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16、致命的な失敗

護衛交代

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 郡王がダルバンダルに帰った翌日、恭親王はゾーイとアリナを連れて聖地へと渡った。アデライードの護衛としてゾーイとアリナを別邸に入れ、下半身に問題のあるゾラを総督府に連れ帰るためである。

「聖地は初めてなのです。月神殿に参詣することはできますか?」

 甲板の上で前方の聖地の港を眺めながら、アリナが問いかけるのに、恭親王は肩に乗せたエールライヒに肉をやりながら、そっけなく答える。

「別邸から月神殿までは馬で飛ばして二刻ってところかな。暇があれば別に構わない。ただ、外部の者とあまり接触しないようにしてくれ。最近、別邸勤務の者たちに、妙なちょっかいをかける者が多いのだ。多分、別邸への潜入を狙っている奴らの手の者だろう」
「イフリートの〈黒影〉というのは、手ごわいのですか?」

 ゾーイが真剣な表情で尋ねる。

「この前の襲撃で相当数を仕留めたはずだが、もともと何人いるのか、暗部の方でもつかめていない。こちらばかりに手を割けるわけはないはずだが、偏執的にアデライードの命を狙っているから、どこまでするか油断ができぬ」

 甲板の上で艶やかな黒髪を海風に嬲らせながら、恭親王も答える。

「ゾラの阿呆が神殿娼婦遊びにうつつを抜かしているのに付け込み、暗部の者の報告によれば、あいつの馴染みのに、イフリートの〈黒影〉が接触した形跡があるらしい。だから交代させることにした。お前たちにも、何らかの形で接触を図ってくるかもしれない。気を付けてくれ」
「相変わらずあの馬鹿が」

 ゾーイが忌々しそうに呟いた。
 ゾラは遊び人で、一人の女に入れ込むタイプではないし、外では無口なフリをしているから、情報を漏らしたりはしないだろうが、少々派手に遊び過ぎた。「総督府のゾラ卿」と言えば、今や神殿周辺で知らぬ者はないほどの色事師として、名を馳せてしまったのだ。

 ゾラはゾーイとは幼馴染である。兄貴分のゾーイに、ゾラは昔から頭が上がらない。
 別邸に到着すると、ゾラが恭親王を迎えに来たが、近づくと脂粉しふんの匂いがした。さっきまで神殿で娼婦を抱いていたらしい。匂いに敏感な恭親王の眉がぴくりと跳ね上がる。

「ゾラ、久しぶりだな」
「ゾーイ兄さん!お元気そうです。……こちらの美女は?」
「俺の妻だ。手を出したら殺すぞ」

 凄味のある低音でゾーイが言うと、ゾラは、

「いやいや、こんな怖そうな姐さん……くわばら、くわばら」

と慌てて顔の前で手をぶんぶん振った。

「今日からはゾーイとアリナを別邸に残す。お前は交代で、ソリスティアに戻れ」
「ええー。じゃあ、せめてミランダちゃんにお別れの挨拶を」
「いい加減にせんか!」

 ゾーイの雷が落ち、ゾラは渋々、荷物をまとめに下がった。

「リリアちゃんともしばしのお別れかあ」

 と、言葉は殊勝だが、全く残念そうじゃない。ソリスティアに帰れば帰ったで、高級妓楼を満喫する気満々だ。

 ゾーイとアリナを連れてアデライードの居間に行くと、アンジェリカとリリアの三人で刺繍の図案を写しているところだった。
 慌てて立ち上がる三人に、ゾーイとアリナを紹介する。アンジェリカは早速、女騎士だというアリナに興味津々だった。

 アンジェリカは月蝕祭の女歌劇を見て、男装した女役者演じる太陽の龍騎士に逆上せてしまったのだ。

「筋肉なんてもう古い!あの方こそあたしの理想の男性です!」

 と、公言してはばからない。いや、それ女だし、とゾラが何度言ってもまるで聞いちゃいない。アリナの凛々しい女騎士姿は、立っているだけでアンジェリカの心を鷲掴みであった。

 リリアとアンジェリカがやりかけの刺繍を片づけてお茶の支度をする間、アデライードがエールライヒに餌をやりたいと言うので、大きく窓の開いた出窓の席に恭親王と二人座って、肉片を食べさせてやる。エールライヒは餌をもらって満腹すると、出窓から庭へと飛び立っていった。

 アデライードは窓枠に身を寄せるようにして、庭の上空を悠然と飛び回るエールライヒの姿を目で追っている。背中を覆う白金色の髪が時折風になぶられ、窓から差し込む秋の陽光に煌めく。白い横顔は透けるように美しく、翡翠色の瞳はどこかこの世ならぬ遠くを見ているよう、濃い青色の透ける肩衣を纏って佇む姿は、そのまま天に帰ってしまいそうな儚さだ。

(今すぐ、ここで、力ずくでも、欲しい……!)

 恭親王は姿を見ただけで理性が吹っ飛びそうな自分を内心叱咤し、両手を強く握り締めて欲望を制御する。軽く呼吸を整え、アデライードに警戒を抱かせないように、さりげなく見つめるように心がけた。

 ソファの方では、アンジェリカがアリナを質問攻めにし、ゾーイとの馴れ初めなどを聞き出している。恭親王は二人の馴れ初めなどにはミジンコほどの興味もなかったが、口うるさいアンジェリカの興味がアデライードかられている今がチャンスだと思い、アデライードの白い手に手を伸ばした。

 握った白い手を少し持ち上げ、体を沈めて触れるだけの口づけをすると、白い指が唇にひんやりと冷たい感触をもたらす。唇からふわりと甘い〈王気〉が流れ込み、そのまま指ごと食べてしまいたい衝動を必死にこらえ、アデライードを見る。アデライードの指先にも、欲情した恭親王の〈王気〉が流れ込んでいるのだろう、少しばかり困ったように俯いて目を伏せている。けぶるような睫毛が白い陶器のような肌に陰翳いんえいを添え、清楚で繊細な顔立ちに少しだけ開いた桃色の唇が、甘さと色香を滲ませる。多くの美女がけんを競う皇帝の後宮ですら、これほどの美少女は見ることがない。犯しがたい神聖な気品の奥から、女の色香そのものである陰の〈王気〉が恭親王をぐいぐい引き込んでくる。

(いかん……むしゃぶりつきたくなってきた……。しかし、そんなことをしたら、メイローズに告げ口されて追い出される。我慢、我慢……)

 アデライードの〈王気〉は、恭親王の中の〈雄〉を相当強力に刺激する。理性、理性と心の中で唱えながら、顔だけは無害そうな笑顔を作ってアデライードを見つめる。

(そうだ……性欲に流されてどうする。自分を律する訓練はずっと続けてきたはずだ)

 しかし、今日はなんと、メイローズが陰陽宮に用があって別邸にいなかった。こんな得難い機会滅多にない。今日こそ、アデライードとの仲を一気に詰めたい恭親王であった。

 懸命に欲望を押さえ、紳士的に振る舞おうとする恭親王に対し、しばらく無言を貫いていたアデライードが、おもむろに言った。

「あの……殿下。……少し、お話しがあるのですが……今日はお時間をいただけますでしょうか」

 甘い声が願ってもない言葉を紡ぐのに、恭親王の心は波打つ。

「もちろんだ……あなたが望むことならば、いくらでも。私も、もっとあなたと話をしたいと思っていた」

 恭親王は唇の端を持ち上げて笑顔を作る。すでに黒い瞳は情欲を滾らせているだろうが、彼だって表情の全てを制御できるわけじゃない。
 掴んだ左手に力を込め、少しだけ自分の方に引っ張る。言外に、嫌と言われても離したくない、という意味を籠める。

「以前……お話をした、庭の四阿あずまやでも?」

 上目遣いに言われ、もう、全身の血が昂ぶり初めているが、理性でそれを抑え込む。

「すべてあなたの望む通りに……愛しい姫」

 恭親王はもう一度、アデライードの白い手に口づけた。
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