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1巻
1-2
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そして、一番面倒な書類の作成も山のように溜まって待っている。出動の報告書が終わらなければ、非番の日にしわ寄せが来るので、早く終わらせたい。
昼間の事故は、大きくニュースで報道されている。高齢ドライバーが前方の車が赤信号で停止したことに気づくのが遅れて、急ブレーキをかけたつもりがアクセルを踏んでしまった。そして前進したことに驚いて、咄嗟に左へハンドルを切ってしまう。
車を運転する以上、故意ではなくても運転手の責任は重大だ。
ニュースでも、軽傷者が複数と重傷者が二人と重体が一人で、運転手は重傷者に入っている。間違いなく重体は亮くんだろう……
まだまだ小さい命だ。無事であることを切に願う。
この時ばかりは、貴公子の腕を信じたい――
この日は、昼間の事故が嘘のように静かな夜だった。いつもの半分くらいの救急要請に、しっかり仮眠時間が取れた。
朝を迎えて次の勤務者と交替し、私服に着替えて署を出る。
「おい」
バス停に向かっていると、誰かが後ろで呼ぶ声が聞こえた。『おい』では、誰を呼んでいるのかわからないよと内心で突っ込みながらも、私には関係ないと思っていた。
「おい。チビ団子」
「……はあ~?」
「よう」
先日の失礼な呼び方に苛立ちが蘇ると同時に、ドキドキと胸が高鳴る。
ところが――
振り返った先にいたのは、ボサボサマスク男ではない。
髪型こそ少し乱れているけれど、なぜか救命救急センターの貴公子が目の前にいたのだ。チビ団子と呼ばれたはずだと混乱する。
「えっと……。何か御用でしょうか?」
「今更、丁寧な言葉遣いはいらない」
「はい? まともに話をするのは初めてですよね?」
「ああ。会うのは三度目だけどな」
チビ団子と確かに言われたが、ボサボサマスク男と貴公子が同一人物だとは到底思えない。いや、どこかで認めたくないのだ。
「それにしてもチビだな」
「チビって……。本当に失礼ですよね。アナタが大きいだけです」
「久遠柾だ」
「へ?」
「人の名前を聞いておいて、自己紹介もできないのか?」
『聞いてませんけど!』と内心突っ込みながらも名乗るしかない。
「雫石月です」
「月、行くぞ」
「へ? どこへ? しかも、何で呼び捨て?」
「メシ。夜勤明けで腹減った。しかも、昨日は夕食もまともに食べてない」
「それは、お疲れ様です」
命を救う最前線で激務だったことがわかるので、素直に労いの言葉をかけた。
そしてなぜかバス停とは反対の職場の方へと連れて行かれる。視線の先には、ハザードをつけた車が路上駐車していた。
しかも、貴公子のイメージにぴったりの白の高級外車だ。遠くから見ただけでわかるピカピカなボディが、朝日に照らされキラキラしている。
助手席側のドアを開けて乗るようにと促された。どこの誰かはわかっているけれど、初対面に近い人の車に乗るのはさすがに抵抗がある。
「どうした? 乗らないのか?」
「えっ、イヤ、あの」
「何が不満だ?」
「不満はありませんけど……特について行く理由もないので」
「メシを食いながら、月が気になってる亮の話をしてやるよ」
「何でっ!?」
「母親かと思うほどの必死な様子だっただろう。心から心配しているのが伝わってきた」
「……」
あの一瞬でそこまで見られていたことに驚く。
「さあ乗って」
「は、はあ……。お邪魔します」
どこに連れて行かれるかの不安はあるけれど、亮くんがどうなったかは正直知りたい。救急搬送をした患者のその後は、必要事項がある場合にしか知ることができないのだ。貴公子も守秘義務があるだろうし、今回は特別なことだろう。
緊張していたはずなのに、乗り心地の良い車は丸一日働いた身体の眠気を誘う。
ダメだと思っても力が抜けて、首がグラグラ揺れてしまう。更には、車内にかかる心地よい音楽がまるで子守唄のようだ。
すでに半分夢の中にいる私は、貴公子が優しい眼差しで見つめていることすら全く気づきもしなかった。
どれくらい走ったのかハッと目が覚めた時には、なぜか目の前に海が広がっている。
「えっ!? ここどこっ」
「やっと起きたか」
「えっと、私どれくらい寝てましたか?」
「一時間ほどかな……」
「す、すみません!」
「謝ることはない。勤務明けに連れ出したのは俺だから」
「でも、夜勤明けの久遠先生こそ、寝てないはずなのに」
「久遠先生はやめてくれ。仕事中みたいだ」
「久遠さん?」
「柾でいい」
「はい? 呼べるわけないです」
「まーくんでもいいぞ?」
「……」
私をからかって楽しんでいるに違いない。クールな貴公子のイメージが一瞬にして崩れ落ちる。
「ほら。言ってみろ」
「久遠さ……」
「却下」
最後まで言わせてもらえずに却下された。貴公子はどこに行ったのか……
「柾さんでいいですか?」
「まあ、いいか」
「で? ここはどこですか?」
「海の景色に癒やされながら、食事をしようと思って」
車は海に面して停められているが、横を見ると白いレストランが建っていた。海しか視界に入っていなかったけれど、ここはレストランの駐車場だったらしい。
「疲れが取れそうですね」
「ああ、夜勤のあとボーッとしに来る。ここだと誰にも邪魔されないからな」
「寝不足じゃないんですか?」
「短くても何度か仮眠したし、慣れているから大丈夫だ」
私も、今でこそ数十分間だけでも寝たら回復できるようになったけれど、最初の頃は中途半端な仮眠で起こされると余計に疲れを感じたものだ。
「行くぞ」
「は、はい。……ってまだランチの時間には早くないですか?」
「ここはモーニングから開いていて、早い時間でも食事を注文できるんだ」
車を降りる柾さんに遅れを取らないように、急いで後を追う。改めて建物を見ると、おしゃれな外観の上品なレストランだ。
「いらっしゃいませ」
扉を開けると、フワッとデミグラスソースの香りが辺りに漂い、一気に空腹を感じる。
「久遠様、いつもありがとうございます」
「ああ、二人だ」
柾さんの後ろに立つ私が小さくて見えなかったのか、店員さんが目を見開いて驚きの表情をしている。
「窓際の席にどうぞ」
案内をしてくれる女性が、なぜかチラチラと私を見てくる。若干居心地が悪い私とは違い、柾さんは慣れた様子で席に向かっているので後をついて行くしかない。席に座ると店員の女性から不機嫌にメニューを渡された。
「月、好きな物を好きなだけ頼めよ」
柾さんが私の名前を呼んだ瞬間、周囲の女性達から嫉妬のような視線を感じる。
しかも私が大食いのような言い方だ。実際、身体は小さいけれど一般的な女性より食べる方だと思う。でも、なぜ初めて食事をする柾さんにバレているのだろうか?
いや、きっと店員の女性に、私と親しい関係だと伝わるような言い方をしたのだろう。視線からも店員の女性が柾さんに好意を持っていて、私はその牽制に使われたのだ。やはり貴公子は、腹黒いと思う。
窓から見える素敵な景色と、夜勤明けにわざわざ連れて来てくれたことを思うと、文句が言いづらい……
きっともう来ることもないだろうし、これで柾さんの役に立てたのなら、腹は立つが反論はやめておく。その分、思いっきり食べて発散しようと決めた。
店員が去ったあと、メニューを広げて驚く。
メニュー自体は、私の知る洋食のレストランと変わらないけれど、お値段が高い……
洋食セット四千五百円、オムライス二千五百円、ビーフシチュー三千五百円……
たくさん食べてやろうと意気込んだ気持ちが、一瞬にして萎えてしまう。
「何にする?」
「……」
「どうした? 食べたいものがないのか?」
「いえ。どれも美味しそうですが……」
「ですが?」
もうはっきり言うしかない。声を潜めて思っていることを口にした。
「高過ぎませんか?」
「……ブハッ」
「何で笑うんですか?」
「すまない。だって、ブハッ。さっきから、コロコロと表情が変わるから、何を考えているのかと思ったら。ブハッ」
「笑い過ぎです! お医者様と一般人は、金銭感覚から全く違うんです!」
「そんな怒るな。わかったから。じゃあ、俺が適当に頼むからシェアして食べないか? 色々食べられるぞ」
「えっ!? いいんですか!」
「ブハッ。ハハハッ。ダメだ。お前面白過ぎるだろう。反則だ」
「面白いなんて言われたことないですが……」
「俺はお前……」
「お前はやめてください」
「あ、ああ。すまない。月以上に面白い奴と出会ったことがない」
「どんな狭い世界で生きてるんですか! っていうか、笑うんですね」
「どういう意味だ?」
私の聞いていたクールな貴公子はどこに行ったのだろうか?
話が盛り上がる中、先ほどの店員が注文を取りにきた。
「お決まりですか?」
柾さんの方だけ向いて注文を取る女性店員は、私をいない者とした態度だ。
「洋食セットとオムライス、あとナポリタンを。シェアするので取り皿を頼む。月、飲み物は?」
「えーっと、コーラで」
「プハッ、じゃあコーラ二つ」
注文を取っていた女性が驚いた顔をしながらも、頬を赤らめている。
そう、普段のクールでイケメンな柾さんよりも、笑った方が何倍も魅力が増すのだ。
イケメンでドクターなんて、女性を惹きつける魅力的な要素しかない。
それでも私には関係ないと呑気に思っていたけれど、まさか関係ないどころか逃げられなくなるとは、この時は思いもしていなかった――
コーラが運ばれてきて、目が合ったのでグラスを持ち上げてお疲れ様の気持ちを込めて合図する。
口にすると、炭酸のシュワシュワとしたのど越しが、疲れた身体に染みわたった。
「それにしても、食事に行ってコーラを頼む女性は初めてだ」
「へ!? ダメでしたか?」
「いや、素直でいいと思う」
よく考えれば、貴公子と呼ばれるほどのドクターとの食事だ。気を遣うのが当たり前かもしれない。けれど私の中ではボサボサマスク男で、チビ団子と言われたところからの始まりだ。今更、取り繕うつもりはない。
三度とも、団子頭でほぼすっぴん。ある意味最悪の出会いなのだ。色々考えてもしょうがない。
今頃気づいたけれど、夜勤明けとは思えない爽やかな柾さんと違い、私は帰って寝るつもりだったから、崩れかけたお団子に普段着だ。断る選択肢がなかったとはいえ、ひど過ぎやしないか……
料理は楽しみだけど、早く帰りたい……
「昨日の吉田亮くんだが」
「あっ、はい」
「やはり脳内出血していた」
「それで……どうなったんですか?」
「頭を切開して脳内にたまった血液を除去する手術を行った。幸い何とか間に合ったが、あと少し搬送が遅れていたら後遺症が残るか、最悪の場合は命を落としていたかもしれない」
「間に合ったんですね。良かった」
「月が気づいたんだろう?」
「私じゃなくて、亮くんのお友達が教えてくれたんです。頭を打っていたって」
「そうだな。亮くんは、友達にも救急隊員にも恵まれているらしい」
厳しいと言われている貴公子にさりげなく褒められ、更には優しい顔で微笑まれて、居心地が悪い。ボサボサマスクのままならよかったのに……
何はともあれ、亮くんが無事で本当に良かった。あの大事故で奇跡的に死者が出なかったのだ。あと少し突っ込んだ場所が悪ければ、最悪の事態になっていただろう。
安心したところに、料理が運ばれてきた。話に夢中で忘れていたけれど、美味しそうな匂いに誘われ一気に空腹感が増す。テーブルの中央に置かれた料理は、私が知っている洋食屋さんとは見た目から違っていた。
洋食セットは、馴染みあるハンバーグとエビフライが乗っているのだが、ハンバーグは厚みがありオーブンでじっくり焼かれて見るからに手が込んでいる。エビフライは、今まで見たことのない大きさで二尾も乗っていた。ハンバーグの肉汁とエビフライのサクサク感が見た目だけで高級だと伝わってくる。
オムライスとナポリタンは、熱々の鉄板に載っていてジュウジュウと美味しそうな音を奏でていた。
半熟トロトロの卵に包まれデミグラスソースがかかったオムライスと、庶民のイメージとは違うたっぷり野菜と分厚いベーコンが入り半熟卵が載せられたナポリタンに、目が釘づけになる。
「ククッ」
「へっ!?」
料理に夢中になっていて、柾さんの存在を若干忘れかけていた。笑われたことに驚いて目の前に視線を向ける。
「いや。すごく幸せそうな顔をしていたから」
「この料理を見て幸せを感じない方がおかしくないですか?」
「あ、ああ」
私の勢いに押されて、同意の返事が返ってきた。
「いただきます」
「ああ」
目の前に貴公子がいようとも、私には関係ない。今はこの料理を美味しく味わうことに集中する。貴公子の前では、遠慮したり少食のふりをする女性が多いのかもしれないけれど今更だ。
「ハンバーグを切っちゃってもいいですか?」
「へッ?」
「シェアするんですよね? 半分に切りますね」
「ああ」
「あっ、もしかして外科医の先生って自分で綺麗に切りたいとか、こだわりがあったりするんですか?」
「はあ? なわけあるか!」
「わかりました」
空腹で食べ物に夢中の私は、柾さんが楽しそうに見ていることに気づいていなかった。
洋食セットのライスは、店側が二人分に分けてサーブしてくれていたので、ハンバーグと共にいただく。一口サイズに割ったハンバーグをライスの上に載せ、一口食べて思わず声が出た。
「ん~。何この肉汁!」
エビフライも一尾もらってタルタルソースをかける。箸を入れるとサクサクと音がした。
「こっちもプリプリ~」
一人感動を味わっていると、視線を感じた。目を向けると柾さんが笑いを堪えてこちらを見ている。
「何ですか?」
「月といると気を遣わなくていいし、楽しいと思って」
「へっ?」
「医者の肩書に寄ってくるような女は、強かで信用できない。見た目を取り繕って、裏で平気で腹黒いことをしている。俺の容姿に寄って来る女は、自分の理想を俺に押しつける。イメージと違うと言われても、勝手に自分の中で都合の良いイメージを作っているだけだ」
「まあ、確かに。私の場合は、もっとおとなしい子だと思ってたとか、思ってたより大食いだねって言われます」
「ブハッ、お前……じゃなくて月。見た目は小さくて細いのに、美味しそうにたくさん食べるそのギャップが俺はたまらないな」
それまで笑っていた表情が一転して、ドクターの顔ではなくなり、獲物を狙うような鋭い視線が私に突き刺さってくる。
「先生……じゃない、柾さん、変なこと言ってないで早く食べましょう。夜勤明けでお腹が空いてたんですよね?」
「今は、空腹よりも気になるものを見つけたけどな」
妖艶な笑みを向けられて、思わずドキッとしてしまった。圧倒的に経験値が違い過ぎる。
結局、半分以上を私が食べている間、柾さんは何が楽しいのかずっとこちらを見ていた。
***
ここ最近、病院に泊まり込む日が続いた。昨日も急な気温上昇に、熱中症の患者が途切れることなく救急搬送されて来る。ただ珍しく人員が足りていたので、一番長く病院に泊まり込んでいた俺が、一度自宅に帰らせてもらうことになった。
このまま働き続けたら、俺自身が倒れていたかもしれない。人の命を救う前に、まずは一旦睡眠を取って身体をリセットした方が良さそうだ。
自宅マンションまでは車だと五分ほどだが、運転が危ぶまれるほどの疲労を感じている。だから珍しくタクシーで帰ることにした。
医者の不養生とはよく言ったもので、患者には食事や生活習慣を注意するが、俺達の生活の方が何倍も身体に悪い。帰宅すると一直線でバスルームへ向かい、長めの風呂に浸かり眠りについた。
翌朝、病院のことが気になり早めに目が覚めた。
いつも車で出勤する俺は、髪はボサボサでメガネにマスクで病院に向かう用意をする。その姿で院内を歩くと、患者には俺だと気づかれなくて都合がよい。白衣に着替えるタイミングで髪も直すのだ。
いつもの癖でボサボサ状態で家を出たのだが、そこで車を病院に置いてきたことを思い出す。すでに近所のコンビニで朝食を買ったところで、今から戻って身なりを整えるのは面倒だ。
コンビニの前のバス停に、俺の働く港浜救命救急センター行きのバスがタイミングよく止まる。
少し遠回りにはなるが、タクシーを探すより早そうだと、珍しくバスに乗ることにした。バスに乗るのはいつぶりだろうか。朝の時間帯は、適度に混んでいて座れないので、俺は前方で吊り革につかまり立っていた。
バスが大通りに入り、バス停に停車した時だった――
『ドンッ』と激しい音と共に、身体に強い衝撃を受けた。
咄嗟に吊り革を持つ手に力を入れて転倒は免れたが、車内は混乱している。
どうやら俺が乗っているバスに、後ろから来たバスが追突したのだ。
運転手も驚いているが、すぐにサイドブレーキを引き対応に当たっている。俺もざっと車内を見回すが、重傷者はいないようだ。最後列に座っていた人達も、座っていたため衝撃を受けたが被害は最小限で済んでいる。
後ろのバスの方が、被害が大きいかも知れない。とにかく医者としてできる限りの対応をする。すぐに病院へも連絡を入れた。
バスの前方のドアを開けて、乗客の無事を確認しながら降ろしている運転手に声をかける。
「港浜救命救急センターの久遠です」
「運転手の冨田です。お医者様ですか?」
「はい。ザッと車内を見ましたが、重傷者はいないと思います。後ろのバスの状況を確認してきますので、もし何かあれば言ってください」
「はい。ありがとうございます」
後ろのバスに向かおうとした時、一人の女性が慌てた様子でAEDを抱えて戻ってくる姿が見えた。
「すみません。それは?」
「あっ、バスの中で救護してくれている女性から頼まれて、そこのコンビニで借りてきました」
「それ預かります」
「えっ?」
「医者です」
「あっ、お願いします」
後ろのバスにも医療従事者が乗っていたのだろうか。預かったAEDを持って乗り込んだ。
「AEDが必要な患者はどこだ?」
「ここです。貸してください」
声だけ聞こえるが姿は見えない。声の方を見ると、頭に団子を乗せた小さい女が見えた。高校生か? と訝しく思っていると振り返った女性と目が合う。
団子頭が印象的な、目がクリッとした美少女がいた。成人はしているのだろうが、すっぴんで小柄なせいか幼く見える。緊急事態だというのに見惚れそうになり、思わず失礼な態度を取ってしまった。
「チビは出しゃばるな。俺がする」
「チ、チビ!?」
叫び声は聞こえたが、目の前の患者を優先すべく患者の前にしゃがみ、AEDをセットする。すでに男性の服のボタンは全て外されて、ベルトは緩められていた。
何とか心肺機能が回復し、一緒に救急車に乗っていく。処置が早く、搬送も早かったことで、運転手は一命を取り留めた。
ホッとしたら、先ほどの美少女の姿が頭をよぎる。彼女はどこの誰だったのだろうか。あの場で救護活動をしていたということは、医療関係者かもしれない。また会いたいと思ったのだ。
ふとした瞬間思い出すのは彼女のこと――
この日も、事故や病気の患者が次々に搬送されてくる。救急の人手が足りなくて、医局に戻れない状況だ。
そんな多忙な中、午後になって入った救急受け入れ要請は小さい子供だった。頭を打ってボーッとしているという一報が気になり、救急車の到着を出迎える。
到着と同時に後部座席のドアを開けた俺は、驚かされることになった。
なんと目の前には、あの時の彼女――チビ団子が救急隊員の格好をして乗っているではないか。だが、医者として再会を喜んでいる暇はない。
「患者は?」
「あっ、こちらです。吉田亮くん五歳です。血液型はA型、アレルギーはなしです。ご両親もこちらに向かっております」
先日と同様、ハキハキした対応に好感が持てる。今は時間がないが、どこの誰かわかったようなものだ。
ストレッチャーを押しながらも、彼女を捕まえる楽しみにゾクゾクする。今まで感じたことのない高揚感が湧き起こった――
搬送されてきた子供は、早い段階で異変に気づいてもらったお陰で、スピーディーに搬送されて助かった。
小さい子供の手術は、大人の何倍も神経を使う。更には駆けつけた両親や警察への対応に追われて、深夜に少し仮眠を取れた程度で夜が明けた。それなのに病院から出た時に疲労感はなく、むしろ晴れやかな気分になっている。
昼間の事故は、大きくニュースで報道されている。高齢ドライバーが前方の車が赤信号で停止したことに気づくのが遅れて、急ブレーキをかけたつもりがアクセルを踏んでしまった。そして前進したことに驚いて、咄嗟に左へハンドルを切ってしまう。
車を運転する以上、故意ではなくても運転手の責任は重大だ。
ニュースでも、軽傷者が複数と重傷者が二人と重体が一人で、運転手は重傷者に入っている。間違いなく重体は亮くんだろう……
まだまだ小さい命だ。無事であることを切に願う。
この時ばかりは、貴公子の腕を信じたい――
この日は、昼間の事故が嘘のように静かな夜だった。いつもの半分くらいの救急要請に、しっかり仮眠時間が取れた。
朝を迎えて次の勤務者と交替し、私服に着替えて署を出る。
「おい」
バス停に向かっていると、誰かが後ろで呼ぶ声が聞こえた。『おい』では、誰を呼んでいるのかわからないよと内心で突っ込みながらも、私には関係ないと思っていた。
「おい。チビ団子」
「……はあ~?」
「よう」
先日の失礼な呼び方に苛立ちが蘇ると同時に、ドキドキと胸が高鳴る。
ところが――
振り返った先にいたのは、ボサボサマスク男ではない。
髪型こそ少し乱れているけれど、なぜか救命救急センターの貴公子が目の前にいたのだ。チビ団子と呼ばれたはずだと混乱する。
「えっと……。何か御用でしょうか?」
「今更、丁寧な言葉遣いはいらない」
「はい? まともに話をするのは初めてですよね?」
「ああ。会うのは三度目だけどな」
チビ団子と確かに言われたが、ボサボサマスク男と貴公子が同一人物だとは到底思えない。いや、どこかで認めたくないのだ。
「それにしてもチビだな」
「チビって……。本当に失礼ですよね。アナタが大きいだけです」
「久遠柾だ」
「へ?」
「人の名前を聞いておいて、自己紹介もできないのか?」
『聞いてませんけど!』と内心突っ込みながらも名乗るしかない。
「雫石月です」
「月、行くぞ」
「へ? どこへ? しかも、何で呼び捨て?」
「メシ。夜勤明けで腹減った。しかも、昨日は夕食もまともに食べてない」
「それは、お疲れ様です」
命を救う最前線で激務だったことがわかるので、素直に労いの言葉をかけた。
そしてなぜかバス停とは反対の職場の方へと連れて行かれる。視線の先には、ハザードをつけた車が路上駐車していた。
しかも、貴公子のイメージにぴったりの白の高級外車だ。遠くから見ただけでわかるピカピカなボディが、朝日に照らされキラキラしている。
助手席側のドアを開けて乗るようにと促された。どこの誰かはわかっているけれど、初対面に近い人の車に乗るのはさすがに抵抗がある。
「どうした? 乗らないのか?」
「えっ、イヤ、あの」
「何が不満だ?」
「不満はありませんけど……特について行く理由もないので」
「メシを食いながら、月が気になってる亮の話をしてやるよ」
「何でっ!?」
「母親かと思うほどの必死な様子だっただろう。心から心配しているのが伝わってきた」
「……」
あの一瞬でそこまで見られていたことに驚く。
「さあ乗って」
「は、はあ……。お邪魔します」
どこに連れて行かれるかの不安はあるけれど、亮くんがどうなったかは正直知りたい。救急搬送をした患者のその後は、必要事項がある場合にしか知ることができないのだ。貴公子も守秘義務があるだろうし、今回は特別なことだろう。
緊張していたはずなのに、乗り心地の良い車は丸一日働いた身体の眠気を誘う。
ダメだと思っても力が抜けて、首がグラグラ揺れてしまう。更には、車内にかかる心地よい音楽がまるで子守唄のようだ。
すでに半分夢の中にいる私は、貴公子が優しい眼差しで見つめていることすら全く気づきもしなかった。
どれくらい走ったのかハッと目が覚めた時には、なぜか目の前に海が広がっている。
「えっ!? ここどこっ」
「やっと起きたか」
「えっと、私どれくらい寝てましたか?」
「一時間ほどかな……」
「す、すみません!」
「謝ることはない。勤務明けに連れ出したのは俺だから」
「でも、夜勤明けの久遠先生こそ、寝てないはずなのに」
「久遠先生はやめてくれ。仕事中みたいだ」
「久遠さん?」
「柾でいい」
「はい? 呼べるわけないです」
「まーくんでもいいぞ?」
「……」
私をからかって楽しんでいるに違いない。クールな貴公子のイメージが一瞬にして崩れ落ちる。
「ほら。言ってみろ」
「久遠さ……」
「却下」
最後まで言わせてもらえずに却下された。貴公子はどこに行ったのか……
「柾さんでいいですか?」
「まあ、いいか」
「で? ここはどこですか?」
「海の景色に癒やされながら、食事をしようと思って」
車は海に面して停められているが、横を見ると白いレストランが建っていた。海しか視界に入っていなかったけれど、ここはレストランの駐車場だったらしい。
「疲れが取れそうですね」
「ああ、夜勤のあとボーッとしに来る。ここだと誰にも邪魔されないからな」
「寝不足じゃないんですか?」
「短くても何度か仮眠したし、慣れているから大丈夫だ」
私も、今でこそ数十分間だけでも寝たら回復できるようになったけれど、最初の頃は中途半端な仮眠で起こされると余計に疲れを感じたものだ。
「行くぞ」
「は、はい。……ってまだランチの時間には早くないですか?」
「ここはモーニングから開いていて、早い時間でも食事を注文できるんだ」
車を降りる柾さんに遅れを取らないように、急いで後を追う。改めて建物を見ると、おしゃれな外観の上品なレストランだ。
「いらっしゃいませ」
扉を開けると、フワッとデミグラスソースの香りが辺りに漂い、一気に空腹を感じる。
「久遠様、いつもありがとうございます」
「ああ、二人だ」
柾さんの後ろに立つ私が小さくて見えなかったのか、店員さんが目を見開いて驚きの表情をしている。
「窓際の席にどうぞ」
案内をしてくれる女性が、なぜかチラチラと私を見てくる。若干居心地が悪い私とは違い、柾さんは慣れた様子で席に向かっているので後をついて行くしかない。席に座ると店員の女性から不機嫌にメニューを渡された。
「月、好きな物を好きなだけ頼めよ」
柾さんが私の名前を呼んだ瞬間、周囲の女性達から嫉妬のような視線を感じる。
しかも私が大食いのような言い方だ。実際、身体は小さいけれど一般的な女性より食べる方だと思う。でも、なぜ初めて食事をする柾さんにバレているのだろうか?
いや、きっと店員の女性に、私と親しい関係だと伝わるような言い方をしたのだろう。視線からも店員の女性が柾さんに好意を持っていて、私はその牽制に使われたのだ。やはり貴公子は、腹黒いと思う。
窓から見える素敵な景色と、夜勤明けにわざわざ連れて来てくれたことを思うと、文句が言いづらい……
きっともう来ることもないだろうし、これで柾さんの役に立てたのなら、腹は立つが反論はやめておく。その分、思いっきり食べて発散しようと決めた。
店員が去ったあと、メニューを広げて驚く。
メニュー自体は、私の知る洋食のレストランと変わらないけれど、お値段が高い……
洋食セット四千五百円、オムライス二千五百円、ビーフシチュー三千五百円……
たくさん食べてやろうと意気込んだ気持ちが、一瞬にして萎えてしまう。
「何にする?」
「……」
「どうした? 食べたいものがないのか?」
「いえ。どれも美味しそうですが……」
「ですが?」
もうはっきり言うしかない。声を潜めて思っていることを口にした。
「高過ぎませんか?」
「……ブハッ」
「何で笑うんですか?」
「すまない。だって、ブハッ。さっきから、コロコロと表情が変わるから、何を考えているのかと思ったら。ブハッ」
「笑い過ぎです! お医者様と一般人は、金銭感覚から全く違うんです!」
「そんな怒るな。わかったから。じゃあ、俺が適当に頼むからシェアして食べないか? 色々食べられるぞ」
「えっ!? いいんですか!」
「ブハッ。ハハハッ。ダメだ。お前面白過ぎるだろう。反則だ」
「面白いなんて言われたことないですが……」
「俺はお前……」
「お前はやめてください」
「あ、ああ。すまない。月以上に面白い奴と出会ったことがない」
「どんな狭い世界で生きてるんですか! っていうか、笑うんですね」
「どういう意味だ?」
私の聞いていたクールな貴公子はどこに行ったのだろうか?
話が盛り上がる中、先ほどの店員が注文を取りにきた。
「お決まりですか?」
柾さんの方だけ向いて注文を取る女性店員は、私をいない者とした態度だ。
「洋食セットとオムライス、あとナポリタンを。シェアするので取り皿を頼む。月、飲み物は?」
「えーっと、コーラで」
「プハッ、じゃあコーラ二つ」
注文を取っていた女性が驚いた顔をしながらも、頬を赤らめている。
そう、普段のクールでイケメンな柾さんよりも、笑った方が何倍も魅力が増すのだ。
イケメンでドクターなんて、女性を惹きつける魅力的な要素しかない。
それでも私には関係ないと呑気に思っていたけれど、まさか関係ないどころか逃げられなくなるとは、この時は思いもしていなかった――
コーラが運ばれてきて、目が合ったのでグラスを持ち上げてお疲れ様の気持ちを込めて合図する。
口にすると、炭酸のシュワシュワとしたのど越しが、疲れた身体に染みわたった。
「それにしても、食事に行ってコーラを頼む女性は初めてだ」
「へ!? ダメでしたか?」
「いや、素直でいいと思う」
よく考えれば、貴公子と呼ばれるほどのドクターとの食事だ。気を遣うのが当たり前かもしれない。けれど私の中ではボサボサマスク男で、チビ団子と言われたところからの始まりだ。今更、取り繕うつもりはない。
三度とも、団子頭でほぼすっぴん。ある意味最悪の出会いなのだ。色々考えてもしょうがない。
今頃気づいたけれど、夜勤明けとは思えない爽やかな柾さんと違い、私は帰って寝るつもりだったから、崩れかけたお団子に普段着だ。断る選択肢がなかったとはいえ、ひど過ぎやしないか……
料理は楽しみだけど、早く帰りたい……
「昨日の吉田亮くんだが」
「あっ、はい」
「やはり脳内出血していた」
「それで……どうなったんですか?」
「頭を切開して脳内にたまった血液を除去する手術を行った。幸い何とか間に合ったが、あと少し搬送が遅れていたら後遺症が残るか、最悪の場合は命を落としていたかもしれない」
「間に合ったんですね。良かった」
「月が気づいたんだろう?」
「私じゃなくて、亮くんのお友達が教えてくれたんです。頭を打っていたって」
「そうだな。亮くんは、友達にも救急隊員にも恵まれているらしい」
厳しいと言われている貴公子にさりげなく褒められ、更には優しい顔で微笑まれて、居心地が悪い。ボサボサマスクのままならよかったのに……
何はともあれ、亮くんが無事で本当に良かった。あの大事故で奇跡的に死者が出なかったのだ。あと少し突っ込んだ場所が悪ければ、最悪の事態になっていただろう。
安心したところに、料理が運ばれてきた。話に夢中で忘れていたけれど、美味しそうな匂いに誘われ一気に空腹感が増す。テーブルの中央に置かれた料理は、私が知っている洋食屋さんとは見た目から違っていた。
洋食セットは、馴染みあるハンバーグとエビフライが乗っているのだが、ハンバーグは厚みがありオーブンでじっくり焼かれて見るからに手が込んでいる。エビフライは、今まで見たことのない大きさで二尾も乗っていた。ハンバーグの肉汁とエビフライのサクサク感が見た目だけで高級だと伝わってくる。
オムライスとナポリタンは、熱々の鉄板に載っていてジュウジュウと美味しそうな音を奏でていた。
半熟トロトロの卵に包まれデミグラスソースがかかったオムライスと、庶民のイメージとは違うたっぷり野菜と分厚いベーコンが入り半熟卵が載せられたナポリタンに、目が釘づけになる。
「ククッ」
「へっ!?」
料理に夢中になっていて、柾さんの存在を若干忘れかけていた。笑われたことに驚いて目の前に視線を向ける。
「いや。すごく幸せそうな顔をしていたから」
「この料理を見て幸せを感じない方がおかしくないですか?」
「あ、ああ」
私の勢いに押されて、同意の返事が返ってきた。
「いただきます」
「ああ」
目の前に貴公子がいようとも、私には関係ない。今はこの料理を美味しく味わうことに集中する。貴公子の前では、遠慮したり少食のふりをする女性が多いのかもしれないけれど今更だ。
「ハンバーグを切っちゃってもいいですか?」
「へッ?」
「シェアするんですよね? 半分に切りますね」
「ああ」
「あっ、もしかして外科医の先生って自分で綺麗に切りたいとか、こだわりがあったりするんですか?」
「はあ? なわけあるか!」
「わかりました」
空腹で食べ物に夢中の私は、柾さんが楽しそうに見ていることに気づいていなかった。
洋食セットのライスは、店側が二人分に分けてサーブしてくれていたので、ハンバーグと共にいただく。一口サイズに割ったハンバーグをライスの上に載せ、一口食べて思わず声が出た。
「ん~。何この肉汁!」
エビフライも一尾もらってタルタルソースをかける。箸を入れるとサクサクと音がした。
「こっちもプリプリ~」
一人感動を味わっていると、視線を感じた。目を向けると柾さんが笑いを堪えてこちらを見ている。
「何ですか?」
「月といると気を遣わなくていいし、楽しいと思って」
「へっ?」
「医者の肩書に寄ってくるような女は、強かで信用できない。見た目を取り繕って、裏で平気で腹黒いことをしている。俺の容姿に寄って来る女は、自分の理想を俺に押しつける。イメージと違うと言われても、勝手に自分の中で都合の良いイメージを作っているだけだ」
「まあ、確かに。私の場合は、もっとおとなしい子だと思ってたとか、思ってたより大食いだねって言われます」
「ブハッ、お前……じゃなくて月。見た目は小さくて細いのに、美味しそうにたくさん食べるそのギャップが俺はたまらないな」
それまで笑っていた表情が一転して、ドクターの顔ではなくなり、獲物を狙うような鋭い視線が私に突き刺さってくる。
「先生……じゃない、柾さん、変なこと言ってないで早く食べましょう。夜勤明けでお腹が空いてたんですよね?」
「今は、空腹よりも気になるものを見つけたけどな」
妖艶な笑みを向けられて、思わずドキッとしてしまった。圧倒的に経験値が違い過ぎる。
結局、半分以上を私が食べている間、柾さんは何が楽しいのかずっとこちらを見ていた。
***
ここ最近、病院に泊まり込む日が続いた。昨日も急な気温上昇に、熱中症の患者が途切れることなく救急搬送されて来る。ただ珍しく人員が足りていたので、一番長く病院に泊まり込んでいた俺が、一度自宅に帰らせてもらうことになった。
このまま働き続けたら、俺自身が倒れていたかもしれない。人の命を救う前に、まずは一旦睡眠を取って身体をリセットした方が良さそうだ。
自宅マンションまでは車だと五分ほどだが、運転が危ぶまれるほどの疲労を感じている。だから珍しくタクシーで帰ることにした。
医者の不養生とはよく言ったもので、患者には食事や生活習慣を注意するが、俺達の生活の方が何倍も身体に悪い。帰宅すると一直線でバスルームへ向かい、長めの風呂に浸かり眠りについた。
翌朝、病院のことが気になり早めに目が覚めた。
いつも車で出勤する俺は、髪はボサボサでメガネにマスクで病院に向かう用意をする。その姿で院内を歩くと、患者には俺だと気づかれなくて都合がよい。白衣に着替えるタイミングで髪も直すのだ。
いつもの癖でボサボサ状態で家を出たのだが、そこで車を病院に置いてきたことを思い出す。すでに近所のコンビニで朝食を買ったところで、今から戻って身なりを整えるのは面倒だ。
コンビニの前のバス停に、俺の働く港浜救命救急センター行きのバスがタイミングよく止まる。
少し遠回りにはなるが、タクシーを探すより早そうだと、珍しくバスに乗ることにした。バスに乗るのはいつぶりだろうか。朝の時間帯は、適度に混んでいて座れないので、俺は前方で吊り革につかまり立っていた。
バスが大通りに入り、バス停に停車した時だった――
『ドンッ』と激しい音と共に、身体に強い衝撃を受けた。
咄嗟に吊り革を持つ手に力を入れて転倒は免れたが、車内は混乱している。
どうやら俺が乗っているバスに、後ろから来たバスが追突したのだ。
運転手も驚いているが、すぐにサイドブレーキを引き対応に当たっている。俺もざっと車内を見回すが、重傷者はいないようだ。最後列に座っていた人達も、座っていたため衝撃を受けたが被害は最小限で済んでいる。
後ろのバスの方が、被害が大きいかも知れない。とにかく医者としてできる限りの対応をする。すぐに病院へも連絡を入れた。
バスの前方のドアを開けて、乗客の無事を確認しながら降ろしている運転手に声をかける。
「港浜救命救急センターの久遠です」
「運転手の冨田です。お医者様ですか?」
「はい。ザッと車内を見ましたが、重傷者はいないと思います。後ろのバスの状況を確認してきますので、もし何かあれば言ってください」
「はい。ありがとうございます」
後ろのバスに向かおうとした時、一人の女性が慌てた様子でAEDを抱えて戻ってくる姿が見えた。
「すみません。それは?」
「あっ、バスの中で救護してくれている女性から頼まれて、そこのコンビニで借りてきました」
「それ預かります」
「えっ?」
「医者です」
「あっ、お願いします」
後ろのバスにも医療従事者が乗っていたのだろうか。預かったAEDを持って乗り込んだ。
「AEDが必要な患者はどこだ?」
「ここです。貸してください」
声だけ聞こえるが姿は見えない。声の方を見ると、頭に団子を乗せた小さい女が見えた。高校生か? と訝しく思っていると振り返った女性と目が合う。
団子頭が印象的な、目がクリッとした美少女がいた。成人はしているのだろうが、すっぴんで小柄なせいか幼く見える。緊急事態だというのに見惚れそうになり、思わず失礼な態度を取ってしまった。
「チビは出しゃばるな。俺がする」
「チ、チビ!?」
叫び声は聞こえたが、目の前の患者を優先すべく患者の前にしゃがみ、AEDをセットする。すでに男性の服のボタンは全て外されて、ベルトは緩められていた。
何とか心肺機能が回復し、一緒に救急車に乗っていく。処置が早く、搬送も早かったことで、運転手は一命を取り留めた。
ホッとしたら、先ほどの美少女の姿が頭をよぎる。彼女はどこの誰だったのだろうか。あの場で救護活動をしていたということは、医療関係者かもしれない。また会いたいと思ったのだ。
ふとした瞬間思い出すのは彼女のこと――
この日も、事故や病気の患者が次々に搬送されてくる。救急の人手が足りなくて、医局に戻れない状況だ。
そんな多忙な中、午後になって入った救急受け入れ要請は小さい子供だった。頭を打ってボーッとしているという一報が気になり、救急車の到着を出迎える。
到着と同時に後部座席のドアを開けた俺は、驚かされることになった。
なんと目の前には、あの時の彼女――チビ団子が救急隊員の格好をして乗っているではないか。だが、医者として再会を喜んでいる暇はない。
「患者は?」
「あっ、こちらです。吉田亮くん五歳です。血液型はA型、アレルギーはなしです。ご両親もこちらに向かっております」
先日と同様、ハキハキした対応に好感が持てる。今は時間がないが、どこの誰かわかったようなものだ。
ストレッチャーを押しながらも、彼女を捕まえる楽しみにゾクゾクする。今まで感じたことのない高揚感が湧き起こった――
搬送されてきた子供は、早い段階で異変に気づいてもらったお陰で、スピーディーに搬送されて助かった。
小さい子供の手術は、大人の何倍も神経を使う。更には駆けつけた両親や警察への対応に追われて、深夜に少し仮眠を取れた程度で夜が明けた。それなのに病院から出た時に疲労感はなく、むしろ晴れやかな気分になっている。
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