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69.出どころの分からない恐怖が湧いてくる
しおりを挟む僕は、ラックトラートさんについて走り出した。
ドーム型のテントのドアを開けようとした彼は、途中でやめて、中を覗いている。
僕も彼と一緒に中を覗くと、中にはレヴェリルインとアトウェントラ、コエレシールとロウィフがいた。
彼らは、テーブルに置いた地図を見て、何か話しているようだ。真剣な顔をして、地図の上を指差している。
「明日の作戦会議でしょうか……? ロウィフの奴……ちゃっかりあんなところにいて…………見ていてください! すぐにぼろをだします。あのインチキウサギ……」
ラックトラートさんは、じーっとロウィフを睨んでいる。
だけどロウィフは、地図を眺めて、他の三人が話しているのを聞いているだけ。どうやら、売り払われた魔法具を取り返す話をしているようだ。話し込む三人を、ロウィフが眺めている。
そんなロウィフに、コエレシールが睨むような顔で振り向いた。
「魔法具の回収のために魔法ギルドが動く話は出ていたが、回収の同行には、サウフォーテたちが行くと喚いてなかったか? それなのに、なぜお前がきたんだ?」
「サウフォーテさん、急に腹痛起こしたそうです。食べすぎじゃないんですか? だから代わりに、一回レヴェリルイン様たちの尾行に成功した僕がきたんです」
「だからと言って、何でお前が……」
「動けるのが僕だけだったんです。今朝方、草原の方に魔物が出て、みんな怪我をしてしまったらしくて。レヴェリルイン様たちの貴重な魔法を盗み見て、あわよくば魔法具を横取りしたり、他の魔法使いたちの魔法具の情報を横取りするチャンスだ、なんて寝言ほざいて油断しているからです」
「…………それで、よりにもよって、残ったのがお前か……」
「そんなに邪険にしないでください。情けなくレヴェリルイン様たちに連れて行かれたギルド長」
彼がそう言うと、コエレシールが黙れと言い出して、睨み合いが始まる。
その間も、レヴェリルインとアトウェントラは、ずっと地図を指差して何か話していた。
……だけど、なんだか……距離が近くないか? なんで、あんなにそばで話すんだ?
なんだろう……これ……
ぎゅうっと、自分の胸のあたりを掴んだ。握った服が、くしゃくしゃになるくらい。
なんだよ、これ。
レヴェリルインが、僕のところに来てくれた時は、すごく嬉しい。レヴェリルインが僕に話しかけてくれたら、図々しいこと考えて舞い上がってしまうくらいだ。
それなのに、レヴェリルインが他の人と話していると、それだけで苦しくなる。
なんだこれ。
不安とか、恐怖とか……それとも似ていない気持ち悪いものが、嬉しかった時と同じくらい僕の中で揺れ動いている。嬉しい時は、くすぐられてるみたいだったのに、今は、ぎゅうっと締め付けられるみたい。
息苦しくてたまらない。なんで僕はそばにいないのに、他の人がそばにいるんだ。
そう思ったら抑えられなくて、僕は叫んでいた。
「マスターっ……!」
声を上げた僕に、レヴェリルインとアトウェントラが振り返る。
レヴェリルインの驚いたような顔と、アトウェントラのキョトンとした顔。それを見たら、俄に正気に戻った。
何を考えてるんだっ……ただの従者のくせに。
激しい罪悪感が湧いた。なんで僕、こんなふうにレヴェリルインを呼んでいるんだ。
今度は罪悪感と自己嫌悪が僕を縛る。初めて遠くから自分の姿を見たようで、立ち尽くす僕を、レヴェリルインは手招いて呼んでくれた。
「髪をちゃんと拭いて来い」
そう言って彼が魔法をかけると、僕を温かい風が包む。
「わっ……!」
あっという間に、僕の髪は綺麗に乾いた。タオルで拭いてきたつもりだったのに……濡れた姿のまま出てきて、不快な思いをさせたかもしれない。
「も、申し訳……ございません……」
「……今日は早く寝ろ。明日も早い」
そっけなく言って、レヴェリルインは、僕の横をすり抜け、テントから出て行こうとする。
もう行っちゃうのか? まだ話の途中みたいなのに。アトウェントラと話しているときは、笑顔だったのに。
アトウェントラと話していた時の笑顔のレヴェリルインを思い出したら、僕は、また彼を呼んでしまう。
「ま、マスターっ…………」
弱々しく呼びかけた声とともに、振り向いた弾みで彼の服が僕の手に当たって、とっさに、彼の服の裾を掴んでいた。
レヴェリルインが驚いて、僕を見下ろしている。
「あ、あの……」
言い淀む僕。自分でも、なんでこんなふうに呼び止めているのかわからない。一体僕は、さっきから何をしているんだ? なんでこんなふうになっているんだ……
そんな僕に、ラックトラートさんが、テントの中にあったリュックからブラシを出して、渡してくれた。
そして彼は、小声で僕に言った。
「頑張ってください!! コフィレ!」
「……はい……あ、ありがとう……」
僕が答えると、ラックトラートさんはアトウェントラの手を引いて、テントから出て行こうとする。
「さあ、僕たちは外で星でも見ましょう!」
「え!? えっと……星より、明日の作戦が先かな……君も聞いて言ってよ」
「え!?」
アトウェントラは、今度はレヴェリルインを見上げて言った。
「レヴェリ様も、まだ話の途中です。いきなり出て行こうとして、どうしたんですか? 明日の作戦を立てるって言ったの、レヴェリ様なのに」
「……それならもうした」
「まだ終わってません! コフィレー、コフィレもこっち来て! ベッドに座って!」
「おい!! やめろウェトラ!」
レヴェリルインが慌てて、アトウェントラを止めてる。
なんで止めるんだ? 僕は行かない方がいいのか?
これって、拒絶……されたことになるのか? 拒絶には、慣れている。そもそも僕は、拒絶されたことしかない。
だけど、慕った人に拒絶されたのは、初めてだった。だって慕った人なんて、これまでいなかったんだから。
その場に立ち尽す僕の手が、レヴェリルインの服から離れてしまう。
だけど今度はレヴェリルインが、僕の手を握ってくれた。
「……こっちへ来い」
「え……」
戸惑う僕を、レヴェリルインは地図の前まで連れて行き、ベッドに座らせてくれた。
見上げたら、すぐそばにレヴェリルインが立っている。
彼に呼んでもらえたんだ。
すごく嬉しい。それなのに、さっきまでの不安も恐怖も、なりを潜めていくはずが、まだかすかに残っている。
僕のこと、怒ってないのか? 僕は、ここにいていいのか? 僕を、ここに置いておいてくれるのか?
一体これは、なんなんだ。
だいたい、僕だけ座って、レヴェリルインが背を向けて立っている状態は、おかしくないか? 僕は従者なのに。
「あ、あの……マスター」
「どうした?」
「ま、マスターも……座って……ください」
「……っ!! 俺はいい……」
彼は、すぐに僕から、顔を背けてしまう。
なんで……そんなに、腹が立ったのか?
さっきまであんなに嬉しかったのに、拒絶されたって思うだけで、ひどい恐怖が湧いた。
僕は従者なんだ。レヴェリルインの言うことを聞いていればいい。それなのに、さっきから、なんで、こんなに我慢できないんだ。レヴェリルインの一挙一動で、自分の理性を置き去りにして喜んだり恐怖を感じたりしている。それだけならまだしも、レヴェリルインのそばに行こうとしてる。従者なのに、いつか彼の制止すら押し退けて、手を伸ばしてしまいそう。
僕……どうしてしまったんだ? しっかりしろ。そばに座ってほしいなんて、そんなこと言える立場じゃないだろ。
そう自分に言い聞かせるのに、どうしても、レヴェリルインから目を離せなかった。
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