クリスタルの封印

大林 朔也

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勇者とネックレス 1

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 アーロンとフィオンが話をしていた頃、エマは真っ青な顔で荷物をひっくり返していた。宿屋に着いてから、右手首にしているはずのネックレスがないことに気付いたのだった。

(ないわ…どこにいったのかしら… 今まで…どんな戦場でも落としたことなんてなかったのに…。
 もしかしたら…あの時、あの男に、腕を掴まれた時かしら?どうして…怯んでしまったのかしら…)
 エマはそう思いながら、ネックレスをしていた右手首に触れた。
 男ばかりの騎士団の中で生き抜いてきたエマは、どのような言葉を浴びせられようとも怯まなくなっていた。悲しんだり傷ついたりする感情は、兵士になりたての頃に凍りついたはずだった。

 それなのに顔を近づけながら「慰めてくれよ」と言って、酒臭い息を吐きかけてきた男に嫌な記憶が呼び覚まされたのだった。

 この旅は、エマに嫌な記憶を頻繁に思い出させる。
 純真なマーニャを見ていると「大切な人」を思い出し、昔の自分が度々顔を出そうとするからだった。
 張り詰めた空気から解き放たれ、馬で颯爽と駆け続ける日々は押し殺してきたモノを自由にしてしまうのだ。
 青い空と緑の大地が心を洗い、弓の騎士ではない自分が動き出そうとする。

 オラリオン王国にいる時の「弓の騎士」として築き上げてきた「エマ」がぐらつくのであった。
 
(アーロンの様子に驚いたのもあったけれど、大事なネックレスを落としたことに気付かないなんて…どうかしてるわ。
 アイツらに見つかる前に…見つけ出さないといけない。
 早く…探しに行かないと…)
 エマはネックレスの巻かれていない右手首を見ながらそう決心した。
 
 あのネックレスは、生命にも等しいものだった。
 そんな大切なネックレスが、あのような男に見つけられて触られていると思うとゾッとした。さらに男の首に下げられ或いは売り飛ばされそうになっている光景を思い浮かべると、居ても立っても居られなくなっていた。

 エマは窓の側に立って、外の様子を確認した。
 町に着いた頃は赤い空が広がっていたが、もう空は黒一色だった。月は出ていたが、その光は朧だった。輝く星も少なく、嫌な夜空が広がっていた。

 ラスカの町は遠く、一度走っただけの道を迷わずに行けるのだろうかと不安に思ったが、ネックレスを思い浮かべると、その思いはすぐに消えていった。

 矢筒に入っている弓矢の数を確認すると、腰のベルトに短剣を差し、灰色のマントを手に取った。部屋を出ようとした瞬間、誰かが部屋のドアをノックした。
 アーロンかフィオンに気付かれたのではないかと思うと、嫌な汗が流れていったが、声の主は騎士ではなかった。

「エマ様、何かあったんですか?」
 隣の部屋の物音を聞きつけて、エマに何かあったのではないかと心配になったマーニャだった。

「大丈夫よ!なんでもないわ!」
 エマはドアを開けることなくそう答えた。

 マーニャがすぐに部屋に戻って行ってくれることを期待したが、マーニャは戻らなかった。何度もエマの名前を呼び続けたので、アーロンとフィオンに気付かれるのではないかと心配になったエマはドアを小さく開けた。

「エマ様…良かった…」 
 ドアが開くと、マーニャはホッとした声を出した。

「どうかされたのですか?
 先ほども様子がおかしかったので、心配に…」
 マーニャはそう言い終わらないうちに、少し開いたドアの隙間から見える部屋の散らかりように驚いた顔をした。
 騎士であるエマはいつも整理整頓が完璧なのに、この散らかりようは一体どうしたというのだろうか。

「エマ様、何かあったのですか?」
 と、マーニャは言った。

「何でもないのよ」
 エマはそう言ったが、腰のベルトに差している短剣がマーニャの目に入った。今にも何処かに行こうとしている姿を見ると、何かあったのだと察知した。

「どちらに…行かれるんですか?」
 マーニャも真っ青になりながら言った。
 宿屋は静かで、外から犬の吠え声と兵士たちの怒鳴り声が聞こえてくると、マーニャはビクッと体を震わせた。

「外の空気を吸いたくなっただけ。すぐに戻るから」

「外は、もう真っ暗です。危ないです。
 行かないでください、エマ様!」
 マーニャはそう言うと、部屋の中に入りエマに抱きついた。

 自分を思う気持ちにエマの心は締め付けられたが、マーニャの温もりと優しさを感じれば感じるほどに、ネックレスの輝きもまた大きくなっていった。
 普段の彼女であれば冷静な判断が出来るのに、エマの頭の中はネックレスで一杯になっていった。

「大丈夫、大丈夫よ。
 すぐに戻るから。すぐに帰って来るから。
 マーニャは、ここで待ってて」
 エマはそう言うと、マーニャを部屋の椅子に座らせた。
 マーニャが心配そうな顔でエマを見つめると、エマはマーニャから視線を逸らした。

(マーニャが気付いたのだから、アーロンとフィオンもとっくに気付いているだろう)
 エマはそう思うと、一刻も早く部屋を出なければならないと弓を手に取った。

「エマ様、行かないでください」
 マーニャがそう言うと、夜風で窓ガラスがガタガタと揺れ動いた。ビュービューという風の音が、恐ろしい獣の鳴き声のように聞こえるようになった。

 マーニャが小さな悲鳴を上げたのと同時に、またドアをノックする音がした。
 その音は先程よりも力強くて、エマは体をビクッと震わせた。他の2人の魔法使いではなく、騎士のものだと分かったのだった。

「何かあったのかな?入ってもいいかな?」
 アーロンの声がすると、マーニャは椅子からパッと立ち上がった。

「助けてください!
 アーロン様、お願いします!」
 マーニャが悲痛な声を出すと、アーロンは勢いよくドアを開けた。

 誰かが侵入してきたのかと思ったようだったが、弓を持ち腰のベルトにも短剣を差しているエマを見ると、アーロンは剣の柄から手を離した。

「エマ、どこに行くつもりなんだ?」
 アーロンがそう言うと、エマはサッと目を逸らした。グレーの瞳は厳しく、規律を守らない騎士に向ける時と同じ色をしていた。

「ラスカの町よ」
 エマは短くそう言った。そのまま部屋を出て行こうとすると、アーロンはエマの行く手を阻んだ。

「ダメだ。あの町は危険だ。
 さっきの事で、よく分かっているだろう?何があったんだ?」
 アーロンがそう言うと、エマは少しの間黙り込んでから口を開いた。

「大事なネックレスを落としたの。きっと、あの男に腕を掴まれた時だわ。
 本当にどうかしてるわ。落としたことにも気付かないなんて…あれは私の生命よりも大事な物なの。
 通して」
 と、エマは強い口調で言った。

 立ち塞がるアーロンをおしのけようとすると、アーロンは彼女の腕を掴んだ。その手の力はとても強くて、簡単に振りほどけるものではなかった。

「落ち着くんだ。
 君の生命より大切なものなんてないだろう。
 あの町には絶対に行かせない。野蛮な男たちが大勢いる。
 君が諦めるまで、この手を離さないから」
 と、アーロンも強い口調で言った。

「私は冷静よ!
 それに私は弓の騎士よ!馬鹿にしないで!」
 エマは大きな声を上げ、アーロンの手を何とか振りほどこうともがいたがビクともしなかった

 2人を見ていたマーニャがオロオロし始めると、アーロンの後ろに立って見ていたフィオンが大きな音を立ててドアを締めた。
 その音に驚いたエマは抵抗を止めて、ドアの方に顔を向けた。

「エマ、やめろ。アーロンの言う通りだ」
 と、フィオンも静かな声で言った。

「アーロンの言う通りですって?
 危険な戦場でも、私はずっと生き残ってきたわ!男にだって負けはしないわ!
 放っておいてよ!すぐに取り返してくるから!」
 エマはフィオンにそう食ってかかった。

 自分を冷静な目で見つめるフィオンを見ていると、エマは無性に腹が立ってきた。
「女にモテたい」という言葉が頭の中で鳴り響くと、女のことしか考えていない男に思えてきて、ラスカの町の男の顔を思い出したのだった。

 エマはフィオンを睨みつけたが、彼は気にする様子もなく落ち着いた声で話し始めた。

「放っておけるか。冷静になれ。
 戦場とは訳が違うんだぞ。戦場は仲間もいて、地理も把握し、戦略も立てているだろう。
 あんな無法地帯に1人でフラフラと行って、どうする気なんだ?
 あそこは、ならず者の集団だ。
 あの町の中のことを、お前は何も知らない。そんな所に女のお前が1人で行って、一体どうする気だ?戦場とは違う怖さを、その身をもって知ることになるぞ。
 あの手首にしていたネックレスは高値で売れるだろう。奴等が見つけていれば、そう簡単には手放さない。
 探しに行くのは、諦めろ」
 と、フィオンは強い口調で言った。

 エマはフィオンがネックレスをブレスレットとして手首につけていたのを知っていたことに驚いたが、同じ勇者であるというのに命令口調なのが気に入らなかった。
 自分が女であることが原因であるように思うと、騎士としてのプライドも傷つけられたような気になった。

「ならば、騎士の力を見せてやるわ。
 手放さないのなら、弓矢で射抜いてやるまでよ」

「接近戦で何十人の男を相手にするんだぞ。
 弓の特性上、無理だ。
 もう一度言うが、ネックレスを探しに行くのは諦めろ。
 行けば必ず取り囲まれる。次の矢の準備をする前に、飛びかかってくるぞ。どうして俺がここまで言うのか、分からないわけではないだろう?」
 フィオンはそう言ったが、エマは諦めようとはしなかった。

 アーロンの手を振り払おうとすると、フィオンは今度は厳しい目をしながらエマを見下ろした。

「お前の国と俺の国は、違うんだ。
 女ならば誰でもいい連中が大勢いるんだ。こんな時間に行けば、女に生まれたことを後悔することになるぞ」

「女、女って言わないでよ!
 女に生まれたことを後悔するって何よ?!
 もう十分してるわよ!何が言いたいのよ!」
 と、エマは大きな声を出した。
 自らの腕を握るアーロンの力は凄まじく、その現実が彼女をさらに苛立たせていた。
 その言葉を聞いたフィオンはエマをしばらく見つめていたが、外からゲラゲラと笑う兵士たちの声が聞こえてくると重々しい口調で口を開いた。

「騎士とよばれる男たちでさえ、全員が「騎士」といえるものなのか?
 一部の騎士が勝った戦場で、捕らえた女に無理やり何をしているのか、お前だって知らないわけがないだろう。
 お前も、そうなりたいのか?」
 フィオンがそう言うと、エマは表情を曇らせた。

 わずかに身震いをしてから、彼女は下を向いた。道端や崩れかかった小屋で服を剥ぎ取られて死体となった女子供の姿が脳裏に浮かんだ。
 しばらく唇を噛み締めていたが、腰に差した短剣が目に入ると、エマは諦めきれないといった表情で顔を上げた。

 しばらく睨み合っていたが、フィオンは弓の方に目を向けてから、もう一度弓の勇者の顔を見据えた。

「怪我でもすれば、旅が遅れる。
 弓の勇者がいなくなりでもしたら「使命」を果たせなくなるかもしれない。
 お前は「弓の勇者」として、ここにいる。
 お前のネックレスと国民の生命、どちらが大事だ?
 立場をわきまえろ」
 フィオンは険しい目をしながら容赦なくエマに言い放った。

 エマはもう何も言わなくなった。
 ネックレスで頭が一杯になっていたとはいえ、自分には勇者としての使命があり、それが何よりも優先される事ぐらいは十分に分かっていた。

(言われなくても分かってるわ…馬鹿なことをしてるってことぐらい。
 でも…あれだけは…どうしても手元になくてはいけない…)
 エマは諦め切れなかったが、ついに両手をダランと下げた。

「分かったわよ」
 エマがそう言うと、アーロンはエマから手を離した。

 2人の男は先に部屋から出て行くと、マーニャがエマを椅子に座らせた。沈んだ顔をしているエマを見ているとマーニャも心苦しくなり、あたたかいブランケットでエマの体を包み込んだ。
 しばらくの間、マーニャは部屋に留まってから、静かに部屋を出て行った。

「分かってる…分かってるわよ。
 フィオンなんかに…言われなくたって…」
 エマはマーニャがいなくなると、急に悔しさが込み上げてきて右手の拳を握りしめながら何度も呟いていた。


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