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(17)ミジュリスの記憶と涙
王都からずっと遠くにある北の森に、1人の女性がいた。どんよりとした雲が広がり、誰しもがぶるぶる震えるほどの低い気温だった。霧に包まれた森にぽつんと存在する湖で、その人はだるそうにつぶやく。
「ミジュリス…」
黒髪、白い肌、儚い印象を受ける細い体。肌が凍るほどの湖に、裸のまま下半身だけを浸していた。控えめに膨らんだ胸からぽたりと水滴が落ちた。
「くそっ!」
自棄のように水面を強く殴り、水しぶきが彼女にかかる。ゆっくりと波紋が広がっていく。
「あ゛~…」
地を這うような低いため息のあとに、天を仰いだ。そして空に向かってまたも叫ぶ。
「クソッ! ふざけんなッ!」
どろりと垂れはじめた腕の皮膚を魔法で抑えてから、もう一度腕を振りかざした。
ばしゃん!と水がはじく音が森に響く。
「話が、違う…ッ!」
声は震えている。それは寒さからなのか、悔しさからなのか。
「クソが…」
攻撃的な独り言は、いつまでも続いていた。湖を囲む森の奥には、彼女を見守る近衛兵が1人立っていた。頑丈な兜からのぞく目はまるで感情がない。彼は今回のゴールド狩りが失敗したことを国王に報告する手筈を整え終わったところだ。目の前で荒ぶる主へそれを伝えるため、彼女の心が落ち着くのを見計らっていた。
ミジュリス陛下の日記のありかを探るため、宝物殿に忍び込む計画をさらに練ろうとダントンは言った。
彼はかつてジュナチの両親が王へ謁見し、発明品を国王へ献じる様子を、ジュナチとともに遠くから見ていた。その日、城には護衛しかいなくなる。掃除係や納品係などの雑務を行う者や来賓等は城に入ることはできない。護衛たちの配置は毎度同じであることを、ダントンは周りの足音を聞いて理解していた。そして、宝物殿の近くには、いつもいる衛兵が減ることも。
「なんでそこまで把握してるの?」
「いつか入ってみてぇなって思ってたんだよ。明らかに面白そうな見た目してるだろ」
彼の楽し気な言葉に首を傾げた。彼女は建物に関心がなく、宝物殿がどんな形かさえ覚えていなかった。
「そこでさっきの話の続きだ。謁見時間を長くするなら…」
ダントンははっきりと言い切った。
「納品ついでに、新しい魔法道具を献上する。魔法道具の説明だ模範だなんだで、かなり時間が取れるはずだろ」
その言葉に、ジュナチは頭を横に大きく振った。そんな彼女を無視してルチアの目は輝き、パースは頷く。
「で、でも…でもさぁ…」
ジュナチが反論しようとするのを制し、ダントンは言う。
「城が手薄になる方法が、他にあるなら聞くけど」
ニヤリと意地悪い笑顔をジュナチに向ければ、彼女は下を向いて黙ったままだった。
そんな会話をしてから数日後。
「うう…」
ジュナチはノートに向き合って、唸り声を上げるたびに後悔していた。ダントンからの提案を受けて、今まで以上に悩める日々を過ごしている。自室の窓辺でぼんやりと考えたり、芝生の上で寝っ転がったり、森を歩き回ったりして、発明品が浮かぶのを待っていた。
いつもは隣にいてくれるルチアは、今日はパースと出かけている。時折、ジュナチは彼女のことを考えていた。
(…ルチア、大丈夫かな。スコールなんて知らないって聞いたけど)
ルチアは、研究室に浮かぶ扉の先にいた。扉には雲から水滴が落ちているマークが描かれている。その先は、サイダルカが所有するスコールが降り続ける島へ続いていた。
(パースさんもいるから心配しなくていいか)
ジュナチはノートに向き直った。なにも書き出す気配はないが。
ジュナチが唸る中、ルチアはスコールの中をパースと共に歩いていた。なぜここにいるかというと、ルチアが王都に行くために「魔法道具のマント」を作るためだった。彼女は、ジュナチからおそろいのマントを預かっていた。それは島から王都に移動したときに使用したものに似ていたが、ジュナチのものとは裏地の色が違い、真っ白だった。
ジュナチが持っているマントは約20年かけて、初代と2代目が協力して作り上げたものだった。裏地は紺色で、さまざまな植物と精霊の力が深く籠められている。
長い時間をかけて作られたマントは、いつでも移動ができる。その魔法道具は制作期間が短いと、移動できる回数が限られる。今から謁見までの時間で作れるマントは、一度だけ移動できるものだ。
王都へ一緒に行くルチアのために、いざというときに逃げられるように作っておきたいとジュナチは提案し、ルチアとパースは材料を集める役目を仰せつかっていた。
『風移動のマント』のレシピ
【用途】 行きたい場所を願えば、マントの中に道が通じる。行きたい場所へ行きましょう。
【材料】 クルリカエルが泳ぐ川の水、スコールと日光が良く当たっているエルニア草を100本ほど、砕いたスッチ宝石少々、ミーアドラゴンの牙のかけら、タラタラ虫の繭糸で作ったマント、ナグサミ草の精油
【作り方】 材料の水を特大鍋に入れて4時間煮込む。爽やかな青色になるでしょう。材料を最初から順番にゆっくりと入れて、1つ1つ溶かします。(クルリカエルは触れると皮膚がただれるので気を付けてね)
材料をすべて入れたら水が深い森の色になったでしょう。火を止めて、裏地を表にして丸めたマントを静かに浸して。
そこで精霊に感謝をしましょう。「日頃感謝いたします、限られた時間を生きる私たちにお力をお貸しください、風のように飛んでいきたいのです」と伝えてね。
その後はかき混ぜないでじっと24時間以上眠らせなさい。それを天日干しして、裏地が赤い火の色に変化すれば、1回移動できるマントができた合図よ。乾くのは約1週間かかるから、毎日きちんと移動ができるようにお願いする言葉をかけてちょうだい。
(1代目メモ:いつでもどこでも移動できるマントが欲しいなら、上に書いた作業を1000回やりなさい。裏地は闇の色になるわ)
この『風移動のマント』の材料を集めながら、ルチアとパースはスコールの中を歩いていた。だけど、パースは材料を集める作業に全く納得していない。なぜなら、マントを作る意味がないと思っているせいだ。
ルチアはジュナチが謁見するときに、一緒に都市へ行きたがった。激しい剣幕でそう主張したため、ダントンとジュナチは折れた。そのため安全策としてマントの作成を提案した。だけど、パースだけは危険だからと反対をし続けていた。そして、材料集めをするルチアに渋々ついていった。
先を歩くパースの背中にルチアは言う。
「主人の言うことはすぐに了承しなさいよ」
「主人の危険を黙って見てられるほど、使えない従者じゃないんですよ」
パースにとげとげしい口調で話すルチアはため息をついた。
「…わたしは、王都に絶対行くの」
「なんでそこまで必死なんですか? 理由をちゃんと説明してください」
「………、」
「ほら、これ聞くと黙っちゃうんですもん」
ルチアは、王都に行くことでミジュリスの記憶がよみがえることを期待していた。そうすれば、日記の在り処がわかるかもしれない。ただ、前に王都へ行ったときは、ひどく体調が悪くなって倒れてしまったので、また同じ状態になる可能性もある。それも覚悟の上だった。
(倒れたって知ったら、パースはもっと反対するわよね…)
そのせいでルチアは具体的な理由は言えず、パースの質問に一旦口を閉ざしていまう。頭をひねって理由を考えて、パースへその場で考えた理由を何度か伝えた。
「1人で留守番はイヤだし…」
「ウソの匂いがしますよ」
言えば、そうやってパースは呆れた顔をする。それが癇に障った。スコールでベタベタになった肌がさらに彼女をイラつかせる。ルチアは最終手段を取った。
「命令よ、わたしを王都に連れていきなさい」
「ずるいなぁ。陛下はいつもそう言いますよね」
ルチアはその言葉になぜか引っかかった。パースがこちらを振り返しもせず、しぶしぶと承諾した様子を見て、もやもやした気持ちが大きくなる。
「王都に行ったらちゃんと一緒に行動してくださいね、あなたは迷子になりやすいんですから」
嫌味のようにパースが言った言葉に、ルチアは首をかしげる。
「…わたし、方向音痴じゃないけど」
「え、いっつも迷子だったのに?」
「…?」
その心配そうに言う言葉に、ルチアの頭の中で、ある記憶がよみがえった。
ふらふらと街中を歩くと、パースが腕を組んで案内してくれた記憶。深い森を歩き「ケダマ」とつぶやくと、いつの間にか隣りにパースがいる記憶。
「方向音痴がなんてダセェ」
「完璧な人間は魅力がないだろう。それに、お前が横にいれば問題はない」
言葉を聞いてふわりと笑うパース。その表情を愛しいと喜ぶ感情が、ルチアの中を駆け巡っていく。
(こんなパース、知らない…)
途端、ルチアは気分が悪くなった。自分の体と記憶が、他人のもので埋め尽くされた気持ちになる。
「わたしは違う! 迷子なんてならないわ! 一緒にしないでよ!」
慣れない大声を出した瞬間、体中が熱くなり、涙があふれてきた。どうして自分がこんなに寂しい気持ちになるのかわからないが、心に任せて涙を流した。パースはすぐにルチアに駆け寄って、落ち着くよう背中を撫でた。
「あ、あは…すみません、要らないお世話でしたね…」
そう言ってパースは困ったように笑っていた。ルチアが泣き出した理由もわからず、泣いている人間をなだめる性格でもないため、ただ不器用に手を優しく動かした。ルチアはそれを振り払って、近くの木をノックして研究室への扉を開く。
「材料は十分でしょ。帰るわ」
そう息が詰まりながら言って、扉へ飛び込んだ。いつもルチアのあとについていたパースだったが、そのときはスコールの中に立ち尽くしたまま動かなかった。
「………、」
しばらくぼんやりとしながら、ルチアの泣き顔を思い出していた。
(どうして泣いたんだろう?)
あんなにも感情が揺れやすい人間が、ゴールドリップという命を狙われる存在でいられると感心した。冷静な判断もできなさそうで、すぐ敵に見つかって殺されてしまいそうだ。
(陛下は泣き言なんて言わなかったな)
ミジュリスの凛々しい顔がよぎる。その目はギラギラと輝き、必死に追いかけないと振り落とされてしまうような強さがあった。その勇ましさに、パースは人としてミジュリスに惚れていた。
ミジュリスのことを考えながら、ぼろぼろと大粒の涙をこぼしたルチアを思い出す。
(全く似てない)
彼は、ミジュリスの魂を持っているからという理由でルチアを主とした自分に、違和感を持ち始めていた。
(陛下の魂は他人に移動した。だけど、その体はルチアさんのもの…)
ミジュリスの顔とルチアの顔が交互に脳裏をかすめる。
(陛下の面影を、彼女に重ねるのは失礼か?)
わかり切った自問自答をする自分が情けなくて、パースは唇を尖らせた。肌にまとわりつくスコールのうっとうしさから逃げ出したくなる。
(研究室じゃない場所へ…)
ルチアがいるであろう研究室には、気まずくて戻りたくなかった。パースは近くの木をノックして、オバー様の下に行かせてほしいと頼んだ。すると開かれた扉は彼が求めていた香りに包まれていた。オバー様が彼を招くようにゆらりと揺れる。その様子に満足そうに微笑んでから、
(王都でしっかりとルチアさんを守らないとな)
そう心に決めて、オバー様のもとに走り出した。
研究室に戻ったルチアを、ジュナチは待っていた。マントの作り方を詳しく説明しようと息巻いていたが、帰ってきた彼女の表情にぎょっとして手を伸ばした。
「大丈夫…?」
涙で濡れるルチアの顔を覗き込んだが、彼女は何も答えなかった。ジュナチの肩に顔をうずめて、しばらく泣いていた。
つづく…
閲覧いただき、ありがとうございました!
次回は6月2日(来月の第1金曜日)の夜に更新します。
※9月まで2か月に1度の更新となります。よろしくお願いします。
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