このところリーナの調子が悪くて。ジョナサンは舞台女優を口説くことに夢中だし。誰も相手がいなかったのよ」
返事も聞かずに、イザベラを馬車に押し込む。抵抗する余裕さえない。彼女はイザベラよりも栄養を蓄えた体格通り、物凄く力が強い。
「迷路、行きましょうよ、迷路。最近、話題よ」
馬車に乗り込むなり、御者が馬の尻に鞭を打つ。
いななきを上げ、馬車が駆け出した。
乱暴な走りに加え、小石ばかりの悪路。整備されていない道を選び、馬は駆ける。
「な、何故、私を? 」
車輪が小石を噛むたびに尻が跳ね上がるる。
ガタガタと傾く車体に我慢しながら、イザベラはこれだけは聞かねばと口を開く。
「別に誰だって構わないわよ。たまたま、あなたがいただけよ」
その答えは予想以上に簡潔だ。
調子良くフィオナは白い歯を覗かせた。
あけすけな言い方は、貴族とは程遠い。ある意味気持ちの良い女性ではある。
「それに、あなた。男っ気ないでしょ。誰か殿方を紹介してあげるわ」
いつものイザベラなら、「結構です! 」などと声を張り上げでいたはず。
「どう? 」
「ええ」
イザベラは即答する。
「意外ね。男に興味ないと思ったのに」
フィオナは目をくりくりさせると、何やら企みのある意地悪い笑みを浮かべた。
その頃、子爵邸に取り残されたアリアは、青ざめ、いつもの落ち着きをすっかり失ってしまっていた。
「た、大変だわ! 」
ついに見えなくなってしまった馬車の方角を向いたまま、オロオロと冷や汗をかく。
「馬丁を呼んで! 」
同じくオロオロする使用人達。家庭教師が拉致同然に連れ去られたのだ。焦らないはずがない。
「確か、最近話題の迷路に行くと言ってたわ」
話題の迷路とは一つしか浮かばない。
「フィオナ様は良くない噂を聞くわ。イザベラにもし何かあったら大変! 」
まだ社交デビューに早いアリアの耳にまで、フィオナの悪評は届いている。婚約者がいるいないに関わらず、誰彼構わず見境なく男に手を出す悪女。その豊満な胸とあけすけな性格が、世の男性を虜にし、加えて父親の男爵がめっぽう娘に弱く、やりたい放題。
幾ら旧友のジョナサン卿のお気に入りの女性だからといって、父がフィオナと関わりを持つのを危惧していたアリア。
心配した通りの展開に、父を恨まずにはいられない。
「お父様にすぐ報せてちょうだい! 」
アリアは叫んだ。
応援ありがとうございます!
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