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【第二話】人を殺してはいけません

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【第三章 人を殺してはいけません】

殺人鬼の脱走を知ったのは、昼過ぎのことだった。
【今朝、精神科病棟から二人の患者が抜け出しました。うち一人は、連続殺人が精神疾患により無罪となった伊集院光人容疑者です。もう一人は、精神錯乱により――】

その殺人鬼は、何年も前に世間を騒がせた黒髪の女性専門の殺人鬼だ(通称こうもん殺人鬼)。誘拐する場所は、決まって小学校のこうもん付近。

とにかく小学校のこうもんに執着心があるらしく、執拗にそこで犯行をくりかえす。

女性が誘拐された翌朝には、死体がこうもんに飾られ、そこには決まってこんなメモ書きが書き置きされていた――


俺は、目の前のブルーシートに包まれていた『かつてニュースで見たメモ』と同じものを読み上げた。
「こうもんで遊んではいけません…………」

(間違いない……あいつが帰ってきたんだ)
俺と一緒についてきていた小学生たちは泣いていた。

さっきまでの楽しそうな雰囲気は嘘のように消え去り、顔面蒼白で腰を抜かしている。
魂の抜けたような表情で、失禁している子もいる。

他の男の子はそのままそこでへたり込み、自分の足に嘔吐した。

だが俺だけは、安堵の表情で死体と向き合った。
その女性は、俺が探していたあのえっちなお姉さんではなかったのだ。
心のどこかで良かったとホッとしている。

俺は死体に備え付けられていたカードをとる。
『こうもんで遊んではいけません』の文字の下に小さな文字で、さらに以下の文章が書かれていた。

『久しぶりだね! 元気にしてた? 後ろを見ろ』
「後ろ……?」

心臓が跳ね上がり、心拍数が飛び上がる。今にも胃の内容物を吐き出すほどの緊張感が肌を焼く。俺は、ゆっくりと後ろを振り返る。

さっきまで聞こえていた小学生のすすり泣きが心音に取って代わられる。
景色がゆっくりと回転し、川を橋を土手を映し切り取っていく。視線が土手の上で止まった。

そこには一台のバンが止まっていた。黒塗りの小さなバン。遠くてよく見えないが、後部座席のドアの前に誰かが立っている。

そいつはなんと俺に向かって大きく手を振ってきた。
背筋を電流が駆け抜けた。

「間違いないあいつだ……あの連続殺人鬼だ……本当に病院から抜け出したんだ」
そして、殺人鬼は後部座席を開けて、中にいる人物を俺に見せつけた。

遠くて顔までは、はっきり見えない。
(今日はやけに目が霞むな……)
だが、囚われている人物が誰なのかわかった。

「お姉さんだ……」
後部座席には、猿轡をされたあのえっちなお姉さんがいた。

俺は足早にバンに向かって走る。
「待てっ! お姉さんを離せ!」
殺人鬼は俺の様子を見て、お姉さんをバンに押し込むと運転席に入った。

「くそっ! 止まれ!」
俺は必死でバンの後を追った。小さな足を交互に動かし、短い歩幅を大地に残す。
だが追いつけるはずなんてなかった。

「俺が絶対にお姉さんを助ける! 待ってて!」
そして、バンは煙を吐きながらどこかへ去っていった。

「はぁはぁ……くそっ!」
俺はくしゃくしゃにしたカードをもう一度開いた。
『ゲームは再開された。俺とお前のゲームだ。ルールは簡単。お前が俺の殺人を阻止できればお前の勝ち。今度こそ負けないぞ。これは俺の復讐だ』

そして、カードの下には見たことがない暗号のようなものが書いてあった。
「上等だ! やってやる!」
俺は闘争心を燃え上がらせて命の火花を散らす。

熱くなる心とは裏腹に、ロジックはクールに冴えていた。
(こいつは俺のことを知ってる? なぜだ? なぜ俺に執拗に執着する? 俺は、こいつと会ったことなんて一度もないのに……)



◆◆◆【視点変更 えっちなお姉さん視点】
青いバンは私を乗せて街を縫っていく。
私は猿轡をずらし、運転席に怒号を放つ。

「離してよ! あの子はなんの関係もないでしょ! まだ小学生なのよ! こんなことできるわけないじゃない!」

運転席に座る背の高い殺人鬼は、こちらを見る。
爽やかな表情と、若く整った顔立ち。優しそうな表情で、
「おい……静かにしろ……俺は今、性的に興奮しているんだ。水を差すな」

(くっ! 頭がイカれているのかしら……)
私は、後ろ手に縛られている。解けそうにはない。

「お願いよ! 私は好きにしていい! だけどあの子を巻き込まないで!」

その瞬間――殺人鬼の顔が一気に変わった。目は釣り上がり、歯を食いしばり、激怒の表情で、
「こうもんってのはよおおおおお! クソを捻り出す場所だろうがよおおお! 何で小学校の入り口もこうもんなんだよおおおお! こうもんって出口なのか入り口なのかわからねえよおおおお! お前にはその答えがわかるかああああ?」

「なんの話しているのよ……」
「わからねえよなああああ! だから俺様が小学校のこうもんで小学生のこうも――」

(こいつは間違いなくあの連続殺人鬼だ。黒髪の若い女ばかり狙うサイコパス。だけどこいつが執着しているのは女じゃない……小学生だ)



◇◇◇【視点変更 主人公視点】
走り去っていく黒いバンを見ながら、
「上等だ! やってやる!」

俺は土手の死体を警察に匿名で通報すると、一度帰宅することにした。
高ぶる感情とは裏腹に、頭は冷静そのものだった。

小学生が徒歩で車に追いつくのは不可能だし、第一行き先がわからない。
それに、わざわざ俺に見せつけるように誘拐したんだ。すぐ殺すとは考えにくい。

(お姉さんはまだ無事のはずだ。だが……どうする? 小学生の俺に何かできるとも思えないし、親や警察に助けを求めるか?)

自分の家の方へとぼとぼと歩く。走り疲れて感覚の無い足は、ロボットのようだ。

(いや、でもあの殺人鬼は俺を名指ししていた! ということは、俺が行かないとそのまま逃げられてしまう……そうなったらお姉さんとはもう会えない)

俺はぶつぶつ独り言を言いながら、帰路に着く。
親に言うか、警察に任せるか決めあぐねていると、自分の住所に着いた。

だがそこで奇妙なことが起きた。家があるはずの場所に、なぜか家がなかった。

「俺の家がなくなっている……なんで?」
俺は首を傾げ、不可解な出来事に戸惑う。

目の前で起きたある種冗談のような光景に脳が追いつかない。
「えっ……ここが俺の家だよな? 道を間違えたか?」
俺は周囲を見渡し、自分の家を探す。なんとなく見覚えのあるような建物は周囲にある。
だが自分の家だけがない。

確かに自分の家に向かって歩いているつもりだった。しかし、俺は見当違いの場所に向かっていたらしい。

「くそ……今日の俺は一体どうしたっていうんだ……」
体調は悪いし、道を間違えるし、それ以外にもたくさん違和感を感じている。

「こんなところで道草を食っている場合じゃない……早くしないとお姉さんが死ぬ!」
その時、俺は自分の手が恐怖でプルプルと震えていることに気づいた。

「落ち着け! きっと動揺して迷っただけだ。バラバラ死体を見たんだし無理もない……それより、早くこの謎を解かないと……」
道を迷ったことにより、『親に言う』という選択肢が消えた。
人に頼れないのなら、自分でなんとかするしかない。

俺は見ず知らずの場所で、突っ立ったままカードに書かれた暗号と奮闘することにした。
「早く……早くしないと……!」
身体中をストレスホルモンが貫いていた。心臓はドラムのように鳴り響き、汗が服に滲む。
背筋に張り付くシャツは、濡れた舌で俺を舐めているみたいだ。

緊張感と興奮で高ぶった神経は、凍りつきながら燃えている。
「お姉さんを助けるためには、早くこの暗号を解かないと……! でも答えがわからない! くそ! なんなんだよ!」

この時、俺は背後にいた人物に気づけなかった。
「ちょっと? あなた?」

俺はぶつぶつと独り言を呟きながら、
「あの殺人鬼は、こうもんに異常な執着を見せていた。そして、この俺にもなぜか執着している……いったい何が目的だ?」

俺に声をかけた人物は、再び、
「ちょっと! 人が話しかけているのよ?」

「目的からヒントを逆算するんだ……くそわからない……しかもあいつは何故か俺に会ったことがあると言っていた……いったいなんなんだ。あんな奴と会ったことなんてないぞ?」

「聞こえていないの? もしもし?」

「俺の両親の知り合いか? 俺がうんと小さい時に会っていたのか? それとも――」

俺の思惑を遮るように、
「こらっ!」
俺はその声でようやく後ろを振り向いた。

「ご、ごめんなさい。気づきませんでした。あれ? あなたは?」

そこにはさっきぶつかった車椅子の老婆がいた。背は低く、腰は折れ曲がっている。
顔にはシワがいくつもの模様を作っている。だが彼女が若い頃、美人だったことは容易に想像できる。

「人のことを無視してはいけませんよ。さっきから見ていましたが、何か困っているのですか?」
「あ、ええ。いや、でも無関係の人を巻き込むわけには――」
老婆は俺に近寄ると、暗号が書かれたカードを見る。

「いいから。貸してみて? 私は若い頃、近所の子供と一緒にこういうの解いていたのよ」
「でも……!」
「何か困っているんでしょう? 誰かに助けを求めることは悪いことじゃない。そうでしょう?」

その言葉に、俺はなぜか温かみと思いやりを強く感じた。
この人は何故か信頼できる……そう俺の本能が告げた。
「……わかりました。じゃあお言葉に甘えて」

「せっかくだし私の家でお茶でも飲みながら一緒に考えましょう」
知らない人についていっちゃいけない。親や先生から何度も言われた言葉だ。

だが、この時の俺にはそんな余裕なんてなかった。

そして、俺は見知らぬ老婆の家に招かれた。(家はさっきの場所からすぐのところにあった。)

家の中は、質素だった。あまり広くなく、豪華な家具もない。普通の庶民の家。
俺は出された緑茶をズルズルと啜る。うんと昔、今よりもっとずっと前にどこかで飲んだことのある味だ。きっと、俺の死んだばあちゃんと同じお茶なのだろう。

老婆はしかめっ面で暗号が描かれたカードを見ると、
「わかった」
「えっ?」
いともたやすく行われるえげつない行為だ。

俺のさっきまでの奮闘を返して欲しい。
老婆は、紙にサラサラと地図を書き出した。
「ここにあなたが探している人がいるわ」

「ど、どうもありがとう。でも、なんでこんなに早くわかったんですか?」
「ふふ……この暗号、昔解いたことがあるのよ」

(どういうことだ? なんでこの老婆があの殺人鬼の暗号を解いたことがある? ニュースで警察から発表された暗号を見たのだろうか? いや、今はそれどころではない。一刻も早くえっちなお姉さんを探さないと!)


「おばあさん! 見ず知らずの俺にここまで協力してくれて本当にありがとう」
「いいのよ。間に合うといいわね。でももし間に合わなくても自分を責めないでね」
「うん! ありがと! 本当に俺行かないと!」

すると老婆は俺の目を見て、優しく……
「過去は変えられないけど、未来はいくらでも変えられる。過去のためじゃなくて、未来のために今を使いなさい……長く生きたババアの知恵よ!」

「俺もういくよ! 本当にありがとうね!」
俺は早口で礼を言うと、彼女の家を後にした。

俺が去った後で、老婆は口を動かした。
その声が俺に届くことはなかったが。

この事件を根底から覆すような、全ての前提がひっくり返るようなものだった。


老婆は、茶を飲むと、
「懐かしいね。この暗号は見ただけで答えがわかったわ……私がこの暗号を解けたのは、警察の発表を見たからじゃない……」
老婆は擦り切れるような、懐かしむような声で。

「何故ならこの暗号は、あなたが考えたクイズなのよ?」
と、走り去っていく俺にそう言った。


『最後のオチ』へ続く。

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