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15、陣容を整える

蕎麦仲間

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 トルフィンにつっかかられ、エンロンが困惑してもう一度繰り返す。

「ええっ?だから、こっちは蕎麦粉そばこはあるけど麺食しないので、勿体ない……」
「その後だよ!今、自分で打つとかなんとか……」
「はあ、まあ。素人蕎麦ですけど……」

 子爵の息子の五男坊という、爵位を継承するのが絶望的な地位にいたエンロンの父は、男爵の次男の妾腹の娘、というこれまた貴族位ギリギリの母を娶り、それでも男四人、女三人の子だくさんな家族を養い、長男であるエンロンの成人直前にぎりっぎりのタイミングで何とか準男爵位を得た(これにそれなりの金がいるのである)。そうでないと、エンロンが平民に落ちてしまうのである。

 ただでさえ薄給、子だくさんの上に借金まで抱えたエンロンの家族は、同じ重さの小麦の四分の一で買える蕎麦粉を多用した料理で苦しい時期を乗り切ったのだ。その、エンロンの母の得意料理(というよりは当時の主食)が、手打ちの十割蕎麦で、素朴ながらも工夫を重ねた自慢の味であった。その味が忘れられないエンロンは、自ら蕎麦打ちにのめり込み、試行錯誤の末に、亡き母の味をほぼ再現できた自負している。……エンロンしか食べないのだけれど。

 というわけで、その翌日、早速にもとエンロン手製の十割蕎麦が昼食に供されたのを、恭親王は感動のあまり無言で完食したのであった。
 新米侍従文官のエンロンが、恭親王の絶対的な信頼を獲得した瞬間であった。

 以後、エンロンは忙しい仕事の合間を縫って恭親王(と自分)のために蕎麦を打ち、二人で蕎麦談議に花を咲かせながら昼食を一緒に食べる、という若干妙な仲になった。もちろん、トルフィンやゲルもお相伴に与かる。十二貴嬪家の一つ、ゲスト家の若様であるトルフィンにとっては、どうにもぱさぱさして微妙な食物ではある。が、少なくとも皇子に蕎麦打ちをさせずに済んだだけでも、エンロンには感謝してもしきれないのであった。

 その日も、書斎で四人、蕎麦を食べ終わった頃に、当番の近衛が扉の外から声をかけた。

「殿下、先ほど下の正面玄関に、詒郡王いぐんのう殿下と以前の筆頭侍従武官、ゾーイ卿が到着された、との伝令が参りました」

 聞いた恭親王が歓びに目を輝かせて顔をあげる。

「ゾーイが来たか!すぐにこちらに!トルフィン、迎えに行ってくれ!」
「了解です!」

 トルフィンは席を蹴立てるようにして書斎を飛び出していった。





「ゾーイ!待ちかねたぞ!……ダヤンもわざわざ来てくれたのか!」
「お久しぶりでございます。この度はソリスティア総督の御就任とご婚約、まことにおめでとうございます」

 ゾーイと呼ばれたのは、黒髪を短く刈り込んだ筋骨隆々たる偉丈夫。恭親王の筆頭侍従武官にして剣の師であった。その後ろには茶色い髪と瞳の、飄々ひょうひょうとした詒郡王いぐんのうダヤンが立っていた。ゾーイは昨年、父親のメイガンの喪のために、一旦職を辞していたが、このたび再び召命されたのである。

「ゾーイがダルバンダルの太陽神殿経由で総督府に入るというのでね、道案内がてら、遊びにきた。あの発泡葡萄酒がまた飲みたくなったのだ」

 詒郡王が悪戯っぽい表情で言い、何も言われなくともとっとと肘掛椅子に腰を下ろし、優雅に脚を組む。トルフィンが隣室のシャオトーズに茶菓の用意を指示しに下がった。

「そうか、ちょうどこの前、ユリウスがチョウザメの腹子と一緒にたくさん持ってきたのだ。今夜はそいつを開けよう」
「詒郡王殿下、お久しぶりでございます。ゾーイも、元気そうで何より」

 汁麺の椀を片づけていたゲルとエンロンが、二人に礼をする。

「そちらが新しい侍従文官で、副総督のエンロン殿ですね。……というわけで、忘れないうちに、これが辞令です。俺のと、ゲル殿と、あとエンロン殿と三通あります」

 恭親王がエンロンを指して言った。

「ああ、こちらが副総督で今回侍従文官に任命したエンロンだ。こちらでの諸々はすべてエンロンの差配に任せている。宿舎やその他もすべてエンロンに聞くといい」

 紹介されたエンロンが慌ててお辞儀をすると、ゾーイは武人らしく鷹揚に返礼した。

「以前は侍従武官でしたが、この度副傅役を拝命したマフ家のゾーイです。よろしくお願いします」
「マフ家?!」

 マフ家と言えば十二貴嬪家の一つで代々将軍職を受け継いできた武門の大重鎮である。帝都にいたころのエンロンならば、鼻くそすら拾えないレベルの雲の上の貴族だ。

「ユエリン、また昼飯は汁麺一杯か。本当に貧乏舌だな」

 机の上に積まれたどんぶりを見て、詒郡王が呆れたように言う。

「何を言う、エンロン手製の蕎麦そばだ。欲しいと言われても、もったいないからやらんぞ」
「誰がいるか!」
「エンロン殿が蕎麦を打たれるのですか?」

 ゾーイが目を瞠るのに、エンロンは頭を掻いた。

「いやその、母親の見様見真似でして……。こちらは蕎麦の打てる者がおりませんで、殿下にはお気に召していただきました。……ところでその……後ろの方は?」

 エンロンはゾーイらの後ろに控えている女騎士に気づいてゾーイに問いかけた。

「ああ、殿下、ご紹介が遅れました。アリナと言います。その……俺の……妻です」
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