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3、総督府

ソリスティア

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 ダルバンダルに一泊した恭親王ら一行は、翌々日の午後、ソリスティアに到着した。

 あらかじめ先触れを出しておいたので、ソリスティアの街の城門まで副総督らが迎えに来ていた。
 ソリスティア総督は皇族が任命される重職ではあるが、通常は遥任ようにんで、総督は現地に赴任しない。つまり、現地の事務政務は副総督が行う。副総督はエンロンという四十すぎのいかにも能吏という印象の男で、受け答えの感じも悪くはない。一般に、帝国の皇子は騎士団を率いて戦争には行くが、騎士団は民政には不介入という原則が貫かれている。故に恭親王もまた、民政については今後も副総督に委ねることになる。エンロンの方も、この若い皇子の人柄を見定めているところだろう。

 街の様子を軽く観察しながら、総督府に案内される。すでに新しい総督が赴任すること、それが皇帝の第十五皇子であることは布告されており、入城した恭親王ら一行をソリスティアの民衆は遠巻きに眺めている。
 ソリスティアにも悪名高い〈狂王〉の噂は広まっているが、彼らには目の前にいる、肩に黒い鷹を止まらせて優雅に馬を進ませる、漆黒の髪をした見目麗しい青年がその人だとは、どうにも繋がらない。

「ええっあれが、新しい総督閣下?……随分若いのね!」
「すごい美青年じゃないの!」

 若い娘たちは目を輝かせて噂をする。だが新総督の赴任はひっそりと行われたので、この時総督の姿を実見した市民の数は少なかった。――結果、〈狂王〉の噂は払拭されないまま広まることになる。

 恭親王も街の賑わいに目を瞠る。各地の物産が集積され、市の店先には、帝都でも見かけないものも多く並んでいる。道行く人々も、肌の色、髪の色、瞳の色、服装……さまざまな習俗の人が入り乱れ、活気に溢れている。

(……さすが大陸の臍だ)

 空の色も濃く、日差しが強い。さらりとした海風に、空を行く白い海鳥が美しい。時折、肩の上でじれったそうにする愛鷹エールライヒを宥めてやる。

「飛びたいのはわかるが、もう少し待て。総督府についたら、存分に冒険に行っていいから」

 わかった、というふうに、肩の上で二度、三度と翼を広げるエールライヒを、恭親王は目を細めて見守る。その姿を見た副総督のエンロンが、茶色い髪にこげ茶の瞳を驚嘆したように見開いた。

「素晴らしい鷹ですな。大変慣れておいでで」
「ああ。エールライヒという。帝国の北方辺境の砦に居たとき、ベルンチャ族の族長にもらったのだ。海東青という、特別な鷹なんだ」
「エールライヒとは、龍騎士様と月の精靈ディアーヌの文使いをした天使の名ですな」

 エンロンが建国神話を口にする。

「殿下のディアーヌとの間も、これが取り持ってくれましょう」

 そうして厳しさの残る顔に笑顔を浮かべる。総督が赴任するとは要するに〈聖婚〉が為されると、副総督であるエンロンは当然、承知しているだろう。職務上、聖地とも縁が深く、他のルートからも情報が入っているかもしれない。

「ずいぶん、お美しいとのお噂です。ただ……残念なことに声を失われておりますとか」

 恭親王は無表情に応じた。

「そう聞いた。気の毒なことだな」
「実は、ドーレ河の対岸のレイノークス辺境伯より、内々にご挨拶に訪れたいと……いかがなされますか?……姫君の異母兄に当たります」

 恭親王の黒い瞳が不穏な光を宿す。彼は素早く頭の中で情報を整理する。西の王女は二人。王都のアルベラと、聖地のアデライード。アルベラの父は実質的に王都を支配するイフリート公爵。アデライードの父は?――そうだ、十年も前に死んだレイノークス辺境伯だ。ということは、現在の当主はその息子。

 異母兄と聞いて一瞬、首を傾げるが、即座に理解した。
 女王家の姫は女しか生まない。家や領地を継承させるための男児は、別の妻に産ませるしかない。

「何しに?」

 思わず口走った恭親王に、エンロンが苦笑する。

「妹姫のご縁談のお相手ですから、当然ではありませんか?……それに、周辺の領主たちは新しい総督に興味津々です」
「何しろ狂王だからな」

 恭親王が吐き捨ててから、少し考える。レイノークス辺境伯とは、ドーレ河の対岸の太守だと、事前に予習はしている。西の女王国の四方辺境伯の一人。妹の縁で総督に接近し、利権を貪ろうという人物だったら面倒くさいが……。

「わかった。訪問の日時はそちらで調整してくれ」

 恭親王はエンロンに命じると、右肩のエールライヒを左手で撫で、もう一度街を振り返って眺める。総督府は小高い丘の上にあり、途上からも街が見下ろせる。大河ドーレの河口に大きな港が作られ、多くの帆船が繋留され、軍船であるガレー船の姿も見える。

(そう言えば、ガレー船での本格的な海戦は経験がない。ソリスティアを拠点に西に攻撃を仕掛けるなら、海のこと、船のことをもっと知らなければ)

 そして、海の向こうは聖地だ。

(十年かかった――)

 恭親王が、誰にも語ることのできない万感の思いを込めて港と、その向こうの青い海を見下ろす。

(ようやく、ここまで戻って来た――)
 
 血に塗れ、肉欲に汚れきった醜い身体を引き連れて――。
 時間は巻き戻せず、失った純潔も取り戻すことはできない。
 過去を振り捨てるように恭親王は港から目を離し、ソリスティアの総督府を見据えた。
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