嫌われた王と愛された側室が逃げ出してから

迷路を跳ぶ狐

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chap5.浸潤する影

80.密室の二人

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 リリファラッジは、ストーンに連れられ、彼の私室へ向かった。彼の少し後を歩いていると「早くしろ」とたびたび急かされ、距離を保ったまま歩調を合わせるのに、少し疲れてしまった。

 ストーンの方は、廊下を歩いている途中、すれ違う者たちに羨ましそうな目を向けられ、ますます気をよくしたようで、上機嫌だ。

 彼の部屋につくと、ストーンはドアを閉めてからすぐにリリファラッジに振り向いた。

「リリファラッジ、怪我はしなかったか?」

 チュスラスののろい魔法など当たるはずがないし、怪我などしているはずがないのだが、リリファラッジは、よろよろとうずくまり、くるぶしのあたりをおさえるふりをして、そこを軽くひっかいた。

「足を少し……すりむいてしまって……」
「……足を? なんてことだ……」

 リリファラッジの真っ赤な嘘を疑うはずもないストーンは、リリファラッジがおさえているくるぶしを見て大げさな声を上げる。
 もちろんすりむいてなどいないし、ひっかいた痕だということは見れば明らかだが、ストーンは二人になると、たいていリリファラッジの言うことを鵜呑みにする。
 
「チュスラス……あの無能はなんということを……待っていろ。すぐに手当てさせる」
「スティ様、冗談です」

 二人だけの時にいつも使う呼び名で呼んで、さっさと白状しておく。
 ストーンは気を悪くする様子もなく「なんだ。冗談か」と言って笑った。

 からかっただけなのに、本気で医術士を呼ばれたりしたら、また医術士たちに迷惑そうな顔をされてしまう。
 以前、ストーンの誘いを断るのが面倒で、熱があると言ったら、部屋に五人も医術士を遣わされた。そのとき医術士たちは何も言わなかったが、全員が目で「ふざけんなよ。次に同じことしたら逆に病気にしてやろうか」と言っていた。さすがにまたあの目で見られるのはイヤだし、彼らにも悪い。

「あんなもの、当たるはずがないでしょう。私をバカにしないでください」
「バカにするだなんて、そんな気は……」
「ひどいなー。スティ様」
「り、リリファラッジ……」

 ストーンの反応を面白がるリリファラッジの言葉に、ストーンはおろおろと慌て出す。とても先ほどまで元老院のトップとして振る舞っていた男とは思えないが、彼はいつもこうだ。

 ストーンは、他の者がいるところでは、リリファラッジに対してひどく横柄な態度でいる。彼はいつも自身の立場や外聞というものを気にしているからだ。他人の前では、常に威厳ある元老院のトップでいたいらしい。

 それに、共に国を動かしていく者たちの前で弱いところなど見せてしまえば、政敵たちにつけ込まれる。一介の踊り子に手を焼いているようでは周囲からの信頼にも関わる。彼のようなこの国の実質的トップが、身分のないリリファラッジに振り回されているなどと知れれば、国としても体裁が悪いらしい。
 それを理解しているからこそ、他の者がいる前では、リリファラッジは常に彼をたてるし、場合によっては屈辱的なパフォーマンスにも応じる。
 それについて不満はないが、二人だけになっているときにまで彼にあわせてやるつもりはない。

 リリファラッジの身分にあわない図々しい無礼な態度にも、ストーンは腹を立てるどころか、そこがいいとすら言う。彼の部屋によく来るのは、彼の地位や権力のこともあるが、他の権力者にはない、こういうところが楽だからだ。

「私、ちょっと拗ねました」
「そんな……せっかく部屋に来てくれたんじゃないか。どうか機嫌を直してくれ」
「うーん、どうしましょう」
「そうだ。せっかくだから、何か食べないか? お前の好物をすぐに用意させる」

 特に腹が減っているわけではないが、ストーンに話があってきたのだから、それを話すまでは、ここにいなくてはならない。その間、何かつまむものがあったほうがいいかもしれない。

 リリファラッジがにっこり笑って礼を言うと、ストーンはすぐさま給仕の者を呼んだ。







 給仕係は、ストーンに言われたものをすぐに持ってきてくれた。
 広いテーブルが、いつものようにフルーツや飲み物でうまっていく。

 給仕係の若い青年は、リリファラッジを見て「またか。この図々しい尻軽踊り子は」と言わんばかりに侮蔑の視線を送ってくるが、リリファラッジは気にもとめない。

 他人がきたので一応殊勝に頭を下げながらも、「キウイはもう飽きました、下げてください」と言ってやる。

 怒り狂った顔で給仕係がリリファラッジを睨みつけてくるが、リリファラッジは彼に朗らかに微笑み、彼が出て行ったのを見届けてから、ストーンがいつも寝ている大きなベッドに寝転がった。

 すぐさまストーンがヘッドボードに山桃の入ったかごを持ってきてくれる。それに手を伸ばしながら、リリファラッジは肩から羽衣を下ろし、体を伸ばした。

 その間ストーンは、ベッドのわきにあるいすに座り、リリファラッジに冷たいハーブティーを差し出してくる。
 受け取ってのどを潤すと、気分がすっきりした。

 ストーンは、遠慮がちに言った。

「リリファラッジ、久しぶりにお前の舞を見せてくれないか?」
「ひどい……スティ様、私、疲れてるのに……」

 本当はたいして疲れていないし、舞ってもいいのだが、少し出し惜しみをしてみる。

 リリファラッジの機嫌を損ねたと思ったらしいストーンは、ひどく慌て出した。

「そ、そうか。すまない。無茶を言って」
「すまない、なんかじゃすみません。スティ様がひどいこと言うから、私、とっても傷つきました。もう帰ります」

 立ち上がるリリファラッジに、ストーンがすがりついてくる。

「待ってくれ! 来たばかりじゃないか!」
「しりません。私の機嫌を損ねた、あなたが悪いんです」
「リリファラッジ! すまない! 許してくれ!」

 リリファラッジが、からかいついでに本当に部屋を出ていこうとすると、ストーンはすぐさまその場に膝をつき、手をついて土下座した。
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