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第八話 ここを共益地とする
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ようやくタビが落ち着いて、ぐすぐすと鼻を啜りながらも泣き止んだころ、イフィクラテスはソクラテアの核に地面に置き、錫杖の先端で軽く叩いた。
それだけでイフィクラテスには何か分かったらしく、納得したように頷く。
「ふむ、この核なら……多少割っても問題ないだろう」
言うが早いか、イフィクラテスは錫杖を核に押し当てる。すると、錫杖に付いている青い宝石が明滅し、ピィンと甲高い音が鳴った途端、核が真っ二つに割れた。
それは『共鳴器』と似たような機能で——物体固有の周波に合わせた波長を当て、物体が耐えきれなくなったところで軽く叩き、割った——それをよりスマートに、凄まじい速さでイフィクラテスは軽くやってみせた。
その解説よりも、イフィクラテスは真っ二つに割れた核の片方、その外縁部を指差す。そこは紫色に透明がかっていて、ガラスや水晶のような固体かと思いきや、よくよく見れば水滴が溢れ出ようとしていた。
これこそがイフィクラテスの示したいものだ。イフィクラテスは調子をよくして、楽しげに語る。
「見ろ、タビ。核の外殻部分に水が滴っているだろう?」
「……うぅ、はい」
「このダンジョンは水場がほとんどなかった。空気は温暖だが湿度はそれほどなく、さらにここの植生は亜熱帯に近い。であれば、ダンジョン内の動植物はどこで水を確保しているか」
そこまで聞いて、タビはハッとした。イフィクラテスは、ダンジョンに入って少しいただけで、すでにそこまでのことを把握している。それは経験値に養われた洞察力でもあり、もはや本能に染みついた習慣なのだ。
さすが師匠、と口には出さないが、タビはイフィクラテスを尊敬の眼差しで見る。言動は多少アレだが、すごい人なのだ。
そのイフィクラテスの見解どおり、このダンジョンは暖かい。緊張のあまり気付かなかったが、タビは上着を脱ぎたくなるほどだ。外は冬だというのに季節がまるで違っているかのようで、だからこそ緑豊かな青々とした植物が生い茂っているのだろう。
一方で、近くの下草を見てみると、どことなく元気がなかった。萎れかけている、と一目で分かる。あたりを見回しても、水気が感じられない。これだけの重厚な植物生息地が、大きな水場もなく、冬は雨も降らないラエティアで維持できるだろうか。
その答えは、イフィクラテスがおもむろにソクラテアの死骸に近づき、足である根っこの一本を引っ張ってきたことで得られた。
根っこの先端の皮を少し剥ぐと、蜂の針のような、一本の長い棘を隠し持っていた。
「この根の鋭い先端を他の生き物へ刺して、水分を吸収するんだろう」
「うぇ……」
想像すると、なかなかにグロテスクだ。体中の水分を搾り取られた生き物の死体が近くにあってもおかしくない。
「そして、その水分は目玉に。まずは自分が生きるために蓄える。それから」
イフィクラテスは立ち上がり、獣道から外れてどんどんと進む。タビは慌てて付いていく、こんなところに置いていかれたくない。
しかし、すぐにイフィクラテスは立ち止まった。錫杖を振り、下草を払うと、タビへ「見ろ」と指し示す。
タビが覗き見ると、そこには——薄い桃色の苔と、小さな新緑の葉っぱが集まっていた。一本の倒木に苔は覆うように生え、近くの地面には新芽が芽吹いている。そこだけは他の場所の水分不足とは関係ないかのように、水の匂いがした。
まさか、とタビはイフィクラテスを見た。
「ソクラテアは、ここに水やりをしていたんですか?」
「ああ、後背地にある次世代の種を育てるために、自分の身から水を放出し、世話をしてやっていた。そんなところだ」
面倒見のいい木のモンスターもいたものだ。タビは、モンスターといえどこうして自然の生命循環を守り、次の世代を甲斐甲斐しく——正直、目玉も棘も気味は悪いが——育てていたということに、感銘さえ受ける。
それにしても、タビは薄い桃色の苔に見覚えがあった。
その名前を、よく憶えている。イフィクラテスに最初に教えてもらった、錬金術に関係する植物だ。
「これ、桃花草ですよね? すごいです。桃花草がこんなに生えてるところは、見たことないです」
回復ポーションを結晶化させる、寒冷地で見られる希少な苔、桃花草。
倒木を丸ごと覆うほどの量があれば、十分に回復ポーションへの利用を研究できるし、商品化だって夢ではないだろう。
「ふむ、桃花草の群生地をこんなところで発見できるとはな。タビ、少しばかり採取して帰るぞ」
「は、はい!」
「これを有効活用できるやつに心当たりがある。そいつに送ってやろう、代わりに何かもらうか」
そう言って、イフィクラテスはタビと並んで、倒木に生えた桃花草を木の皮で削っていく。タビは小さなカバンから分厚いガラス製のシャーレを三つ取り出し、目一杯桃花草を採取した。これ以上は乱獲になるし、まずは研究から始めるなら、このくらいの量で十分だった。
イフィクラテスに桃花草の量を確認し、OKをもらってタビはシャーレを布で固く包む。カバンの底に崩れないよう入れておいた。
それが終わると、イフィクラテスとタビは再度、真っ二つに割れた核のところへ戻る。イフィクラテスと一つずつ持って、桃花草の倒木の近くに運ぶ。
それをどうするのか、とタビが尋ねるまでもない。イフィクラテスは率先して教鞭を振るう。
「さて、核を持ち帰ってもいいが、特に使い道のない核、というケースも往々にしてある。そんなときは、採取した土地に埋めて帰るのがマナーだ」
「そうなんですか?」
「もちろん、持ち帰って研究用にしてもいい。だが、今回は桃花草の群生地を守るために、ここに核を埋めて、水場を作っておいたほうが長期的に見れば利益がある」
「なるほど」
タビは正直、少し安心した。自分が倒してしまったソクラテアが守ってきた、この桃花草の群生地は、世話をするソクラテアが死んでしまったあとはどうなるのだろう、と心配していたからだ。倒してしまったくせに、と思わなくもないが、いきなり襲われた以上は正当防衛ということにしておきたい。それに、桃花草や新芽たちに罪はない。
タビは『共鳴器』で柔らかい地面に衝撃を与え、丸い穴を掘る。イフィクラテス曰く「今回は埋める必要はないな。核から水が溢れて、ここは水たまりになる。そこを中心に生態系ができあがるだろう」とのことで、そのまま穴に核を入れて、放っておくことにした。
その最中に、イフィクラテスはさらに、次の課題へと移行していた。
「それから、大事なことを言い忘れていたが」
「えっ」
「辺境のラエティアでは問題ないが、隣のレバディア王国ではモンスターの核を扱えるのは冒険者だけで、流通も特定のギルドで独占的に管理されている。つまり、冒険者が新しく見つけたダンジョンを荒らしに来ることは必定、桃花草の群生地を価値も分からない無知な輩に荒らされる可能性はきわめて高い」
それはまずい、桃花草の価値はまだ広く知られていないだろうし、他にもここにしかない植物はまだまだある。今のままでは調査も保護も、何もできない。
焦るタビに、イフィクラテスは当然、とばかりに解決策を用意していた。
「そこで俺は考えた。このダンジョンの『管理人』と交渉し、ここを共益地とする!」
それだけでイフィクラテスには何か分かったらしく、納得したように頷く。
「ふむ、この核なら……多少割っても問題ないだろう」
言うが早いか、イフィクラテスは錫杖を核に押し当てる。すると、錫杖に付いている青い宝石が明滅し、ピィンと甲高い音が鳴った途端、核が真っ二つに割れた。
それは『共鳴器』と似たような機能で——物体固有の周波に合わせた波長を当て、物体が耐えきれなくなったところで軽く叩き、割った——それをよりスマートに、凄まじい速さでイフィクラテスは軽くやってみせた。
その解説よりも、イフィクラテスは真っ二つに割れた核の片方、その外縁部を指差す。そこは紫色に透明がかっていて、ガラスや水晶のような固体かと思いきや、よくよく見れば水滴が溢れ出ようとしていた。
これこそがイフィクラテスの示したいものだ。イフィクラテスは調子をよくして、楽しげに語る。
「見ろ、タビ。核の外殻部分に水が滴っているだろう?」
「……うぅ、はい」
「このダンジョンは水場がほとんどなかった。空気は温暖だが湿度はそれほどなく、さらにここの植生は亜熱帯に近い。であれば、ダンジョン内の動植物はどこで水を確保しているか」
そこまで聞いて、タビはハッとした。イフィクラテスは、ダンジョンに入って少しいただけで、すでにそこまでのことを把握している。それは経験値に養われた洞察力でもあり、もはや本能に染みついた習慣なのだ。
さすが師匠、と口には出さないが、タビはイフィクラテスを尊敬の眼差しで見る。言動は多少アレだが、すごい人なのだ。
そのイフィクラテスの見解どおり、このダンジョンは暖かい。緊張のあまり気付かなかったが、タビは上着を脱ぎたくなるほどだ。外は冬だというのに季節がまるで違っているかのようで、だからこそ緑豊かな青々とした植物が生い茂っているのだろう。
一方で、近くの下草を見てみると、どことなく元気がなかった。萎れかけている、と一目で分かる。あたりを見回しても、水気が感じられない。これだけの重厚な植物生息地が、大きな水場もなく、冬は雨も降らないラエティアで維持できるだろうか。
その答えは、イフィクラテスがおもむろにソクラテアの死骸に近づき、足である根っこの一本を引っ張ってきたことで得られた。
根っこの先端の皮を少し剥ぐと、蜂の針のような、一本の長い棘を隠し持っていた。
「この根の鋭い先端を他の生き物へ刺して、水分を吸収するんだろう」
「うぇ……」
想像すると、なかなかにグロテスクだ。体中の水分を搾り取られた生き物の死体が近くにあってもおかしくない。
「そして、その水分は目玉に。まずは自分が生きるために蓄える。それから」
イフィクラテスは立ち上がり、獣道から外れてどんどんと進む。タビは慌てて付いていく、こんなところに置いていかれたくない。
しかし、すぐにイフィクラテスは立ち止まった。錫杖を振り、下草を払うと、タビへ「見ろ」と指し示す。
タビが覗き見ると、そこには——薄い桃色の苔と、小さな新緑の葉っぱが集まっていた。一本の倒木に苔は覆うように生え、近くの地面には新芽が芽吹いている。そこだけは他の場所の水分不足とは関係ないかのように、水の匂いがした。
まさか、とタビはイフィクラテスを見た。
「ソクラテアは、ここに水やりをしていたんですか?」
「ああ、後背地にある次世代の種を育てるために、自分の身から水を放出し、世話をしてやっていた。そんなところだ」
面倒見のいい木のモンスターもいたものだ。タビは、モンスターといえどこうして自然の生命循環を守り、次の世代を甲斐甲斐しく——正直、目玉も棘も気味は悪いが——育てていたということに、感銘さえ受ける。
それにしても、タビは薄い桃色の苔に見覚えがあった。
その名前を、よく憶えている。イフィクラテスに最初に教えてもらった、錬金術に関係する植物だ。
「これ、桃花草ですよね? すごいです。桃花草がこんなに生えてるところは、見たことないです」
回復ポーションを結晶化させる、寒冷地で見られる希少な苔、桃花草。
倒木を丸ごと覆うほどの量があれば、十分に回復ポーションへの利用を研究できるし、商品化だって夢ではないだろう。
「ふむ、桃花草の群生地をこんなところで発見できるとはな。タビ、少しばかり採取して帰るぞ」
「は、はい!」
「これを有効活用できるやつに心当たりがある。そいつに送ってやろう、代わりに何かもらうか」
そう言って、イフィクラテスはタビと並んで、倒木に生えた桃花草を木の皮で削っていく。タビは小さなカバンから分厚いガラス製のシャーレを三つ取り出し、目一杯桃花草を採取した。これ以上は乱獲になるし、まずは研究から始めるなら、このくらいの量で十分だった。
イフィクラテスに桃花草の量を確認し、OKをもらってタビはシャーレを布で固く包む。カバンの底に崩れないよう入れておいた。
それが終わると、イフィクラテスとタビは再度、真っ二つに割れた核のところへ戻る。イフィクラテスと一つずつ持って、桃花草の倒木の近くに運ぶ。
それをどうするのか、とタビが尋ねるまでもない。イフィクラテスは率先して教鞭を振るう。
「さて、核を持ち帰ってもいいが、特に使い道のない核、というケースも往々にしてある。そんなときは、採取した土地に埋めて帰るのがマナーだ」
「そうなんですか?」
「もちろん、持ち帰って研究用にしてもいい。だが、今回は桃花草の群生地を守るために、ここに核を埋めて、水場を作っておいたほうが長期的に見れば利益がある」
「なるほど」
タビは正直、少し安心した。自分が倒してしまったソクラテアが守ってきた、この桃花草の群生地は、世話をするソクラテアが死んでしまったあとはどうなるのだろう、と心配していたからだ。倒してしまったくせに、と思わなくもないが、いきなり襲われた以上は正当防衛ということにしておきたい。それに、桃花草や新芽たちに罪はない。
タビは『共鳴器』で柔らかい地面に衝撃を与え、丸い穴を掘る。イフィクラテス曰く「今回は埋める必要はないな。核から水が溢れて、ここは水たまりになる。そこを中心に生態系ができあがるだろう」とのことで、そのまま穴に核を入れて、放っておくことにした。
その最中に、イフィクラテスはさらに、次の課題へと移行していた。
「それから、大事なことを言い忘れていたが」
「えっ」
「辺境のラエティアでは問題ないが、隣のレバディア王国ではモンスターの核を扱えるのは冒険者だけで、流通も特定のギルドで独占的に管理されている。つまり、冒険者が新しく見つけたダンジョンを荒らしに来ることは必定、桃花草の群生地を価値も分からない無知な輩に荒らされる可能性はきわめて高い」
それはまずい、桃花草の価値はまだ広く知られていないだろうし、他にもここにしかない植物はまだまだある。今のままでは調査も保護も、何もできない。
焦るタビに、イフィクラテスは当然、とばかりに解決策を用意していた。
「そこで俺は考えた。このダンジョンの『管理人』と交渉し、ここを共益地とする!」
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