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第1章 始まりの章

2話 失態犯した翌日

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「朝のホームルームの時間からずっと怖い顔したまんまだけどなにかあったのー? ねぇナツキー、聞いてるー?」


 昨日殺した忍びのオネエに、淫乱になる毒を盛られて朝までぶっ通しでオナニーする羽目になって寝不足。
 とは何も知らないクラスメイトのエリナに言えるはずもなく、
「寝不足」
 とだけナツキは返事した。


 オネエ忍者の毒は、鼬の最後っ屁よりもたちが悪かった。
 今がピーク、今がピーク、そう思っても思っても発情させてきて、それだけを念じてひたすらに耐えていたら、気付けば朝だった。


 未だにひくっ、と時折アソコが締まるような疼きが残っている。


 忍びとしての修練は一通り終えている。
 すべての薬に免疫があるとまでは言わないものの、調薬された薬品の分別くらいは付く。


 それなのに盛られた毒の正体が、なに一つとして分からなかった。


 それでもどうにか対処しようと、風魔の最長老でもあるおじいちゃんの指示を仰ごうともした。
 しかし、肝心のおじいちゃんは屋敷のどこを探してもいなかった。


 毒ガスのようにジワジワ身体に染みこんでくる媚薬による手淫。からの寝不足。
 それに加えて頼みの綱でもあった、忍びの世界に引きずり込んだまま無責任にもほどがある行方不明なおじいちゃんのせいで、ナツキの機嫌の悪さはピークだ。


「ねぇー、機嫌が悪いの寝不足だけが原因じゃないでしょー? ナツキー?」


 分かっているなら聞かないで欲しい、というのが正直な気持ちだった。
 どの教科の担任も、廊下ですれ違った男子さえも目を合わせてこない。
 それなのにだ――。


「ねぇー、聞いてるー?」


 中学校からの同級生のエリナは相変わらずしつこい。


「エリナ。私のことは放っておいて。彼氏に相手してもらって。寝させて……」


「彼氏って……。榎本なら朝礼にいってるでしょ? だからいないよ」


「朝礼?」


 朝礼と言われて、ナツキは首を傾げて聞き返した。
 時刻は既に昼の12時を回っている。
 ついさっき昼食を済ませたところなのだ、訝しくも思う。


「男子と入れ替わりで昼休みに朝礼やるって言われたでしょー? 一週間ぶりに榎本学校来たのになんでよりによって一番長い休み時間が朝礼に潰されるってさー。ナツキと一緒にあたしもキレたいんだけど」


 一緒にキレる? キレてないんだけど……。
 大体そんなことする暇があったら寝たい……。1人でやって。
 と返事をする前に、男子がぞろぞろと戻ってきた。
 ほんとだったんだ。
 ホームルームのときに寝ていたせいか、ナツキは朝礼が昼休憩の時間に移動になった事を知らなかった。


                  ※


「え、……えぇえっ!?」


 男子と入れ替わりで、エリナに手を引かれるまま女子列入って着いた体育館。
 到着するなり、ナツキは喉から胃袋が飛び出そうな勢いで悲鳴を上げてしまう。


(あ、ありえない……)


 校長がいつも無駄話を繰り返す特等席、体育館のステージド真ん中。
 その上に、立っているはずのない男が立っていた。
 いや、この世にいてはいけない男が立っていたのだ。


 金田樽男かねたたるおである。


 政治家、それも大臣を任せられているほどの男が、仕事もしないで真っ昼間に学校にいる。ただでさえ仕事をしない政治家が、白昼堂々とサボっている。
 なんて小さな話じゃない。


 樽男はこの世にいてはならない男、昨日殺した政治家だ。
 教師たちの咳払いと一緒に、生徒たちのざわつきが集まってくる。


「ナツキどうしたの? 突然でかい声出してさー」


 エリナに指摘されて、慌てて口を押さえた。


(ま、まずいっ……。というか、い、いみがわからないというか、なにがおきている……。ほ、ほんと。……な、なんで??)


 思ったよりも視線が集まってこなかった。
 口を押さえたところで、潮のように引いていったのだ。


(良かった、いや、なんで……)


「ナツキ驚きすぎ。あ、そっか。朝礼が昼になったことも知らなかったんだよねー」


 昼になったこと、というか、色々全く、ついていけない。
 1人でタイムスリップしてしまったくらいに、全くついていけない。


「金田大臣の視察らしいよ。それで、朝礼を昼にしたんだって、……て、どうしたのナツキ?」


 視察というか、こっちが刺殺したんだよ! あいつが生きてるわけないんだよ!
 昨日ズッタズタにして殺してやったからね! と中二病全開に叫びたい!
 が当然無理。


 勘違いしようのない禍々しい肉の感触が、未だに指先に残っている。
 間違えようがない。確実に殺した。


 ――オネエ忍者の仕業か? あいつが生きているのか。
 それしか考えられない。空蝉うつせみでも掴まされたのか?


 オネエ忍者は現代を生きる忍者だ。
 本来なら一撃で仕留められる影遁えいとんの術でさえ、仕留め損ねている。


 こんなことになるなら、深追いしてでも始末しておくべきだった。
 オネエ忍者がいるのか確認しようと、ナツキは視線を揺らした。


 体育館の入り口固める二人、ステージ暗幕の裏にもSPが配置されている。
 とはいえ、素人に毛が生えた程度だろう。肝心のオネエはいなかった。


 どうする? 一旦逃げる。……どこに? 
 おじいちゃんの指示を仰ぎたいが、無事か怪しい。
 昨日の夜から行方不明なままで、この状況。捕まっていない方が不自然だ。


 それよりも、樽男の様子が引っ掛かる。
 大きな声を上げてしまったときに一度目があったけど、それだけだ。
 こちらをまともにも見てこない。


 ステージに構える樽男は、影武者なのか?  
 それとも昨日殺した樽男が影武者なのか?
 まったくもって分からない。
 どちらにしても、私のことは知られていないようだ。
 しかし樽男に正体が知られていないにしても、オネエ忍者には知られている。
 オネエが見つからないのなら、樽男だけでも消すか。


 いや、そもそもだ。校長以上に無意味な独り言を繰り返している樽男が、ニセ者である可能性も捨てきれない。
 ニセ者となると、年老いたブルドッグみたいな顔の崩れ方をしているだけで雇われた素人だ。似ているだけで殺すのはさすがにまずいし、なにより気が引ける。


(……オネエ忍者を探し出すほうが得策か)


「と、前置きはここまでにしよう……」


 前置きにしては長過ぎる話をしていた金田樽男が、一旦口を噤んだ。
 ほうれい線を際立たせるように、口の端をさらに下げている。


「視察というのは、建前でね……。MARS。聞いたことがあるだろう?」


 最近ここら一帯で流行りだしたドラッグの名前だった。


「快感を受け止める受容体を大きくさせるこの薬物は……」


 前置きをやめると言いつつ、くだらない話が再開された。
 ガン無視しよう。


 忍者以外に脅威はない。
 オネエ忍者さえ倒してしまえば、まやかしの類の術も使えないだろう。
 オネエ忍者を始末してから、樽男の処遇については考えよう。


 気配はないが、オネエ忍者は来ている筈。
 樽男にしても、ただ殺されに来たわけではない筈。
 ダミーだとしても、囮か何かに使われている筈。
 オネエ忍者が必ず警護にあたっている筈。


「そのMARS製造の大元。その身柄をさっき確保したんだ」


 ざわざわと体育館が波打った。
 ここら一帯がMARSの脅威に晒されていただけあって、無理もない反応だ。


「ここの学生だったよ」


 へぇ……。


 嗅覚に全神経を注いでオネエ忍者の気配を探っている中での台詞だったが、この時ばかりは気を引かれてしまって、樽男の方を見た。


「そう、さっきまでここにいた男子生徒の1人が売り捌いていたんだ。本来なら君達のことも調べないといけなかったんだが、さっきはっきり分かってね。――それで君達のことを調べる必要が無くなったよ」


 分かったんならさっさと犯人を捕まえて帰って。
 後で殺しにいくかもしれないけれど。


「榎本、かも……」


 言ったのはエリナだった。榎本君はエリナの彼氏だ。
 ありえる。そう思ってしまうほど榎本君の交友関係はどす黒い。


「まさか」


 ありえると言わずに、少し驚きを交じらせて呟いた。


「さっき男子が戻ってきたとき、いなかったし……」


 突然お通夜モードに切り替わったエリナに掛ける言葉に迷う中、樽男は言った。


「ただ、榎本君と交友関係の深い生徒だけは検査させて欲しい」


 うっかりなのか間違えてなのか何なのか、樽男が突然実名を出した――瞬間、エリナが歯をガタガタ鳴らし始めた。
 一緒になってやっていたのだろう。


 大丈夫? と一応は声を掛けたが、それ以上は言葉を続けないでおいた。


 はっきりいって、自業自得だ。
 榎本君はいつもいつも、エリナを見る時でさえ、まるでその後ろに立っている背後霊に向かって喋っているように目の焦点が合っていなかった。
 はっきりいって目が逝っていた。


 そんな男と付き合っていればこういう事態は避けられない。


(……人殺しデビューしたばかりの私が言えた台詞じゃないけど)


 術を行使すればいくらでも助けてあげられるけど、いい機会だ。
 エリナには少し反省させよう。
 警察に突き出される直前で助け出すか。


 そう思って、女校医に連れられていくエリナを見送る中でのことだった。


「ナツキさん。あなたも榎本君と仲良かったわねぇ。ついてらっしゃ~い♪」


 もしかしたらとは思っていたけど、そのもしかしたらだった。
 思い出したように振り返った女校医に言われてしまったのだ。


 ――全然仲良くないんだけど……。
 忍びを見つける前に、本物かも分からない樽男と接触するよりは良いか。
 どちらにしてもエリナを助ける必要はあったのだから。


 こうしてナツキは、右手だけが生えかわったように不自然な光沢を帯びた女校医の後ろを着いていくのであった。


 ――ナツキちゃん。昨日の夜手淫に耽って発情しっぱなしのその身体、たっぷり味わわせてもらうわよ。昨日のお礼も兼ねてね。
 そう、樽男の秘書であるオネエ忍者が、女校医に成りすまして校内に潜伏していたのであった。
 

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