たましいの救済を求めて

手塚エマ

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第八章 おかわいそうに

第九話 圭吾の逃げ足

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 つまり彼女は来る者、拒まず。 
 尚且つ狙った獲物も捕食する。奔放で自意識過剰な美人だという麻子の中での認識は、くつがえされない。むしろ強化されている。
 見た目に反して攻撃的で、男性性が優勢だ。

 三谷はといえば、自分のデスクに戻りつつ、拍子抜けした声で鶴に尋ねる。

「畑中さんが、寿退社って言ったんですか?」
「そう聞きましたよ?」
「どんな人とか、言いました?」
「えっと……、整体院をしている人って聞きましたけど」

 二人に背中を向けた位置で、聞き耳を立てた麻子は息を飲む。それは三谷も同様だ。彼女が一瞬返す言葉を失う気配を背中で感じた。察していた。

「あの、……」

 時間の針が止まってしまった事務室で、鶴だけが生きていた。

「僕、今日の準備しててもいいですか?」
「……ええ、はい。どうぞ。すみません」

 三谷の我に返ったような声。鶴が自分のデスクに腰掛ける音。心臓がバクバク胸を打ちつける。

「すみません。ちょっと……」

 麻子は携帯を握りしめ、よろけて脛を打ちながら、事務室を後にする。
 圭吾の整体院の正月休みが、いつまでなのかもわからない。例年ならば、八日からだが、今年は通年通りなのかすら、わからない。

 麻子は受付と事務室を繋ぐ廊下まで来た。
 ここから表に出るのなら、受付カウンターの背後を抜けて、関係者以外立ち入り禁止のドアまで行くしかない。

 考えただけで肌がぞわりと粟立った。
 ここは職場なのだと告げる理性を踏み越えて、掴みかかりかねない気がした。
 畑中に。
 
 麻子は仕方なく事務室に引き返し、面接室に通じるドアから廊下に出た。
 事務所の三谷や鶴の目に、どんな風に映っているのか。
 二股をかけた挙句に、付き合いの長い女はポイ捨て。もう片方を選んだ男に、必死に電話をしようとしている無様でみじめなアラサー女。

 殺意に近い衝動は、血潮とともに頭の中をかけめぐる。


 麻子は診察室の後部に設れられた非常口から外に出た。
 途端に、びゅうと風が吹く。鉄製の踊り場の隅に座り込む。吹きすさぶ寒風に晒されて、あっという間に体が凍えた。

 携帯を繰る指も震え出す。
 圭吾にかけた電話の呼び出し音が鳴る前に、この電話は現在使われておりませんという音声が無機的な言い回しで聞こえている。
 これが圭吾の答えだ。
 返信だ。

 年末年始は、まだブロック程度だったはず。
 年が明け、畑中陽子の退職の申し出により、すべてがつまびらかにされると踏んだ恋人は、番号までをも変えていた。
 安直な逃げ足だけは早かった。

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