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第七話 何が交渉成立だ、断れない命令だろ

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 ラウリの父親はウーノの父親である前ピエティラ侯爵に仕える軍人で、ラウリが生まれた直後に戦死した。夫を亡くし乳飲み子を抱え途方に暮れたラウリの母親だったが、ちょうど侯爵夫人は二人目の出産を控え乳母を募っていた。こうして、ウーノとラウリの主従関係は始まったのだ。

 ラウリが八歳のとき母が亡くなり、その三年後に前侯爵が亡くなった。平民のラウリは、ウーノの母親の好意で彼と同じ学校に通わせてもらった。ウーノは取り巻きの一人であるラウリを遊びという遊びに引っ張り回した。呑んで抱いて賭けて喧嘩して、やりたい放題だったのだ。ウーノは過度の女好きで、まるで蜜を求めて飛び回る蜂のようだった。すぐに好きな相手が替わる。前の恋人が要らなくなると、あろうことかラウリに寝取らせ、その間に新たな恋人のところへ通った。ラウリはいわゆるウーノ専属の『別れさせ屋』だった。
 
 それが今ではそんな過去などなかったように、妻に献身的な王配の姿を貫いているから恐ろしい。彼の過去を知らない者からしたら、その天使のような外貌と相まってさぞ生まれながらの清廉潔白に映るだろう。
 一方、ラウリはいまだに負の連鎖から抜けられない。目的が悪友の尻ぬぐいから情報収集に変わっただけだ。彼はいつの間にか、人のモノにしか執着を覚えなくなっていた。人妻か恋人のいる女にしか食指が動かない。要するに、自分の妻は人から盗んだものじゃないから好きになれないのだ。
 ウーノは優雅にお茶を嗜みながら、話題を変えた。

「先日、バーハラ地区で若い女性が貴族のゴロツキ三人に襲われかけたところを、まさにそのエサイアスが助けたんだが」
「ああ。例の連続強姦殺傷事件の犯人たちか。調書にあった『一般人の協力により』の一般人が侯爵家の子弟だったわけか。……エサイアス、ひとりで取り押さえたのか?」

 ラウリも警ら隊の大隊長格として、その取り調べに立ち会った。三人はいずれも乱暴者で、貴族社会では鼻つまみ者だ。平民区に行っては難癖をつけて住民相手に暴力を振るい、憂さ晴らしをしている。平民はよほどのことでないと、貴族を訴えることが出来なかった。しかし、強姦殺人となるとことは大きくなる。
 彼らが捕まるきっかけとなった女性の連れ去り未遂事件は、とうの女性に怪我がなかったことにより調書には名前も記していなかった。だが、ウーノは何とも言い難い表情を浮かべ、大きなため息をこぼす。

「おい、言いたいことがあるなら……」
「……ああ、エサイアスのことはわたしも驚いたよ。あいつは襲われた女性を自宅まで送ったあと、ゴロツキを探し出して警ら隊に自ら引き渡したんだ。警ら隊からこちらに身柄を移してもらったあと、詳しく調べたら三人ともクスリをやっていたそうだよ」

 こちらというのは王国軍のことだ。平民中心の警ら隊と違って規模は大きく、上層部は高位貴族で固められている。貴族の取り調べにも積極的だ。
 
「クスリ? 最近流行ってる興奮剤か?」
「そうだ。感情の箍が外れて大胆な行動を起こす。副作用は精神錯乱にせん妄、幻覚。中毒になると痙攣や嘔吐を発症し、いずれは死に至る。巷では『修道士の眠り』と呼ばれ、製造場所はクルマラ伯爵領。半年前から闇取引されていたが、二カ月前から突然相場よりも安く売られだした。そのせいで王都でも階層を問わず急激に広まりだしたんだ。由々しき事態だよ」
「なるほど。それが王都に流れる新しい白粉の正体か。俺はエサイアス坊ちゃんの世話をしつつ、そのクスリを安価で売りさばいている首謀者を捕まえるわけか」
「話が早くて助かる。先に伝えておくけれど、半年前その製造所の火災で死人が出て、今はもう作られていない。クスリが闇取引されるようになったのも半年前。二ヶ月前、そこの領主が突然死。直後、薬が安価になって王都に流れ込んできた」
「その領主は、自然死か?」
「酒に酔って、階段を踏み外したらしいよ。物音に気付いた使用人が発見したときには、頭から血を流して死んでいたとか」
「そのクルマラ伯爵、おまえんところの遠縁だろ? 大丈夫なのか?」
「実はうちとクルマラ伯爵は代々親交もなく、女王陛下の秘書官が調べなければ血縁関係があることすら分からなかった程度だよ。とにかく、ことを穏便に収めてほしいんだ。『修道士の眠り』の在庫が尽きたとしても、一度中毒になった者は別のクスリに流れる。エサイアスが先に調査を進めてくれるはずだが、君がフォローしてやってくれ」

 ラウリはこめかみをトントンと叩く。王都にはびこるクスリの件はラウリも懸念していたところだ。その解決に携われるなら願ったり叶ったりだ。ウーノの元を離れるのは悔しいが、新しい仕事もそれはそれで楽しみになってくる。了解、と呟いた。

「副官への引継ぎを一週間で済ませるように。大隊長格は今いる中隊長三人の中から君が推薦してくれ」
「満場一致で、アスコ・クッコネン中隊長だろ」

 ラウリの元上司で、警ら隊のイロハを教えてくれた師匠だ。融通が利かないせいで貴族からは煙たがれているが、年齢は五十代、統率力や判断力はラウリより上だ。ウーノはやれやれと両手を上げてみせた。
 
「一番頭の固い御仁と来たか。君の忖度に助けられた貴族も多いのに残念だよ」

 ――残念なら、今からでも撤回してほしいもんだ。

 その気もないくせに。しかし、ウーノへの未練を口にするのはあまりに女々しくラウリの性に合わない。ラウリは休憩所の棚から国内の地図を引っ張り出した。

「伯爵領まで馬を乗り換えていけば、四日で着けるな。遅くても半月後には俺はクルマラ伯爵の補佐官ってわけだ」

 王都の警ら隊の中隊長より田舎の伯爵の補佐官はおそらく格から言えば下だ。だが、そんなことはどうでもいい、ラウリは周囲が考えるほど出世には関心がなかった。より難しい仕事のほうがいいだけだ。
 その彼を「待ちたまえ」とウーノが引き留める。
 
「君一人で伯爵領に行かせるつもりだったが、先ほど気が変わったよ。奥方も連れていくんだ」
「何故だ? 俺も一人のほうが動きやすいし、アンニーナみたいなひ弱な女を連れて行くと馬車で十日はかかるぞ。それに、城下に家と信頼のおける使用人も要る。田舎街で簡単に揃うのか?」
「用意させるよ。あと、この際だから言っておくけど、単身赴任中にここぞとばかり遊ぼうという魂胆だったなら、考え直した方がいいよ。伯爵領の人口は王都の百分の一で、ご夫人方の貞操観念が三十年前のまま。君の誘いに乗れるのは牝牛ぐらいだろうね」
「はは。そりゃあ助かる。牛なら避妊の心配もいらねぇな」

 ウーノの皮肉を鼻で笑って、自身も紅茶を含む。くだらない会話の後はことのほか美味しかった。

 ――まあ、いいか。アンニーナなら、気を使わなくていいし。

 もともと人の妻に手を出すのは情報収集もかねてのことだし、何より相手を楽しませ悦ばせなければならない。相手の快楽を優先していると、性欲過多なラウリには少々物足りない。その点、アンニーナ相手なら気兼ねなく発散できるし、避妊の心配もいらない。人形のように反応が薄いが、そこまで贅沢は言ってられない。
 
「君の屋敷は、マルヤたちに管理を任せておけばいい。僕も気を配っておくよ」
「王配殿下に気を使ってもらえて、うちの家政婦は恐縮だな。ちょうどばあちゃんが静養先から戻ってくる予定だったんだ。ひ孫の顔がみたいだのうるさいから丁度良かった」
「じゃあ、交渉成立だね」

 ラウリは『何が交渉成立だ、断れない命令だろ』と、内心ツッコミを入れながら紅茶を飲み干した。
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