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16、致命的な失敗
愛しているのは、あなたではない
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「わたしが指輪を渡したのは、〈シウリン〉であって、殿下ではない、はずなのに……指輪が、殿下の手にあって……〈シウリン〉は、もう、この世にいないと……わたしは……わからなくて……」
アデライードの翡翠色の瞳が涙で潤み、みるみる真珠のような露が溜まり、零れ落ちる。
「初めは……あなたが〈シウリン〉なのかと……同じ〈王気〉を持って……指輪も……でも……あなたは、〈シウリン〉ではない、と……」
アデライードは涙が頬を伝うままにして、ただ日の光が煌めく池を見つめる。
「あなたは……誰なの?〈シウリン〉なの?〈シウリン〉でないのなら、なぜ、指輪はあなたを弾かないの?」
「それは……」
「わたしが、約束したのは、〈シウリン〉、なの……あなたじゃ、ないのに……」
恭親王は慌ててアデライードの細い肩を抱き寄せる。頭の中は目まぐるしく動いて、論理を組み立てる。
納得のいく、説明をしなければならない。
〈シウリン〉でない、彼が、指輪に選ばれている、理由を――。
「指輪が、私を弾かないのは――たぶん、その、〈王気〉のせいだ」
「〈王気〉――?」
アデライードが驚いたように恭親王を見上げる。
「ほら、メイローズが言っていた。その指輪は陰の〈王気〉を纏っていると。あなたには、視えるのだろうが……」
アデライードが上目遣いに見つめながら頷く。
「陰と陽の〈王気〉は引き合う。私も〈シウリン〉も、陽の〈王気〉を纏っているから、指輪は弾かないのでは、ないのか?」
「でも……お父様は、〈王気〉など持っていないけれど、弾かれなかったわ」
アデライードの反論は、的確であった。恭親王は素早く言い抜ける方法を考え付く。
「それは、そうだろう。もとは、〈王気〉のない女王の夫に渡すべきものなのだから。私と、〈シウリン〉が例外なのかもしれない」
「例外……それは、本来なら、殿下も〈シウリン〉も、指輪は選ばないって意味ですか?」
「違うよ。要は、あなたが選ぶかどうかだろう。……あなたは、私を選んではくれないのか?」
ふいに、真剣な眼差しで、正面からアデライードを見据える。
「あなたは、私が〈シウリン〉でなければ、私を選ばないのか?」
アデライードの翡翠色の瞳が、恭親王の面前で不安に揺れている。その、瞳には彼自身が、挑むような眼をして映っていた。――そうだ、目を逸らしたら、負けだ。
〈シウリン〉はもう、この世にいない。
この残酷な事実を、アデライードには幾度でも、突きつけねばならない。
「あなたは、この〈聖婚〉に同意したのだろう?」
追い打ちをかけるように言い募れば、アデライードが目線を逸らした。金色の睫毛が震えて、再び真珠のような露が頬に滴る。
「わたし……〈シウリン〉の、お嫁さんになりたかったの……あの時に、そう、思ったの……だから……指輪を、もらって欲しかった……あの指輪さえ、渡せば、ずっと一緒にいられると、……思って……なのに……」
アデライードが頭を振ると、白金色の髪が揺れ、日の光を弾いてきらきらと輝いた。
「目が覚めた時には、エイダがいて……指輪の在り処を、言えって……怖くて、声が出なかった。乳母も、侍女も、エイダが殺したの。わたし、エイダが敵だって、知っていたのに、教えなかった。だから、みんな死んでしまったの……〈シウリン〉も、エイダが、殺すかもって思ったら……怖くて……」
「それで、声を失ったのか?」
「声は……もしかしたら、出たのかも、しれない、けど。喋れない方が、いいと思って……」
恭親王はアデライードの告白に息を飲んだ。アデライードは、指輪を守るために沈黙を貫いたのではなかった。
アデライードはシウリンを守るために、沈黙したのだ。
風が、四阿に渡り、恭親王の黒い髪を嬲る。アデライードの長い髪が、風に揺れ、甘い香りが恭親王の鼻をくすぐる。ずいぶん長い時間、何も言わずにアデライードを見つめていた。
「アデライード」
恭親王が声をかけると、アデライードがびくりとして彼を見た。アデライードの瞳には、怯えと、哀しみの色が見えた。
「あなたは、私の妻になることを同意したのでは、なかったのか?」
アデライードが、そっと、息を吸い込んだ。
「わたしは……〈聖婚〉のお話を、受け入れたのです……」
「〈シウリン〉と約束していたのに?」
意地悪な質問だと認識しながら、恭親王は尋ねた。アデライードは、一瞬、唇を噛む。
「……〈シウリン〉との約束は、天と陰陽が望んだら、ということでした。わたしに〈聖婚〉のお話が来たということは、天と陰陽は、〈シウリン〉との結婚を望まなかったのだと……それに……〈シウリン〉はもう、僧侶になっているとばかり……」
恭親王はおもむろにアデライードの細い二の腕を両腕で掴んで、ぐいっとその身体を固定し、至近距離からアデライードの顔を見つめた。アデライードは驚いて顔を背ける。白い頬には、涙の跡があった。
「アデライード、私を見ろ」
強い口調で命じると、アデライードはのろのろと恭親王に視線を合わせた。それでも、翡翠色の瞳は戸惑うように揺蕩っている。
「〈聖婚〉の皇子として、選ばれたのは、私だ。天と、陰陽が、あなたの夫として、選んだ。私を。〈シウリン〉ではなく、この私を」
ごくり、とアデライードが唾を飲み込む。両腕は恭親王の力強い腕に握り込まれ、身動きは取れない。
「あなたは私の妻になる。私の番として、私のものになる。……それは、天と陰陽の、意志だ」
漆黒の瞳に射竦められ、冷酷に宣言されて、アデライードは震えた。
「あなたが、選んだわけでなくとも、天と陰陽が、私を選んだのだ」
男の片手が、締めあげていた二の腕を解放する。片方はまだ、鉄の枷か何かのように、アデライードの折れそうな腕を握りしめたままだ。その、空いた掌が、アデライードの頬をそっと撫でる。いつかのような、風にも耐えない花を撫でるような、そんな優しさで。
その指が、そっと唇に触れる。顎に手をかけ、顔が上向きにされる。男の顔が近づいてくるのを感じ、アデライードを両眼を閉じて、口づけを受け入れ、男の唇と舌が、唇と咥内を蹂躙するに任せる。もう、ずいぶん慣れた口づけ――。
長い長い口づけの後で、男が耳元で囁いた。低くて、甘い、そしてどこか、冷たい声。
「たとえあなたが愛しているのが、私でなくとも、あなたは、私のものだ。……それを、わからせてやる――」
アデライードの翡翠色の瞳が涙で潤み、みるみる真珠のような露が溜まり、零れ落ちる。
「初めは……あなたが〈シウリン〉なのかと……同じ〈王気〉を持って……指輪も……でも……あなたは、〈シウリン〉ではない、と……」
アデライードは涙が頬を伝うままにして、ただ日の光が煌めく池を見つめる。
「あなたは……誰なの?〈シウリン〉なの?〈シウリン〉でないのなら、なぜ、指輪はあなたを弾かないの?」
「それは……」
「わたしが、約束したのは、〈シウリン〉、なの……あなたじゃ、ないのに……」
恭親王は慌ててアデライードの細い肩を抱き寄せる。頭の中は目まぐるしく動いて、論理を組み立てる。
納得のいく、説明をしなければならない。
〈シウリン〉でない、彼が、指輪に選ばれている、理由を――。
「指輪が、私を弾かないのは――たぶん、その、〈王気〉のせいだ」
「〈王気〉――?」
アデライードが驚いたように恭親王を見上げる。
「ほら、メイローズが言っていた。その指輪は陰の〈王気〉を纏っていると。あなたには、視えるのだろうが……」
アデライードが上目遣いに見つめながら頷く。
「陰と陽の〈王気〉は引き合う。私も〈シウリン〉も、陽の〈王気〉を纏っているから、指輪は弾かないのでは、ないのか?」
「でも……お父様は、〈王気〉など持っていないけれど、弾かれなかったわ」
アデライードの反論は、的確であった。恭親王は素早く言い抜ける方法を考え付く。
「それは、そうだろう。もとは、〈王気〉のない女王の夫に渡すべきものなのだから。私と、〈シウリン〉が例外なのかもしれない」
「例外……それは、本来なら、殿下も〈シウリン〉も、指輪は選ばないって意味ですか?」
「違うよ。要は、あなたが選ぶかどうかだろう。……あなたは、私を選んではくれないのか?」
ふいに、真剣な眼差しで、正面からアデライードを見据える。
「あなたは、私が〈シウリン〉でなければ、私を選ばないのか?」
アデライードの翡翠色の瞳が、恭親王の面前で不安に揺れている。その、瞳には彼自身が、挑むような眼をして映っていた。――そうだ、目を逸らしたら、負けだ。
〈シウリン〉はもう、この世にいない。
この残酷な事実を、アデライードには幾度でも、突きつけねばならない。
「あなたは、この〈聖婚〉に同意したのだろう?」
追い打ちをかけるように言い募れば、アデライードが目線を逸らした。金色の睫毛が震えて、再び真珠のような露が頬に滴る。
「わたし……〈シウリン〉の、お嫁さんになりたかったの……あの時に、そう、思ったの……だから……指輪を、もらって欲しかった……あの指輪さえ、渡せば、ずっと一緒にいられると、……思って……なのに……」
アデライードが頭を振ると、白金色の髪が揺れ、日の光を弾いてきらきらと輝いた。
「目が覚めた時には、エイダがいて……指輪の在り処を、言えって……怖くて、声が出なかった。乳母も、侍女も、エイダが殺したの。わたし、エイダが敵だって、知っていたのに、教えなかった。だから、みんな死んでしまったの……〈シウリン〉も、エイダが、殺すかもって思ったら……怖くて……」
「それで、声を失ったのか?」
「声は……もしかしたら、出たのかも、しれない、けど。喋れない方が、いいと思って……」
恭親王はアデライードの告白に息を飲んだ。アデライードは、指輪を守るために沈黙を貫いたのではなかった。
アデライードはシウリンを守るために、沈黙したのだ。
風が、四阿に渡り、恭親王の黒い髪を嬲る。アデライードの長い髪が、風に揺れ、甘い香りが恭親王の鼻をくすぐる。ずいぶん長い時間、何も言わずにアデライードを見つめていた。
「アデライード」
恭親王が声をかけると、アデライードがびくりとして彼を見た。アデライードの瞳には、怯えと、哀しみの色が見えた。
「あなたは、私の妻になることを同意したのでは、なかったのか?」
アデライードが、そっと、息を吸い込んだ。
「わたしは……〈聖婚〉のお話を、受け入れたのです……」
「〈シウリン〉と約束していたのに?」
意地悪な質問だと認識しながら、恭親王は尋ねた。アデライードは、一瞬、唇を噛む。
「……〈シウリン〉との約束は、天と陰陽が望んだら、ということでした。わたしに〈聖婚〉のお話が来たということは、天と陰陽は、〈シウリン〉との結婚を望まなかったのだと……それに……〈シウリン〉はもう、僧侶になっているとばかり……」
恭親王はおもむろにアデライードの細い二の腕を両腕で掴んで、ぐいっとその身体を固定し、至近距離からアデライードの顔を見つめた。アデライードは驚いて顔を背ける。白い頬には、涙の跡があった。
「アデライード、私を見ろ」
強い口調で命じると、アデライードはのろのろと恭親王に視線を合わせた。それでも、翡翠色の瞳は戸惑うように揺蕩っている。
「〈聖婚〉の皇子として、選ばれたのは、私だ。天と、陰陽が、あなたの夫として、選んだ。私を。〈シウリン〉ではなく、この私を」
ごくり、とアデライードが唾を飲み込む。両腕は恭親王の力強い腕に握り込まれ、身動きは取れない。
「あなたは私の妻になる。私の番として、私のものになる。……それは、天と陰陽の、意志だ」
漆黒の瞳に射竦められ、冷酷に宣言されて、アデライードは震えた。
「あなたが、選んだわけでなくとも、天と陰陽が、私を選んだのだ」
男の片手が、締めあげていた二の腕を解放する。片方はまだ、鉄の枷か何かのように、アデライードの折れそうな腕を握りしめたままだ。その、空いた掌が、アデライードの頬をそっと撫でる。いつかのような、風にも耐えない花を撫でるような、そんな優しさで。
その指が、そっと唇に触れる。顎に手をかけ、顔が上向きにされる。男の顔が近づいてくるのを感じ、アデライードを両眼を閉じて、口づけを受け入れ、男の唇と舌が、唇と咥内を蹂躙するに任せる。もう、ずいぶん慣れた口づけ――。
長い長い口づけの後で、男が耳元で囁いた。低くて、甘い、そしてどこか、冷たい声。
「たとえあなたが愛しているのが、私でなくとも、あなたは、私のものだ。……それを、わからせてやる――」
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