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そして、日常
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せっかくの休日は、悶々と思い悩むことで使い果たした。
騎士団の詰め所のドアを開けた途端、レイノリアの足が竦む。
覚悟していたこととはいえ、やはり足裏がぴったり張り付いて動かず、棒立ちになってしまう。
どうするべきか。何事もなく振る舞うか。笑って冗談として済ませるか。それとも、向かい合って鼻突き合わせて、今後の展開を論じるか。答えの出ない悩みがまたもや脳味噌を揺らした。
「体、平気か? 」
ポンと肩を叩かれ、飛び上がった。
「きゃっ! 」
ケインだ。
「な、なななな何が? 」
「何がって」
ケインが怪訝に眉をひそめる。
もしや、心の中を見抜かれたか。脂汗がじっとりと項を濡らす。
「火傷だよ。軽度って聞いたけど。大丈夫か」
「あ、ああ。うん。迷惑かけてごめんなさい」
ケインは察しのいい男だが、別に何もかも見透かす魔法使いではない。レイノリアは項の汗を拭いながら、作り笑いを浮かべる。
「何かあったのか? 」
「い、いいえ。なななな何も」
不自然に頬を引き攣らせつつ、わざとらしくにっこり笑う。始業にはまだかなり時間があるが、もたもたして、ケインに図星をさされても困る。
「お先に」
言い置き、速足で事務机へと向かった。
レイノリアが意識を取り戻したとき、すでにライナードの姿はなかった。
カーテンが引かれ、テーブルの上には角張った右上がりの字で『帰る』とだけ書かれた紙切れ一枚残されているだけだった。
激しかった行為の痕跡は何ら見当たらない。
あの出来事は夢だったのかとの希望的観測は、しかし、体内から溢れ出た白濁の液体によって、あっけなく打ち砕かれた。
一体、ライナードはどのくらい吐き出したのだろうか。一度や二度では済まない量だ。拭っても拭っても、下着をべったりと濡らし、仕舞いに粗相したかのように麻のズボンに大きく染みを作った。一丁裏が台無しだ。
なるようになれ、だ。
ごくりと唾を呑んで意気込んだが、ライナードの姿は詰め所にはなかった。
相変わらずセディは手本のように背筋を正して黙々と書き物をしている。
紅茶の蓋を開けながら、ケインはそういえば、と話を始めた。
「お前に見せてやりたかったよ。隊長の焦った顔」
「えっ」
舌舐めずりするライナードを思い出している、ちょうどのダイミングだった。間の悪さに、ぎくっと心臓が跳ねた。
「『鬼のライナード』はどこ行ったんだって感じ。今にも泣き出しそうに、意識失ったお前に何度も呼びかけてさ。仕舞いに近衛兵からうるさいって止められて、逆切れして、ワドルフさんとセディさんが必死で止めてたよ」
隊長の威厳を損ないかねない言い方に、セディがジロリと睨みつける。ケインはバツが悪そうに、淹れたばかりの紅茶を啜った。セディもライナードに憧れて、騎士団に志願した一人だ。
「嘘でしょ」
あの隊長が現場で取り乱す姿など、想像がつかない。冷静沈着で知れ渡る男だ。有り得ない。ケインに担がれた。そう納得させたとき、背中にドンと開いた扉がぶつかる。
「ああ、悪い」
よりによって、ライナードとまともに向き合ってしまった。
「お、おう。レイノリア・リュー。平気か? 」
執務室からの帰りなのか、書類の束を両手いっぱいに抱え、一枚二枚がひらひらしてもわからないような厚さだ。
ライナードもレイノリア同様、気持ちの整理がちゃんとついていないのか、明らかに目を泳がせ、二の句に詰まっている。この太い指が、自分の体内を這い回したのだ。チラリと過った思いが、たちまち昨日の行為を蘇らせ、首筋まで一気に赤く染める。
ライナードもレイノリアの露骨な赤面の仕方に、彼女が何を思い出したのか見抜き、気まずそうに唇の渇きを舌で舐めた。
「あれ? どうしたんですか? こんなとこに突っ立ったまま」
詰め所に入ってきたワドルフの呑気な声に、弾かれたようにライナードとレイノリアが飛び上がった。
「い、いや。何も」
ごにょごにょと何やら誤魔化しながら、己の席へと逃げるライナード。
レイノリアも椅子に滑り込むように座った。
「レイノリア。もう傷はいいのか? 」
「は、はい。ご迷惑おかけしました」
「そう。無事でなにより~」
ワドルフは明らかに不審な二人の態度には何ら触れず、へらへらと笑う。と、すぐにその口元が引き締まった。
「隊長。例の件でお話が」
途端、ライナードの表情が強張る。
「お、おう。図書室を空けておいてくれ。すぐ行く」
ワドルフは一礼し、先に部屋を出た。間際、レイノリアに意味ありげな視線を送る。
もしや、バレた? ライナードとの秘め事を。びくっと肩が揺れた。しかしワドルフは何も言わず、扉を閉める。
一瞬見せた彼の目は確実に何かを掴んでいるようで、何かに挑む直前のギラギラしたものだ。普段のへらへらっとしたものではない。
レイノリアにはそれが、『何もかも知ってるぞ』と言われた気がした。
やはり、しっかり向き合わなければいけない。
深呼吸。
よし!
覚悟を決め、レイノリアは勢いよく椅子から立ち上がった。
「あ、あの。隊長。話があります」
「い、いや。ちょっと待て。あ、あの。後でな」
誰が見ても避けているようにしか見えない態度。ライナードは机にドサッと書類の山を置くと、いちいち椅子や机にぶつけながら、駆け足で部屋を出て行った。
騎士団の詰め所のドアを開けた途端、レイノリアの足が竦む。
覚悟していたこととはいえ、やはり足裏がぴったり張り付いて動かず、棒立ちになってしまう。
どうするべきか。何事もなく振る舞うか。笑って冗談として済ませるか。それとも、向かい合って鼻突き合わせて、今後の展開を論じるか。答えの出ない悩みがまたもや脳味噌を揺らした。
「体、平気か? 」
ポンと肩を叩かれ、飛び上がった。
「きゃっ! 」
ケインだ。
「な、なななな何が? 」
「何がって」
ケインが怪訝に眉をひそめる。
もしや、心の中を見抜かれたか。脂汗がじっとりと項を濡らす。
「火傷だよ。軽度って聞いたけど。大丈夫か」
「あ、ああ。うん。迷惑かけてごめんなさい」
ケインは察しのいい男だが、別に何もかも見透かす魔法使いではない。レイノリアは項の汗を拭いながら、作り笑いを浮かべる。
「何かあったのか? 」
「い、いいえ。なななな何も」
不自然に頬を引き攣らせつつ、わざとらしくにっこり笑う。始業にはまだかなり時間があるが、もたもたして、ケインに図星をさされても困る。
「お先に」
言い置き、速足で事務机へと向かった。
レイノリアが意識を取り戻したとき、すでにライナードの姿はなかった。
カーテンが引かれ、テーブルの上には角張った右上がりの字で『帰る』とだけ書かれた紙切れ一枚残されているだけだった。
激しかった行為の痕跡は何ら見当たらない。
あの出来事は夢だったのかとの希望的観測は、しかし、体内から溢れ出た白濁の液体によって、あっけなく打ち砕かれた。
一体、ライナードはどのくらい吐き出したのだろうか。一度や二度では済まない量だ。拭っても拭っても、下着をべったりと濡らし、仕舞いに粗相したかのように麻のズボンに大きく染みを作った。一丁裏が台無しだ。
なるようになれ、だ。
ごくりと唾を呑んで意気込んだが、ライナードの姿は詰め所にはなかった。
相変わらずセディは手本のように背筋を正して黙々と書き物をしている。
紅茶の蓋を開けながら、ケインはそういえば、と話を始めた。
「お前に見せてやりたかったよ。隊長の焦った顔」
「えっ」
舌舐めずりするライナードを思い出している、ちょうどのダイミングだった。間の悪さに、ぎくっと心臓が跳ねた。
「『鬼のライナード』はどこ行ったんだって感じ。今にも泣き出しそうに、意識失ったお前に何度も呼びかけてさ。仕舞いに近衛兵からうるさいって止められて、逆切れして、ワドルフさんとセディさんが必死で止めてたよ」
隊長の威厳を損ないかねない言い方に、セディがジロリと睨みつける。ケインはバツが悪そうに、淹れたばかりの紅茶を啜った。セディもライナードに憧れて、騎士団に志願した一人だ。
「嘘でしょ」
あの隊長が現場で取り乱す姿など、想像がつかない。冷静沈着で知れ渡る男だ。有り得ない。ケインに担がれた。そう納得させたとき、背中にドンと開いた扉がぶつかる。
「ああ、悪い」
よりによって、ライナードとまともに向き合ってしまった。
「お、おう。レイノリア・リュー。平気か? 」
執務室からの帰りなのか、書類の束を両手いっぱいに抱え、一枚二枚がひらひらしてもわからないような厚さだ。
ライナードもレイノリア同様、気持ちの整理がちゃんとついていないのか、明らかに目を泳がせ、二の句に詰まっている。この太い指が、自分の体内を這い回したのだ。チラリと過った思いが、たちまち昨日の行為を蘇らせ、首筋まで一気に赤く染める。
ライナードもレイノリアの露骨な赤面の仕方に、彼女が何を思い出したのか見抜き、気まずそうに唇の渇きを舌で舐めた。
「あれ? どうしたんですか? こんなとこに突っ立ったまま」
詰め所に入ってきたワドルフの呑気な声に、弾かれたようにライナードとレイノリアが飛び上がった。
「い、いや。何も」
ごにょごにょと何やら誤魔化しながら、己の席へと逃げるライナード。
レイノリアも椅子に滑り込むように座った。
「レイノリア。もう傷はいいのか? 」
「は、はい。ご迷惑おかけしました」
「そう。無事でなにより~」
ワドルフは明らかに不審な二人の態度には何ら触れず、へらへらと笑う。と、すぐにその口元が引き締まった。
「隊長。例の件でお話が」
途端、ライナードの表情が強張る。
「お、おう。図書室を空けておいてくれ。すぐ行く」
ワドルフは一礼し、先に部屋を出た。間際、レイノリアに意味ありげな視線を送る。
もしや、バレた? ライナードとの秘め事を。びくっと肩が揺れた。しかしワドルフは何も言わず、扉を閉める。
一瞬見せた彼の目は確実に何かを掴んでいるようで、何かに挑む直前のギラギラしたものだ。普段のへらへらっとしたものではない。
レイノリアにはそれが、『何もかも知ってるぞ』と言われた気がした。
やはり、しっかり向き合わなければいけない。
深呼吸。
よし!
覚悟を決め、レイノリアは勢いよく椅子から立ち上がった。
「あ、あの。隊長。話があります」
「い、いや。ちょっと待て。あ、あの。後でな」
誰が見ても避けているようにしか見えない態度。ライナードは机にドサッと書類の山を置くと、いちいち椅子や机にぶつけながら、駆け足で部屋を出て行った。
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