飛び立つことはできないから、

緑川

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第五羽 画策と錯覚

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「で、何でこうなった?」

「あ?そりゃ、行き詰まってっからだろ」

 約数分前のこと。

 職員室へと淡々と進みゆく中で、忽然と、見覚えのある野郎を、視界の端に捉える。

「あ?」

「は?」

 徐に一瞥すれば、傍には相川の姿があった。

「何でいんだよ、つーかどこ行くんだよ」

「関係ないだろ」

「そうだな、ならさっさと教室戻れよ。授業始まるぞ」

 息を切らして教室へと駆け込んでいく、数人の生徒たちとすれ違う度に、言葉を交わす。

「お前こそ戻れよ」

 そんな小競り合いをしている中で、自然と歩幅も大きく、素早い足並みになっていく。

「廊下走んなよ、張り紙も見えねえのか?」

「お前こそ、自分の脚を見て言えよ」

「……」

「……ッ!」

 チラチラと視線を泳がせ、互いの血走った眼がぶつかり合った時。

 静寂。

 俺たちは妙な間を踏み抜いて、全力で駆け出した。

「うぉぉぉっ!!」
「チィっっ!!」

「んー?あっ?廊下を走るなっ!!」

 桜井先生の髪をふわりと靡かせるほどの怒号が、俺たちの暴走機関車たる歩みを急ブレーキを掛けるように慌ただしく止めさせた。

 
「相川と……あー。どうした?」

「3組の暗めの眼鏡の子って知ってますか?」

「暗めの眼鏡……。あぁー!えっ、みーみ。
……水瀬か!それが何だって言うんだ?」

「……」

 物憂げな表情で、こちらの顔つきを窺う。
 俺はそっと顔を上下に振って、相川の眼差しとともに、

「最近の噂なんですが、3組ってのは少し、はっちゃけていると云うか、やり過ぎな一面があるってのを耳にしたんですが……」

「あ?」

「その水瀬君が、自分の意思とは別に、その渦の中心にいるような気がしてるんですが」

「あいつらが好きにやってんだから、別にお前たちが特別気にする必要ないだろ?あぁ、お前ら、あいつに気があるんだろ!?青いねーー。だが、あんま恋にうつつ抜かすなよ」

 まるで肥えた雌豚みたいだな。
 いや己の立場を弁えぬ分、家畜以下の塵。

 ヘラヘラとした上っ面の嘲笑う様を直視しているだけで、絶えず、吐き気を催してくる。

 ん?

 一人の教師が俺たちの様子を窺っていた。

 新任教師の誰だっけ?

「そうですか、ありがとうございました」
「失礼します」

 名は覚えていないが、俺たちの去り際を、不思議そうに瞬くことなく注視していた。

 もしかしたら、俺たちの問題に聞き耳を立てていたのかもしれない。

 けれど、それも単なる興味本位だろう。

 そして、敗走を余儀なくされた俺たちは、渋々コーヒー臭さが漂う職員室を後にした。

 そして、今に至る。

「あれは容認してるのか?それとも、俺たちの意図も読めない廃棄物か、なんなのか?」

「さあな」

 あんな様を見せられてしまったら、袂を分つかのように喧嘩別れした野郎とも、半ば強引に結託せざるを得なかった。

「そもそも、その輪ってのは、簡単に逃れられるもんなのか?」

「それなら問題ないと思う」

 徐に両腕に深々と刻まれた爪痕を翻す。

「猫か?」

「甘えん坊で寂しがり屋の可愛い黒猫だよ。今も家で退屈そうに幸せそうに生きてる」

「そうか、そりゃ良かったな」

 傷痕に触れるたびに、走馬灯のように瞬く間に記憶が蘇っていく。

 黒洞々たる闇夜の道すがらに、黄金色を帯びた痩躯の黒猫が眼前を横切った。

 似つかわしくない天の輪が載せられていて俺はその様を見て、一心不乱に駆け出した。

 車の陰に紛れていくよりも、家屋の隙間に潜り込むよりも僅かに早く、抱きしめた。

 鋭利な爪が幾度なく柔な肌を切り裂いて、真っ赤な鮮血が滴って、頬にとめどなく雫が伝っていきながらも、父と姉に懇願した。

 そして、動物病院まで間、その子を決して手離すことはなかった。

「何で、死にたいのかな?」

「まだ、そうと決まった訳じゃねぇだろ。それに、生きてりゃ色々とあんだよ。お前には分かんないだろな」

「あぁ、全くこれっぽっちも分かんないね」

 そっと脇腹に手を添える。

「死に急ぐ癖に意外と臆病だもんな、お前」

「悪かったな」

「色で区別が付くのは良いとして、明確に日程とかは見えないのか?」

「見えてたらあんな結果になってないだろ」

「……そうだよな」

「とりあえず、どうしようか」

「お前は今まで通りやってればいい」

「は?」

「だから!原因は俺が一人で探すから、お前はあいつの傍で見てろって、言ってんだよ」

「相川……」

「なんだよ……」

 視線がぶつかり合うことに突然、相川は、照れくさそうに頬を緩ませ、あらぬ方へとそっぽを向けた。

「カッコつけんのは良いけど、ちゃんとやれよ?お前って案外、頼りにならないからな」

「うるせえな!」

「授業始まるぞ?」

「分かってるっての!」

 そそくさと立ち上がり、教室へと向かう。

 その道すがらに弾ませるような会話も無く、妙な沈黙が続いていたけれど、不思議と嫌気の差すような気分ではなかった。

 段々と、終わりへと収束していく。

 まだ一週間はこれからだというのに……一秒が、一日があっという間に過ぎていく。

 
「あっ、また……来たんだ」

 含みを持たせるような第一声に、妙な冷や汗を額に滲ませながら、床に腰を下ろした。

「ごめん、来たらまずかった?」

「いいえ、ただちょっと不思議で」

「不思議?」

「えぇ、もう二度と来ないと思ってたから」

 俺も君さえいなければ、二度と立ち入らなかったかもしれない。

 屋上は多くのものを見渡せるから、あんまり足繁く通うのは好きじゃなかった。

 人を見下ろしていると、またいずれ、あれが誰かに見えてしまうかもしれないと、ビクビクと生まれたての羊のように体を震わせてしまうから。

「俺も……そう思ってたよ」

「そう、だったんだ」

 また沈黙が漂う。

 これ程までに晴天な黄昏時に、澱んだ憂鬱な気持ちで沈んでいく夕日を眺めていく。

 今日は何を語ろうか。

 ほんの数十分の間だけ許された彼女との時間が怖くもあり、安らぎにも感じて始めていた。

 彼女は相槌一つさえ打つことなく、耳障りにならぬように、俺の言葉に耳を澄ませる。

 けれど、語らない。

 俺も彼女も近況報告ばかりで、本当に好きなもの、嫌いなもの、そして過去には一切話が広がらず、その全てに頑なに口を噤んだ。

 ……また一日が終えた。

 そして、相川との地獄の時間だ。

「しょげてる暇無いぞ。色々と聞いて、あいつの家の近くまで行ったんだが……」

 行動力の鬼が、前日の近況報告を伝えに、今日は何故だか、いつもより人の目をより避けるように、屋上前での会話を要求した。

「まぁ、うん。やばいな」

「何が?」

「集合住宅だから真相は定かじゃないが、ゴミ置き場に大量の空き缶が捨てられていた。それも全部アルコール類だ」

「……虐待かな?」

「さぁな。本当は家まで訪ねたかったんだが、案外、あいつ、あぁ、あいつのは名前水瀬あかりな。水瀬の帰りが早くってな。つーか、お前もっと時間稼げよ!役立たずが!」

「下手に引き止めても怪しいだろ。話してる時もそんな嬉しそうじゃなかったし、多分、暇つぶし程度にしか思われてないんだよ…」

「ハァ……。あぁ、もう警察に言えば、良いんじゃねえか?ただの高校生二人じゃ、手に負えないだろ、こういうのって」

「それで救われるんなら、本望なんだけど」

「人間の心なんざ案外単純なもんだろ。感情が混ざり合って入り組んでるように見えてるだけで」

「なら、お前は何のために関わったんだよ」

「俺たちにできることが何もないから、言ってんだろうが。人の話ちゃんと聞けよ」

「聞いてるだろ!」

「どうだろうな、その邪魔な前髪が、余計に信用ならないね」

「良いだろ別に!切り行くのが面倒なんだよ!」

「二人とも何をされてるんですか?」

 一人の男が割り込んだ。

 それは、その姿は、あの時の新任教師の、憂鬱そうに陰険で歪な表情を浮かべた様であった。

「あっ……」

「ちょっと、二人で内密なお話をしてまして」

「へぇー、内密ですか。僕も混ぜてくれませんか?水瀬あかりさんの大切なお話を」

 聞かれていた。

 一部始終を。

「あぁ、僕は大野和人です。よろしくお願いします」

 最悪な方へと物事は進んでいく。
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