上 下
17 / 30

白雪姫の来訪

しおりを挟む
 その日、ランハートの帰りは遅かった。
 いつになくぐったりとしており、メインルームに備えられたソファに、どっかりと座り込んだ。肘掛けに凭れ掛かかるように、頬杖をつく。
 眉間には皺が寄り、険しさが顕著だ。
 アデリーは心配ながら、話しかけられない雰囲気で、柱の影からしか様子を伺えない。
「そんなところに隠れていないで、こちらに来なさい」
 ランハートはとっくにお見通しで、目を細める。
 アデリーは、バツが悪そうに頬を赤らめながら、おとなしくランハートの真横に腰を下ろした。
「随分、お疲れですね」
 言って、アデリーは横顔を伺う。
 ランハートは苦笑いで頷くのみ。公務か私事か、何やら不味いことが生じているのは明白だ。
「旦那様」
 控えていたロベルトが、見計らったかのようにランハートに耳打ちした。
「……それで、どこにいる? 」
 たちまちランハートの銀色の目がギラリと光った。目つきが変わる。
「応接間にお通ししております」
「無下にも出来ないしな。仕方がない」
 溜め息をつくと立ち上がった。
「あ、あの? 」
 何かしらの事態が起こっている。
「君は自室に戻っていなさい。指示があるまで、決して出て来ないように」
 早口で指示を出すと、ロベルトを連れてランハートはずかずかと大股で応接間へと向かった。
 大人しく聞き分けの良い妻を演じている場合ではない。
 何かが起こっているのは確か。
 屋敷を守る妻として、知らんぷりなど出来ない。
 アデリーは、薬指の指輪を片方の手で覆う。
 屋敷を守るなんて、本当はただの建前。
 ランハートの身が心配。理由は一つ。
 はしたないのは、承知している。
 アデリーは、ランハートの後をこっそり追いかけた。


「叔父様! お久しぶり! 」
 ソプラノの声が弾む。
 ドレスの衣擦れの音。続いた、パタパタ走る靴音。
「スノウ・ホワイト。何故、ここに? 」
 いかにもの戸惑いを隠しもせず、ランハートが問いかける。
「だって叔父様ったら、全然会いに来てくださらないもの」
「なかなか王宮には行けないよ」
「嘘。馬車が停まっているでしょ、毎日」
「仕事が忙しくてね」
「宰相様と、何の密談? 」
 間があった。
 扉の外で聞き耳をたてるアデリーにまで、室内の空気の重さが伝わってくる。
 びりびりと痺れ不要な感覚に、アデリーは唾を飲み下した。
「スノウ・ホワイト」
 ぞくり、とするほど冷たいランハートの声。
「君は私を探りに来たのか? 」
 決してアデリーには聞かせない響き。
 氷の公爵。忘れていた呼び名を思い起こさせる。
「誤解よ。私は、あの女が叔父様を独り占めするのが、許せないだけ」
「アデラインは、私の妻だよ」
「でも、元は私の継母よ」
「今は違うだろう」
 またしても、間が出来る。
「もう、いいわ。帰ります」 
 嘆息と共に近づいてくる靴音。
 まずい!
 寸前で、アデリーは部屋の真向かいの掃除用具庫に滑り込んだ。
 ほどなくして、扉の開く音。
 間一髪。
 いらいらしたような速足の靴音。
 それが聞こえなくなってから、やや重みのある靴音。ランハートだ。彼の音も聞こえなくなった。
 ほっと息をつき、ようやくアデリーは掃除用具庫から出られた。


「奥様。お水をお持ちしました」
 ノックを三回し、メイドが寝る前の水差しを持って来るのが日課だ。
 いつもと変わりない夜。
 しかし、アデリーはベッドから起き上がるや否や、マットレスを蹴り、一足飛びで真後ろの床に着地する。
 貞淑な妻の顔ではない。
 毒りんごを演じるときと同じ、警戒心剥き出しの厳しい相貌だ。
「ス、スノウ・ホワイト? どうして? 」
 メイドではない。
 この場にいるべきはずのない少女。
「馬鹿ね。空の馬車を帰らせたのよ」
 窓から王宮の馬車が帰る様を確かめた。
 まさか、誰も乗っていなかったなんて思いも寄らない。
 油断した。
「あんただけは、許せない」
 白雪姫は腰紐を引き抜くと、素早くアデリーの首に巻きつけた。
 アデリーとて、十何年と稽古を続けて、反射神経も鍛えている。
 それが、こんな小娘に隙をつかれてしまった。
 やはり、ランハートの元へ嫁いでから、まともに稽古しなかったからか。
「お父様だけでなく、叔父様にまで色目を使って」
「い、色目なんか使ってない」
「よく言うわ。野暮ったかったくせに。今の格好は何よ。色仕掛けなんて、姑息な真似して」
「し、失礼な」
「本当のことでしょ」
「く、苦し……」
 巻き付いた腰紐が、皮膚に食い込む。
 本気だ。本気で白雪姫は命を奪いにかかってきている。
 さらに皮膚を喰む腰紐に力が加わる。
 紐は細すぎて、取り払えない。首を掻きむしっても、虚しく空を踠くだけ。
 頭がくらくらする。
「アデリー! 」
 不意に扉が開き、飛び込んで来たのは、ランハートだ。
 息を切らし、荒く肩を上下させながら、額にびっしりと汗の粒を浮かせて、彼は物凄い目で睨みつけている。
 普段の垂れた目はそこにはない。
 視線で殺せるなら、そうしてやりたい。
 国王に匹敵する冷酷さ。
「スノウ・ホワイト! 何の真似だ! 」
 怒鳴り声は、ア アデリーが屋敷に来て初めてだ。
「わ、私は叔父様をたぶらかす悪魔を成敗しようと」
 あまりの剣幕に、白雪姫も怯んでいる。
「アデリーに手出しするなら、たとえお前でも許さない」
「な、何よ。怖い顔して」
 アデリーに巻きつけた紐を外し、白雪姫は気まずそうに唇を噛み締める。
 大好きな叔父に叱り飛ばされるとは、予想していなかった。そんな顔だ。
「今すぐ城へ帰れ」
 容赦なくランハートは言い放つ。
「わ、わかったわよ。馬車を用意してよ」
「言われなくとも」
 ランハートは白雪姫の襟首を掴み上げると、廊下に放り投げた。



しおりを挟む
1 / 4

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

妹ばかり見ている婚約者はもういりません

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:53,572pt お気に入り:6,789

ありあまるほどの、幸せを

BL / 連載中 24h.ポイント:4,566pt お気に入り:366

義姉転生~シンデレラの義理の姉になってしまいました~

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:8

王子の婚約者を辞めると人生楽になりました!

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:7,376pt お気に入り:4,715

幼馴染がそんなに良いなら、婚約解消いたしましょうか?

恋愛 / 完結 24h.ポイント:20,384pt お気に入り:3,559

自殺系サイト

ホラー / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:5

処理中です...