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第四話

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 翌日未明、私は家出のようにこっそり屋敷を発って、王都の北門から街道を徒歩で北上し、とある宿場町にやってきた。

 活気に満ちた朝市には多くの旅行者が集まっていた。これからの旅に必要なものを買い、または護衛となる傭兵や道案内ができる地元民を紹介してもらうために仲介者を探している。中には春の貢納のため王都へ上る荷馬車を引いた人々もいて、朝早くからあっちこっちがごった返していた。

 そんなところで私みたいな貴族令嬢が目立たないか、って?

 大丈夫。私は一目で貴族と分かる金髪の巻き毛をしっかり三つ編みにして後頭部に編み込み、鹿追い帽子ディアストーカーの耳を下ろして隠している。麻のストールを首に巻きつけて顔を隠し、使い古したローブで足元まですっぽり覆い、キュロットと脚半に履き慣れたサンダル姿だ。背中にはレードルとフライパンがぶら下がった帆布製リュックを背負っている。誰も私を少女だったり良家の子女だったりと見ることはないと自信を持って言える。

 露天が立ち並ぶ騒がしい大通りの先、一際大きな店に私は向かう。立派な看板には『ブッシュリー・ダドンクール』、つまりは肉屋だと一目で分かるハムの絵も描かれていた。

 肉屋といえば、一言で言うなら『地域の有力者』だ。人々の主食である肉を扱い、加工し、流通網を維持できるほどの財を持つ。直接生産に携わる農民や牧畜民ではなく、最終的に食卓に並ぶ食材を作る者、食を握る者が強いのだ。肉屋の店主は貴族ではなくても、畏敬の念を払われるに値する名士であることも珍しくはない。

 私は美味しそうなハムやソーセージ、サラミがぶら下がる木製カウンターの中へ声をかける。

「こんにちは、ダドンクールさん」

 すると、中で骨付き塊肉相手に牛刀を振るっていた店主ダドンクールが、ぱあっと明るい顔をしてやってきた。筋肉隆々の筆髭を生やした、健康そうな中年男性だ。

「おお、モーリン子爵家の! 元気かね? また一人旅かい?」

 親しげに応じてくれたダドンクールは、私のことをよく知っている。私が一人旅をするときは、必ずここに来て商品を買っていくからだ。それに、ダドンクールの取り扱う牛肉の骨髄オス・ア・モエルのような珍味は絶品でモーリン子爵家屋敷にも仕入れている。

 私は買い物がてら、旅情報を聞いてみることにした。

「うん、ちょっとお母様のところまで。最近はどう? 周辺の天候と治安について教えてくれる?」
「ああ、いいとも。今は旅をするには絶好の日和だ。雨も降らないし、人の出入りが多いから騎士団が巡回を増やして安全を確保している。これが六月中ごろまで続くから、しばらくゆっくりするといいだろう」
「ありがとう! いつもの食料をもらえる?」
「毎度! 加工肉シャルキュトリーセット、香辛料、そうだおまけにシチュー用の芋も入れよう。こんなものかな」

 ダドンクールは楽しそうにカウンター上へごろごろ商品を取り出す。ソーセージだらけの紙袋、麻紐で縛られたサラミ、岩塩と乾燥ミックスハーブ、生のタイムやローズマリー、そして玉ねぎを十個。

 私はリュックから取り出した麻袋にそれらを詰め込み、金貨を一枚支払った。本当はそれほどかからないことは知っているが、わざわざ売り物ではない高品質のハーブや玉ねぎを出してくれたお礼も兼ねてである。屋敷と変わらない品質のものが食べられるし、買いに行く手間が省けた。

「くれぐれもお父様には内緒でお願いね」
「ははは、分かっているよ。気をつけて!」

 ちょっと重くなったリュックを背負い、私は次の目的地へと足を運ぶ。一人旅の前に、必ず寄っていかなければならないところがあるのだ。
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