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16、致命的な失敗
致命的な失敗
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二人が庭を散歩するというので、アリナは少し離れて警護することになった。ゾーイは邸全体の構造を頭に入れるために、ゾラに説明を受けながら邸内を見回る。恭親王はアデライードの腰に腕を回し、時折耳元で何かささやきながら、ゆっくりと晩秋の庭を歩いていく。ゾーイはその様子を遠目で眺め、感嘆の溜息をついた。
「亡くなられた奥方への態度とは雲泥の差だな。殿下があんな表情をなさるとは……」
「時々、盛りがついた犬みたいに別邸に駆けこんでは、メイローズに追い払われて、尻尾巻いて逃げ帰るんスよ。正直、情けないっすよ。確かに超絶美少女だけど、中身は子供だし、ぶっちゃけ、頭も少し足りないと思うんすよねぇ。反応が鈍いつーか、情緒が未発達、つーかさ。三日で厭きる美女の典型っていうかさー。俺の好みじゃねーなー。顔は自慢できるけど、一緒に暮らしても面白くもなさそうだし。あ、でも身体がすんげぇ良かったら、それはそれかなー。あの服じゃさっぱりわかんねぇんだよねー」
「別にお前の好みは聞いてない。殿下のご正室になられる方だ。口を慎め」
ゾラから、少し頭が足りないだの、好き放題に言われているアデライードは、恭親王に手を取られて、噴水のある池の飛び石を渡り、池の中央にある四阿についた。ここだと周囲からは見えるが、声は聞こえない。
二人が四阿のベンチに並んで腰を下ろしたのを確認して、ゾーイとゾラはアリナに後を任せて、見回りのためにその場を離れる。やや密着度が高いような気もするが、それくらいは大目に見るしかないのかも……と、ゾーイは思った。後で後悔するのだが。
「あの……お話というのは……〈シウリン〉のことです」
アデライードに言われて、どこかで予想していた恭親王は、心の内の動揺を押し隠して、唇の端を上げて無理に微笑みを作る。
「殿下の……双子の兄弟だと……以前」
「そう。……だが、このことは、他に漏らさないでほしい。〈シウリン〉のことは、秘密なんだ」
アデライードは金色の睫毛を伏せて、躊躇いがちに尋ねる。
「シウリンはいつ……亡くなったのかは、ご存知ですか?」
「詳しいことは、知らない」
「では……あの指輪が、殿下の元に届けられたのは、何時ですか?」
アデライードは質問を変えた。
「さあ……いつだったかな……。結構、以前だ。もう……十年近くになるか」
アデライードの質問の意図が分からず、恭親王はどう答えるべきか悩んだ。
「……〈シウリン〉は、では、この指輪を受け取って、間もなく亡くなったのですね」
「……そういう、ことになるな……」
「あの日、〈シウリン〉はわたしを背負って随分と長いこと歩きました。初雪が降って、寒い日でした。もしかして……それが原因だったのかもと思ったら……」
アデライードは裾にかけて濃い青色のぼかし染めの長衣の、スカートの部分を両手で握りしめて震えていた。恭親王はようやく、アデライードの懸念の中身に気づいた。アデライードを救ったあの日のできことが、〈シウリン〉の死のきっかけになったのではないかと、恐れているのだと。
それは根拠のないことだ。〈シウリン〉はあの程度のことでは死なない。恭親王はその事実を知っている。だが、それを言えば、以前自らが彼女にした説明と、齟齬をきたしてしまう。恭親王は慎重に頭を巡らせた。
「それは……心配のしすぎだろう。我々東の龍種は、多少、寒い場所で風邪を引いたくらいでは、死んだりはしない。何か、もっと別な要因があったのだと思う」
恭親王の説明に、アデライードがそうでしょうか? と疑いのまなざしを向ける。
「それより……よければ、あなたが会った時の〈シウリン〉の様子を聞かせてくれないだろうか。私は一度も、〈シウリン〉を知らないのだ。例えば……私に似ていたか?」
話を変えるように、恭親王は巧みに誘導した。
アデライードは首を傾げて記憶を探るような表情をした。
「ごめんなさい……よく、顔は憶えていなくて……でも、瞳の色は同じ、でした。髪は……〈シウリン〉は剃っていたから……」
「ああそう……」
恭親王が柔らかく微笑んだ。
「〈王気〉が……あなたにそっくりで……太陽のような匂いがして……とても、綺麗な人でした」
アデライードの口から聞く〈シウリン〉の話は、どこかくすぐったく、そして切なかった。
「わたし……〈シウリン〉に結婚して欲しいって言ったの」
「ほう……おませさんだね。それで?」
恭親王が薄い唇を美しく微笑ませて、先を促すと、アデライードは少し悲し気に目を伏せて言った。
「でも、〈シウリン〉は自分は一生誰とも結婚しないからって……」
「断ったの? 信じられないな」
アデライードは俯いたまま、ふるふると首を振る。長い、白金色の髪が揺れ、日の光を反射して煌めいた。
「天と陰陽が、許してくれたら、結婚してもいいって……もしかして、わたしが〈シウリン〉を、巻き込んでしまったのではないかと、ずっとそればかり気にしていました」
四阿から、陽光を反射して揺れる池の水面を見つめ、アデライードが言った。少しだけ、声が震えている。アデライードが、何を恐れているのか、恭親王は慎重に探り出そうと神経をはりめぐらせる。
「何故、そう思うの?」
恭親王の質問にアデライードが一瞬、彼の方を見た。
「〈シウリン〉に指輪を渡したのは、偶然なんです。エイダに追われて……絶対に、これをイフリートの者に渡してはいけないってお母様に謂われていて……それで、ずっと握っていたのを、シウリンに負ぶわれて、眠ってしまって落としたの。それを、シウリンが拾ってくれたのだけど……その時、指輪は〈シウリン〉のものだと、思って……〈シウリン〉が持っていれば、彼らの手にはわたらないって思ったんです」
「〈シウリン〉の、ものだと、思って……?」
アデライードの支離滅裂な話を、恭親王は辛抱強く聞く。恭親王が怪訝な顔で尋ねると、アデライードが小さく笑った。
「指輪が選んだ以外の男の人だと、弾かれるはずだから……」
恭親王が、黒曜石の瞳を見開く。
「それは……」
「殿下も、最初から指輪に触れてもなんともなかった。だから……」
初めて、アデライードにこの指輪を示した日、返すべきかと尋ねた恭親王に、アデライードは言ったのだ。
『指輪が、あなたを、選んだ。だから、あなたの、もの……』
四阿に風が吹き込み、アデライードの白金の髪を揺らす。アデライードの翡翠色の瞳が、煌めく陽光を映す。
恭親王の周囲で、時が、止まったような気が、した。
もしかしたら、致命的な失敗を、したかもしれない――。
「亡くなられた奥方への態度とは雲泥の差だな。殿下があんな表情をなさるとは……」
「時々、盛りがついた犬みたいに別邸に駆けこんでは、メイローズに追い払われて、尻尾巻いて逃げ帰るんスよ。正直、情けないっすよ。確かに超絶美少女だけど、中身は子供だし、ぶっちゃけ、頭も少し足りないと思うんすよねぇ。反応が鈍いつーか、情緒が未発達、つーかさ。三日で厭きる美女の典型っていうかさー。俺の好みじゃねーなー。顔は自慢できるけど、一緒に暮らしても面白くもなさそうだし。あ、でも身体がすんげぇ良かったら、それはそれかなー。あの服じゃさっぱりわかんねぇんだよねー」
「別にお前の好みは聞いてない。殿下のご正室になられる方だ。口を慎め」
ゾラから、少し頭が足りないだの、好き放題に言われているアデライードは、恭親王に手を取られて、噴水のある池の飛び石を渡り、池の中央にある四阿についた。ここだと周囲からは見えるが、声は聞こえない。
二人が四阿のベンチに並んで腰を下ろしたのを確認して、ゾーイとゾラはアリナに後を任せて、見回りのためにその場を離れる。やや密着度が高いような気もするが、それくらいは大目に見るしかないのかも……と、ゾーイは思った。後で後悔するのだが。
「あの……お話というのは……〈シウリン〉のことです」
アデライードに言われて、どこかで予想していた恭親王は、心の内の動揺を押し隠して、唇の端を上げて無理に微笑みを作る。
「殿下の……双子の兄弟だと……以前」
「そう。……だが、このことは、他に漏らさないでほしい。〈シウリン〉のことは、秘密なんだ」
アデライードは金色の睫毛を伏せて、躊躇いがちに尋ねる。
「シウリンはいつ……亡くなったのかは、ご存知ですか?」
「詳しいことは、知らない」
「では……あの指輪が、殿下の元に届けられたのは、何時ですか?」
アデライードは質問を変えた。
「さあ……いつだったかな……。結構、以前だ。もう……十年近くになるか」
アデライードの質問の意図が分からず、恭親王はどう答えるべきか悩んだ。
「……〈シウリン〉は、では、この指輪を受け取って、間もなく亡くなったのですね」
「……そういう、ことになるな……」
「あの日、〈シウリン〉はわたしを背負って随分と長いこと歩きました。初雪が降って、寒い日でした。もしかして……それが原因だったのかもと思ったら……」
アデライードは裾にかけて濃い青色のぼかし染めの長衣の、スカートの部分を両手で握りしめて震えていた。恭親王はようやく、アデライードの懸念の中身に気づいた。アデライードを救ったあの日のできことが、〈シウリン〉の死のきっかけになったのではないかと、恐れているのだと。
それは根拠のないことだ。〈シウリン〉はあの程度のことでは死なない。恭親王はその事実を知っている。だが、それを言えば、以前自らが彼女にした説明と、齟齬をきたしてしまう。恭親王は慎重に頭を巡らせた。
「それは……心配のしすぎだろう。我々東の龍種は、多少、寒い場所で風邪を引いたくらいでは、死んだりはしない。何か、もっと別な要因があったのだと思う」
恭親王の説明に、アデライードがそうでしょうか? と疑いのまなざしを向ける。
「それより……よければ、あなたが会った時の〈シウリン〉の様子を聞かせてくれないだろうか。私は一度も、〈シウリン〉を知らないのだ。例えば……私に似ていたか?」
話を変えるように、恭親王は巧みに誘導した。
アデライードは首を傾げて記憶を探るような表情をした。
「ごめんなさい……よく、顔は憶えていなくて……でも、瞳の色は同じ、でした。髪は……〈シウリン〉は剃っていたから……」
「ああそう……」
恭親王が柔らかく微笑んだ。
「〈王気〉が……あなたにそっくりで……太陽のような匂いがして……とても、綺麗な人でした」
アデライードの口から聞く〈シウリン〉の話は、どこかくすぐったく、そして切なかった。
「わたし……〈シウリン〉に結婚して欲しいって言ったの」
「ほう……おませさんだね。それで?」
恭親王が薄い唇を美しく微笑ませて、先を促すと、アデライードは少し悲し気に目を伏せて言った。
「でも、〈シウリン〉は自分は一生誰とも結婚しないからって……」
「断ったの? 信じられないな」
アデライードは俯いたまま、ふるふると首を振る。長い、白金色の髪が揺れ、日の光を反射して煌めいた。
「天と陰陽が、許してくれたら、結婚してもいいって……もしかして、わたしが〈シウリン〉を、巻き込んでしまったのではないかと、ずっとそればかり気にしていました」
四阿から、陽光を反射して揺れる池の水面を見つめ、アデライードが言った。少しだけ、声が震えている。アデライードが、何を恐れているのか、恭親王は慎重に探り出そうと神経をはりめぐらせる。
「何故、そう思うの?」
恭親王の質問にアデライードが一瞬、彼の方を見た。
「〈シウリン〉に指輪を渡したのは、偶然なんです。エイダに追われて……絶対に、これをイフリートの者に渡してはいけないってお母様に謂われていて……それで、ずっと握っていたのを、シウリンに負ぶわれて、眠ってしまって落としたの。それを、シウリンが拾ってくれたのだけど……その時、指輪は〈シウリン〉のものだと、思って……〈シウリン〉が持っていれば、彼らの手にはわたらないって思ったんです」
「〈シウリン〉の、ものだと、思って……?」
アデライードの支離滅裂な話を、恭親王は辛抱強く聞く。恭親王が怪訝な顔で尋ねると、アデライードが小さく笑った。
「指輪が選んだ以外の男の人だと、弾かれるはずだから……」
恭親王が、黒曜石の瞳を見開く。
「それは……」
「殿下も、最初から指輪に触れてもなんともなかった。だから……」
初めて、アデライードにこの指輪を示した日、返すべきかと尋ねた恭親王に、アデライードは言ったのだ。
『指輪が、あなたを、選んだ。だから、あなたの、もの……』
四阿に風が吹き込み、アデライードの白金の髪を揺らす。アデライードの翡翠色の瞳が、煌めく陽光を映す。
恭親王の周囲で、時が、止まったような気が、した。
もしかしたら、致命的な失敗を、したかもしれない――。
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